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1978年に、モスクワ音楽院教授、レヴ・ミハイロフ Lev Mikhailovはこのロンデックスのロシアツアーのことを、次のように回想している。
1970年より以前、ソ連では、サクソフォンは教育されるべき楽器としてみなされていませんでした。ジャズ・サクソフォン奏者のほとんどは、独学のクラリネット・プレイヤーでしたし、もしサクソフォンがオーケストラに必要となれば、クラリネット奏者が持ち替えで吹くか、ジャズ・サクソフォン奏者が呼ばれるという有様でした。室内楽の楽器としてのサクソフォンなど、知られていなかったのです。
ジャン=マリー・ロンデックスのロシアツアーは、まさにサクソフォンの"再発見"と呼ぶべき重要な出来事でした。ドミトリー・カバレフスキーの尽力により、ロンデックスはオーケストラとの共演、リサイタルを行ったのですが、彼の演奏はソ連国内のプロフェッショナル奏者、アマチュア、音楽愛好家全てに大変な印象を与えました。デニゾフは、ロンデックスのリクエストにより「ソナタ」を作曲しましたが、1972年に私は同曲をソ連国内で演奏しました。
ソ連国内のサクソフォン教育事情は、少しずつ良くなっています。ロンデックスのツアー後、サクソフォンの専門教育の学科は、グネーシン音楽学校とモスクワ音楽院に設立されました。現在では、レニングラード、ノヴォシビルスク、アルマアタにも設立されています。
ロンデックスは、1978年にイゴール・カタエフから手紙を受け取った。そこには、「あなたのコンサートのおかげで、現在、我々の音楽院にはサクソフォンの学科があるのです」と書かれていた。
雑誌"Études Soviétique"は、次のように書いている。
フランスの音楽家のおかげで、現在ソ連内のサクソフォン演奏の質は劇的に向上している。サクソフォン奏者、ジャン=マリー・ロンデックスは1973年にロシアツアーを行ったが、そこで彼はサクソフォンを学ぶ学生や、音楽院等の教育機関で教えるサクソフォンの講師とミーティングを行った。
ロシアの偉大なサクソフォン教育家のひとり、マルガリータ・シャポシュニコワ氏は、ジャン=マリー・ロンデックスのロシアサクソフォン界への貢献について、次のように書いている。
ロンデックス氏のソ連訪問は、私の人生にとってのターニングポイントとなりました…彼は、私にサクソフォンの魅力を"再発見"させてくれたのです。ロンデックス氏と出会う前まで、私はクラリネットとサクソフォンを吹いていましたが、こののち、私の中から迷いが消えました。彼がフランスに戻ってからも、私たちは文通を続けました。その中で、彼はたくさんのスコア・書籍を送ってくれました。ロンデックス氏の、ソヴィエト国内のサクソフォン界への貢献は、計り知れません。
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以上。
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