2022/09/28

ミュール氏のアメリカツアー記録

1957-1958シーズンの、マルセル・ミュール氏が帯同したボストン交響楽団のアメリカツアーの記録。ミュール氏自身は、イベール「コンチェルティーノ・ダ・カメラ」と、トマジ「バラード」の独奏を務めた。ツアーは、地元のシンフォニーホールから始まり、地域のホールの他、 大学が所有するホールでの演奏などもあり、スケジュールを見る限りは極めてタフなツアーだったように思える。

このツアー後、ミュール氏は独奏活動から引退する。

1958/1/29 Boston Symphony Hall
1958/1/31 Boston Symphony Hall
1958/2/1 Boston Symphony Hall
1958/2/2 Boston Symphony Hall
1958/2/4 Sanders Thr., Harvard Univ.
1958/2/11 Woolsey Hall, Yale Univ.
1958/2/12 NewYork Carnegie Hall
1958/2/13 Washington Constitution Hall
1958/2/14 Brooklyn Academy of Music
1958/2/15 NewYork Carnegie Hall


2022/09/24

The New York Times上のHarvey Pittel関連記事(1979年)

NewYork Timesの「Music Notes」というコーナーに、アメリカのサクソフォン奏者、ハーヴェイ・ピッテル氏の記事を見つけた。1979年12月2日、とのこと。1970年代~1980年代の、アメリカにおけるサクソフォンの捉え方を垣間見ることができる、興味深い内容である。

https://www.nytimes.com/1979/12/02/archives/music-notes-the-saxophone-from-suburbia.html

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1840年代にアドルフ・サックスがサクソフォンを発明したとき、サックスは、この楽器がクラシック音楽のための楽器の中で地位を確立すると想定していた。しかし、現在ではジャズの分野で最もよく知られている。そしてサクソフォンを本来の地位に戻そうとする一人がハーヴェイ・ピッテルである。彼は水曜日の夜にアリス・タリー・ホールでリサイタルを行う。

「この国、そして世界には何百人ものクラシック・サクソフォン奏者がいますが、そのほとんどは大学や音楽院に勤めています。私は、サクソフォンをコンサートのための楽器にしようとしている数少ない奏者の中の一人だと思っています。サクソフォンは、ときに木管楽器のように柔らかく、ときに金管楽器のように大胆に鳴らすこともできますから、今回のプログラムはその幅の広さを示すようなものにしました。」

ピッテルは、ロワレのバロック時代の「ソナタ」、インゴルフ・ダールのアルト・サクソフォンとピアノのための「協奏曲」、ラフマニノフの「ヴォカリーズ」、世界初演のミルトン・バビットの「イメージ:アメリカのボードビルにおけるサクソフォン」、イベールのアルト・サクソフォーンと11楽器のための「コンチェルティーノ・ダ・カメラ」などをプログラムに盛り込んでいる。ピアニストのサミュエル・リップマン、チェンバロ奏者のライオネル・パーティー、チェリストのエリック・バートレット、そして指揮者のイェンス・ナイガードと彼が率いるジュピター交響楽団のメンバーがプログラムに参加する予定だ。

「バビットの新作は、私の演奏を念頭に置きながら作曲されたもので、アルト、ソプラノ、ソプラニーノのサクソフォーンを使います。バビットはサクソフォンを良く吹いていたそうで、ハッピーな作品です。私は20年代のルディ・ウィードフトの作品など、彼が知っている曲をいくつか演奏してみせたのですが、彼はそれらも含めて自分流にしてしまいました。テープとサクソフォン奏者のための、ヴィルトゥオーゾ・ピースです。」

36歳のこのサクソフォン奏者は、すでにこの楽器のために多くのパイオニア的な活動をこなしてきた。コンサート・アーティスト・ギルドの主催で、過去に2回、ここでリサイタルを開き、クリスタル・レーベルから少なくとも3枚のレコードをリリースし、シカゴ、オンタリオ、ボルドー、ロンドンで開催されたワールド・サクソフォン・コングレスにも参加している。5年間にわたり、アフィリエイト・アーティストとして、ミズーリ州ヤズーシティ、アリゾナ州プレスコット、シアトルなど様々な場所で知られている奏者だ。

「私にとって、すばらしいキャリアです」と、彼は続ける。「私は、刑務所、小さな町のライオンズクラブ、学校、定期演奏会などで演奏してきました。こういったときには、聴き手に向けて、くだけたトークなどもしました。各地でたくさんの素晴らしい人との出会いに恵まれたのです。」

ピッテルは、モンタナ州グレートフォールズで生まれ、ロサンゼルスで育ちました。クラリネット奏者として音楽キャリアをスタートし、20歳の時にはダンス・オーケストラのマネジメントと講師をしてた。「フランスの偉大なサクソフォン奏者、マルセル・ミュールの録音を聴いて、彼のような演奏ができるようになりたいと思うようになった。ジュリアード音楽院でジョセフ・アラール、パリでダニエル・デファイエ、ボルドーでジャンマリー・ロンデックスに師事した。これらの先生方は多大な貢献をされましたが、私が行ったのは、それぞれの先生方から何かを受け取り、私自身の音を組み立てることです。それはおそらく、フランスの流派よりも大きく、充実していて、より柔軟で変化しやすいものだと思います。」

1年前から、ピッテルはニューヨーカーになった。西海岸から移ってきたのは、室内アンサンブルで演奏する機会が多いからだ。つい最近も、ボストン交響楽団から、ディビッド・デル・トレディチの「ファイナル・アリス」のサクソフォン・パートを24時間以内に引き受けてほしいという依頼があった。幸いなことに、この曲は彼が他のオーケストラで演奏したことのある、よく知っている曲であった。来年4月にはボストン交響楽団と、ポール・チハラの「サクソフォーンとオーケストラのための協奏曲」を世界初演する予定である。

2022/09/22

ナイマン・バンド in ポーランド

マイケル・ナイマン・バンドの、1995年、ポーランドでのライヴ映像とのこと。「英国式庭園殺人事件」のサウンドトラックから「An eye for optical theory」の演奏。サクソフォンの布陣がジョン・ハール、サイモン・ハラーム、アンディ・フィンドン各氏…もはや、今の時代にあってはレジェンドだ。グロウを多用したハイテンションな演奏が曲想にマッチする。

演奏そのものから、当時のイギリスのサクソフォン界の勢いを感じる。



2022/09/20

ミュール氏引退のこと

父は、クラシック音楽は好きだったが、サクソフォンについては、特に深い関わりなく、専らこのブログが情報源(スマートフォンも無い時代で、印刷して読んでいた)。亡くなってだいぶ経つが、病に伏せる前から、近況を記した数多くの手紙を送ってくれていた。サクソフォンについては、体系的には把握せずとも、時々思うことがあったようで、多くの手紙のなかの一部でたまにブログの内容に触れることがあった。

マルセル・ミュール氏のことをあれこれ調べ直しているときに、ふと、ミュール氏引退(1958年にソロ活動引退、1967年に四重奏を解散、1968年に教授職を引退、特にソロ活動については、フィジカル・メンタルのバランスが取れた最高の時期であり、不可解に映る。ボストン交響楽団との録音をきいても、あまりの素晴らしさに腰を抜かす)の理由について、父が独自の考えを述べていたことを思い出し、その内容を引っ張り出してきた。

ミュール氏が、アメリカツアーを機に自身の演奏活動に限界を感じて‥という一般的な考えとともに、それと同じくらい次のような考えがあったのでは、というのが当時の父の持論である。今読み返すと、当時(15年前)よりもさらに深く納得・同意してしまった。

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ミュールは、続く世代のためにサクソフォンの可能性を可能性のまま「手をつけずに残しておいてくれた」のではないか。自分がやるべきことはやり、これから発展する可能性のあるものはあとは若い世代へと託したのではないだろうか。手紙の中からそのまま引用すると、きっとミュールはこう考えていたに違いないと:「さあ、わたしはここまでやってきた。次は君たちの番だよ、私のやってきたことを存分に吸収して、次に君たちがサックスの世界をもっと広げていってほしい」。
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これが本当だとすれば…あながち間違いではなさそうだが…ミュール氏がこのような考えに至ったことは、この時期の引退は、ミュール氏の器の大きさを示す一つの大きなエピソードである、とも言えそうだ。とはいえ、不確実性ばかりが蔓延る現代にあってはこのような考えに至ることの難しさも承知しており、現代の状況を批判するものではない。

下記は、ボストン交響楽団1957-1958シーズンのプログラム冊子表紙。

2022/09/18

コーヒーとグレインジャー

グレインジャーもコーヒーも好きなので、良く観る。林田和之氏の多重録音による「グレインジャーの花束」「羊飼いの呼び声」に乗せて、焙煎~グラインド~ドリップまで、じっくりとコーヒーを淹れる動画。この、バックで流れている演奏がまた、絶品なのだ。

「第一回」とのことで、次回作も期待。

ダニエル・デファイエ氏の録音リスト更新

デファイエ氏の録音リストを更新した。1975年の来日時の演奏の模様で、いずれも商用録音ではない。

NHK-FM四重奏リサイタル
ソロリサイタル
四重奏リサイタル
下倉楽器におけるレクチャー

特にNHK-FM四重奏リサイタル、そして下倉楽器での演奏の録音状態は良い。東京文化会館でのソロリサイタルは、打楽器との共演(デュボワ、ラクールの各作品)が珍しい。

https://docs.google.com/spreadsheets/d/1c98A6VaRUuYaFOOw8MycHDwJ9aFtiwYdx_pq32VGxOI/edit?usp=sharing

"Deffayet"のカタカナ表記・発音は"デファイエ"

1977年10月号のバンドジャーナルにこう書かれており「デファイエ」が適切であろう。

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…プログラムにデファイエ教授の名前をドゥファイエと書いておいたのを見て、彼の名前についていろいろ発音があるが、彼自身によればデファイエと呼んでほしいとのことであった。この事は、前回の来日のおりNHKが放送の際、彼に問うたところ、そのように答えたとのことであったと聞き…(略)

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2022/09/17

ギャルド送別パーティへの招待状(1961年)

1961年11月17日のギャルド帰国に先立ち、朝日新聞社長村山長挙邸で開かれた、送別パーティの招待状(画像はクリックして拡大)。ポラン氏のプライベートコレクションより。

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拝啓 秋冷の候益々御清祥慶賀の至りに存じます。

さて、ルーブルを中心とするフランス美術展の開催を記念して来日したギャルド・レピュブリケーヌ交響吹奏楽団は、来たる十七日夜帰国しますので、左記により送別パーティーを開きたく存じます。ぜひご出席くださるようお願いいたします。

敬具

昭和三十六年十一月 朝日新聞社
社長 村山長挙
とき 十六日(木)午後七時から
ところ 村山長挙宅(港区麻布市兵衛町一ノ一六)

なお、当日は野外のガーデン・パーティーですので、オーバーコートをお召しのまま会場へお出ください。

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杉並公会堂における「ファランドール」「牧神」「ディオニュソス」他の、奇跡のセッション録音(リンク先はバンドパワーのサイト)は有名だが、まさにその夜のイベントだった。(2022/9/18追記)そのセッションについて、木下直人さんが多くの貴重なコメントを書いてくださっている。ぜひコメント欄もご覧いただきたい。



2022/09/14

スッペ「詩人と農夫」のサクソフォン

フランソワ・ジュリアン・ブラン指揮ギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団の有名なステレオ録音(かつて国内では東芝EMIから出版されていた)に収録されている、フランツ・フォン・スッペ作曲/レイモン・リシャール編曲「喜歌劇『詩人と農夫』序曲」の冒頭には、長大なサクソフォンのソロが聴かれる。

このサクソフォンは、「ミシェル・ヌオー氏のソロである」という認識が一般的であったが、実際は、フェルナン・ロンム、ミシェル・ヌオー、アンドレ・ブーン、ジョルジュ・ポルト(2022/9/17訂正)の3本のサクソフォンのユニゾンである、というのが、演奏者自身のコメントだ。

これは、一般的な復刻やシステムで、さらに「ヌオーのソロだ」という先入観ありきで聴くとなかなか判らないのだが、先入観を捨てると「ソロではないのでは?」という疑いが出てきて、さらにきちんとしたシステムで聴くと3本の分離が判る(木下直人さんのご自宅のシステムで実際に耳にしたことがあるのだが、たしかにそのように聴こえた)。

過去の常識の過ちをきちんと正す必要はあると考えており、かつてこのブログでも触れた内容ではあるが、再掲した次第。掲載した写真は、国内盤LPのジャケット(Angel=東芝)。

2022/09/11

ラムルー管弦楽団とデファイエによる「アルルの女」

ジャン・フルネ指揮ラムルー管弦楽団との共演による、イベール「コンチェルティーノ・ダ・カメラ」の録音は有名だが、明らかにデファイエ氏と思われる「アルルの女」演奏(ノン・クレジット)が、ラムルー管弦楽団の録音に残されている。

・イゴール・マルケヴィッチ指揮コンセール・ラムルー管
・アンタル・ドラティ指揮コンセール・ラムルー管

いずれも、素晴らしい音とフレージングで魅せる。ドラティ指揮の演奏は、妙に速いのだが、その中にあっても(やりづらさはありそうだが)見事な処理を聴くことができる。オーケストラの中における独特なソノリテは、一聴しただけでデファイエ氏と分かるものばかり。当代随一のサクソフォン奏者、音楽家であったことを示すものだ。

ジャン・フルネ指揮コンセール・ラムルー管の「アルルの女」にも同様にデファイエ氏が参加しているのではないかと言われることがあるが、不慣れさ、たどたどしさも聴こえ、ちょっと違うような。

下記写真は、ドラティ盤のジャケットだが…ステレオなのか。私はモノバージョンしか聴いたことが無い。


2022/09/07

ダニエル・デファイエ氏の録音リスト作成開始

ダニエル・デファイエ氏、デファイエ四重奏団の所持録音リストを作成開始した。木下直人さんを始め、これまで、様々な方に提供いただいた録音を体系的に整理することで、現代に存在する氏の録音を一覧できる資料とする。リストは公開し、追加時にはブログ上でお知らせする。

https://docs.google.com/spreadsheets/d/1c98A6VaRUuYaFOOw8MycHDwJ9aFtiwYdx_pq32VGxOI/edit?usp=sharing

今回追加したのは、以下。まずはリストを作成を急ぎ、とりあえず何も考えずにまずはフォーマット種を広くカバーしながら4つほど追加した。一部、中身をきちんと書けていないが、確認後に記載する。

サクソフォーンの芸術(東芝EMI)
Le saxophone(Fidelio)
NHK-FMリサイタル 1982年
昭和音楽大学リサイタル 1992年

デファイエ氏の録音リスト作成が完了したのち、次は、マルセル・ミュール氏の録音リストも作成する予定。

下記は、「サクソフォーンの芸術」のジャケット写真。

2022/09/04

ブランフォード・マルサリスのイベールのカデンツァ

ジャズ・サクソフォン奏者であるブランフォード・マルサリス氏の、クラシック方面での多岐にわたる活動は有名だが、最も知られているのはソニーミュージックから出版されているアルバム「クリエイション」だろう。ミヨー「スカラムーシュ」「世界の創造」、イベール「コンチェルティーノ・ダ・カメラ」他、クラシック界の有名作品を、オルフェウス室内管弦楽団とともにたっぷりと収録している。

このアルバムの中のハイライトは、イベールの「コンチェルティーノ」のカデンツァだろう。初めて聴いた時は驚いたもので、オリジナルの原型を留めずに自由な無伴奏アドリブを長時間にわたって展開している。

カデンツァの分析を、James Matthew氏が「Extemporizing Reawakened...」というタイトルの論文にまとめており、付録として同カデンツァを採譜した楽譜を掲載している。


2022/09/03

銀座のポラン氏とテリー氏

デファイエ四重奏団アルト奏者のアンリ=ルネ・ポラン氏と、テナー奏者のジャック・テリー氏の親交は深かった。カーン音楽院において、キャリア初期には、フェルナン・ブラシェ氏(1886年生まれのクラリネット奏者。ジャック・ランスロの師匠としても知られる)にクラリネットを習い、さらにポラン氏が手首の故障でクラリネットを続けられなくなった時、サクソフォンへの転向を進めたのもテリー氏であった(その時すでにテリー氏はサクソフォンをメインで吹いていた)。さらに、なんと、ポラン氏の妻は、ポラン氏がテリー氏の結婚式に出席した際に知り合った、テリー氏の妻の従姉妹である。

ポラン氏自身、互いに良い友人であった、と言っている。両名とも、デファイエ四重奏団のみならず、ギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団に所属しており、ポラン氏はバリトンを、テリー氏はテナーを吹いている。

そのポラン氏とテリー氏が、1961年のギャルド来日の際、銀座で撮ったと思われる写真(ポラン氏の生前のプライベートコレクションより)。場所の詳細な特定はできないのだが、第二堤ビルという名前が見えており、それが正しければ現在の新橋駅西口SL広場のあたりではないだろうか。演奏姿とは違う、リラックスした雰囲気が伝わる、とても良い写真だ。