ルイ・アンドリーセンは、1939年生まれのオランダの作曲家。60年代にルチアーノ・ベリオに師事、ヨーロッパのモダニズムに触れたのち、70年代にはアメリカのミニマリズムに傾倒した。1973年から母校のオランダ・ハーグ王立音楽院で作曲を教えている。サクソフォンを多用した作品を多く書いており、四重奏の「Facing Death」や、「Hoketus」などが有名。
最近知った作品で、「De Stijl」という、5本のサクソフォンを含む作品が非常に面白い。ダンス・ミュージック風のリズムの動き、そして女声合唱との対比された響きが鮮烈である。
ロサンゼルス・フィルハーモニックのサイトにあった曲目解説を訳したもの(一部機械翻訳使用)を置いておく。若干高尚な文書で読みづらいが、「De Stijl(デ・ステイル)」についての前提知識:1917年にオランダで生まれた芸術運動のことで、絵画、建築、デザインなど多岐にわたる分野で展開され、シンプルな幾何学的構成と抽象的なデザインを追求したもの…という内容を知っておくと、比較的読み解けると思う。
https://www.laphil.com/musicdb/pieces/1515/de-stijl
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「デ・ステイル」は、4部構成の音楽劇「デ・マテリア」の第3部として1985年に作曲された。(全作品は1989年にロバート・ウィルソンの演出でアムステルダムで初演された。USCソーントン・コンテンポラリー・ミュージック・アンサンブルは、2001年にグリーン・アンブレラのプログラムで「デ・ステイル」を西海岸で初演している)。新形態主義としても知られる「デ・ステイル」(様式)は、第一次世界大戦と第二次世界大戦の間に花開いたオランダの芸術運動であり、この運動に特化した雑誌のタイトルでもある。原色や白黒のモノクローム、直線や長方形の平面や領域、対称性の回避、比率や位置の関係によって強調されるバランスとリズムなどが「様式」の重要な要素であった。アンドリーセンは1985年7月に次のようなメモを書いている:
「デ・ステイル」は、1927年のピエト・モンドリアンの「赤、黄、青によるコンポジション」の音楽的イメージであるが、そのもっぱらコンセプチュアルなものである。4人のソプラノとトランペット、5人のサクソフォン、トロンボーンとギター、ピアノ・ソロ、そして低音楽器。低音楽器は24小節のディスコ風の主題を演奏するが、これは構造的にモンドリアンがこよなく愛したブギウギに関連している。ピアノ・ソロはモンドリアン自身が弾き、ダンサーがエスコートする。何しろモンドリアンは70歳になってもダンスのレッスンを受けていたのだ。彼は直立し、頭を斜め上に向けて「様式化された」ステップを踏む。作品の中には、モンドリアンの時代だけでなく、ダンス音楽への言及が多く見られる。スタイルはカールズラグの音楽家に合わせたものだが、作曲の「軽い」方法に陥ろうとはしていない。モンドリアンはアメリカのジャズバンドの先進性を認めていたが(彼はこれをフランス語の「シャスバンド」で表現していた)、ネリー・ファン・デスブルグに宛てたネオ・プラスティシズムについての手紙(1921年7月17日)でも、「ダンス音楽はまだシリアスな音楽としてカウントされることはないと思う」と書いている。この作品で歌われているのは、シェーンメールの『視覚数学の原理』(Beginselen der Beeldende Wiskunde)の断片である。一次性の絶対性についてのこの章は、モンドリアンの抽象絵画への展開に決定的な影響を与えたと私は考えている。いずれにせよ、シェーンメールの考え方と文章は、モンドリアンの『デ・ステイル』誌への寄稿に直接影響を与えた。