20世紀終わりから、21世紀にかけてのグローバリゼーションの流れは、かつて「世界にわずかしか存在しない"スター"を中心に物事が衛星のように回っていく」という状況を不可逆的に変化させてしまった。今の時代は「みんな違ってみんな良い」、様々な好みに合わせて様々なスタイル・方向性を提示する。これはクラシック・サクソフォンに限ったことではない。
提示する側も、受け取る側も、物差しが違うから、それぞれを比べること(結局誰が一番なの?)は無意味である。時折、国際コンクール等、同じ物差しで測る機会は訪れるのだが、そこで提示されるものは同じ物差しであっても、最終選考まで行ってしまうともはや1ミリ、2ミリの違いであり、ではどうやって優劣を付けるかというと、やはりここでも違う尺度が登場している…と感じることは多い(「審査員の好み」という単語で語られたりする)。
とはいえ、どこかには絶対的な進化を遂げ、世界に先駆けて最先端の演奏を繰り広げている奏者がいるはず…7割の聴き手がその演奏を聴いて「これぞ!」と納得すれば、それは現代世界における最先端である、と言って差し支えないのだろう。
…ということを考えたのは、アレクサンドル・スーヤ Alexandre Souillart氏の「Voyage Esquisse」を聴いたため。存在は知っていたのだが、じっくり聴いたことがなく(氏の実力のほどは、実演や、「Ténor, quand tu me tiens!」などで十分分かっているつもりだった)、ふと聴いてみたくなった次第。
これは、伝統的なフレンチスクールのサクソフォニズムが築き上げてきたテクニック、美的センス、エスプリ、珠玉の作品群…を、同じくフランスの、クラシック・サクソフォン界の最先端から照らし出そうと試みたアルバム。
世界で数え切れないほど演奏されている「プロヴァンスの風景」「スカラムーシュ」「性格的小品」等々…現代にあっては、何ということもない作品を取り上げ、伝統を軸にして奇を衒わず、「この曲は、こうやって演奏すれば美しく、楽しく、自然に聴こえるでしょう」と、さらりと提示する。まさに「これぞ世界最先端のサクソフォン」だ!。これを一通り聴いたときに、フランスは今なお進化を続け、世界に先行している、という思いを強くした。
演奏内容を言葉で伝えるのは難しいためぜひ聴いていただきたいところ。個人的には、ミーハ・ロギーナ氏のハチャトゥリアン「ヴァイオリン協奏曲」、ハバネラ四重奏団のクセナキス「XAS」、グラズノフ「四重奏曲」、ヴァンサン・ダヴィッド氏の「プロヴァンスの風景」…といった、黒船来航のようなセンセーショナルな演奏の数々と同列に扱われるべきものだと考える。
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