2022/12/31

アメリカ・セルマー工場でのミュールのライヴ録音記録

マルセル・ミュール氏がインディアナ州エルカートのセルマー工場 The Athenian Roomで演奏(1958年2月9日)したときの録音のリストが、下記。ミュール氏の録音の中でも、極めて鮮烈な印象を残す内容だ(特に、最後に演奏されたトマジの演奏…!)。曲間のスピーチも聞くことができる。ピアノはマリオン・ホール氏。残念ながら、ピアノは落ちまくっている。

Johann Sebastian Bach - Sonata No.6
Alexandre Glazounov - Concerto
Enrique Granados - Goyescas
Gabriel Pierne - Canzonetta
Eugene Bozza - Concertino
Alexandre Tcherepnine - Sonatine Sportive
Claude Pascal - Sonatine
Jacques Ibert - Concertino da Camera
Paul Bonneau - Caprice en forme de valse (Encore)
Henri Tomasi - Ballade (Encore)

そもそものアメリカ訪問の目的は、シャルル・ミュンシュ指揮ボストン交響楽団との共演(アメリカ国内ツアー)であった。その時のプログラムは以下。録音も残されている(私が持っているのは、同じく1958年2月9日の演奏)。

Jacques Ibert - Concertino da Camera
Henri Tomasi - Ballade

エルカートのセルマー工場におけるミュール氏。向かって左はConn-SelmerのJoe Artley氏。

2022/12/26

ロジェ・カルメルの、サクソフォンを含む作品

ロジェ・カルメルの作品リストから、サクソフォンを含む作品を抜き出してみた。

サクソフォン界隈では最も有名な「コンチェルト・グロッソ」の他、独奏・四重奏、さらに、サクソフォンを含む室内楽作品(小規模~大規模)が多いことに驚かされる。録音があれば聴いてみたいものだが…。

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Divers chants d'hiver Arrangement Roger Calmel -Chanson du pêtre -Dans les sentiers (Canada) -Berceuse russe -J'entends une chanson (Allemagne) -Que la musique (Haëndel):Chœur à 1 voix/ Fl/Ht/Bon ou Saxo/Cor/Trp/Timb/Cordes

Liberté (cantate) texte de Daniel Duret , Paul Eluard:Bar solo/SATB/ 1ère formation Fl/Ht/Cl/Bon/Piano 4 mains 2e formation Quatuor de saxos/Piano 4 mains

Sonate d’automne pour saxophone alto et piano:Sax alto/Piano

Liberté (cantate) Textes de Daniel, Paul Eluard:4e formation : Bar. solo/ S.A.T.B./ 2.2.5.1./ Sax.S.A.T. Bar./ 2.2.2.0./ 2cornets. 1Bugle sib. 1Bar.sib.1Basse sib./ Tb Cymb./ 1Cb.

Quatuor de saxophones:Sax SATB

Quatuor méditerranéen (IIe):Sax SATB

Sept Séquences pour Quatuor de Saxophones:Sax SATB

Suite pour Saxophone et Piano:Saxophone Alto et Piano

Trois incantations Tibétaines:Quatuor d'anches Htb / Cl / Saxo / Bon

Nocturne pour saxophone alto mib avec accompagnement de piano:Saxo alto/ Piano

Choralies pour orchestre d'harmonie:Picc/Fl/Ht/4Cl/Bons/Saxos ATB/Bugles/CornetsTtrp sib/cor la/Tromb/TubaCcb sib/Timb/Perc (Cymb susp/C.claire/triangle/2 Toms

Le Sous-Préfet aux champs Ouverture de concert d'après le conte de Daudet:Pic/2Fl/Petite Cl/CL solo/Cl/Cl basse/Ht/Cor anglais/Bons/Sax SATBar/Trp/Cornets/Cors/Trb/Saxhorns/Perc.

Ouverture lyrique pour orchestre d'harmonie:2Fl/hT/Bon/Sax S/A/T/Bar/B/Trp/Cor en fa/Trb/Saxhorns

Prélude, danse, choral pour formation d'ensemble orchestral (Flûte-Hautbois-Petite clarinette-clarinette-saxophones-cl basse ou basson ou saxo baryton ou cello-percussions):Fl/Ht/Petite Cl/Cl/Saxos/Cl basse ou Bon ou Saxo bar ou Cello/Perc

Concertino pour saxophone alto et ensemble instrumental:Fl/Ht/Clsib/Bon/Cor/Trp/Tromb/Cb/Perc (timbales/xylo/gong)

Concertino pour saxophone alto et orchestre de chambre:saxo alto solo/fl/cl/cordes/pian

Concerto de catalogne:Fl/HtBon/Cl basse/Saxos ATB

Concerto flamand pour saxophone alto, trompette solo, percussions soli et orchestre d'harmonie partition en ut:Saxo/Trp/Perc soli/Orch. d’harmonie

Concerto grosso pour quatuor de saxos et orchestre à cordes:Saxos SATB soli/Cordes/Perc

Concerto grosso pour quatuor de saxos et orchestre d'harmonie (cf Concerto grosso pour orchestre à cordes):Sax SATB/orchestre d'harmonie)

Actus tragicus Ballet, Argument de Michel Conte:fl/cl/sax mib/cor/trp/piano/perc/2vls/2cellos/cb

Cette nuit là Musique de scène sur un poème de François Perche:Vl/Fl/Cl/Cor anglais/Saxo alto/Cor/Cl B/Perc

Le Jeu de l’Amour et de la Mort Opéra Texte de Romain Rolland:7 soli/SATB Picc/Fl/Ht/Cl/Sax/Bons/Cors/Trp/Trb/Tuba/Cordes/Tim/Cymb/G.C/Gong

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2022/12/25

ロジェ・カルメルのバイオグラフィ

ロジェ・カルメルの公式サイトに載っていたバイオグラフィを翻訳してみた。

http://www.rogercalmel.com/

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ラングドック地方のクリサンで生まれたロジェ・カルメルは、ベジエ地方で最初の音楽教育を受けた。1944年、パリに行き、セザール・フランク音楽院で作曲を学んだ後、パリ音楽院に入学し、オリヴィエ・メシアン(美学)とダリウス・ミヨー(作曲)のクラスを受講した。その後、Studio d'Essais de la Radioにて、ピエール・シェーファーの下で研鑽を積んだ。

1958年サクソフォーン四重奏とオーケストラのための「コンチェルト・グロッソ」でパリ市第一位、1959年フランス国家勲章第一位、1960年ディボンヌ国際作曲コンクール大賞、ゴセック賞、1976年フランス学士院室内楽大賞など、重要な賞を受けている。この頃、ロジェ・カルメルは、多声や調性を否定しない独自の語法によって、彼自身の音楽的個性を強く主張するようになる。

1963年、RTFの教授に任命され、1979年から1991年まで、パリ14区にあるダリウス・ミヨー音楽院で教鞭をとった。1991年から1998年まで、パリ市立音楽院の審査員を務める。こうした教育的な活動が影響し、1980年代以降、「A Cœur Joie」運動やさまざまな音楽祭、合唱団の依頼で、多くの声楽作品を書くことに活動の大部分を割くようになった。このことは、作曲語法の変化のきっかけとなり、多声を、独自の手法で注意深く扱うような清冽な作品が数多く生まれた。

多くの現代作曲家がそうであるように、ロジェ・カルメルのアプローチは常に「よりシンプルであることを志向する」傾向を持っているのだ。

2022/12/21

INA Archiveに存在するシュミットの録音

FlorentSchmitt.comに、面白いリストが掲載されていた。どのように整理したかわからないが、フランス国立音声・映像アーカイブこと"INA"に存在しているシュミット関連の録音のリストを見ることができる。

https://florentschmitt.com/florent-schmitt-listing-of-broadcast-performances-of-compositions-housed-at-the-ina-archives-french-national-radiotelevision/

サクソフォンに関係するものは、以下の4つ。カッコ内は放送年であろう。

Légende, Op. 66; David Vincent, saxophone (1997)
Quartet for Saxophones, Op. 102; Quatuor Piacere (1983)
Quartet for Saxophones, Op. 102; Quatuor Ars Gallica (1986)
Saxophone Quartet, Op. 102; Quatuor Marcel Mule (1955)

2022/12/18

Jacques DeslogesのUn bon petit diable

Guy Luypaerts「Un bon petit diable」という作品の、Jacques Desloges氏の独奏、Pierre Bigot指揮フランス国家警察音楽隊の演奏。フランス国家警察音楽隊は、Desloges氏がサクソフォン奏者として所属、後に指揮も務めることになったバンドである。

アルト・サクソフォン吹奏楽とのための作品としては有名な作品のようで(もともとは、アルト・サクソフォンとピアノ、もしくはフルートとピアノ、という編成向けに書かれている)、他の演奏もいくつか見つけられたが、Desloges氏の演奏は実に軽快で、明るい音色も相まって楽しい気分にさせられる。

フェルナン・ブラシェと、クラリネットを持つポラン、テリー

クラリネットを持つ、アンリ=ルネ・ポラン氏(最前列左から4人目)と、ジャック・テリー氏(最前列左から3人目)の写真(ポラン氏のプライヴェートコレクションより)。2枚目の、ブラシェ氏からポラン氏に宛てたメッセージには、1963年5月23日と記載されている。両名とも、キャリア初期には、カーン音楽院にてフェルナン・ブラシェ氏(1886年生まれのクラリネット奏者。ジャック・ランスロの師匠としても知られる)にクラリネットを師事していた。最前列1番右に立つ白髪の男性がブラシェ氏である。



以下、私からポラン氏へのインタビューを抜粋する。

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私はノルマンディー地方の都市、カーンで生まれました。音楽を専門的に勉強し始めたのは、カーンの音楽院です。家から音楽院までは15kmほどの距離がありましたが、自転車で通っていました。

カーン音楽院では、フェルナン・ブラシェ先生に習いました。音楽的に非常に素晴らしい先生で、大きな影響を受けました。彼は、主としてクラリネットを、そしてサクソフォンも少しだけ教えてくれました。しかし、当時クラシック・サクソフォンのレパートリーは少なく、演奏するといっても、せいぜいジャズ程度です。ちなみに、ジャック・テリーに会ったのはこの時です。彼もまた、ブラシェ先生に師事していました。

2022/12/11

1978年、韓国のデファイエ四重奏団

1978年はデファイエ四重奏団が来日した年だが、その来日の前、9月に韓国へと演奏旅行をしている。ポラン氏のプライヴェート・コレクションから、その韓国演奏旅行のプログラム冊子を2点紹介する。

1つ目は、フル・リサイタルで、前半にミュール編他の小品、後半にルジェ、ブーニョ、カルレという重いプログラムを取り上げたもの。東亜日報/放送のロゴが掲載されており、メディア・大使館肝入りの催しだったのだろう。会場はソウルのセジョン(世宗)文化会館。現代では3000席のホールだが、当時はどうだったのだろう。プログラム冊子はハングルでパッと見翻訳できないが、OCRと機械翻訳でざっと読んでみたところ、それほど面白い情報は載っていなかった。








2つ目は、ハイアットリージェンシー・ソウルでのディナーコンサート。グラズノフ、ピエルネ、リヴィエ、ダマーズ、ベルノーと、およそ「ディナーコンサート」には似つかわしくない選曲だが、どのような雰囲気だったのだろうか。後半は、現地のジャズバンド。民謡(アリラン)の変奏曲や、セント=ルイス・ブルースなどの、いかにも、といった内容である。




Jacques Desloges演奏のデュボワ「ディヴェルティスマン」

ジャック・デロージュ Jacques Deslogesは、1934年9月2日パリ生まれのフランスのサクソフォン奏者である。パリ音楽院に学び、1964年にはマルセル・ミュールのクラスで一等賞を得た。その後、1969年にオーケストラ指揮の高等ディプロマを取得した。1975年から2002年まで、ヴェルサイユ音楽院でサクソフォンを教え、種々のコンクールの審査員も務めた。

フランス国立管弦楽団、パリ・オペラ座、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団などの首席サクソフォーン奏者としても活躍。1986年から1992年までフランス国家警察音楽隊の首席指揮者、1995年から1999年までル・ペック市立音楽院院長、2000年から2001年までセルジ・ポントワーズ国立地方音楽院副院長を務めた。

また、1972年から1982年までフランスサクソフォン協会(ASAFRA)の事務局長を務め、サクソフォンや、その音楽的課題、作曲家、レパートリーについて多くの記事を執筆している。

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以上、フランス語版Wikipediaの抜粋だが、そのデロージュ(デスロジェ?)氏の演奏である。Pierre-Michel Le Conte指揮ORTF。ピアノとのデュオ版との、小回りが効いた演奏の印象が強いせいか、やや散らかった感触も受けるが、キラキラと細かい仕掛けが楽しい演奏だ。

ところで、一つ前のトラックには、モーリス・アラールの演奏が収録されている。これも聴きもの。


自身の名前を冠したカルテットの写真。メンバーは以下。

Jacques Desloges ジャック・デロージュ(デスロジェ?), soprano sax
Michel Trousselet ミシェル・トゥルーセル, alto sax
Bernaud Beaufreton ベルナール・ボーフルトン, tenor sax
Michel Lepeve ミシェル・ルペーヴ, baritone sax



2022/12/05

下諏訪のハーモ美術館で演奏

12/4、下諏訪のハーモ美術館・ティーセントホールで演奏した。昨年奈良で演奏したメンバーで、そしてプログラムを少し見直し、一時間半ほどのステージ。たくさんの方にお越しいただき、反応も良く、(緊張もあったが)楽しく演奏することができた。

「Mrs Malcolm, Her Reel」を久々に演奏できたのが嬉しかった。氷置くんが歌う「オー・ソレ・ミオ」は、昨年よりもパワーアップして、共演しつつ、とても驚かされた。

みなさま、ありがとうございました。

ティーセントホールでの演奏は、2013年以来、9年ぶり3回目だが、本当に素晴らしい会場だ。
終演後の記念写真。

2022/12/03

織田英子「東回りの風」第2曲:Zappayの原曲

「Zappy」ではなく「Zappay」だった。

織田英子「東回りの風」の第2曲の原曲について調べており、「Zappy」でいくら探しても見つからなかった。カタカナ書きの「ザッパイ」の語感から、スペルを疑って調べたところビンゴ。自筆譜ないし出版譜のスペルミスがそのまま流布されているのだろう。ルネサンス期スペインの、「Zappay (lo campo)」という器楽曲である。タイトルの日本語訳については、「酒宴」とか「野を耕せ」とか、いくつかの情報があるが、正しい情報を特定できていない。

ジョルディ・サヴァールという古楽演奏家・指揮者の盤の音運びと Capella de Ministrersという演奏団体の和声感が、参考となっているようだ。以下は、ジョルディ・サヴァールの演奏。


2022/11/30

織田英子「東回りの風」第1曲:As I walked outの原曲

『この曲は1996年にノワイエ・サクソフォーン・アンサンブルのリサイタルのために書いたものです。一曲目「As I walked out」は、イギリスの古い民謡。2曲目「ザッパイ」は16世紀ルネッサンスの舞曲です。3曲目の「グリーンスリーブス」は18世紀イギリスの民謡。4曲目はフランスの作曲家、ジェルヴェーズの「4声のための舞曲集」より。』

サクソフォン四重奏のための名曲「東回りの風」の作曲家、織田英子氏自身による解説である。第1曲「As I walked out」の原曲が全くわからず、ずっと探していたのだが、Osian Ellisというハープ奏者であり歌い手のアルバム「Songs with Harp」に収録されている同名の作品と同じであることを突き止めた。解説によれば、ウェールズ地方の民謡である、とのこと。原題をウェールズ語で「Pan oeddwn ar ddydd yn cyd-rodio」といい、次のような内容の歌詞である。

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As I walked out one day with my friend - the best gambler of us all, I wondered grievously to see him so sad and subdued, pining for the love of a girl.

ある日、仲間内で最高の賭け師の、とある友人と外に出かけた。彼が女を恋い慕い、そして悲しみに沈んでいるのを見て、何かしみじみと感じるものがあった。

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Internet Archive等でも聴ける。ご興味ある方はどうぞ。一点不安なのが、リファレンス資料がこの音盤のみ、であること。この情報になにか間違いがあっても、その検証を行うことができない。引き続き、第2曲「Zappy」の原曲を探索する(織田氏ご本人に訊いたのだが、資料を整理し手放したとのことで、回答が得られなかった)。

2022/11/27

木下直人さんより(ソーゲ「牧歌的ソナチネ」)

ジョルジュ・グールデ Georges Gourdet氏は、マルセル・ミュール四重奏団にも参加したサクソフォン奏者。ヨーロッパ各国、アフリカ、アジアで演奏会を開いた他、国立カーン地方音楽院にて後進の指導にあたった。多くの作品がグールデ氏のために作曲されており、例えばよく知られたとことで言えばベルノー「四重奏曲」、シャルパンティエ「ガバンボディ2」はグールデ氏に献呈されている。

木下さんから頂戴したのはアンリ・ソーゲの「牧歌的ソナチネ」の録音(かなり前に入手されたもの、とのこと)。グールデ氏の独奏、そして、ソーゲ自身がピアノを弾いているというのがとにかく大変貴重だ。ロンデックスの商用録音と比較してみると、アプローチの違いが面白く、グールデ氏の演奏の、朴訥とした佇まいがむしろこの作品にはマッチしているようにも聴こえる。

YouTubeにも木下さんがアップしてくださっているので、ぜひお聴きいただきたい。



2022/11/26

木下直人さんより(オネゲルの小組曲)

Le Chant du Mode 519という型番の、珍しい盤の復刻を木下さんから頂戴した。任意編成で演奏される3種の編成のためのアルテュール・オネゲル「小組曲」という作品の録音。第1曲は独奏楽器+ピアノ、第2曲は独奏楽器のデュオ、第3曲は2つの独奏楽器とピアノのトリオ、というもので、本来は、フルートで演奏されることが多いようだ。

この復刻録音では、第1曲がサクソフォンとピアノで演奏されており、サクソフォンはフェルナン・ロンム Fernand Lhomme氏が参加。ギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団黄金期を支えた奏者の一人である。第2曲には、同じくギャルドのマルセル・モイーズ、そして息子のルイ・モイーズの名が連なる。

シンプルなメロディを、神妙に、かつ、美しく奏でるロンム氏のサクソフォンが、染み入る。1936年にミュールの後任としてアルト・サクソフォン主席となり、1962年まで在籍した(ロンム氏は、1961年のギャルド来日公演にも参加している)。クランポンのテスターをしていた、との記録もある。

2022/11/23

第9回コングレスの「協奏曲の夕べ」と録音

第9回ワールド・サクソフォーン・コングレス(日本開催、神奈川県川崎市)におけるメインコンサートは、「協奏曲の夕べ」と題された当時世界最高峰のソリスト陣をフィーチャーした演奏会だった。以下、日本サクソフォーン協会のページから抜粋する。

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http://japan-saxophonists.com/about/history.html

 ■□■AN EVENING OF CONCERTI■□■8月12日(金)の夜は場所を横浜の神奈川県立音楽堂に移してコンチェルトの夕べが大野和士氏指揮、東京都交響楽団の協演にて催された。

1.サクソフォーン協奏曲/A・グラズノフ 独奏:ジャン=マリー・ロンデックス
2.サクソフォーン四重奏とオーケストラのための協奏曲/R・カルメル独奏:デファイエ・サクソフォーン四重奏団
3.ウィンドシンセサイザーと弦楽器のための協奏曲/H・サンドロフ独奏:フレデリック・ヘムケ
4.ファンタジア コンチェルタンテ/B・ハイドン独奏:ユージン・ルソー
5.サクソフォーン協奏曲/伊藤 康英 独奏:須川 展也

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録音が存在しており(当時カセットテープで販売されたと聞く)デジタル化したものを所持している。録音時点でのレベル調整に失敗しているようで、リリース当初から音割れがひどい状態なのだが、その制約の先から聴こえてくる演奏は、間違いなく当時最高クラスの演奏の数々である。客席の興奮までも伝わってくる、実に貴重なものだ。現代においては流通しておらず、権利関係等がクリアになれば、頒布等もしたいのだが、さて。

下記は、コングレスのプログラム冊子の表紙にプリントされた版画。

2022/11/20

A.P.E.S.について

かつてフランスに存在した(本家から分岐し、セルジュ・ビション氏が立ち上げた)サクソフォン協会A.P.E.S.について。A.Sax.のサイトから抜粋する。

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1983年9月、セルジュ・ビションはA.P.E.S.(Association internationale pour l'Essor du Saxophone)を設立した。その後13年間、フランスには2つの協会が同居することになった。

A.P.E.S.は、AsSaFraと同様に年に2回のレビューを発行し、コンクール(エクス・レ・バンとギャップのコンクール、グランジュ・レ・ヴァランスの四重奏コンクール、ベルナルド・ヴァンドレン作曲コンクール)に参加、新しい作品の委託も行っていた。

1990年4月、サクソフォン誕生150周年を記念して、Saxophonies d’Angersが開催された。ワールド・サクソフォン・コングレスに関する書籍が出版され、さまざまな討論会や会議が紹介される。

AsSaFraとA.P.E.S.の和解は、共通のプロジェクトのおかげで形づくられた。

・1994年12月3日、アドルフ・サックスの没後100年を記念した「イル・ド・フランスのサックスの日」が、両協会の共催でCNSMDPで開催された。
・ジャン=ルイ・ショータンとクロード・ピショーが、この日のためにサックスの大編成のための曲を作曲した。
・1997年に発売された2枚組CD「Marcel Mule」の制作。
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下記写真は、統合後のA.Sax.のロゴ。

2022/11/19

デファイエ演奏のリヴィエ「コンチェルティーノ」

ダニエル・デファイエ氏が演奏する、リヴィエ「コンチェルティーノ」。デファイエ氏が演奏したリヴィエ作品といえば、四重奏での「グラーヴェとプレスト」、ロジェ・デルモット氏との「サクソフォンとトランペットのためのダブル・コンチェルト」が有名であるが、「コンチェルティーノ」の録音の存在を知ったのは初めて。

瑞々しく流麗な、デファイエ氏の演奏をたっぷりと堪能することができる。最近出版された、Saxianaの復刻盤にも、この曲の演奏は入っていなかった。

https://archive.org/details/cd_french-composers-volume-35_jean-rivier-louis-saguer-yvonne-desportes

元は放送用録音のようだが、商用リリース情報についてはSOTWのフォーラムに下記コメントが載っていた。The French Broadcasting System in North Americaレーベルの、French Music and French Musiciansというシリーズとして出版されていた録音だ。

Nos. 5 and 6 in the “French Music and French Musicians” series includes Daniel Deffayet with the ORTF conducted by Jean Paul Kreder performing Jean Rivier’s “Concertino for Saxophone and Orchestra” as part of Program 5


2022/11/13

木下直人さんより(コンベルの復刻盤)

フランソワ・コンベル演奏、「マールボロによる変奏曲(コンベル)」「ベニスの謝肉祭変奏曲(ドゥメルスマン)」の復刻録音。比較的最近入手されたものを、木下直人さんに送っていただいた。

コンベルについては今更私が語るべくもないが(先日の記事で2つの書籍から情報を引用した)、ギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団で主席アルトサクソフォン奏者・ソリストとして活躍した演奏家である。

コンベル紹介の第一声として、マルセル・ミュールを見出した人物だ、とクローズアップされることが多く、自身の演奏者としての話が話題に上ることはごく僅かだ。演奏がSPとして残されていることは、幸いであった。マルセル・ミュールの言葉「コンベルは疑いようがなく、輝かしい独奏者であり才能のあるヴィルトゥオーゾだ」という言葉を裏付けるような、極めて高い技巧を堪能した。

木下直人さんご自身が、YouTubeにもアップしてくださっている。ただし、CD-Rで聴くほうが実に鮮明だ。



以下、詳細なジャケット写真。




2022/11/12

ビション氏逝去時のBGの声明文

2018年の、セルジュ・ビション氏逝去に際してのBGの声明文(The Syncopated Timesより)を翻訳した。ビション氏が、パリ国立高等音楽院への最多合格者を出した教師である、という事実は初めて知った(感覚的にはそうかなと思っていたが)。

https://syncopatedtimes.com/serge-bichon-83-co-founder-of-bg-franck-bichon/

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フランス古典派で最も尊敬されているサクソフォン奏者・教師の一人である、セルジュ・ビションが2018年7月31日に83歳で逝去しました。セルジュ・ビションは、BGを息子のフランク・ビションとともに共同で創設しました。セルジュはBGの音響スペシャリストであると同時に、BGのリガチャー・コンセプトの発案者でもありました。フランスにおけるクラシック・サクソフォンの巨匠、マルセル・ミュールの元生徒であったセルジュは、生前に様々なことを成し遂げました。リヨン国立音楽院で教鞭をとり、パリのサクソフォン教師クロード・ドゥラングル、リヨン音楽院のサクソフォン科教授で、著名な作曲家でもあるジャン・デニス・ミシャなど、多くの重要なアーティストを育てたのも彼の功績です。パリ国立高等音楽院に最多の合格者を出したことも、セルジュの遺産です。また、世界で最も評価の高い管楽器四重奏団ハバネラ・カルテットのメンバー全員を指導し、16本のサクソフォンからなるアンサンブル・デ・サクソフォン・オブ・リヨンを結成しました。また、第1回ヨーロッパサクソフォンコンクール(GAP)の創設者でもあり、3つのサクソフォン教本を著しました。セルジュは音楽を教えることに熱心で、情熱的でした。彼の死は多くの人に惜しまれることでしょう。

2022/11/06

ラッシャーSQの「冬の旅」アドベントカレンダー

ラッシャー・サクソフォン四重奏団が、この冬発表するシューベルト「冬の旅」アドベントカレンダーについて。12月1日から、1日1曲「A NEW VISION ON SCHUBERT'S WINTERREISE」と題された「冬の旅」を発表していくとのこと。Jay Schwartzが再構成し、Bernhard Hirtreiterが歌い、四重奏団のみならずRaschèr Academy Orchestraも参加した、新たな「冬の旅」となるようだ。

https://raschersaxophonequartet.com/winterreise/

プロモーション映像を観たが、面白そうで、ぜひチェックしてみようと思っている。


昨年には、第20曲「道標」を、こちらはKenneth Coon氏の編曲(元ラッシャー・サクソフォン四重奏団のメンバーで、2019年に亡くなった)によるものだが、演奏映像として公開している。


サクソフォンで「冬の旅」というと、雲井雅人氏(w/ 林望、布施雅也、伊藤康英、松本重孝)、栃尾克樹氏(w/ 野平一郎)の、いずれも素晴らしいアプローチ・演奏が思い起こされる。

2022/11/05

Denis Levaillant「Trombone en Coulisses」

1985年制作の同名の短編フィルム向けに作曲されたDenis Levaillant「Trombone en Coulisses」という作品に、ダニエル・ケンジー Daniel Kientzy氏が参加、2021年にDenis Levaillant氏の作品集アルバムの中の一曲としてリリースされていることを知った。

「Denis Levaillant "Pastiches"」というアルバムの第2曲。カウンターテナーと多重録音によるサクソフォン、という取り合わせ。曲想として、教会の中で録音されたような、賛美歌風の調性感のあるトラックも。(わざわざケンジー氏が抜擢されたことには、若干違和感を感じる)。

フィルムの詳細は以下。

https://www.cinergie.be/film/trombone-en-coulisses

2022/11/03

セルジュ・ビション:現代サクソフォンの祖

過去に日本サクソフォーン協会誌へと寄稿した文章から、セルジュ・ビションに関連した箇所を抜粋する。ドゥラングル氏の師匠として有名だが、個人的に考える現代サクソフォン・トレンドの祖である。このことについては、下記の文章の抜粋元である日本サクソフォーン協会誌2017年版に寄稿した「録音から読み解く現代サクソフォン・トレンドの萌芽と発展」で論じている。

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セルジュ・ビション Serge Bichon(1935 - 2018)は、リヨン音楽院の教授を務めたフランスのサクソフォン奏者である。名教師として名を馳せ、多くの門下生をパリ国立高等音楽院へと送り込んだ。ビション・クラスの設立後、門下生の多く(1985年時点の実績で30人以上)が、フランス国内外でのみならず世界各地で教育者として活動している。例えば、パリ国立高等音楽院現教授のクロード・ドゥラングル、ピアニストであり現代最高のメシアン弾きとして活躍するロジェ・ムラロ Roger Muraro、ハバネラ四重奏団のシルヴァン・マレズュー Sylvain Malezieux、ファブリツィオ・マンクーゾ Fabrizio Mancuso、現リヨン音楽院教授のジャン=ドニ・ミシャ Jean Denis Michat、指揮者やアレンジャーとしても活躍するギョーム・ブルゴーニュ Guillaume Bourgogneなど、錚々たる面々がビションの下より巣立っている。

ビションは、マルセル・ジョセ、マルセル・ミュール、ダニエル・デファイエらにサクソフォンを師事し、1960年にパリ国立高等音楽院のサクソフォン科を、引き続き1961年に同室外楽科を、それぞれ一等賞を得て卒業している。リヨン音楽院の教授への就任は、パリ国立高等音楽院卒業前の1956年である。

ビションには、ピエール・マックス・デュボワPierre Max Dubois、ルーシー・ロベール Lucie Robert、アントワーヌ・ティスネ Antoine Tisneといった作曲家が、ビションのために作品を献呈している。

リヨン音楽院での教育活動のほか、エクス=レ=バン・サクソフォンコンクール、後述するギャップ国際サクソフォンコンクール、さらにそのアマチュア部門など、様々なコンクールのオーガナイズも手掛けた。また、1986年には、息子のフランク・ビションとともにBG Franceを設立、サクソフォン関連製品の開発にも携わった。

ドゥラングルのインタビュー記事より、ドゥラングルの音色に対する考え方について、師匠であるビション、そのビションの師匠であるジョセのエピソードを交えながら証言した部分を、以下に引用する。

---ビションは、『サクソフォンの音色は丸く、豊かで澄んでいて一定でなければいけない』といっていましたが、私は最近それをもう少し発展した考えを持つようになりました。ビションのそういった考え方は、マルセル・ジョセという先生からの影響が大きいと思います。ジョセはチェリストだったこともあって、音のつくり方など、実に具体的な説明ができる人でした管楽器の人は音色について割合とおおざっぱなイメージで捉えるのに対し、弦楽器の人はより具体的です。ですから、私の音に対する考え方も彼の影響を受けました。柔軟性を持ち、かつ安定したアンブシュアや支えられた息―そういった重要であるテクニックを残しながらも、他の楽器(ピアノ、オーボエなど)との室内楽の経験を通して、私自身が持っていたかつての考え方を広げることができたのです。それは、つまり”ほしい音が出せるようにすること”といえます。よい音は、ひとつではないということです。そして、それは”演奏相手により、必要に応じて音色を変化させること”ともいえます。



フランソワ・コンベル François Combelleのこと

赤松文治「栄光のギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団」より

アルト・サクソフォン主席のコンベルは、1880年7月26日にソーヌ・エ・ロアール県マルシニーで生まれ、1902年にクラリネット奏者としてギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団に入隊後、サクソフォン奏者に転向し、1904年にアルト・サクソフォン主席奏者に抜擢され、演奏会では独奏者としても活躍した。彼は作曲も堪能で、サクソフォン独奏のために「演奏会用独奏曲第1番」「スケッチ」「セヴィリャの理髪師第1番・第2番」「マウルの幻想曲」「イタリア夜曲」「3連音符のマズルカ」「キプロス幻想曲」「マルボロー変奏曲」「バラードと嬉遊曲」、二重奏のために「5つの二重奏曲」を作曲したほか、1920年に同僚のブリヤールとラッフィーのために舟唄「エソンで」を作曲し、更に「現代大教則本」を著したが、同年セルマーがサクソフォンの製造を始めたときテスター顧問となった。そして、1923年にミュールに熱心に入隊を勧めたのち退職し、ボーヴェー音楽学校校長、パリ6区吹奏楽団とバンセンヌ市吹奏楽団指揮者、ドルネ楽器会社顧問などをしていたが、1949年にレジョン・ドヌール5頭勲章を受賞し1953年3月3日に亡くなった。

Harry R. Gee「Saxophone Soloists and Their Music」より

もともとはオーボエ奏者であり、1902年にギャルド・レピュブリケーヌ軍楽隊に入隊、その後サクソフォン奏者となった。1923年、マルセル・ミュールに、楽団のオーディションを受けるよう熱心に勧め、ミュールは8月に21歳で入隊した。ユージン・ルソーによる、ミュールのインタビューを抜粋する。『コンベルは疑いようがなく、輝かしい独奏者であり才能のあるヴィルトゥオーゾで、頻繁に楽団における独奏者として演奏していました。楽団では、幻想曲、変奏曲などを演奏していました。』セルマーが1920年にアドルフ・サックスの工房を買収したとき、コンベルはテスター兼アドバイザーとなった。

コンベルの作品リスト:カッコ内は出版年
1er Solo de Concert
2eme Solo de Concert (1911)
Esquisse
Grande Methode Moderne (1910)
Le Barbier deSeville No.1
Sur L'Esson Barcarole (1920)
Frantaisie Mauresque (1920 to E.Hall)
Serenade Italienne (1920)
Triolette Mazurka (1920)
Rapsodie Cypriote (1932)
Malbrough (1938)
Ballade et Divertissement
Five Duets (1958)

コンベルに献呈された作品:
Maurice Decruck and Fernande Breilh 「Chant Lyrique, op.69」

コンベルが著した「Grande Methode Moderne」の表紙と、中身の抜粋(演奏姿勢指南のページ?)




「ヴェニスの謝肉祭」変奏曲。コンベルの写真も多数見ることができる。

2022/10/30

ロンデックスのジャン・リヴィエ評伝

ロンデックスが、ジャン・リヴィエについて論じた短い文章。「Le Saxophone No.32(1988-April)」より。

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1896年7月21日、ヴィルモンブル(セーヌ=サン=ドニ県)に生まれたジャン・リヴィエは、1987年11月5日にラ・ペンヌ=シュル=ユヴォーヌ(ブーシュ=デュ=ローヌ県)で死去した。第一次世界大戦中に毒ガスにさらされたが生き延び、1922年、パリ国立高等音楽院に入学し、ジャン・ガロン(和声)、ジョルジュ・カッサード(フーガと対位法)、モーリス・エマニュエル(音楽史)に師事。また、ピアノをブローに、チェロをポール・バゼレールに師事し、その後この楽器のために「オーケストラとのラプソディ(1927)」を作曲し、室内楽にも興味を持つようになった(4つの弦楽四重奏とトリオ、4本のサクソフォンのための「グラーヴェとプレスト」など)。彼の初期の作品には、鋭いエッジ、明確な音響建築のセンス、簡潔さへの著しい嗜好、しばしば「アール・グラヴュール」と呼ばれるスタイルが見受けられます。

1936年から1940年にかけて、ジャン・リヴィエはピエール・オクターヴ・フェローやアンリ・バローとともに「トリトン・グループ」に参加し、活躍した。1947年、パリ国立高等音楽院で作曲を教え、最初はダリウス・ミヨーと交互に、その後1962年から1966年までは単独で教鞭を執った。

彼の作品目録には、交響曲7曲(1932年から1961年)、ヴィオラ(1935年)、ヴァイオリン(1942年)、ピアノ(1953年)、サクソフォーンとトランペット(1955年)、クラリネット(1958年)、ファゴット(1963年)、金管とティンパニ(1963年)、オーボエ(1966年)などのための協奏曲8曲をはじめ、約100の交響曲、室内楽、合唱曲が含まれている。

1940年以前から、ジャン・リヴィエは、抽象的な言語の探求よりも、むしろ音楽表現を優先するという、当時はまだあまり普及していなかったロマン派の傾向を代表していた。ユーモアのセンスがあれば(『ヴェニチエンヌ』やサクソフォン協奏曲のフィナーレ)、最も説得力のあるシンプルさを実現できるのだ。

品質、厳格さ、心、感性を備えた彼は、実際「伝統的な形式に忠実であり」「想像力豊かで、フランスならではの視覚的な」(これは特に戦間期の作品に顕著)な人物であり、強い意味での自立者でもある。

若い頃、マスタード・ガスにやられたジャン・リヴィエは、生涯を通して健康状態がよくなかった。極限状態、つまり死という永遠の危機について、その精神的な体験を、人に伝えることを可能にする…しかも、音楽によって…そのレベルに成熟するまでは非常に時間がかかった。まず1953年の「レクイエム」で、次に1967年の「クリストゥス・レックス」で、彼は卓越した筆力と最高の表現力で、地上生活を超えた、人間の形而上的運命への信仰を表現している。

ベルナール・ガヴォティとダニエル・レザーによれば、「ジャン・リヴィエはとても親切で、とても控えめで、5分もすれば20年来の友人と接しているのかと思うほど歓迎してくれる」そうだ。音楽家がシステムを持っているのと同じように、彼には先入観がない。世界的な偉人であると同時に、誠実な友人でもある。音楽家としては、まるで建築家のようなスタイルを取った。ありきたりなものとセンセーショナルなものの両方を避けるのが、リヴィエの選んだ道であるように思う。



2022/10/29

Pierre PETIT「Andante & Fileuse」のデファイエ氏の演奏

木下直人さんが最近入手されて、YouTubeにアップロードしてくださった録音。放送用に準備された録音のようだ。

作曲家の名前は初めて知った。ジャン=ミシェル・ダマーズ氏やジャニーヌ・リュエフ氏とほぼ同世代にあたる。1942年にパリ音楽院に入学し、アナリーゼをジョルジュ・ダンドロに、和声をナディア・ブーランジェに、対位法をノエル・ギャロンに、作曲をアンリ・ビュッセルに、それぞれ学んだ。パリ音楽院、パリ理工科学校等で教え、ORTFに入社後は要職を歴任した。

デファイエ氏の音楽性と技巧面を両面から良く伝える演奏内容で、とても心動かされた。こういった演奏が、商用録音としてリリースされていなかったことが惜しいとは思うが、木下さんの探究心に改めて頭が下がる思い。

ニコラ・プロスト氏のデファイエ復刻録音集にも収録されているが、木下さんの復刻のほうがクリアに聴こえる。 


東京藝大ウインドオーケストラの「エルサレム讃歌」

指揮:山本正治、東京藝大ウインドオーケストラのセッション録音。

若手奏者を中心とした、極めて精度の高い演奏。さらに解釈も極めてスタンダードなもので、万人に勧めることができる演奏と言えよう。TKWOの演奏に続く、新世代の標準盤として、併録の他作品の録音とともに(特にC.T.スミス作品は奏者の力量がダイレクトに表出する)筆頭盤として位置づけられるものと感じた。

録音が「おや?」と思えてしまう状態なのは残念。ミキシングなのかマスタリングなのか、妙なカタマリ感があり、どこかで失敗しているような印象。

サクソフォンの布陣は、上野耕平、住谷美帆、田島沙彩、宮越悠貴(以上asax)、戸村愛美(tsax)、田中奏一朗(bsax)(敬称略)。


2022/10/16

広島ウインドオーケストラの「エルサレム讃歌」

指揮:下野竜也氏、広島ウインドオーケストラの演奏。かなり新しいCDで、「エルサレム讃歌」は第55回定期演奏会におけるライヴ録音とのこと。

"なにわ"を聴いてしまうと、ソリスト/各奏者の力量等の差が気になってしまうが、そういったアラ探しのような真似は無意味。この「エルサレム讃歌」の演奏の中核はずばり、最後のコラール変奏だろう。下野氏の独自解釈なのかと思うが、必要以上に劇的なフォルテを強調せず、mf~mpで、そこに至るまでの全てを優しく包み込むような印象。

同じ物語なのに、語り部を変えたことにより、ここまで印象を変えるのかと、心底驚いた。「極めてヒロイックな物語の最後に、読者が知り得なかった主人公の痛みと悲しみの心情を滔々と語ることにより、ここまでの寓話の真意を描き出しているかのよう」…これは全くの架空の話だが、そういった読者の心を捉えて離さないような、見事な結末を提示する。

サクソフォンの布陣は、宮田麻美、前田悠貴(以上asax)、日下部任良(tsax)、石田大輔(bsax)、西川佑太(bssax) (敬称略)。



なにわ《オーケストラル》ウィンズの「エルサレム讃歌」

私的に好きな吹奏楽曲のひとつ、アルフレッド・リード「エルサレム讃歌」について、おすすめいただいたCDをいくつか購入したので、順に紹介していく。

なにわ《オーケストラル》ウィンズ2014のライヴ録音。丸谷明夫氏の指揮の下、関西方面のオーケストラ奏者が一同に会してのスペシャル吹奏楽団。丸谷氏のカラーが極めて良く出ており、音運びや構成などから、淀工の種々の演奏のエコーを感じる。緩徐部での歌い方の、ソリスティックな響きと統制の取れた響きの、極めて絶妙なバランス感覚が聴きもの(ソリストの潜在能力の高さ!)。そして、最終部での劇的なクライマックスと聴衆の興奮。

ライヴ録音ながら、極めて精度の高い演奏は、さすがオーケストラ奏者、といったところか。中間部のソプラノサクソフォン独奏は、雲井雅人氏(の可能性が高い)とのこと。聴いたことのない空気感の演奏。

録音は、主環境(モニタースピーカー)で聴いても、イヤフォンで聴いても、音場がやや遠く、各楽器の分離を聴き取ることが難しく、細かいポリフォニックな響きが重畳されて、ややモノトーンっぽく聴こえてしまうのが残念。

サクソフォンの布陣は、岩田端和子、雲井雅人、佐藤渉、陣内亜紀子、西尾貴浩、林田和之、平田洋子、前田幸弘(敬称略)。

2022/10/12

マルセル・ジョセのこと

名奏者であり教師、マルセル・ジョセについて。初出は日本サクソフォーン協会誌に寄稿した「録音から読み解く現代サクソフォン・トレンドの萌芽と発展」。構成を一部変更している。※敬称略。

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マルセル・ミュールが、1928年にギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団の仲間と共に結成した四重奏団は、その後パリ・サクソフォン四重奏団、マルセル・ミュール・サクソフォン四重奏団と名を変え、1966年までその活動を継続した。ミュールの四重奏団は、メンバーは固定されておらず、数回のメンバーの交代が発生したが、その最終期にバリトン・サクソフォン奏者を務めていたのがマルセル・ジョセ(ジョス)Marcel Josseである。

ジョセは1905年に生まれ、早期よりチェロ奏者としての高い能力を発揮した。16歳のときからアレクサンデル・ザッハレフ・バレエ団管弦楽団のチェロ奏者として籍を置き、後にパリ・オペラ・コミーク管弦楽団へと移籍した。順風満帆に見えたジョセの音楽家としての人生だが、そのころ腕を痛め、チェロ奏者としてのキャリアと、パリ音楽院のチェロ科への入学を断念せざるを得なくなる。ここで方向転換を迫られたジョセは、1925年、サクソフォンに興味を示した。1925年のことである。

ジョセの周りにサクソフォンのための教本は無く、専門の教師もいなかった。そこでジョセは、チェロを学んだ経験を基にして、チェロの教本をサクソフォンに適用しながらこの楽器の演奏を学んだという。すでに確たるバックグラウンドがあるジョセならではのエピソードである。

彼は、パリ音楽院において、サクソフォン、和声、対位法を学び、プロフェッショナルな演奏家として十分な技術を身につけた後、1933年にはサクソフォンの教師となった。その高い音楽性と技術をマルセル・ミュールに認められて、1948年に四重奏団へ参加。バリトン・サクソフォン奏者となり、ミュール四重奏団の解散までその役割を全うした

現代においては、ジョセと言えばどちらかというとサクソフォンの教育者としての顔が有名だ。ギィ・ラクール Guy Lacourがサクソフォンの初学者のために作曲した「50のエチュード」は、ジョセに献呈されている。教育者としての経歴を追うと、ヴェルサイユ音楽院、スコラ・カントルム、エコール・メルンという3つの学校で教鞭をとり、数多くの優秀な奏者を輩出したということである。前述のギィ・ラクールのほか、ベルナール・ボーフルトン Bernard Beaufreton、アンドレ・ブーン André Beun、ジャン・ルデュー Jean Ledieu…1970年代から1980年代にかけてフランスのサクソフォン界隆盛を支えた彼らは、全員がジョセの門下生である。

以下の写真でバリトンを吹いているのが、ジョセ。アルトはアンドレ・ボーシー。

2022/10/10

Steven Jordheim氏のマルタン

1983年9月5日録音の、ジュネーヴ国際コンクール本選か、その入賞者披露演奏会かわからないが、最高位(一位なしの二位)に入賞したスティーヴン・ジョードハイム氏演奏のライヴ録音を聴いた。ジュネーヴ市のアンセルメ・ホールにおける演奏。

イベール「コンチェルティーノ・ダ・カメラ」、マルタン「バラード」。詳細はさっぱりだが、イベールはローザンヌ管弦楽団、マルタンはスイス・ロマンド管弦楽団との説明記載あり。種々の情報が定かではなく、イベールは別機会で、演奏日も間違っているかもしれない。


以下、雲井雅人氏の「小言ばっかり」より、関係部分を抜粋する。
http://www.kumoiq.com/kumoi/arc/dd200408.html

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これ以前に僕がコンクールと名のつくものを受けたのは、1983年のジュネーヴ国際音楽コンクールが最後だ。

僕はその本選で、生まれて初めてオーケストラの前に立ってソロを演奏した。本選には、コンクール参加者84名中、3名が進んだ。

曲目は、フランク・マルタン作曲「アルト・サクソフォーンとオーケストラのためのバラード」、オーケストラはスイス・ロマンド管弦楽団。

僕はオケ前で吹くのはもちろん、それまでオケ中で吹いた経験もほとんどなかった。オケ前初体験が、このように異国の地で外国のオケの前でスイス人の指揮者とだったので、リハーサルでは何が何だか分からぬまま無我夢中で吹くだけだった。

本選では、むやみに楽しく音楽に没頭して演奏できたと思う。しかし好事魔多し。忘れもしない、練習番号[28]の4小節前でフラジオを一発はずしてしまったのだ。

結果、僕は「銀メダル1席」。ノーミスで吹いたアメリカのスティーヴン・ジョードハイムが1位なしの2位となった(ちなみに、その頃のジュネーヴは1位、2位の次が銀メダルとなっていた。銀メダル2席はスイスのコレットという人)。

あとで、そのとき審査員を務めていたヘムケ師匠に「なぜ君が最高位にならなかったか分かっているね」と言われた。厳しいもんだなと思った記憶がある。

一柳慧とサクソフォン

作曲家の一柳慧氏の訃報。サクソフォンへの直接的な関わりは多くはないが、楽器編成を限定しない「プラティヤハラ・イベント」に、サクソフォンが参加した実演に触れたことがある。

調べてみると「Trichotomy」というアルトサクソフォン、ピアノ、打楽器のための作品を、野田燎氏のために作曲している。インターネット上の情報からは全くその作品に関する情報をたどることができない。初演された演奏会についての情報は見つけることができたが、いったいどのような作品なのか、聴いてみたい。

https://www.shodo.co.jp/nankoku/report/vol-16/

そういえば、武満徹「一柳慧のためのブルー・オーロラ」のことを、一柳慧氏の名を冠する作品(ブルー・オーロラSQが取り上げている)として反射的に思い出す。



2022/10/08

フランスは進化し、先行する

20世紀終わりから、21世紀にかけてのグローバリゼーションの流れは、かつて「世界にわずかしか存在しない"スター"を中心に物事が衛星のように回っていく」という状況を不可逆的に変化させてしまった。今の時代は「みんな違ってみんな良い」、様々な好みに合わせて様々なスタイル・方向性を提示する。これはクラシック・サクソフォンに限ったことではない。

提示する側も、受け取る側も、物差しが違うから、それぞれを比べること(結局誰が一番なの?)は無意味である。時折、国際コンクール等、同じ物差しで測る機会は訪れるのだが、そこで提示されるものは同じ物差しであっても、最終選考まで行ってしまうともはや1ミリ、2ミリの違いであり、ではどうやって優劣を付けるかというと、やはりここでも違う尺度が登場している…と感じることは多い(「審査員の好み」という単語で語られたりする)。

とはいえ、どこかには絶対的な進化を遂げ、世界に先駆けて最先端の演奏を繰り広げている奏者がいるはず…7割の聴き手がその演奏を聴いて「これぞ!」と納得すれば、それは現代世界における最先端である、と言って差し支えないのだろう。

…ということを考えたのは、アレクサンドル・スーヤ Alexandre Souillart氏の「Voyage Esquisse」を聴いたため。存在は知っていたのだが、じっくり聴いたことがなく(氏の実力のほどは、実演や、「Ténor, quand tu me tiens!」などで十分分かっているつもりだった)、ふと聴いてみたくなった次第。


これは、伝統的なフレンチスクールのサクソフォニズムが築き上げてきたテクニック、美的センス、エスプリ、珠玉の作品群…を、同じくフランスの、クラシック・サクソフォン界の最先端から照らし出そうと試みたアルバム。

世界で数え切れないほど演奏されている「プロヴァンスの風景」「スカラムーシュ」「性格的小品」等々…現代にあっては、何ということもない作品を取り上げ、伝統を軸にして奇を衒わず、「この曲は、こうやって演奏すれば美しく、楽しく、自然に聴こえるでしょう」と、さらりと提示する。まさに「これぞ世界最先端のサクソフォン」だ!。これを一通り聴いたときに、フランスは今なお進化を続け、世界に先行している、という思いを強くした。

演奏内容を言葉で伝えるのは難しいためぜひ聴いていただきたいところ。個人的には、ミーハ・ロギーナ氏のハチャトゥリアン「ヴァイオリン協奏曲」、ハバネラ四重奏団のクセナキス「XAS」、グラズノフ「四重奏曲」、ヴァンサン・ダヴィッド氏の「プロヴァンスの風景」…といった、黒船来航のようなセンセーショナルな演奏の数々と同列に扱われるべきものだと考える。

2022/10/02

John Sampen plays C.T.Smith "Fantasia"

ジョン・サンペン氏の演奏で、クロード・トマス・スミス「ファンタジア」の録音(映像無し)。なんと1984年、Bowling Green State Universityのバンドとの録音だ。作曲が1983年(初演は、Dale Underwood氏)であるから、その翌年、「新たなレパートリー」としてのお披露目のような機会だったのだろう。

冒頭/再現部はやや独奏とバンドの噛み合わせの悪さが聴かれるが、中間部のドラマティックな演奏はバンドとともに見事なもの。アンコールとして、ルディ・ヴィードーフ「サクソフォビア」も演奏されている。

ところで、サンペン氏、活躍の期間が極めて長いなと思うのは私だけだろうか。1949年生まれとのことだが…最近でもYouTube(便利だ)などで演奏家・教育者としての姿を確認することができる。



2022/10/01

マルセル・ミュール氏のエッセイ"The Saxophone"(1950年)

1950年の"Symphony"誌より、マルセル・ミュール氏のエッセイ。1958年のアメリカツアーに際してプログラム冊子に英訳が掲載されたが、それを日本語訳した。ミュール氏の書いた、こういった長い文章を見るのは初めてだ。

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今日、サクソフォンほど流行している楽器はないだろう。どんな小さな村でも、その土地の守護聖人の祭りの日には、30年前にはまったく無視されていたこの楽器の音で踊るのである。100年以上前から存在していたサクソフォンだが、人気の開花にはジャズの出現を待たねばならなかった。

100年の間に自身の発明が成功に至ることになったが、ダンスミュージックの分野における成功は、気鋭の楽器製作者、アドルフ・サックスも予見していなかったのである。彼はサックスを、オーケストラにおいて木管と金管をつなぐものとして考えていた。そして、前世紀には、サクソフォンをこのように使って、素晴らしい結果を得た作曲家もいた。ビゼーは「アルルの女」で、マスネは「ウェルテル」と「ヘロデ王」で、アンブロワーズ・トマは「ハムレット」で、この楽器に第一級の重要な役割を与えている。その後、ドビュッシーが「ラプソディ」を、フロラン・シュミットが「レジェンド」をこの楽器のために作曲している。

しかし、ほとんどの作曲家はサクソフォンを無視し、サクソフォンが大規模な交響楽団の中に定常的に組み込まれることはなかったと言わざるを得ない。パリ音楽院にサクソフォン・クラスが設けられ、アドルフ・サックス本人に教授職が託されたが、創設後間もなく中断せざるを得なくなった。しかし、軍楽隊や合唱団がこの楽器を採用したため、完全に消滅したわけではなかった。

サクソフォンがスターダムにのし上がるにはジャズの出現が必要だったが、繰り返すが、このことをアドルフ・サックスは望んでいなかったことは明らかである。残念なことに、多くの人はジャズの側面でしかサクソフォンを知らない。クラリネットもトランペットもトロンボーンも、そしてヴァイオリンさえも、ジャズの中でしか聴いたことがないとしたら、どうだろう。シンフォニー・オーケストラに貢献するために考え出された楽器が、"シンフォニスト"に軽蔑され、ジャズの中だけで役に立っていることは、サクソフォンに起こったドラマのようなものだ。

シンフォニー・オーケストラにおける、こんな傾向もある。フランスでは現在、著名な作曲家たちがこぞってサクソフォンを採用しており、アルテュール・オネゲル、ジャック・イベール、ダリウス・ミヨーなどは、楽譜の中で忘れることはない。個人的には、サクソフォンの音色の豊かさと気高さ、表現の可能性、ヴィルトゥオーゾとしての均整のとれた演奏のすべてを高く評価している。私は長い間、サクソフォンのすべての能力を活用しようと努めてきた。私はカルテットを結成し、20年ほど前からフランス全土、そしてヨーロッパの多くの国々で演奏している。

私は"シリアス"なサクソフォンの唯一の擁護者であるかのように装っているわけではない。ヨーロッパにもアメリカにも、この問題に熱心に取り組んでいるアーティストがたくさんいる。すでに多くのカルテットが存在するが、私たちは少数派である。この運動が十分な広がりを見せるには、また、一般大衆がこの"甘ったれた"楽器の高貴さをようやく発見するためには、まだ長い時間が必要であろう。

サクソフォンは、交響楽団の中で、通常オーケストラに使われるすべての管楽器と同じ重要性をもって、第一級の役割を果たすことができる。そのため、他の楽器と同じように細心の注意を払って演奏しなければならない。つまり、音色の質、イントネーション、すべてのニュアンスにおけるアタックの正確さ、一言で言えば、非常に真剣な総合的テクニックを身につけることである。サクソフォン奏者は、名人芸の観点から、他のすべての楽器の奏者と同じように努力しなければならないし、確実に楽になるためには、音階、アルペジオ、エチュードに取り組まなければならない。美しいテクニックを身につけるには、すでに多くの練習曲や習作が存在し、それで十分である。

音の良し悪しについては、もちろん個人の好みの問題であるが、少し助言させてほしい。私の考えでは、美しい音を出すためには、まず喉が完全に自由であること、つまり収縮を防ぐことが不可欠である。「オ」「ア」と発音するように喉を開きながら、楽器の中に空気を送り込むことが必要だ。こうして、音の大きさとすべての音域での使いやすさを同時に手に入れることができる。この状態を実現し、音の下品さを避けるために、十分な硬さでマウスピースを維持し、かつリードに過度な圧力をかけないようにします。

この2つの要素、フリー・スロートとアンブシュアのコントロールは、音色の質を高めるために欠かせないものである。

サクソフォンの特徴ではないが、表現上の要素として、ビブラートというものが残っている。ヴァイオリンやチェロが「まっすぐな」音色であることは考えにくい。フルート、オーボエ、ファゴット、ホルンの表現力豊かな音色には、もう何年も慣れっこになっている。これらの楽器は弦楽器と表現力を競い合い、オーケストラに強烈な情感を添えている。この点ではサクソフォンも同じである。

ビブラートは、音の高さの変化によって得られる起伏と、起伏の速さの2つの要素から構成される。音色に俗っぽさが出ないように、うねりは大げさではなく、はっきりと感じられる程度でなければならない。連続するうねりの速さについては、メトロノームを使って作業し、震えや、遅すぎるうねりから生じるワウワウを避けるテンポを自分に課すことは、優れた練習方法である。

経験と味わいによって、音色に質の高い情感を与えるヴィブラートに到達することができる。

以上、短い文章ではあったが、私のサクソフォンに対する考え方を十分に明らかにすることができたと思う。最後に、多くの若いアマチュアが、この美しい楽器に期待されるあらゆる喜びを実感できるようになることを祈りたい。私は、ジャズ・サクソフォン奏者の演奏する効果にいち早く注目しているが、この素晴らしい楽器がもっと崇高な使命を果たすべき時に、大多数の大衆がこのような名目でしかサクソフォンを知らないことを残念に思っている。

2022/09/28

ミュール氏のアメリカツアー記録

1957-1958シーズンの、マルセル・ミュール氏が帯同したボストン交響楽団のアメリカツアーの記録。ミュール氏自身は、イベール「コンチェルティーノ・ダ・カメラ」と、トマジ「バラード」の独奏を務めた。ツアーは、地元のシンフォニーホールから始まり、地域のホールの他、 大学が所有するホールでの演奏などもあり、スケジュールを見る限りは極めてタフなツアーだったように思える。

このツアー後、ミュール氏は独奏活動から引退する。

1958/1/29 Boston Symphony Hall
1958/1/31 Boston Symphony Hall
1958/2/1 Boston Symphony Hall
1958/2/2 Boston Symphony Hall
1958/2/4 Sanders Thr., Harvard Univ.
1958/2/11 Woolsey Hall, Yale Univ.
1958/2/12 NewYork Carnegie Hall
1958/2/13 Washington Constitution Hall
1958/2/14 Brooklyn Academy of Music
1958/2/15 NewYork Carnegie Hall


2022/09/24

The New York Times上のHarvey Pittel関連記事(1979年)

NewYork Timesの「Music Notes」というコーナーに、アメリカのサクソフォン奏者、ハーヴェイ・ピッテル氏の記事を見つけた。1979年12月2日、とのこと。1970年代~1980年代の、アメリカにおけるサクソフォンの捉え方を垣間見ることができる、興味深い内容である。

https://www.nytimes.com/1979/12/02/archives/music-notes-the-saxophone-from-suburbia.html

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1840年代にアドルフ・サックスがサクソフォンを発明したとき、サックスは、この楽器がクラシック音楽のための楽器の中で地位を確立すると想定していた。しかし、現在ではジャズの分野で最もよく知られている。そしてサクソフォンを本来の地位に戻そうとする一人がハーヴェイ・ピッテルである。彼は水曜日の夜にアリス・タリー・ホールでリサイタルを行う。

「この国、そして世界には何百人ものクラシック・サクソフォン奏者がいますが、そのほとんどは大学や音楽院に勤めています。私は、サクソフォンをコンサートのための楽器にしようとしている数少ない奏者の中の一人だと思っています。サクソフォンは、ときに木管楽器のように柔らかく、ときに金管楽器のように大胆に鳴らすこともできますから、今回のプログラムはその幅の広さを示すようなものにしました。」

ピッテルは、ロワレのバロック時代の「ソナタ」、インゴルフ・ダールのアルト・サクソフォンとピアノのための「協奏曲」、ラフマニノフの「ヴォカリーズ」、世界初演のミルトン・バビットの「イメージ:アメリカのボードビルにおけるサクソフォン」、イベールのアルト・サクソフォーンと11楽器のための「コンチェルティーノ・ダ・カメラ」などをプログラムに盛り込んでいる。ピアニストのサミュエル・リップマン、チェンバロ奏者のライオネル・パーティー、チェリストのエリック・バートレット、そして指揮者のイェンス・ナイガードと彼が率いるジュピター交響楽団のメンバーがプログラムに参加する予定だ。

「バビットの新作は、私の演奏を念頭に置きながら作曲されたもので、アルト、ソプラノ、ソプラニーノのサクソフォーンを使います。バビットはサクソフォンを良く吹いていたそうで、ハッピーな作品です。私は20年代のルディ・ウィードフトの作品など、彼が知っている曲をいくつか演奏してみせたのですが、彼はそれらも含めて自分流にしてしまいました。テープとサクソフォン奏者のための、ヴィルトゥオーゾ・ピースです。」

36歳のこのサクソフォン奏者は、すでにこの楽器のために多くのパイオニア的な活動をこなしてきた。コンサート・アーティスト・ギルドの主催で、過去に2回、ここでリサイタルを開き、クリスタル・レーベルから少なくとも3枚のレコードをリリースし、シカゴ、オンタリオ、ボルドー、ロンドンで開催されたワールド・サクソフォン・コングレスにも参加している。5年間にわたり、アフィリエイト・アーティストとして、ミズーリ州ヤズーシティ、アリゾナ州プレスコット、シアトルなど様々な場所で知られている奏者だ。

「私にとって、すばらしいキャリアです」と、彼は続ける。「私は、刑務所、小さな町のライオンズクラブ、学校、定期演奏会などで演奏してきました。こういったときには、聴き手に向けて、くだけたトークなどもしました。各地でたくさんの素晴らしい人との出会いに恵まれたのです。」

ピッテルは、モンタナ州グレートフォールズで生まれ、ロサンゼルスで育ちました。クラリネット奏者として音楽キャリアをスタートし、20歳の時にはダンス・オーケストラのマネジメントと講師をしてた。「フランスの偉大なサクソフォン奏者、マルセル・ミュールの録音を聴いて、彼のような演奏ができるようになりたいと思うようになった。ジュリアード音楽院でジョセフ・アラール、パリでダニエル・デファイエ、ボルドーでジャンマリー・ロンデックスに師事した。これらの先生方は多大な貢献をされましたが、私が行ったのは、それぞれの先生方から何かを受け取り、私自身の音を組み立てることです。それはおそらく、フランスの流派よりも大きく、充実していて、より柔軟で変化しやすいものだと思います。」

1年前から、ピッテルはニューヨーカーになった。西海岸から移ってきたのは、室内アンサンブルで演奏する機会が多いからだ。つい最近も、ボストン交響楽団から、ディビッド・デル・トレディチの「ファイナル・アリス」のサクソフォン・パートを24時間以内に引き受けてほしいという依頼があった。幸いなことに、この曲は彼が他のオーケストラで演奏したことのある、よく知っている曲であった。来年4月にはボストン交響楽団と、ポール・チハラの「サクソフォーンとオーケストラのための協奏曲」を世界初演する予定である。

2022/09/22

ナイマン・バンド in ポーランド

マイケル・ナイマン・バンドの、1995年、ポーランドでのライヴ映像とのこと。「英国式庭園殺人事件」のサウンドトラックから「An eye for optical theory」の演奏。サクソフォンの布陣がジョン・ハール、サイモン・ハラーム、アンディ・フィンドン各氏…もはや、今の時代にあってはレジェンドだ。グロウを多用したハイテンションな演奏が曲想にマッチする。

演奏そのものから、当時のイギリスのサクソフォン界の勢いを感じる。



2022/09/20

ミュール氏引退のこと

父は、クラシック音楽は好きだったが、サクソフォンについては、特に深い関わりなく、専らこのブログが情報源(スマートフォンも無い時代で、印刷して読んでいた)。亡くなってだいぶ経つが、病に伏せる前から、近況を記した数多くの手紙を送ってくれていた。サクソフォンについては、体系的には把握せずとも、時々思うことがあったようで、多くの手紙のなかの一部でたまにブログの内容に触れることがあった。

マルセル・ミュール氏のことをあれこれ調べ直しているときに、ふと、ミュール氏引退(1958年にソロ活動引退、1967年に四重奏を解散、1968年に教授職を引退、特にソロ活動については、フィジカル・メンタルのバランスが取れた最高の時期であり、不可解に映る。ボストン交響楽団との録音をきいても、あまりの素晴らしさに腰を抜かす)の理由について、父が独自の考えを述べていたことを思い出し、その内容を引っ張り出してきた。

ミュール氏が、アメリカツアーを機に自身の演奏活動に限界を感じて‥という一般的な考えとともに、それと同じくらい次のような考えがあったのでは、というのが当時の父の持論である。今読み返すと、当時(15年前)よりもさらに深く納得・同意してしまった。

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ミュールは、続く世代のためにサクソフォンの可能性を可能性のまま「手をつけずに残しておいてくれた」のではないか。自分がやるべきことはやり、これから発展する可能性のあるものはあとは若い世代へと託したのではないだろうか。手紙の中からそのまま引用すると、きっとミュールはこう考えていたに違いないと:「さあ、わたしはここまでやってきた。次は君たちの番だよ、私のやってきたことを存分に吸収して、次に君たちがサックスの世界をもっと広げていってほしい」。
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これが本当だとすれば…あながち間違いではなさそうだが…ミュール氏がこのような考えに至ったことは、この時期の引退は、ミュール氏の器の大きさを示す一つの大きなエピソードである、とも言えそうだ。とはいえ、不確実性ばかりが蔓延る現代にあってはこのような考えに至ることの難しさも承知しており、現代の状況を批判するものではない。

下記は、ボストン交響楽団1957-1958シーズンのプログラム冊子表紙。

2022/09/18

コーヒーとグレインジャー

グレインジャーもコーヒーも好きなので、良く観る。林田和之氏の多重録音による「グレインジャーの花束」「羊飼いの呼び声」に乗せて、焙煎~グラインド~ドリップまで、じっくりとコーヒーを淹れる動画。この、バックで流れている演奏がまた、絶品なのだ。

「第一回」とのことで、次回作も期待。

ダニエル・デファイエ氏の録音リスト更新

デファイエ氏の録音リストを更新した。1975年の来日時の演奏の模様で、いずれも商用録音ではない。

NHK-FM四重奏リサイタル
ソロリサイタル
四重奏リサイタル
下倉楽器におけるレクチャー

特にNHK-FM四重奏リサイタル、そして下倉楽器での演奏の録音状態は良い。東京文化会館でのソロリサイタルは、打楽器との共演(デュボワ、ラクールの各作品)が珍しい。

https://docs.google.com/spreadsheets/d/1c98A6VaRUuYaFOOw8MycHDwJ9aFtiwYdx_pq32VGxOI/edit?usp=sharing

"Deffayet"のカタカナ表記・発音は"デファイエ"

1977年10月号のバンドジャーナルにこう書かれており「デファイエ」が適切であろう。

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…プログラムにデファイエ教授の名前をドゥファイエと書いておいたのを見て、彼の名前についていろいろ発音があるが、彼自身によればデファイエと呼んでほしいとのことであった。この事は、前回の来日のおりNHKが放送の際、彼に問うたところ、そのように答えたとのことであったと聞き…(略)

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2022/09/17

ギャルド送別パーティへの招待状(1961年)

1961年11月17日のギャルド帰国に先立ち、朝日新聞社長村山長挙邸で開かれた、送別パーティの招待状(画像はクリックして拡大)。ポラン氏のプライベートコレクションより。

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拝啓 秋冷の候益々御清祥慶賀の至りに存じます。

さて、ルーブルを中心とするフランス美術展の開催を記念して来日したギャルド・レピュブリケーヌ交響吹奏楽団は、来たる十七日夜帰国しますので、左記により送別パーティーを開きたく存じます。ぜひご出席くださるようお願いいたします。

敬具

昭和三十六年十一月 朝日新聞社
社長 村山長挙
とき 十六日(木)午後七時から
ところ 村山長挙宅(港区麻布市兵衛町一ノ一六)

なお、当日は野外のガーデン・パーティーですので、オーバーコートをお召しのまま会場へお出ください。

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杉並公会堂における「ファランドール」「牧神」「ディオニュソス」他の、奇跡のセッション録音(リンク先はバンドパワーのサイト)は有名だが、まさにその夜のイベントだった。(2022/9/18追記)そのセッションについて、木下直人さんが多くの貴重なコメントを書いてくださっている。ぜひコメント欄もご覧いただきたい。



2022/09/14

スッペ「詩人と農夫」のサクソフォン

フランソワ・ジュリアン・ブラン指揮ギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団の有名なステレオ録音(かつて国内では東芝EMIから出版されていた)に収録されている、フランツ・フォン・スッペ作曲/レイモン・リシャール編曲「喜歌劇『詩人と農夫』序曲」の冒頭には、長大なサクソフォンのソロが聴かれる。

このサクソフォンは、「ミシェル・ヌオー氏のソロである」という認識が一般的であったが、実際は、フェルナン・ロンム、ミシェル・ヌオー、アンドレ・ブーン、ジョルジュ・ポルト(2022/9/17訂正)の3本のサクソフォンのユニゾンである、というのが、演奏者自身のコメントだ。

これは、一般的な復刻やシステムで、さらに「ヌオーのソロだ」という先入観ありきで聴くとなかなか判らないのだが、先入観を捨てると「ソロではないのでは?」という疑いが出てきて、さらにきちんとしたシステムで聴くと3本の分離が判る(木下直人さんのご自宅のシステムで実際に耳にしたことがあるのだが、たしかにそのように聴こえた)。

過去の常識の過ちをきちんと正す必要はあると考えており、かつてこのブログでも触れた内容ではあるが、再掲した次第。掲載した写真は、国内盤LPのジャケット(Angel=東芝)。

2022/09/11

ラムルー管弦楽団とデファイエによる「アルルの女」

ジャン・フルネ指揮ラムルー管弦楽団との共演による、イベール「コンチェルティーノ・ダ・カメラ」の録音は有名だが、明らかにデファイエ氏と思われる「アルルの女」演奏(ノン・クレジット)が、ラムルー管弦楽団の録音に残されている。

・イゴール・マルケヴィッチ指揮コンセール・ラムルー管
・アンタル・ドラティ指揮コンセール・ラムルー管

いずれも、素晴らしい音とフレージングで魅せる。ドラティ指揮の演奏は、妙に速いのだが、その中にあっても(やりづらさはありそうだが)見事な処理を聴くことができる。オーケストラの中における独特なソノリテは、一聴しただけでデファイエ氏と分かるものばかり。当代随一のサクソフォン奏者、音楽家であったことを示すものだ。

ジャン・フルネ指揮コンセール・ラムルー管の「アルルの女」にも同様にデファイエ氏が参加しているのではないかと言われることがあるが、不慣れさ、たどたどしさも聴こえ、ちょっと違うような。

下記写真は、ドラティ盤のジャケットだが…ステレオなのか。私はモノバージョンしか聴いたことが無い。