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2025/05/12

2014年のフレデリック・ヘムケ氏インタビュー

Internet Archiveにて聞くことができる、フレデリック・ヘムケ氏のインタビューを和訳した。さすがに自力では時間がかかりすぎて厳しく、Googleのディクテーションアプリと、ChatGPTによる話者推定・翻訳機能を活用している。内容の正確性は保証しない。

https://archive.org/details/saxophone-legend-frederick-hemke-at-the-university.BtXV2H.popuparchive.org

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[Interviewer] サクソフォンのソロ演奏は、Frederick Hemke のCD『Simple Gifts』からで、共演しているのはオルガニストのDouglas Clevelandです(ただし、今回のトラックでは彼の演奏は聴けませんでしたが)。この『Simple Gifts』は、このCDの中で3回登場し、サクソフォンとオルガンのための非常に興味深い音楽が多く収められています。Frederick Hemkeは、クラシック・サクソフォン界の伝説の一人と称されてきました。彼は50年にわたり、ノースウェスタン大学でサクソフォンの教授を務め、その他多くの役割も担っていました。ちなみに、私の母校でもあります。彼は、私が在学していた1979年から1984年の間、吹奏楽器と打楽器部門の責任者でもありました。その姿や高い背格好はとても印象的で、こうしてスタジオに招けるのは楽しいことです。現在彼は、今週イリノイ大学のキャンパスにいて、本日から始まる北米サクソフォン連盟の隔年開催の全国会議のソリストの一人として参加しています。イベントでは多くのコンペティション、講演、その他の催しがあります。昼間のリサイタルに加えて夜のコンサートが3回あり、彼はその最初のコンサート(明日夜7時開始)で演奏します。演奏するのは、事実上の新作で、世界初演は終えていますが、今回は中西部初演となる曲です。作曲者は同じくノースウェスタン大学の卒業生であるオーガスタ・リード・トーマス。イリノイ大学交響楽団との共演です。フレデリック・ヘムケさんが本日のゲストです。この時間は「Live and Local」の一部でお届けしています。本日はご来訪ありがとうございます。

[Hemke] やあ、ケビンさん。来られてうれしいです。同じノースウェスタン出身の人とイリノイのキャンパスで話せるのはいいですね。

[Interviewer] こちらには、あなたの元教え子であるサクソフォンの教授もいますよね。

[Hemke] そうなんです。彼女のことをとても誇りに思っています。

[Interviewer] 彼女は素晴らしいスタジオを築いているようですね。

[Hemke] はい、本当に立派なスタジオを持っていますね。

[Interviewer] 「伝説」と呼ばれるのは気になりますか?

[Hemke] 少しは気になりますね。正直それが何を意味するのかよくわからないですが。認めるとすれば、素晴らしい生徒たちに恵まれてきたということですね。彼らが私の教育法や音楽表現の理論を受け継いでくれています。それが「伝説」という形で受け継がれていくという意味なら納得がいきます。たとえば、Debra Richtmeyerのような直接の弟子だけでなく、彼女の生徒たちのことも私は「孫弟子」と考えています。ちょっと可笑しいですが、素敵なことです。ピアニストが「リストに学び、そのリストは…」というふうに師弟の系譜をたどる話を聞いたことがあるでしょう?

[Interviewer] ええ。サクソフォンの世界でもそういうことはありますか?

[Hemke] まあ、そこまで遡ることはないですね。サクソフォンが発明されたのは1838年で、パリ音楽院の初代サクソフォン教授はアドルフ・サックス自身でした。その後、サックスが去ったあと空白期間があって、1940年代になってからマルセル・ミュールが教授になった。私はそのマルセル・ミュールの弟子だったんです。だからアドルフ・サックスに直接つながってはいないですが、ミュールには確実につながっていますね。

[Interviewer] 彼について、そして彼との仕事について少し教えてください。彼もあなたのように多くのサクソフォン奏者を育てた人で、今週このキャンパスにいるもう一人の「伝説」と呼ばれるEugene Rousseauもそうですね。

[Hemke] そうですね。私はミュールのもとで直接、音楽院で学びました。サクソフォン・クラスで一等賞を受賞して卒業しました。当時、アメリカ人としてそれを取ったのは私が初めてだったんですよ。でもミュールは、本当に優しくて素晴らしい人物でした。卓越した音楽家でサクソフォン奏者です。彼はヴァイオリンや他の楽器を学んだあとにサクソフォンに出会い、それを本当に愛した。私たち多くの者がそうであるように、クラシック・サクソフォンを追い求め続けていたんです。彼は音楽的にも、教育的にも多くを私たちに伝えてくれたんです。たとえば、彼はクラシック音楽へと立ち返っていきました。彼自身が、モーツァルトやベートーヴェンなど、ありとあらゆるクラシックの名曲をサクソフォン用に編曲したんです。彼は私たちにクラシック音楽への深い愛情を与えてくれたと思います。それは彼の人柄もあるし、音楽院での教育内容の性質——つまり楽器の習得だけでなく、音楽史やソルフェージュなど——によって、私たち全員にその情熱が染み込みました。そしてその愛情を、サクソフォンという「歌う」楽器を通してクラシック音楽に吹き込むということができました。それは当時アメリカではまだまったく行われていなかったことでした。だから彼の貢献は非常にユニークで即効性のあるものでした。そして、彼は本当に、ある意味で、学生に対して卓越性を強く求める指導者だったのです。面白いことに、彼の教え方はフランスでは特別なものではなかったのですが、我々アメリカ人にとってはかなりユニークでした。サクソフォンのクラスは12人で構成されていて、週に3回は一緒に集まっていました。各自が週に1時間ずつ演奏し、毎回の授業は4時間くらい続いたんです。そして常にクラスメートの前で演奏し、他の学生からの(前向きな)批評を受けることが認められていました。もちろん彼自身からの批評も、です。ノースウェスタン大学で教え始めたとき、私もそのやり方を取り入れようとしたんですが、12人全員を同時に集めるのは現実的に不可能でした。最終的には2人ずつのペアで一緒にレッスンを受けさせて、お互いに演奏と内容を批評し合うようにしました。私はこのコンセプトがとても好きでした。でも、これはアメリカの教育システムではあまり見られない方法だったのです。たいてい、どの楽器でも1対1のレッスンが普通ですからね。

[Interviewer] あなたがミルウォーキー出身で、最終的にパリに渡って学ぶことになったのは、アメリカにはそのような教育がなかったからですか?

[Hemke] まず、当時すでにミュールの演奏を聞いていたのです。彼の演奏はほんの少しだけ録音が出回っていたけど、それは「真剣な」サクソフォンの演奏でした。だから彼の録音を聴いて、彼の教育法についてはまったく知らなかったのですが、演奏にあらわれる音楽性に惹かれて、彼に手紙を書いたのです。そして彼は親切にも返信をくれて「何も保証はできないけれど、試験を受けに来なさい」と。ちょうどその頃、私はフランス語を勉強していて、自分ではよくできていると思っていたんですが……大間違いでしたね(笑)。それでも彼は親切に返事をくれて「クラスに試験で受かったら、入れる」と。それで「よし、それなら行こう」と思って、試験を受けに行って、外国人にもかかわらず、12人の正規クラスメンバーとして受け入れてくれました。つまり、パリに行くことになった動機は、彼の教育法ではなく、彼の音楽性に惹かれたからということですね。

[Interviewer] サクソフォンは、あなたにとって最初の楽器だったのですか?

[Hemke] そうです。実は、父がサクソフォンを吹いていまして、私が10歳のときに屋根裏部屋で古い銀色のサクソフォンを見つけたんです。それを手に取ってからというもの、ずっと手放さずに吹き続けています。もちろんその後、他の楽器も学びましたけれどね。大学では音楽教育を専攻していたので、木管楽器や金管楽器などもすべて習得しました。でも、サクソフォンだけは決して手放しませんでした。

[Interviewer] サックスを始めたとき、それが自分の進むべき道だとすぐに思ったのですか? それとも、よくあるように「とりあえず何か楽器をやってみよう」という感じでしたか?

[Hemke] いや、私は「これを続けるんだ」という気持ちがありました。10歳の時点では、クラシック・サクソフォンの存在なんて全く知りませんでしたけど、とにかく演奏を続けようと思っていました。ジャズもたくさんやったし、ダンスバンドにも参加したし、ソロ演奏もいろんな場面でやりました。でも、クラシック・サクソフォンに目覚めたのはもう少し後ですね。高校に入るころには完全に「自分はクラシック・サクソフォンをやっていく」と確信していました。

[Interviewer] それは、多くの人があなたの教えのおかげで感じるようになったことかもしれませんね。もちろんジャズも重要な分野ですが、サクソフォンというと、まずジャズのイメージが強いですよね。誰かサクソフォン奏者の名前を挙げてください、と言われたら、多くの人はジャズのプレイヤーを先に思い浮かべるでしょう。

[Hemke] 間違いないですね。私もジャズは大好きです。ただ、私自身を本物のジャズ・ミュージシャンだとは思っていません。サクソフォンを演奏している私の息子は、偶然にも素晴らしいジャズ・サクソフォニストですが、私はクラシックの音楽家です。クラシック・ピアニストとジャズ・ピアニスト、あるいはクラシック・ヴァイオリニストとジャズ・ヴァイオリニストがいるように、どちらも演奏できる人もいますが、自分が得意とする分野は分かっています。私はクラシック音楽家です。

[Interviewer] あなたのCD『The American Saxophonist』から1曲聴いていただこうと思っています。実は、正しいトラックがどれか自信がなくて…ジャケットに番号が書かれていないんですよね。私がかけたいのは、Warren Benson作曲の「Aeolian Song」という作品なんです。これは、4曲目で合っていますか?

[Hemke] うーん、それははっきり言えませんね。Ingolf Dahlの曲は3つの楽章からなっていて、トラック番号がないのは驚きですが、それが終わったあとの曲だと思います。まあ、流してもらえれば、私が確認しますよ。違ったらすぐ止めてもらえばわかりますから。

[Interviewer] わかりました、じゃあ流してみましょう。

♪ウォーレン・ベンソン「エオリアン・ソング」

[Hemke] Bensonは本当に素晴らしい人でした。心の優しい、思いやりのある音楽家でした。この「Aeolian Song」という曲は、彼が書いた協奏的作品の第2楽章なんです。第1楽章は木管とサクソフォンで始まり、

第2楽章では金管も加わって、最後の楽章はサクソフォンと金管だけになります。

[Interviewer] 今、演奏していたのはFrederick Hemkeさん、そしてピアノは……ごめんなさい、すぐに見つからなくて。

[Hemke] Jim Edmonds(訳注:Milton Graingerでは?)ですね。

[Interviewer] ありがとう。すぐに出てこなかったもので。この録音は1971年にリリースされた2つのアルバムをまとめたもので、タイトルは『The American Saxophonist』。素晴らしい作品が収録されています。本日は「Live and Local」にて、Frederick Hemkeさんにお話をうかがっています。彼は今週、イリノイ大学のキャンパスに来られていて、明日夜に、University of Illinois Symphony Orchestraと共に、自分のために書かれた新しい協奏曲を演奏される予定です。この公演は、North American Saxophone Allianceの全国大会のオープニング・コンサートの一部です。あの作品(「Aeolian Song」)は、あなたのために書かれた曲なのですか?

[Hemke] 正直なところ、Warren(Benson)が誰のためにその曲を書いたのか、私にははっきりわかりません。でも、彼の作曲が大好きで、彼がとても繊細な音楽家だったこともあって、この作品を含め、彼のいくつかの作品を取り上げてきました。年月を経て彼と親しくなり、彼のユーモアのセンスも知るようになりました――とても深くて、同時にとてもユーモラスな人でした。それで、誰のために書かれたのかは思い出せませんが、ミシガン大学のDon (Donal) Sintaのためだった可能性はありますね。

[Interviewer] Don Sintaは、まだミシガン大学で教えているのですか?

[Hemke] 彼は最近、引退を発表したばかりです。

[Interviewer] なるほど。では、あなたと彼はほぼ同じ世代ということになりますか?

[Hemke] ええ、まあ、そうですね。正直に言えば、Donの方が私より少し若いと思いますが、せいぜい5歳くらいの差だと思います。

[Interviewer] 昔は、「Don Sintaスタイル」と「Fred Hemkeスタイル」というふうに、サクソフォンの演奏スタイルに二大派閥があるような言い方をされたことがありましたが、本当に違いはあったんですか?

[Hemke] Donの師匠はLarry Tealで、彼は私の親しい友人でもありました。彼と彼の奥さんとはとても親しくしていました。確かに、Donと私の間には演奏や教育法に違いはあると思いますが、それは劇的な違いではありません。私はDonの教育力をとても高く評価しています。彼も素晴らしい生徒たちを育ててきましたし、音楽的な功績も多い。競争というより、互いに尊敬し合っているという感じですね。ただ、学生たちは時に小さな違いを大げさに語りたがるものです。

[Interviewer] ええ、私もホルン奏者だった頃、同じようなことを言ってましたよ。「ノースウェスタン出身なんだ」と、ちょっと誇らしげに(笑)。ちなみに、私はノーム・シュワイカーに最初に師事していました。

当時、彼はシカゴ交響楽団のセカンド・ホルン奏者でした。その後、ディック・オルドバーグ(当時サード・ホルン)にも習いました。実は私はイリノイ州に来たとき、最初はデイル・クレヴェンジャー(シカゴ響の首席ホルン奏者)に師事するつもりで来たんですが、結局一度もレッスンを受けず、大学2年の終わりには演奏もやめてしまったんです。…まあ、その話はここでは置いておきましょう。たいして面白くもないので(笑)。

[Interviewer] さて、さきほどBenson作品について伺いましたが、あなたはこれまで多くの新作を委嘱してきましたよね。なぜ新曲の委嘱がそれほど重要だったのでしょうか?

[Hemke] 先ほども少し触れましたが、私がミュールのもとで学んでいた時代、彼のために書かれたフランスの作品や、彼が自ら編曲したクラシック作品を多く演奏していました。でも、アメリカに戻ってきて1955〜56年頃、レパートリーを調べてみると、Crestonの協奏曲や、Larry Tealのために書かれたBernhard Heidenのソナタくらいしか本格的なクラシック・サクソフォン作品がなかったんです。あとは古くからあった曲や、ちょっと質の落ちる作品ばかりでした。それで、「このままではクラシック・サクソフォンは発展しない」と感じて、あらゆる作曲家に「サクソフォンのために曲を書いてくれ」と頼みまくったんです。もちろん中にはあまり良くない作品もありましたが、私は「演奏する責任」があると思っていましたし、そうしてレパートリーの量が増えていったんです。もちろん、私一人の力ではなく、他にも同じような活動をした人たちがいました。

[Interviewer] 今、私の手元にあるCD『Simple Gifts』は、2000年に制作されたものですね?

[Hemke] はい、そうです。

[Interviewer] このCDには新しい作品がいくつも収録されています。さきほどは『Simple Gifts』の演奏をかけましたが、これは民謡ですね。

[Hemke] ええ。

[Interviewer] あなたはこのCDに収められている作品を「かなりワイルドな音楽だ」と表現されていました。少しだけ聴いたことがあるのですが、Frank Ferko(フランク・フェルコ)という作曲家の作品ですね?

[Hemke] そう、『Nebulae(星雲)』という曲です。Frank Ferkoは、今ではもう「新進気鋭」どころか、中堅どころの作曲家だと思います。彼はオルガンとサクソフォン、両方の可能性をよく理解していた――というのも彼自身がオルガン奏者だからです。この作品の冒頭を聴けば、私が何を言っているのかすぐわかるでしょう。

♪Frank Ferko「Nebulae」

[Interviewer] 今の曲は、Frank Ferko作曲の『Nebulae』からの一部で、演奏はFrederick Hemkeさん、そしてオルガニストのDouglas Clevelandでした。この録音では2つの異なるオルガンが使用されていますね。1つはノースウェスタン大学のアリス・ミラー礼拝堂にあるエイオリアン・スキナー・オルガン、もう1つはイリノイ州ウィルメットにあるトリニティ・ユナイテッド・メソジスト教会のオルガンです。今聞いた演奏は、どちらのオルガンだったか覚えていますか?

[Hemke] 今のは、メソジスト教会のオルガンですね。アリス・ミラーのオルガンでは何度か録音をしていたのですが、夏の間にその楽器の「リレザー(再皮張り)」作業が入ることになって、録音できなくなってしまったんです。それで代わりに、ウィルメットにあるファースト・メソジスト教会を使うことにしました。その教会のオルガンもとても良いものでしたよ。

[Interviewer] なるほど。私は学生時代にアリス・ミラー礼拝堂の聖歌隊で歌っていたので、あのオルガンにはよく親しんでいます。

[Hemke] ああ、そうなんですね。私の娘もその聖歌隊に入っていましたよ。

[Interviewer] 本当ですか?指揮者はグレッグ・ファウンテンでしたか?

[Hemke] そうです、彼の指揮でした。きっと娘のことをご存じかもしれませんね。なかなか個性的な子でしたから(笑)。

[Interviewer] さて、「Live and Local」のゲストとしてお迎えしているのはFrederick Hemkeさん。彼は現在、イリノイ大学のキャンパスに滞在しており、明日夜、North American Saxophone Allianceの隔年会議のオープニング・コンサートに出演されます。そのコンサートでは、クラシック・サクソフォン界の著名な演奏家たちがソリストとして登場します。ティモシー・ロバーツさんやクリフォード・リーマンさんがイリノイ大学ウィンド・シンフォニーと共演、そしてヘムケさん、デブラ・リッチマイヤーさん(イリノイ大学の教授)、ユージン・ルソーさんが、イリノイ大学交響楽団と共に演奏を行います。

金曜の夜には、イリノイ州立大学のコンサート・ジャズ・バンドと、チップ・マクニール、ブラッドリー・アリー、デヴィッド・ビクスラーが登場するジャズ・プログラムも。土曜の夜は、室内楽のコンサートで、リックマイヤーさんとマイケル・ホームズ(彼は月曜の番組にも出演)がピアノとのデュオを演奏します。キャピトル・カルテットと打楽器アンサンブル、ラグタイムを演奏するモーニン・フロッグス、そしてイーストマン・サクソフォン・プロジェクトも参加します。イーストマン・サクソフォン・プロジェクトについてですが、月曜に出演してくれたマイケル・ホームズさんが、「彼らの《春の祭典》(ストラヴィンスキー)の録音はぜひ聴くべきだ」と言っていました。それを少し聴いたのですが、あの演奏は驚異的ですね。打楽器とサクソフォンだけで、しかも全て暗譜で演奏しているんですから。

[Hemke] そうですね。最近は、そういったアンサンブルでの「暗譜演奏」がトレンドになってきています。私からもひとつ例を挙げましょう。私がノースウェスタン大学を退職する際に、特別なイベントが開かれました。そのとき、約150人の元教え子たちが戻ってきて、私が編曲したバルトークの《管弦楽のための協奏曲》を演奏したんです。

[Interviewer] えっ、あの大作をあなたが編曲されたんですか?

[Hemke] はい、全曲です。サクソフォンと打楽器だけの編成に。

[Interviewer] それは録音されていますか?

[Hemke] ええ、あります。でも一般には公開していません。

[Interviewer] それはぜひ聴いてみたいですね。たとえ非公開でも。

[Hemke] そう言っていただけると嬉しいです。

[Interviewer] つまり、150人のサクソフォン奏者で、オリジナルのオーケストレーションすべてを演奏されたんですね?

[Hemke] その通りです。しかも、さきほど話に出たティモシー・ロバーツも、その場にいて演奏に参加してくれました。

[Interviewer] 彼は今回のコンサートにも出演される予定ですね。

[Hemke] そう、彼は本当に優れたプレイヤーです。

[Interviewer] これまでにたくさんの学生について話していただきましたが、学生の指導こそが、あなたの人生の大半を費やしたお仕事ですよね。ノースウェスタン大学で50年も教鞭を取られていました。あなたのウェブサイトを見ると、教え子たちの名前がたくさん並んでいて、「今どこで何をしているのか」をきちんと追いかけていらっしゃるようですね。

[Hemke] もちろんです。多くの教え子たちはサクソフォンを教えていたり、演奏していたりしますが、中には弁護士になった人もいれば、保険数理士になった人もいます――正直、保険数理士って何をするのか、私はよく分かっていませんが(笑)。でも、間違いなく彼はその仕事をしていますよ。

[Interviewer] それでも、あなたの教え子の中には、ジャズの分野で成功した人たちもいますよね?あなた自身はジャズ・サクソフォンを教えていたのですか?

[Hemke] いいえ、私はジャズ・サクソフォンを教えていたわけではありません。私は「音楽」を教えていたのです。サクソフォンという楽器は、私にとって単なる手段に過ぎません。演奏技術に関しては、どんな楽器でも基本は共通していて、重要なのはその先――つまり、どんな音楽を奏でるか、ということです。だから私は、音楽の本質について教えるようにしていました。

[Interviewer] もし、ジャズを専門にしたい学生がいたら――あなたのところにはそういう学生も多かったと思いますが――その学生に対しては、どのように指導していたのですか?クラシックを教えるのか、それとも彼らの興味に合わせていたのか?

[Hemke] まず基本的なこととして、音の出し方、楽器のコントロール、テクニック――そういった基礎をしっかりと教えました。それによって、学生たちは自分の進みたい方向に自由に進めるようになります。私は最初の1年間は特にクラシックの基礎を徹底して教えていました。その後は現代音楽のレパートリーなども与えていましたし、学生がジャズを持ってきて演奏することもありました。私はそれに対して、必ずしも評論をする立場ではないのですが、それでも、ついコメントしてしまっていましたね(笑)。でも最も大切なのは、学生自身が「自分の道」を見つけられるように、楽器を完全にマスターすること。そうすれば、彼らはクラシックでもジャズでも、自分の望む方向に進んでいけるのです。

[Interviewer] 教え子のリストを見ていたら、ひとり、名前を聞いたことのある人がいました。正直なところ演奏は聴いたことがないのですが、名前は知っていました。デヴィッド・サンボーンという人です。

[Hemke] もちろん、彼も私の教え子のひとりです。デヴィッドは、非常に独自の道で名を成した人物です。彼の音はね、一度聴けば「あ、サンボーンだ」とすぐに分かるんですよ。私の音ではありません――でも、私は生徒に「私の音」を強制したことはありませんでした。私は、生徒それぞれが「自分自身の音」を育てるべきだと考えていたんです。そして彼は、まさにそれを実現したんですね。

[Interviewer] 私たちはすでに、あなたの音を3つの例で聴かせてもらいました。ここでデヴィッド・サンボーンの演奏を聴いてみましょう。これは、チャーリー・チャップリン作曲の「Smile」というスタンダードです。彼のアルバム『Closer』からの1曲ですね。

♪ディヴィッド・サンボーン「Smile」

[Interviewer] 今お聴きいただいたのは、デヴィッド・サンボーンの「Smile」。アルバム『Closer』からの演奏でした。ジャズ・サックス奏者として世界的に有名な彼も、実はフレデリック・ヘムケさんの元教え子なんです。ヘムケさんは、ノースウェスタン大学で2012年夏まで50年にわたって教鞭をとっておられました。現在はイリノイ大学のキャンパスにいらっしゃって、North American Saxophone Allianceの全国大会のオープニング・コンサートに出演される予定です。

[Interviewer] もうひとり、スタイルがまったく異なるジャズ・サクソフォン奏者も、あなたの教え子でしたね。ロン・ブレイクという人です。彼の名前も聞いたことがあります。彼は学生時代からジャズを専門にしていたのですか? それとも……

[Hemke] いえ、ロン・ブレイクは最初、完全にクラシック志向で入ってきました。彼自身がそう希望していました。私が無理にそうさせたわけではありません。オーディションを聴いたとき、彼にはとても優れた演奏能力があると感じました。彼はノースウェスタンで最初の3年間、クラシックのレパートリーを徹底的に学びました。そして学部4年、さらに大学院の頃からジャズに興味を持ち始めたのです。おそらく、彼自身のルーツであるヴァージン諸島の音楽文化が影響していたのだと思います。非クラシックの音楽に触れてきた経験が、彼の中で再び芽を出したのでしょう。私はその方向を応援しました。彼には本当に才能がありましたから。当時、私は週に一度、インターロッケン芸術アカデミー(Interlochen Arts Academy)にも教えに行っていて、そこでは1日教えて、すぐシカゴに戻るという生活でした。やがて管理職の仕事も増えて手が回らなくなり、代わりに月2回だけ私が行き、残りの2回はロン・ブレイクを派遣するようにしました。それほど、彼には信頼を置いていました。彼はクラシック・サクソフォンもジャズもきちんと教えることができたんです。今ではジュリアード音楽院でジャズを教えていますし、彼とは今でも定期的に連絡を取り合っています。こうして、ロンのような教え子が成長して、ジャズの世界でも広く知られるようになった姿を見るのは、本当に嬉しいですね。

[Interviewer] それでは、ロン・ブレイクの演奏を聴いてみましょう。曲は「Teddy」。この曲が彼自身の作曲なのかは分かりませんが、アルバム『Sha-Sha-Ri』からの1曲です。共演はピアノのマイケル・ケイン、そしてベースはクリスチャン・マクブライドです。

♪ロン・ブレイク「Teddy」

[Interviewer] お聴きいただいたのは「Teddy」という曲で、演奏はサクソフォンのロン・ブレイク、ピアノはマイケル・ケイン、ベースはクリスチャン・マクブライドでした。本日の「Live and Local」のゲスト、フレデリック・ヘムケさんの教え子です。彼は明日夜、イリノイ大学交響楽団と共演し、新作協奏曲を演奏されます。この作品は、北米サクソフォン連盟全国大会のオープニング・コンサートで初演されるものです。作曲者はオーガスタ・リード・トーマスさん。彼女もノースウェスタン大学の卒業生ですね。この作品には「ヘムケ協奏曲(The Hemke Concerto)」というタイトルがついています。

[Hemke] はい、その通りです。この作品は「The Hemke Legacy Project」というプロジェクトを通じて委嘱されたもので、その資金も、多くの方々の支援で集まりました。オーガスタ・リード・トーマス、彼女のことは「ガスティ(Gusty)」と呼んでいますが、この協奏曲はほんの3週間前、コネチカット州のニューヘイブンで初演されたばかりなんです。ニューヘイブン交響楽団との共演でした。

[Interviewer] 彼女の作品を私も何曲か聴いたことがありますが、どれも驚異的な作品で、しばしば非常に密度の高い音楽ですよね。この協奏曲もそうなのでしょうか?

[Hemke] はい、とても密度が高い作品です。リズムの面では非常に強いジャズの影響も感じられます。でも、彼女の使うオーケストレーションの色彩感は本当に素晴らしい。演奏が進んでいくうちに、その色彩感の豊かさに圧倒されます。もちろん、作品の中には軽やかな瞬間もあります。この協奏曲には副題として「Prisms of Light(光のプリズム)」という名前がついていて、その名の通り、時折「透明感」すら感じさせる部分もあるんです。でも、基本的には非常に濃密で構造的にも緻密な音楽です。彼女は本当に驚異的な作曲家ですね。

[Interviewer] この協奏曲の構成はどうなっていますか?

[Hemke] 4つの楽章で構成されていますが、楽章間に切れ目はなく、全体で約20分間、ノンストップで展開されます。各楽章のタイトルは次のとおりです:Illuminations(イルミネーション)、Sunrise Ballad(夜明けのバラード)、Chasing Radiance(輝きを追って)、Solar Rings(太陽の輪)

[Interviewer] 彼女の音楽を完全に理解するのは難しいかもしれませんが、聴くたびに「これを作曲できる頭脳ってすごいな」とただただ感心します。

[Hemke] 本当にそう思います。 彼女はこの協奏曲を視覚的にも捉えていて、 3フィートほどの長さで2フィートほどの高さがある、カラーのグラフィック譜を私に贈ってくれました。そこには、アーチやライン、セクションごとの区切りなどが描かれていて、それを見て「これがまさに彼女の音楽そのものだ」と思いました。つまり、彼女は作曲を非常に明確かつ視覚的に捉えている人なんです。だから、たとえサウンドが複雑であっても、しっかりと意図が感じ取れる。驚異的で、実に几帳面な作曲家ですね。

[Interviewer] この協奏曲のミッドウェスト初演は、明日夜7時からのコンサートですね?今夜の放送でその時刻をまだ紹介していなかったかもしれませんが、North American Saxophone Allianceの全ての夜のコンサートは、いずれも午後7時開演です。日中には多数のリサイタルが行われ、ソロ・サクソフォン、サクソフォン・アンサンブル、ジャズ・サクソフォンなど、さまざまなカテゴリーでのコンクールも実施されています。イベントの全スケジュールは、たしか「NASA Conference」のウェブサイトで確認できます。多くのプログラムは一般にも公開されていますよね?

[Hemke] はい、そうです。

[Interviewer] 明日のコンサートでは、Frederick Hemkeさん、Debra Richtmeyerさん、Eugene Rousseauさん、Clifford Leamanさん、Timothy Robertsさんの5名がソロを務めます。前半の2人はイリノイ大学ウィンド・シンフォニーと共演し、後半の3人――つまり、Hemkeさん、Ritchmeyerさん、Rousseauさんはイリノイ大学交響楽団との共演ですね。また、他にもあなたの教え子が参加している録音があります。モーツァルトのオーボエ四重奏曲の編曲で、サクソフォン四重奏による演奏なのですが、おそらくこの録音には3人だけ参加していたようです。オーボエの役割を担っていたのは、Otis Murphyという奏者でしたね。彼のこともご存知ですか?

[Hemke] はい、彼のことはとてもよく知っています。すばらしい演奏家ですね。ただし、私の教え子ではありません。

[Interviewer]

では、残りの2人――雲井雅人さんと佐藤渉さん――は、あなたの教え子ですね?

[Hemke] はい、そうです。雲井雅人は、現在日本で非常に影響力のあるサクソフォン教育者・演奏家となっており、彼女の学生の何人かも、私のもとで学んでいます。つまり、彼女たちは「孫弟子」というわけですね。

[Interviewer] それでは、そのモーツァルトの四重奏曲の最終楽章を聴いてみましょう。

♪モーツァルト「オーボエ四重奏曲」より

[Interviewer] ……お楽しみいただいたのは、Otis Murphyのサクソフォンと、雲井雅人サックス四重奏団のうち3名による演奏で、Frederick Hemkeさんの教え子2名が参加している録音でした。本日は「Live and Local」にFrederick Hemkeさんをお迎えしてお届けしてきましたが、この1時間、本当に楽しい時間でした。

[Hemke] こちらこそ、音楽について音楽家同士でこうして語り合えるのは、非常に心地よく素晴らしい経験でした。

[Interviewer] 本当にありがとうございました。そして、もうひとつあなたの録音を紹介したいと思います。Gershwinの「Fascinating Rhythm」の演奏ですが、あなたはこの録音を「老いのいたずら(Sins of My Old Age)」と呼んでいましたね?

[Hemke] はい、その通りです。私はこれまでずっと現代音楽の演奏と推進に取り組んできたんです。でも妻には、「どうしてあなたは誰も口ずさめるような曲をやらないの?」とよく言われていまして(笑)。それで「わかった、じゃあ歳を取ったら、そういう曲をやるよ」と言って、敬愛する作曲家ガーシュウィンの曲を録音することにしました。それで、ある元教え子に編曲を頼んで、ストリング・クインテットとアルト・サクソフォンのためにガーシュウィン作品を編曲してもらいました。それが、この録音なんです。

[Interviewer] では、ガーシュウィンの『3つの前奏曲』から第3曲をお聴きいただきましょう。本日のご出演、本当にありがとうございました。

♪ガーシュウィン「3つの前奏曲」より

2025/03/16

ジャン=マリー・ロンデックスの訃報

2025年3月3日、ジャン=マリー・ロンデックス氏の訃報を知る。サクソフォン奏者、教育者、研究者など様々な側面を持ち、フランス・ボルドーに拠点を構えながら、現代クラシック・サクソフォン界における"トレンド"の多くの部分を担った、唯一無二の存在であった。

数々の教則本や著書、ソロ・室内楽・アンサンブルの録音、ロンデックス氏に献呈された作品や、ボルドーから生まれた作品、ロンデックスから直接的ないし間接的に薫陶を受けた奏者、ロンデックスの名を冠したコンクール…1970年代以降、現代に至るまで、そしてこれからも、クラシック・サクソフォン界において、ロンデックス氏の影響を避けて通ることはできない。

思いつくままに個人的なロンデックス氏についての思い出や、関わりを書いていく。

いちばん最初にロンデックス氏の名前を知ったのは、高校3年生の時に修学旅行先の長崎で買った「サクソフォンの芸術 (東芝EMI)」だった。このアルバムの2枚目は、まるまるロンデックス氏の室内楽アルバム「Musique de chambre avec saxophone(EMI France)」の復刻となっており、1曲目、ヴィラ=ロボス「神秘的六重奏曲」の、揺蕩うような雰囲気に惹かれ、何度も何度も聴いたものだ。このトラックを聴くと、未だにその頃の思い出が蘇ってくる。そして、ジャン・マルティノン指揮フランス国立放送管弦楽団の、ドビュッシーの「ラプソディ」。これも何度も聴いた。後年、デファイエ氏が参加したマリウス・コンスタン指揮の盤も聴いたが、結局マルティノン盤に戻ってしまう。

木下直人さんにも、Vendome盤(アンドレ・シャルランが関わっている!)、SNE盤、Crest盤など、貴重な録音を数多くお送りいただき、ますますロンデックス氏の才気に触れることになった。特に若い時期の録音は瑞々しさに溢れていて、聴くのがとても楽しい。最近は、宗貞先生に来日リサイタルの模様などを聴かせていただく機会などもあった。MD+Gから出版された復刻4枚組はもちろん持っている。復刻ポリシーにやや難ありだが、ロンデックス氏の様々な時代における演奏をまとめて耳にできる、非常に良いアルバムだ。ボルドーの門下生が参加した、ロンデックス氏指揮Ensemble International de Saxophonesの録音「Sunthesis(Quantum)」も、耳にしておくべき内容だ。

ジャン=マリー・ロンデックス国際コンクールについても、タイ開催となってからは良く経過を追ったり、データをまとめたりしていたものだ。その中での、センセーショナルな松下洋くんの1位入賞、入賞記念のフランソワ・ロセの新作初演の経緯など、ロンデックス氏の邸宅に泊まりながら練習した話など、洋くんから面白く聞かせていただいた。

初めてクリスチャン・ロバ作品を聴いたときの衝撃も忘れられない。平野公崇氏によるライヴ演奏だったが、これも、クリスチャン・ロバ氏がロンデックス氏とのコラボレーションとして生み出したものだと知って、驚かされた。

著作「サクソフォン音楽の125年」(の改訂版)も、2冊持っているが、何度引いたことか。曲目解説を書くときに、必ず手元に置いておかなかればならない本である。

直接的な共同作業も2度あった。1つ目は、ロンデックス氏の最後の著作となった「Pour une histoire du saxophone et des saxophonistes Livre1,2,3」について、日本の歴史において重要な様々なサクソフォン奏者の情報を提供した(宗貞先生にご紹介いただいた)。2015年頃に何十通もメールをやり取りし、著作内にはきちんと名前もクレジットいただいている。2つ目は2023年、第9回世界サクソフォン・コングレスの録音復刻作業の時、シャリエ氏、ロンデックス氏と、やり取りしながらマスタリングを行った。テープスピードが異常な録音ソースからの復刻となったため、ピッチを非常に気にされていて、442Hzで進めようとしていたところ、440Hzをリクエストされて何度も調整をしたことを思い出す。出来上がった復刻盤はロンデックス氏に送った。

2015年、2018年のコングレスでお会いしたこともある。著作への情報提供の話は出したものの、さすがに大多数のうちの1名であり、名前は覚えていてくれなかったが(^^;

ロンデックス氏の功績を体系的にまとめた最も有名な著作として、「Jean-Marie Londeix - Master of the Modern Saxophone(Roncorp)」があるが、インターネットでアクセス可能な部分には残念ながらそういったものはない。特に日本語のものは皆無と言ってよく、どこかできちんとまとめねばならないと思っている。

2015年、ストラスブールにて、ジャン=マリー・ロンデックス氏の講演後に撮らせてもらった、ロンデックス氏とウイリアム・ストリート氏の写真。


2024/03/17

パリ国立高等音楽院サクソフォン科の新教授はNicolas Arsenijevic

表題の通り、クロード・ドゥラングル教授の退官に伴う来年度以降のパリ国立高等音楽院 CNSMDPの教授が、選考の結果、Nicolas Arsenijevic ニコラ・アルセニイェヴィッチ氏に決定したとのこと。

カタカナ表記については、下記を参考にしたが、元の名前のスペルミス等もありなんとも言えないところで、今後落ち着くまで時間がかかりそう。そういえば、ドゥラングル氏も、2007年あたりに「ドラングル」という表記が流行ったりした。個人的にカタカナ表記はけっこう重要な情報ので、ぜひ野中貿易様あたりに早めに制定いただきたいところ。

https://ameblo.jp/chiharulemarie/entry-12817374181.html

初めてNicolas Arsenijevic氏の名前を知ったのは、無名時代に、彼の演奏するサン=サーンスの「序奏とロンド・カプリツィオーソ」の録音によって、だ(確か大西智氏さんに聴かせてもらったような)。世界最先端のフランスのサクソフォン界が次のステージへと移行を開始している時期のもので、その鮮やかな演奏に驚いた記憶がある。その後、ディナンのコンクールのライヴ中継や、クロアチアのコングレスで実演に触れたこともあるし、折につけ見る名前だったが、まさかこのサクソフォンの世界最高学府の教授に就任とは。

CNSMDPのサクソフォン科は、このグローバリゼーションの時代となってなお、世界のサクソフォンのトレンドを築く中心地といえる。Nicolas Arsenijevic氏がどのように動いていくのか…注目していきたい。


2024/01/29

M.Weiss plays Legende by Caplet

スイスのサクソフォン奏者、マルカス・ワイス Marcus Weiss氏が、室内楽団とともに演奏するアンドレ・カプレ「伝説」の録音。商用流通しているとは聴いたことがないが、放送用録音だろうか。

https://archive.org/details/cd_music-of-andre-caplet_andre-caplet/disc1/



2024/01/24

ダニエル・デファイエに関連したミュールのコメント

Marcel Mule: His Life & the Saxophone内の記述で、ダニエル・デファイエについて触れられている部分を訳してみた。

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ドイツの指揮者・オーケストラについて、他になにか特別な思い出はありますか?

私は多くのオーケストラで演奏しましたが、時折ドイツの指揮者とも共演しました。その中のひとりが、ヘルベルト・フォン・カラヤンで、彼がまだ30歳のときにラヴェル「ボレロ」を一緒に演奏しました。彼は心から我々のサクソフォンの演奏について驚き、喜んでくれました。今日では、ベルリン・フィルハーモニックで重要なサクソフォンパートがある時、カラヤンはダニエル・デファイエを呼んでいます。

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時折、サクソフォンの音について、いわゆるフランスの音、だとか、アメリカの音、といったカテゴライズがなされることを耳にしますが、それについてどう思いますか?

その考え方は誤っており、サクソフォンを真に学んだ奏者はそのような分類を使いません。それに関連して一つお話をしましょう。1970年のジュネーブ国際コンクールのサクソフォン部門での出来事です。多くのフランス人奏者のみならず、アメリカやカナダといった他の国からも奏者が参加しましたが、フランスの奏者は良い結果を残せず、アメリカやカナダの奏者が良い結果を残しました(注:最高位はアメリカのジャック・クリプル)。私はこれについて、演奏時の身体の方向と関連があると考えました。デファイエ教授に、彼の生徒が審査員の方を直接向かず、45度身体の方向を変えるよう、示唆したのは私です。しかし、コンクールを聴きに来ていた地元の批評家が、ジュネーヴの新聞に書いた記事には、音の違いはフレンチ・スクールとアメリカン・スクールの違いから来るものだと書いていました。(…後略)

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ピエール・ブーレーズと仕事をしたことはありますか?

いいえ、ありません。しかし彼を良く知っています。(…中略…)最近ダニエル・デファイエに教えてもらったことにより、私はとても勇気づけられました。デファイエは、ブーレーズ指揮でアルバン・ベルクの「ルル」を吹きました。ブーレーズがデファイエに曰く「このように演奏される時にこそ、私はサクソフォンをとても好きになる」とのことです。このコメントは、奇妙でありつつも勇気づけられます。まずはじめに「ルル」のサクソフォンパートは極めてメロディックなものなのです。ブーレーズはこれを好きだ、と言ったのです!翻って、彼がそれよりもサクソフォンが貧弱に演奏されることを聴いたことがあるということをも暗示するのです。彼はデファイエに、サクソフォンの作品を書く、とまで言いました。もしかしたら実現するかもしれません!

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たくさんの作品があなたのために書かれました。いくつくらいあるのですか?

数えたことがありません。そして、楽譜ももはや所持していません。多くの楽譜は、引退のときに、ダニエル・デファイエなど、元生徒たちにあげました。私はこれらの作品を演奏しないのだから、楽譜を持ち続ける理由が無かったのです。



2024/01/22

RascherSQのライヴ録音2題

https://archive.org/details/cd_live-in-hall-recordings-vol-79_augusta-read-thomas-philip-glass-heitor-vi/disc1/

ラッシャー・サクソフォン四重奏団と、Dennis Russell Davies指揮アメリカン・コンポーザーズ・オーケストラの演奏で、1988年1月11日、ニューヨーク・カーネギーホールにおける2曲のライヴ録音を聴くことができる。1曲目は、女流作曲家Augusta Read Thomasの「Brass Axis」、2曲目はフィリップ・グラスの「サクソフォン四重奏とオーケストラのための協奏曲」である。

ハイ・テンションで駆け抜ける1曲目も良いが、とにかく2曲目のオーケストラとの録音は貴重であり、やはりそちらに着目してしまう。やや音場が遠いが、セッション録音(やはり同じD.R.Daviesと、こちらはシュトットガルト室内管弦楽団との録音)と比べると、前進力の違いが顕著であり、ぐっと引き込まれた。

D.R.Daviesとフィリップ・グラスが写った写真。「交響曲第8番」のジャケットに使われている。

2024/01/16

武藤賢一郎氏のアーカイブが更新

 武藤賢一郎氏の録音アーカイブが1ヶ月ほど前に更新されていた。シューベルト「セレナーデ」と、ディニク「ホラ・スタッカート」。これらの作品の演奏は、それぞれ「スーパー・ヴィルトゥオーゾ」「アメージング・サクソフォーン」というFontecのアルバムに収録されているが、同一ソースか、別ソース(ライヴ録音等)かは、判別することができなかった。



2023/06/25

ダニエル・ケンジーのYouTubeチャンネル

ひと月ほど前に、ダニエル・ケンジー Daniel Kientzy氏のYouTubeアカウントが突如として開設され、同時に57本もの演奏録音(残念ながら映像は無いようだが)がアップロードされた。

特に現代作品の分野において、大量の録音を実施しているダニエル・ケンジー氏ならではの内容。作曲家の名前に馴染みが無い中、どのような音が飛び出すかは予測不可能。じっくり腰を据えて聴いてみて、新たな響きを発見することに楽しみが見いだせるだろう。

私も聴いたことがあるのは、ジェルジー・クルタグの「ブカレストの叔父を訪ねて」くらいで、ほかは初耳。とにかく分量が圧巻で、まだ全然聴けていないのだが、少しずつ聴いていこうと思う。

https://www.youtube.com/@daniel-KIENTZY


2023/06/03

ジョン・ハールのインタビュー記事@PRS for Music

ジョン・ハールのインタビュー記事を試訳してみた。特に子供の頃の音楽との関わり合いなど、いままで知らない情報もあり、興味深い内容である。

https://www.prsformusic.com/m-magazine/features/interview-john-harle

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序文:ジョン・ハールは、ロンドンを拠点に活動するサクソフォン奏者、プロデューサーであり、作曲分野ではIvor Novello Awardを受賞している。世界中のオーケストラと共演し、ハリソン・バートウィッスル、マーク・アンソニー・ターネジ、サリー・ビーミッシュ、マイケル・ナイマンの作品に生命を吹き込んでいる。また、ハービー・ハンコック、エルビス・コステロ、ポール・マッカートニーといった一流のアーティストと共演し、彼らのビジョンを世界中のステージに届けている。ここでは、イギリス音楽の革新の最前線で活躍する彼が、様々なキャリアから得た洞察を紹介します。

ー どんな音楽を聴いて育ったのですか?

小さい頃、そして10代のころまでは、とても熱心に音楽を聴いていました。ピンク・フロイド、ペンタングル、キング・クリムゾン、シュトックハウゼン、デューク・エリントン、ファウスト、ハリソン・バートウィッスルなどの音楽の「異質さ」に惹かれました。電子音に熱中し、プログレやジャズも楽しんでいました。

ー サクソフォンを始めたきっかけは?

サクソフォンについても「異質さ」に惹かれました。また、デューク・エリントン・オーケストラのサクソフォン奏者、ジョニー・ホッジスの演奏に、言葉にならないほどのインスピレーションを受けました。ホッジスはアルトサクソフォンをボーカルのごとく聴かせるのですが、特に私にはマヘリア・ジャクソンに聴こえたのです。その類似性には頭が上がりませんでしたが、その音の深さをコピーするのではなく、自分自身で解釈しなければならないとも思いました。父は共産党員だったこともあるビジネスマンで、私を何度もエリントンに会わせ、エリントンやコルトレーンのようなミュージシャンの人生経験、つまり非常に暗く恐ろしい時代における彼らの真の闘い、公民権運動について教えてくれました。私は高級校に通う恵まれた子供だったので、自分の音楽的な感覚の深さを表現するために別の方法を見つけなければなりませんでした。ジャズは、他者のものであり、その権利があるように思えたので、「おもちゃ」にする気にはなれませんでした。今となっては、それが過剰な気遣いであったことに気づきますが、結果的にそうなってしまったのです。でも、サクソフォンが私の楽器になったのは、おそらくサクソフォンがどこにも属さず…つまり、私と同じだったからでしょう。プログレ、ジャズ、フォーク、クラシックなど、自分のリストにあるすべての音楽の周辺を演奏するのが好きだったんです。10代の頃はプログレのリードギターを弾いていて、サクソフォンよりもずっと練習していたのですが、そのおかげで自分のサクソフォン・サウンドを見つけることができたと思います。19歳から22歳までサクソフォンに没頭し、その後フリーランスとしてナショナル・シアター、無数の映画セッション、ロンドン交響楽団など、さまざまなタイプの音楽に携わるようになりました。

ー 最初のブレイクは何だったのですか?

1980年にスタンリー・マイヤーズが私のベルリン・バンドのコンサートに来て、ジョー・オートンの伝記映画『Prick Up Your Ears』の音楽のオーケストレーションと演出を私に依頼したのです。それは信じられないほど強烈なもので、あれほど懸命に働いたことはありません。ウンドトラック・アルバムでは、ハンス・ジマーや他の素晴らしいアーティストと緊密に仕事をしました。これは自分のためのものだと思いました。

ー キャリアを通じて最も影響を受けたのは誰ですか?

1974年にデューク・エリントンと出会い、それが私の全人生のターニングポイントとなりました。後にも先にも、これほど気品があり、カリスマ性があり、親切な人に会ったことはありません。ハリソン・バートウィスルと故リチャード・ロドニー・ベネットは、共に長い間激しい仕事をする中で、私に多大な影響を与え、父親のような存在でした。また、マイケル・ナイマンのバンドで長い間演奏したことで、サクソフォンのサウンドへのアプローチが明確になり、それが私の中に常に残っています。この4人の素晴らしいミュージシャンが、さまざまな場面で、今の私を形成するのに役立っています。

ー キャリアを通じて、さまざまなコラボレーションを行っていますが、これらの創造的な関係から何を得ているのでしょうか?

本当に偉大なアーティストは、他の誰よりも懸命に働くということを学びました。たとえ私が曲を書いたとしても、エルビス・コステロやマーク・アーモンドのようなシンガーは、それが本当に自分のものになるまで努力するのです。これこそ本物のパフォーマンスの最高峰であり、いつも謙虚であり、そのことはインスピレーションを与えてくれます。バービカンのプロジェクトで、ハービー・ハンコックと密接に仕事をしたことがあります。私はいつものジーンズとTシャツで出かけたのですが、ハービーはオズワルド・ボアテングの新しい鮮やかなオレンジ色のスーツで現れました。彼は私を見て、明らかに私の出で立ちに感心していないようでした。彼は半笑いのような笑みを浮かべて、「ジョン、気を抜くなよ!」と言い放ちました。彼は誰とも昼食をとろうとしませんでした。彼はハムステッドのハムステッドにあるクラクストン・スタジオを予約して、毎日そこでピアノの練習をしていました。おそらくジャズ界で最も偉大な現役のハーモニック・ブレインが、毎日4時間も作曲と音階の演奏をしていたのですから、決して忘れることはできません。

ー ムーンドッグと仕事をするのはどんな感じでしたか?

ムーンドッグは真の紳士でしたが、厳しい管理者でもありました。(ペンタングルのベーシストである)ダニー・トンプソンを通じて彼と知り合い、一緒にバンドを結成して、エルビス・コステロがメルトダウン・フェスティバルを企画したときに、我々を出演させるように説得しました。そして、ワッピングの古いエレファント・スタジオでアルバム『ムーンドッグ・ビッグ・バンド』を制作しました。レコーディングの2日目に、私は「多くの音楽は技術的にとても簡単だ」と間違えて言ってしまった。その翌日、彼は猛烈に難しいサクソフォン・ソロを持ってやってきて、急遽録音することになった。技術的には大変な挑戦でしたが、何度もテイクを重ね、最終的には成功しました。恣意的な基準で音楽を判断するのではなく、音楽を尊重することを教えてくれました。

ー 普段、あなたの作品はどのように誕生するのですか?

窓の外を眺めてボードレールのようにため息をついても、ほとんど浮かんできません。家にいる日は、朝5時から昼まで作曲や制作をし、その後1時間半ほどサクソフォンの練習をします。こういうルーティンがあると、目の前の素材を扱うときや、飽き飽きしたときに、アイデアが浮かんでくるんですよね。

ー これから作曲をする人へのアドバイスをお願いします。

音楽を作るということは、日常のありふれたものに対する反抗であることを忘れないでください。自分の音楽がありふれたものになったと感じたら、すぐにやめてください!音楽の歴史はリソースであり、インスピレーションでもあります。自分の好きな曲がどのように作曲され、制作されたかを調べ、その情報を自分のために使ってみてください。ディレクターやプロデューサーに何かをカットするように言われなくても済むように、自分自身の音楽を編集できるようになりましょう。プロデュースのことより、音楽について詳しくなることです。プロデュースは、頭の中の音に後から付いてきます。LogicやCubase、Liveなどを開くと、あなたの音楽は4/4、120bpmで、Appleが認めた公式な想像力のすべてが、右側にあるApple LoopsやSculptureシンセの中にあると教えてくれます。これは嘘です。MacやLogicをアップデートし続けるのはやめましょう。それは地獄への入り口です。Logic 9はLogic Xよりまだいい。彼らはお金を稼ぐために、音楽的な目的ではなく、ソフトウェアをいじくり回しているだけなのです。自分の持っているもの、つまり想像力と技術的、和声的な能力を使って仕事をするのです。練習のために有名な曲をアレンジして、原曲の新鮮なバージョンのように聞こえるようにハーモナイズし直してみましょう。映画やテレビの音楽で賞を取るのは、できれば避けたいものです。かつて一緒に仕事をしていた人たちは、あなたが「高価」になりすぎたと思うかもしれません。


2023/05/31

ダニエル・ケンジーへのインタビュー@Radio Romania Muzical

Radio Roumania Muzicalのサイトに、サクソフォン奏者ダニエル・ケンジー Daniel Kientzy氏のインタビューが掲載されていた。ごく短い内容だが、ケンジー氏のルーマニア音楽・電子音楽への思いが語られており、興味深い内容だ。以下、個人的に翻訳した内容を掲載する。

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https://en.romania-muzical.ro/articole/art.htm?c=18&g=2&arh=1&y=2009&a=592

フランスの著名なサクソフォン奏者であるダニエル・ケンジー、ヴァイオリン奏者のコーネリア・ペトロウ、電子音響を専門とするポルトガル人のレイナ・ポーテュオンドによるPROmoZICAトリオが、10月28日から11月13日までスペインでツアーを開催することが決定しました。リサイタルでは、作曲家アディナ・ドゥミトレスク、コスティン・ミエレアヌ、オクタヴィアン・ネメスクの作品が演奏されます。ダニエル・ケンジーは、これらの作曲を選んだ理由や、電子音響音楽が好きになったきっかけについて、独占インタビューに応じてくれました。

インタビュアー:今回のスペイン公演では、ルーマニアの現代作曲家、コスティン・ミエレアヌ、アディナ・ドゥミトレスク、オクタヴィアン・ネメスクによるオペラ等がレパートリーに含まれていますね。彼らの作品を選んだ理由は何ですか?

ケンジー:この質問に答えるのは難しいのですが、リサイタルでルーマニアの音楽を取り上げないということはほとんどありません。リサイタルでルーマニアの作品を演奏しないのは、私にとっては不思議なことです。私が演奏するのは、ほとんどすべてルーマニアの音楽なのです。

インタビュアー:ルーマニアの現代作曲家の作品には、どのような特徴があるのでしょうか?

ケンジー:ルーマニアの音楽は、別々の作曲家の作品であっても、特定の「エトス」を持っています。文化の深遠な源泉と現代的な要素を融合させた、救済とこの国の性格から来るものがありますね。

インタビュアー:スペインの人々は、これまでルーマニアの作品をどのように受け止めてきたのでしょうか?

ケンジー:とても好意的に受け止めていると思います。ルーマニアの現代音楽の流派は、最も身近なもののひとつです。ルーマニアの作曲家の作品は、世界で最も「輸出しやすい」作品のひとつです。ルーマニアの音楽はとても評価されているので、旅行やプレゼンテーションがしやすいのです。

インタビュアー:電子音楽がお好きな理由は何ですか?

ケンジー:この音楽は、音楽の詩を一般的な可能性を超えて拡張する可能性を与えてくれます。楽器には多くの可能性がありますが、電子音響はその可能性を広げてくれます。私は、電子音響音楽がもたらす詩、夢想、絶対的なものに興味があります。



2023/05/04

Ensemble Saxophone de Francaisの音

Jacques Melzer (soprano)、Jean-Marie Londeix (alto)、Guy Lacour (tenor)、Roland Audefroy (baritone)というメンバー編成の、もはや伝説ともいえるカルテット、Ensemble Saxophone de Francaisの音。

バッハ作品集をリリースしたことがあるそうで、その抜粋録音。音を聴いたのは初めてだった。極めて明るい音と、小気味よいテクニック。そして何より、音楽の推進力に感心してします。

YouTubeのリンク先からさらにいくつかの録音を参照することができる。



2023/04/30

Linda Bangsのプライヴェート録音

リンダ・バングス Linda Bangs氏(Linda Bangs-Urbanと表記されることもある)は、長らくラッシャーサクソフォン四重奏団のバリトンサクソフォン奏者として活躍した。

ニューヨーク州タイオガ郡ウェイバリー生まれ、シガード・ラッシャーとローレンス・ワイマンに師事。ドイツ、ダルムシュタットの音楽アカデミーでサクソフォンを教えている。アメリカやヨーロッパで広く演奏活動を行い、数多くの商業用レコードに参加している。1990年、バングスはSüddeutsches Saxophon-Kammerorchester(南ドイツ室内サクソフォンオーケストラ)を設立した。

その、リンダ・バングス氏の、おそらくプライヴェート録音と思われるもので、彼女の生徒が許可を得てアップロードしたもの、といったことが情報に書いてあった。アントニオ・ヴィヴァルディの「チェロ・ソナタ第1番」。録音は2007年。バロック期の作品を頻繁に取り上げるのはラッシャー派の(ラッシャー氏の)特徴であるが、演奏スタイルも、その流れを汲むものである。



2023/04/03

ダニエル・ケンジー演奏のNigel Keay「Maungarei」

YouTube上にダニエル・ケンジー Daniel Kientzy氏の演奏姿。Nigel Keayという作曲家の「Maungarei」という、サクソフォン、電子オルガン、オンド・マルトノ、バスのための作品。


神秘的…とも違う、なんとも不思議な雰囲気の作品だ。「Maungarei」とは、おそらくニュージーランドのマウンガレイ山のことだと思うが、あまり今までに耳にしたことの無い響き。電子オルガンとオンド・マルトノという、どちらも電気的な発音をベースにした音色のミックスの上に、飄々とした雰囲気のケンジー氏のサクソフォンが絶妙に重なる。

ケンジー氏の演奏姿を観るのは久々だが、相変わらず新作への取り組みに邁進している…ということだろうか。このブレない姿勢は、今となってはサクソフォン界において貴重な存在である。

ちなみに、映像はあくまで映像で、ファイナル・テイクとは楽器や音を差し替えていると見受けられる箇所もある。最終的な音は、作曲家のサイトから聴くことができる。

https://www.nigelkeay.com/ensemble-2019.htm

2023/02/05

ミュール氏から阪口新氏への手紙(1988年)

マルセル・ミュール氏から、阪口新氏に宛てた直筆の手紙。1988年の第9回サクソフォン・コングレス(神奈川県川崎市開催)への招待に対する返信である。冨岡和男氏にお借りした資料に含まれていた。

招待への謝意とともに、当時すでにかなりの高齢であったミュール氏が、長旅が難しく残念ながら参加を断念せざるをえないことが書かれており、併せて、1984年の訪日(第1回日本管打楽器コンクールの特別審査員として招聘)への礼が述べられている。


2023/01/07

マルセル・ペラン Marcel Perrinについて

マルセル・ペラン Marcel Perrinという奏者についてHarry R. Gee「Saxophone Soloists and Their Music」から経歴を引用する。

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1912年6月1日アルジェリアのアルジェ生まれ。幼少より著名なトランペット奏者であった父の手ほどきを受けた。アルジェ音楽院で学び、ヴァイオリン、サクソフォン、和声学、対位法でそれぞれ一等賞をエた。パリでマルセル・ミュールの下で学び、音楽教育学の教員免状を獲得。アルジェに戻り、サクソフォン講師、コンサートアーティストとして活動を始めた。1935年、アルジェ・サクソフォン四重奏団を結成、1962年までコンサートツアー、放送向け収録で活動。独奏者としては、妻のスザンヌ・ペラン・ヴァルスや、各地のオーケストラと共演しながら、1933年から1980年までベルギー、フランス、ドイツ、オランダ、イタリア、ポルトガル、スウェーデン、スイスなどを周遊した。この演奏活動が認められ、多くの作曲家から作品の献呈を受けている。さらに作曲、著作活動も展開し、1954年に出版された「Le saxophone」により教育功労賞を受賞した。フランス・サクソフォン界黎明期において、各国を周り演奏活動を行った奏者の一人である。

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よく知られたところでは、Marc Eychenne「Cantilene et Danse」を献呈され、また、Roger Calmelからも「Les Caracteres」というサクソフォン、フルート、ピアノのための作品を献呈されている。ペラン氏の名前をあまり知らなかったのだが、マルセル・ミュールと同時期に活動した奏者としては注目すべき奏者の一人であろう。

アフリカのアルジェリア出身、というのも驚いたが、1962年のエビアン協定締結までアルジェリアはフランスの植民地であったため、有能なアーティストであったペラン氏がパリへ学びに行く、というのは自然なことであったと思われる。

写真等は下記リンクからどうぞ。父のクレマン・ペラン氏の写真や、アルジェ四重奏団の写真も掲載されている。演奏を聴くこともできる。

http://tournantsrovigo.free.fr/portraits.htm

マルセル・ペラン氏と、妻のスザンヌ・ペラン氏。


2022/12/18

フェルナン・ブラシェと、クラリネットを持つポラン、テリー

クラリネットを持つ、アンリ=ルネ・ポラン氏(最前列左から4人目)と、ジャック・テリー氏(最前列左から3人目)の写真(ポラン氏のプライヴェートコレクションより)。2枚目の、ブラシェ氏からポラン氏に宛てたメッセージには、1963年5月23日と記載されている。両名とも、キャリア初期には、カーン音楽院にてフェルナン・ブラシェ氏(1886年生まれのクラリネット奏者。ジャック・ランスロの師匠としても知られる)にクラリネットを師事していた。最前列1番右に立つ白髪の男性がブラシェ氏である。



以下、私からポラン氏へのインタビューを抜粋する。

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私はノルマンディー地方の都市、カーンで生まれました。音楽を専門的に勉強し始めたのは、カーンの音楽院です。家から音楽院までは15kmほどの距離がありましたが、自転車で通っていました。

カーン音楽院では、フェルナン・ブラシェ先生に習いました。音楽的に非常に素晴らしい先生で、大きな影響を受けました。彼は、主としてクラリネットを、そしてサクソフォンも少しだけ教えてくれました。しかし、当時クラシック・サクソフォンのレパートリーは少なく、演奏するといっても、せいぜいジャズ程度です。ちなみに、ジャック・テリーに会ったのはこの時です。彼もまた、ブラシェ先生に師事していました。

2022/12/11

1978年、韓国のデファイエ四重奏団

1978年はデファイエ四重奏団が来日した年だが、その来日の前、9月に韓国へと演奏旅行をしている。ポラン氏のプライヴェート・コレクションから、その韓国演奏旅行のプログラム冊子を2点紹介する。

1つ目は、フル・リサイタルで、前半にミュール編他の小品、後半にルジェ、ブーニョ、カルレという重いプログラムを取り上げたもの。東亜日報/放送のロゴが掲載されており、メディア・大使館肝入りの催しだったのだろう。会場はソウルのセジョン(世宗)文化会館。現代では3000席のホールだが、当時はどうだったのだろう。プログラム冊子はハングルでパッと見翻訳できないが、OCRと機械翻訳でざっと読んでみたところ、それほど面白い情報は載っていなかった。








2つ目は、ハイアットリージェンシー・ソウルでのディナーコンサート。グラズノフ、ピエルネ、リヴィエ、ダマーズ、ベルノーと、およそ「ディナーコンサート」には似つかわしくない選曲だが、どのような雰囲気だったのだろうか。後半は、現地のジャズバンド。民謡(アリラン)の変奏曲や、セント=ルイス・ブルースなどの、いかにも、といった内容である。




2022/11/12

ビション氏逝去時のBGの声明文

2018年の、セルジュ・ビション氏逝去に際してのBGの声明文(The Syncopated Timesより)を翻訳した。ビション氏が、パリ国立高等音楽院への最多合格者を出した教師である、という事実は初めて知った(感覚的にはそうかなと思っていたが)。

https://syncopatedtimes.com/serge-bichon-83-co-founder-of-bg-franck-bichon/

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フランス古典派で最も尊敬されているサクソフォン奏者・教師の一人である、セルジュ・ビションが2018年7月31日に83歳で逝去しました。セルジュ・ビションは、BGを息子のフランク・ビションとともに共同で創設しました。セルジュはBGの音響スペシャリストであると同時に、BGのリガチャー・コンセプトの発案者でもありました。フランスにおけるクラシック・サクソフォンの巨匠、マルセル・ミュールの元生徒であったセルジュは、生前に様々なことを成し遂げました。リヨン国立音楽院で教鞭をとり、パリのサクソフォン教師クロード・ドゥラングル、リヨン音楽院のサクソフォン科教授で、著名な作曲家でもあるジャン・デニス・ミシャなど、多くの重要なアーティストを育てたのも彼の功績です。パリ国立高等音楽院に最多の合格者を出したことも、セルジュの遺産です。また、世界で最も評価の高い管楽器四重奏団ハバネラ・カルテットのメンバー全員を指導し、16本のサクソフォンからなるアンサンブル・デ・サクソフォン・オブ・リヨンを結成しました。また、第1回ヨーロッパサクソフォンコンクール(GAP)の創設者でもあり、3つのサクソフォン教本を著しました。セルジュは音楽を教えることに熱心で、情熱的でした。彼の死は多くの人に惜しまれることでしょう。

2022/11/03

セルジュ・ビション:現代サクソフォンの祖

過去に日本サクソフォーン協会誌へと寄稿した文章から、セルジュ・ビションに関連した箇所を抜粋する。ドゥラングル氏の師匠として有名だが、個人的に考える現代サクソフォン・トレンドの祖である。このことについては、下記の文章の抜粋元である日本サクソフォーン協会誌2017年版に寄稿した「録音から読み解く現代サクソフォン・トレンドの萌芽と発展」で論じている。

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セルジュ・ビション Serge Bichon(1935 - 2018)は、リヨン音楽院の教授を務めたフランスのサクソフォン奏者である。名教師として名を馳せ、多くの門下生をパリ国立高等音楽院へと送り込んだ。ビション・クラスの設立後、門下生の多く(1985年時点の実績で30人以上)が、フランス国内外でのみならず世界各地で教育者として活動している。例えば、パリ国立高等音楽院現教授のクロード・ドゥラングル、ピアニストであり現代最高のメシアン弾きとして活躍するロジェ・ムラロ Roger Muraro、ハバネラ四重奏団のシルヴァン・マレズュー Sylvain Malezieux、ファブリツィオ・マンクーゾ Fabrizio Mancuso、現リヨン音楽院教授のジャン=ドニ・ミシャ Jean Denis Michat、指揮者やアレンジャーとしても活躍するギョーム・ブルゴーニュ Guillaume Bourgogneなど、錚々たる面々がビションの下より巣立っている。

ビションは、マルセル・ジョセ、マルセル・ミュール、ダニエル・デファイエらにサクソフォンを師事し、1960年にパリ国立高等音楽院のサクソフォン科を、引き続き1961年に同室外楽科を、それぞれ一等賞を得て卒業している。リヨン音楽院の教授への就任は、パリ国立高等音楽院卒業前の1956年である。

ビションには、ピエール・マックス・デュボワPierre Max Dubois、ルーシー・ロベール Lucie Robert、アントワーヌ・ティスネ Antoine Tisneといった作曲家が、ビションのために作品を献呈している。

リヨン音楽院での教育活動のほか、エクス=レ=バン・サクソフォンコンクール、後述するギャップ国際サクソフォンコンクール、さらにそのアマチュア部門など、様々なコンクールのオーガナイズも手掛けた。また、1986年には、息子のフランク・ビションとともにBG Franceを設立、サクソフォン関連製品の開発にも携わった。

ドゥラングルのインタビュー記事より、ドゥラングルの音色に対する考え方について、師匠であるビション、そのビションの師匠であるジョセのエピソードを交えながら証言した部分を、以下に引用する。

---ビションは、『サクソフォンの音色は丸く、豊かで澄んでいて一定でなければいけない』といっていましたが、私は最近それをもう少し発展した考えを持つようになりました。ビションのそういった考え方は、マルセル・ジョセという先生からの影響が大きいと思います。ジョセはチェリストだったこともあって、音のつくり方など、実に具体的な説明ができる人でした管楽器の人は音色について割合とおおざっぱなイメージで捉えるのに対し、弦楽器の人はより具体的です。ですから、私の音に対する考え方も彼の影響を受けました。柔軟性を持ち、かつ安定したアンブシュアや支えられた息―そういった重要であるテクニックを残しながらも、他の楽器(ピアノ、オーボエなど)との室内楽の経験を通して、私自身が持っていたかつての考え方を広げることができたのです。それは、つまり”ほしい音が出せるようにすること”といえます。よい音は、ひとつではないということです。そして、それは”演奏相手により、必要に応じて音色を変化させること”ともいえます。



フランソワ・コンベル François Combelleのこと

赤松文治「栄光のギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団」より

アルト・サクソフォン主席のコンベルは、1880年7月26日にソーヌ・エ・ロアール県マルシニーで生まれ、1902年にクラリネット奏者としてギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団に入隊後、サクソフォン奏者に転向し、1904年にアルト・サクソフォン主席奏者に抜擢され、演奏会では独奏者としても活躍した。彼は作曲も堪能で、サクソフォン独奏のために「演奏会用独奏曲第1番」「スケッチ」「セヴィリャの理髪師第1番・第2番」「マウルの幻想曲」「イタリア夜曲」「3連音符のマズルカ」「キプロス幻想曲」「マルボロー変奏曲」「バラードと嬉遊曲」、二重奏のために「5つの二重奏曲」を作曲したほか、1920年に同僚のブリヤールとラッフィーのために舟唄「エソンで」を作曲し、更に「現代大教則本」を著したが、同年セルマーがサクソフォンの製造を始めたときテスター顧問となった。そして、1923年にミュールに熱心に入隊を勧めたのち退職し、ボーヴェー音楽学校校長、パリ6区吹奏楽団とバンセンヌ市吹奏楽団指揮者、ドルネ楽器会社顧問などをしていたが、1949年にレジョン・ドヌール5頭勲章を受賞し1953年3月3日に亡くなった。

Harry R. Gee「Saxophone Soloists and Their Music」より

もともとはオーボエ奏者であり、1902年にギャルド・レピュブリケーヌ軍楽隊に入隊、その後サクソフォン奏者となった。1923年、マルセル・ミュールに、楽団のオーディションを受けるよう熱心に勧め、ミュールは8月に21歳で入隊した。ユージン・ルソーによる、ミュールのインタビューを抜粋する。『コンベルは疑いようがなく、輝かしい独奏者であり才能のあるヴィルトゥオーゾで、頻繁に楽団における独奏者として演奏していました。楽団では、幻想曲、変奏曲などを演奏していました。』セルマーが1920年にアドルフ・サックスの工房を買収したとき、コンベルはテスター兼アドバイザーとなった。

コンベルの作品リスト:カッコ内は出版年
1er Solo de Concert
2eme Solo de Concert (1911)
Esquisse
Grande Methode Moderne (1910)
Le Barbier deSeville No.1
Sur L'Esson Barcarole (1920)
Frantaisie Mauresque (1920 to E.Hall)
Serenade Italienne (1920)
Triolette Mazurka (1920)
Rapsodie Cypriote (1932)
Malbrough (1938)
Ballade et Divertissement
Five Duets (1958)

コンベルに献呈された作品:
Maurice Decruck and Fernande Breilh 「Chant Lyrique, op.69」

コンベルが著した「Grande Methode Moderne」の表紙と、中身の抜粋(演奏姿勢指南のページ?)




「ヴェニスの謝肉祭」変奏曲。コンベルの写真も多数見ることができる。