2022/06/29

デニゾフ「ヴィオラ協奏曲」初演の録音

BISレーベルにおいて、クロード・ドゥラングル氏を独奏に迎え録音されているエディソン・デニゾフ「アルトサクソフォン協奏曲」。元は「ヴィオラ協奏曲」として1986年に発表されたものが、ドゥラングル氏の委嘱によって1992年に改作されたものである。

第4楽章(シューベルトの「即興曲イ長調作品142」の変奏)に耳が引き寄せられがちになるが、とにかく全体を通して独奏パートが美しい。緩徐部は、まるで誰かの独白を聴いているかのような、声楽で歌詞がついていてもおかしくないような音運びだ。時折迎える小規模な爆発は、がなり立てることなく、まるで星の煌きのよう。

その元となった「ヴィオラ協奏曲」の初演の録音が、YouTubeにアップロードされている。私自身は、原曲は初めて聴いた。そもそも商用録音としてのリリースすらもされていなかったはず。

以下、初演のデータを掲載する。独奏がユーリ・バシュメットに、指揮がシャルル・デュトワという超豪華布陣。青少年オーケストラ、ということで若干怪しい音も聴こえるが、しかし貴重な録音である。サクソフォン版とぜひ聴き比べてみていただきたい。

Concerto for Viola and Orchestra (1986)
Commissioned by Berliner Festwochen
Dedicated to Yuri Bashmet
1. Lento · Più mosso · Agitato · Più tranquillo · Meno mosso · Agitato
2. Tranquillo
3. Inquieto · Meno mosso
4. Variations on a theme by Schubert Moderato · Poco più animato · Tempo I
Duration: 38’
First performance: 2 September 1986, Berlin
Yuri Bashmet (viola) – Junge Deutsche Philharmonie – Charles Dutoit (conductor)

2022/06/27

デザンクロの「ピアノ五重奏曲」の放送用録音

https://pastdaily.com/2022/06/19/marie-therese-ibos-ensemble-play-music-of-alfred-desenclos-1952-past-daily-weekend-gramophone/

おなじみPastdailyより、アルフレッド・デザンクロ「ピアノ五重奏曲」の録音。Marie-Thérése Ibosのアンサンブルで、1952年頃の録音とのこと。おそらく、Internet Archiveにアップされている録音と同じものであるが、こちらのほうが音質が良い。

かつて出版されていたが、絶版となり久しく、もはや演奏されることも無いが(下記は、ツイッターにアップされたスコアの最初のページの画像)、デザンクロの他の作品と同様、高い密度で書かれた佳曲である。

以下、Pastdailyのページの解説文を抜粋・翻訳したもの。

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1945年に作曲された「ピアノと弦楽のための五重奏曲」は、Marie-Thérése Ibosと彼女のアンサンブルによって初演された。今回の放送は、それから何年か(1952年と推測されるが、この手のフランス放送局のトランスクリプションの多くがそうであるように、日付がないので推測になる)経って、約27回の演奏の後、同アンサンブルがこの曲を演奏している。

デサンクロは自称「ロマン派」で、厳格な作曲技術に根ざした、表情豊かで雰囲気のある音楽が特徴である。大家族(10人兄弟の一人)を養うため、20歳までは音楽教養を身につけることを断念し、繊維工業におけるデザイナーとして働いていた。1929年にフランスのルーべ音楽院に入学し、ピアノを学ぶことになるが、それまではアマチュアとしてしか活動していなかった。1932年にパリ国立高等音楽院に入学し、フーガ、和声、作曲、伴奏で賞を獲得し、パリ9区のノートルダム・ド・ロレッテ教会でカペルマイスターの職に就いて、生計を立てた。

サン=サーンスに始まり、フォーレに受け継がれた聖楽の伝統を受け継いでいる。1942年、ローマ賞を受賞し、同年、映画「青いヴェール」の音楽をアンドレ・テュレと共同作曲している。

1943年から1950年まで母校ルーベ音楽院の院長を務め(教え子のひとりに映画監督クロード・シャブロルのお気に入りの作曲家ピエール・ジャンセンがいた)、1967年から59歳で亡くなるまでパリ音楽院で和声学を教えていた。

2022/06/25

伊藤康英編のバッハ「シャコンヌ」サクソフォン四重奏版

2005年9月の雲井雅人サックス四重奏団第4回定期演奏会にて初演され(これが初演時の録音)、その後イトーミュージックより楽譜が出版された。ここ数年、国内外の団体に多く演奏されるようになってきた。

ヴァイオリンのための無伴奏パルティータ第2番の終曲「シャコンヌ」は、バッハの、いや、全てのヴァイオリンの無伴奏作品の中でも最高峰であり、過去から演奏され尽くしている作品。この作品を、サクソフォンで再現する試みは、直接的に無伴奏のサクソフォンで演奏するアプローチの他、四重奏では古くはGary Scudder編、最近では宮田麻美編なども知られるが、個人的に最も好んでいるのが、伊藤康英先生の編曲だ。

原曲の、朴訥としたモノローグが徐々に大伽藍のように立ち上がっていく、そういった変幻自在の趣とは少し異なり、起承転結のようなドラマティックな構成が魅力的で、それはそのままサクソフォンという楽器の個性に繋がっている、とも感じる。ブゾーニの編曲がベースになっているから、とも思ったが、それだけではなく、伊藤康英先生自身が盛り込んだ要素+構成感が、この編曲のオリジナリティの礎になり、価値を高めているのだと思っている。かつて、The SAXの企画で、「私が選ぶサクソフォン四重奏の名曲」をThunderさんとともに5つ選ぶ機会があったのだが、グラズノフ等は当然として、その中に変則と知りつつこの作品を入れたことを思い出す。

YouTubeを探せば、Quatuor B他、多くの演奏が見つかり、さらに、直近では日本の若手四重奏団である、Modetro Saxophone Quartetの商用録音(同曲初)もリリースされた。今後ますますこの作品の演奏が広まり、サクソフォンのスタンダード・レパートリーとなっていくことが期待される。

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個人的なこの作品にまつわる経緯は、以下。

初演を聴いて出版を切望し、伊藤康英先生に出版を掛け合い、初演翌年の2006年に出版された楽譜を入手。その後、あまりの難易度になかなか取り組めずにいたが、2011年5月のTsukuba Saxophone Quartetの自主公演においてようやく演奏することができた(本当は同年3月の日本サクソフォーン協会のコンクールにて演奏する予定だったが、東日本大震災により同コンクールは中止となった)。その後、2012年7月の第16回世界サクソフォンコングレス@スコットランド他、何度か取り上げた。

ちなみに、楽譜を取り扱っているブレーンミュージックのサイトの「参考音源」のバナーが、上記2011年のTsukubaSQの自主公演の動画にリンクされている。

2022/06/22

木の十字架少年合唱団とデザンクロ

アルフレッド・デザンクロの足跡は、木の十字架少年合唱団 Les Petits Chanteurs A La Croix De Bois とのコラボレーションという形でも残されている。

「Les Gens Du Nord」という同合唱団の商用録音のアルバムには、オーケストレーション担当の名前としてフルネームで"Alfred Desenclos"と記載があり(下記画像)、その他の曲にも同じくアレンジャーの名前として記載を見ることができる(https://www.youtube.com/watch?v=W0Ha4dmN6G4)。


コラボレーションに至ったは不明。オルガン奏者としての活動、教育者としての活動、そのいずれかの結果なのかとは想像している。

2022/06/19

映画音楽とデザンクロ

「Bel Amour(1951)」と、「Le Voile Bleu(1942)」という2つのフランス映画の音楽に、アルフレッド・デザンクロの名前を見つけた。Andre Theurerという、映画音楽の世界でたまに見かける作曲家との合作?としてクレジットされている。下記は、「Le Voile Bleu」のオープニング・クレジット画面のキャプチャだが、A.Theurer指揮、演奏はパリ国立高等音楽院管弦楽団(!)である。

映画音楽は、近代フランス音楽界の作曲家・演奏家の活動の軌跡の宝庫である。映画そのもの+クレジットという形で種々の情報が体系的に残されており、調べていくと意外なほどに貴重な録音に突き当たることもある。ある意味キリがないのだが、宝探し的な面白さもある。



2022/06/18

「ローマ大賞」について

近代フランスの作曲家の経歴を調べていると、必ず出てくる「ローマ大賞」について、関連する項目をMusica et Memoriaより抜粋・翻訳する。

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1666年にLebrunとColbertの共同提唱で設立されたローマ・アカデミー・ド・フランス(ローマ芸術賞)は、設立以来、画家、彫刻家、彫刻家、建築家、作曲家などの受賞者を輩出している。1968年までは、フランス学士院の一部であるアカデミー・デ・ボザールがローマ賞を授与していた。

作曲の場合、30歳以下の受験生は、下記複数回の試験をパスしなければならない。

・予備テスト1:フーガ課題。
・予備テスト2:フーガ課題+ エッセイ試験(決められたテキストに基づき、合唱のための作品を書く)
・本試験:カンタータ試験(決められたテキストに基づいてカンタータを書く。この試験は長い時には1カ月も続いた)

21903年以降、ローマコンクールの模擬試験はコンピエーニュ城で行われたが、フォンテーヌブロー城で開催されたこともある。

コンクール開始当初、ローマ賞の1等賞受賞者は、最長5年間ローマに滞在できるよう招待され、滞在中は年に1つ以上の大作を作ることが課せられた。20世紀初頭以降、1等賞受賞者は2〜3年、メディチ荘に滞在した。年によっては1名以上に2等賞が授与され、「第1番の2等賞」には滞在期間が短縮された滞在機会が与えられた。

賞の順番は、1等賞主席、1等賞次席、2等賞主席、2等賞次席、選外佳作。これらのややこしい名前は、1等賞=グランプリ(またはファーストグランプリ)、2等賞=セカンドグランプリというシンプルなものに置き換えられた。. さらに、1940年代以降、第1等賞次席を授与することはなくなり、1等賞、2等賞主席、2等賞次席、とだけ語る習慣が定着したようである。1960年以降、伝統的な「カンタータ」に代わって「抒情詩(Poème lyrique)」が登場した。

コンクールに対するさまざまな批判を受け、また、1968年5月の平等主義の精神を受け、ローマ賞は、少なくともそれまでの形では廃止されることになった。1971年以来、ヴィラ・メディチに滞在することを許される「寄宿生」は、委員会によって任命される。ローマにあるフランス・アカデミーは、現在、行政的地位、市民的地位、財政的自治権を持つ国立の公的機関であり、アカデミー・デ・ボザールではなく、文化大臣の監督下にある。また、法的には、メディチ荘を拠点としている。
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メディチ荘の風景。1803年にナポレオンが「在ローマ・フランス・アカデミー」を創設し、イタリア・ローマのメディチ荘(メディチ家といえばフィレンツェだが、そのメディチ家の、ローマにおける筆頭とも言える建築物)を拠点としたが、それは、フランス革命で存亡の危機に立たされた研究機関を守るためであった。ナポレオンは、古代とルネサンス期の名作を見て模写する機会をフランスの若い芸術家に与えることを望んだといわれている。


2022/06/15

ゴトコフスキーの両親の意外な経歴

引き続き、David Michael Wacyk著「POWERFUL STRUCTURES: THE WIND MUSIC OF IDA GOTKOVSKY IN THEORY AND PRACTICE」より。

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イダの父、ジャック・ゴトコフスキーは、革命が起きた1917年頃にロシアから移住してきた。一家は家を建てて、アティスモン(パリ南郊)に居を構えた。その後、ジャックは卓越したヴァイオリニストとしての地位を確立し、クリスティーヌ・ジャンヌ・エリアセン(クリスティーヌ・ゴトコフスキー)と出会い、1927年に結婚する。ジャックとクリスティーヌは、第二次世界大戦中、レジスタンスの戦士として活躍、その活動は子供たちにも及び、自宅周辺の野原で撃墜された連合国空軍兵士の居場所を突き止めるのに貢献した。バックマスターレジスタンス(スパイ組織)のメンバーとしての活動により、二人は軍人レジオン・ドヌール勲章を授与された。

イダ=ローズ・エスター・ゴトコフスキーは、1933年8月26日、フランス北部のカレーで生まれた。ゴトコフスキー家には、音楽があふれていた。父親はヴァイオリニスト(特に有名な Quatuor Loewenguth)、母親はピアニスト(イダも)、兄のイヴァール、アレクシス、ブルーノはそれぞれピアノ、チェロ、クラリネットを演奏し、妹のネルは父親を手本に、やがて国際的名声を得て才能あるヴァイオリニストとして活躍していくことになる。イダは「私の子ども時代は音楽に囲まれていました」「父はヴァイオリニストで、私たちにいつもみんなで歌うように勧めてくれました」と振り返る。

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父のジャック・ゴトコフスキーが参加したQuatuor Loewenguthの写真。

2022/06/12

シャポシュニコワ演奏の湯山昭「ディヴェルティメント」

ロシア近現代サクソフォン界における最も偉大な教育者の一人であるマルガリータ・シャポシュニコワ氏。ジャン=マリ・ロンデックス氏のロシアツアーに感化され、その後グネーシン音楽学校で教鞭をとり、セルゲイ・コレゾフ、ニキータ・ツィミンといった現代サクソフォン界の俊英達を数多く輩出した。

演奏者としても数多くの録音を残しており、極めて密度の高い、輝かしいセルマー・サウンド、そして驚くほどのブロウっぷりにより、諸々の作品の「新たな解釈」とも言えるような演奏の宝庫なのだが、その中でも最も印象深いのがこの録音。マリンバとアルトサクソフォンのための湯山昭「ディヴェルティメント」の演奏。どのような経緯かは分からないが、ピアノアレンジであり、しかも9分程度で一気に演奏している、強烈な録音だ。ジョン・ハール氏や渡辺貞夫氏の演奏しか知らない方におかれては、ぜひご一聴を。

ロシアで最も利用されているSNS:VKの、「≡ САКС - АКАДЕМИЯ ≡」というコミュニティのサウンド置き場に置いてある録音で、かなり昔から知っているものだが、関係者がYouTubeにアップしてくれたようで、容易に聴けるようになった。



2022/06/11

ゴトコフスキーからナディア・ブーランジェへの手紙(2)

引き続き、David Michael Wacyk著「POWERFUL STRUCTURES: THE WIND MUSIC OF IDA GOTKOVSKY IN THEORY AND PRACTICE」より、ゴトコフスキーからナディア・ブーランジェへの手紙の一部を日本語に訳した。同論文に掲載されているのは、これで全てである。

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親愛なるマドモアゼル。

あなたにお会いできることが喜びのすべてだということではなく、あなたがいてくださること、それだけで、私たち姉妹はとても心強く思っています。私の活動については必ずお知らせします。
10月2日に私のオペラを聴きに来てくださるのは、私にとって幸運なことになるでしょう。
親愛なるマドモアゼル、どうか私たちの尊敬すべき深い愛情表現を信じていただけけますよう。

I.ゴトコフスキー

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親愛なるマドモアゼル。

このクリスマスの期間に、私の心からの願いを贈ることをお許しください。
お願いがあります。ほんの少しの間でも、私のために時間を取っていただくことは可能でしょうか?
どんな日でも、どんな時でも、あなたが私を受け入れてくれる時に、私はスケジュールを空けて会いに行きます。
あなたに会えることを心待ちにしております。親愛なるマドモアゼル、私たちの大きな、そして愛情に満ちた賞賛の気持ちを受け取ってくださいますよう。

イダ・ゴトコフスキー

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親愛なるマドモアゼルへ。

3月15日という特別な日に、祈りを込めて、私たちの深い尊敬の念を表現させてください。

Ida Gotkovsky

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親愛なるマドモアゼル・ブーランジェへ。

3月15日(火)にサント・トリニテ教会で行われる礼拝に、私たちはこれまで以上に心を寄せています。
ドイツで私のオペラが上演されるため、その日は欠席せざるを得なくなりました。
親愛なるマドモアゼル、どうか私たちの親愛と尊敬の気持ちを受け入れてくださいますよう。

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親愛なるマドモアゼル!

私たちのことをこんなに思ってくれているなんて、感激です。とても意味のあるメッセージに心から感謝しています。私は3月15日にパリにいることができませんでしたが、あなたのために、そしてあなたの愛する人のために祈ることを止めません。
私は自分の交響詩デビューのためにアメリカへ出発しますが、そこで真のコラボレーションを見つけたいと願っています。
親愛なるマドモアゼル、どうか私の誠実な気持ちを信じて、精神的に、そして敬意を持っていつもあなたの近くにいることをお許しくださいますよう。

イダ・ゴトコフスキー

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1967年、アラン・ベルノーの音楽理論のクラスの集合写真。

2022/06/09

ゴトコフスキーからナディア・ブーランジェへの手紙(1)

David Michael Wacyk著「POWERFUL STRUCTURES: THE WIND MUSIC OF IDA GOTKOVSKY IN THEORY AND PRACTICE」より、ゴトコフスキーからナディア・ブーランジェへの手紙の一部を日本語に訳した。ブーランジェに心酔する様子がひしひしと伝わってくる。

残りは後日掲載予定。

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親愛なるマドモアゼル、そして親愛なるマエストロ。

このたびのリリ・ブーランジェ賞の受賞に感謝いたします。
この賞の受賞は、私にとって非常に感慨深いものであり、この賞が思い起こさせる輝かしい、感動的な人物の姿を思い起こさせます。
親愛なるマドモアゼル、どうか私の心からの敬意を受け取っていただけますよう。

イダ・ゴトコフスキー

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親愛なるマドモアゼル・ブーランジェ

昨夜、ラジオからあなたの声を聴いたときの私たちの喜びを想像してください。
讃美のアレルヤに加わり、"親愛なるマドモアゼル・ナディア・ブーランジェ "と高らかに歌うことをお許しください。
親愛なるマドモアゼル、どうか私たちの心からの賞賛を受け入れてくださいますよう。

イダ&ネル・ゴトコフスキー

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親愛なるマドモアゼル・ブーランジェ

あなたの妹さんの有名な作品「Du fond de l'abîme」(De Profundis)を私自身の体調不良で聴くことができなかったことを深くお詫び申し上げます。
親愛なるマドモアゼル、私の深い後悔を信じて、私の誠実で尊敬に満ちた思いと、深い賞賛をお受け取りください。

イダ・ゴトコフスキー

パリ15区エルネスト・レナン通り20番地

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親愛なるマドモアゼル

水曜日に "トリニテ(・カテドラル)"に向けて出発されるということで、深く感動しています。
どんなに美しく、どんなに感動的なものになることでしょう。
親愛なるマドモアゼル、私のことを思ってくださったことに感謝いたします。
もしよろしければ、土曜日に、私のオーケストラのためのスケルツォが、コンサート・レフェレンダム・パドルーで演奏されることをお知らせしたく思います。あなたのお時間がいかに貴重であるかを知っているので、聴きに来てくださいということは申し上げられませんが、親愛なるマドモアゼル、あなたの洞察に満ちた親切がいかに私の心に親しみ、喜びで満たされているかをお伝えしたいと思います...私は自分自身を大いに疑っていますので。
親愛なるマドモアゼル、このような言葉を直接書くことをお許しください。そして、私の深い愛情に満ちた敬愛を受け入れていただけますよう。

イダ・ゴトコフスキー

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親愛なるマドモアゼル

肺炎で寝たきりのため、電話も会いに行くこともできませんでした。
回復したら、すぐにでも電話いたしますので、お許しください。
26日のコンサートに来ていただいて、両親もネルも私もどんなに感動したことか、改めてお伝えしなければなりません。
ですから、もしお許しいただけるなら、すぐに連絡を取るつもりです、親愛なるマドモアゼル。それまでは、私の真に愛情深い言葉を信じていただけますよう。

イダ・ゴトコフスキー

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イダ&ネル・ゴトコフスキー姉妹の写真。ネルはヴァイオリン奏者だった。

2022/06/06

「ブリランス」のベスト録音

時々YouTubeには非常に珍しく、かつ強烈なクオリティの録音・録画がアップされているが、この録音はそういったものの一つ。ファブリス・モレティ氏の演奏するイダ・ゴトコフスキー「ブリランス」。リハーサルの最中なのか、録音の前後に話し声が入っており、かつ録音状態もベストとは言えないかもしれない。…が、数ある「ブリランス」の録音の中で、ベストのものだと断言する。モレティ氏の、勢いと円熟味のベストな同居時期を捉えた貴重な記録である。

以前も紹介したとは思うが、時折忘れ去られているので、再度ご紹介する次第。



2022/06/04

ヘムケ氏演奏のダール(吹奏楽版)


フレデリック・ヘムケ氏演奏のダール「サクソフォン協奏曲」の録音といえば、EnF Recordsに吹き込まれたピアノとのアルバム「The American Saxophone」が有名だが、こちらは吹奏楽団との共演録音。ロバート・レイノルズ(アメリカ吹奏楽界では有名だ)指揮ウィスコンシン大学マディソン・ウインド・アンサンブルとの共演。

「The American Saxophone」を彷彿とさせるような、輝かしいセルマー・サクソフォンの音と、ライヴならではの緊張感。ソリストとともに、バンドも極めて良い仕事をしており、特に最終部の煽り方は聴いていて大変興奮させられる。

ちなみに、ラッシャー氏に献呈されたオリジナル版ではない。以前にも触れたが、1953年、1959年の改訂ののち、オリジナル版はダール自身が回収・破棄している。