2022/05/29

Georges Goudet演奏のヴェローヌ「ラプソディ」

 再びPastdailyより、Georges Goudet氏演奏のヴェローヌ「ラプソディ」の演奏をご紹介。

https://pastdaily.com/2022/01/23/music-of-pierre-vellones-george-gourdet-marie-claire-jamet-france-clidat-past-daily-weekend-gramophone/

マルセル・ミュール氏のSP録音でおなじみの本作品。極めて私的な話ではあるが、ミュール氏の演奏をはじめて聴いて涙を流して感動したのがまさにそのSP録音であったため、思い入れが強すぎて、他の奏者による演奏についてはまともにコメントすることができない。

だから、というわけでも無いのだが、往年のフランス・サクソフォンの演奏による趣味の良さ、といったものをGourdet氏の演奏からはあまり感じることができず、少々期待外れというか、残念ではあった。タンギングの連続する箇所を、テクニカルな部分をクリアした上で、流暢に、自然に聴かせることがいかに難しいか、という、ミュール氏の偉大さを再認識することとなった。

ピエール・ヴェローヌ近影。

2022/05/28

オシレーション・サーキット(須川氏参加)

東芝EMI他から何枚もリリースされていた須川展也氏本人の名義のアルバムの他、探してみると須川氏の参加アルバムがいろいろと見つかる。特に、1980年代~1990年代前半にかけて、そういった「知られざる」参加作品が多い印象で、当時東京藝術大学在学~卒業後にかけて、様々なシーンで登用されていた須川氏の活躍ぶりが垣間見えるようだ。

今回見つけたのは、盟友(?)磯田健一郎氏が絡んだアルバムで、「セリ・リフレクション1 オシレーション・サーキット(サウンドプロセスデザイン)」という1984年に出版されたもの。ジャンルとしては、アンビエントにいちばん近いかもしれない。夢と現を行き来するような、実体がどこにあるかを掴みかねるような雰囲気が漂う。

須川氏は「ノクチュルヌ」「サークリング・エア」に参加している。「ノクチュルヌ」は1979年の献呈作品だそうだ。「サークリング・エア」では、バリトンで参加している、というのも面白いポイント。下記の音源はLP盤起こしのようだが、LPのプチノイズが妙に曲想にマッチして、意図せず作品の一部となっているかのようにも聴こえる。

2022/05/25

Georges Gourdet演奏のパスカル「ソナチネ」

サクソフォン奏者のジョルジュ・グールド Gerorges Gourdet氏は、マルセル・ミュール四重奏団のメンバ(テナー→アルト)として知られ、また、ベルノー「四重奏曲」やシャルパンティエ「ガヴァンボディ2」の献呈先として名前を見たことがある方も多いだろう。

いくつも放送用録音が残されていることに、少々不思議な感覚を持っていたのだが、当代におけるトップクラスのサクソフォンの独奏者の一人として、ヨーロッパ、アフリカ、アジアにおいて、累計600回以上の演奏を行った(Harry R. Gee著 Saxophone Soloists and Their Musicより)というから、それにも納得させられるとともに、その活躍ぶりはちょっとした驚きでもあった。音楽史等々にも詳しく、ミュール四重奏団に参加した後は、コンサート時の語り部として四重奏団の認知・人気向上に貢献したという。

Pastdailyに、グールド氏が演奏するクロード・パスカル「ソナチネ」の演奏(放送用録音)が紹介されている。往年のスタイルで、まさにミュール氏の演奏を思い起こさせる。

https://pastdaily.com/2020/07/05/france-clidat-and-georges-gourdet-play-music-of-claude-pascal-1958-past-daily-weekend-gramophone/

2022/05/22

ミヨー「Etude poétique, Op.333(またはLa Rivière Endormie)」

ダリウス・ミヨー「Etude poétique, Op.333(もしくは、La Rivière Endormie)」は、ミヨー唯一のミュージック・コンクレート作品。メゾ・ソプラノ、室内オーケストラのために書かれたが、オーケストラの中にサクソフォンが2本含まれている。ジャンルや響きは、なんとも不思議というか、聴いたことの無いような空気感だ。いろいろ調べてみたのだが、作品の成立等に関する情報がほとんど見つけられない。そもそも、タイトルが2つある理由も良く分からない。

下記は、知る限り唯一の録音。「Darius Milhaud voud parle...(Festival FLD 76A。)」というタイトルで、これは「Leur oeuvre et leur voix」というサブタイトル付きの、ミヨーの作品解説集である(解説アナウンスと作品が交互に登場する)。サブスクリプションサービスを使っている方は、"milhaud etude poetique"等のキーワードで調べると、復刻盤を聴くことができると思う。YouTubeにも「La Rivière Endormie」のタイトルで録音がアップされており、同じものだが、再生速度が違う。正しいのがどちらなのかは分からない。

作品解説のトラックを文字起こしして、翻訳にかけてみたが、どうも精度はイマイチな上にあまり面白い情報は得られなかった。ただサクソフォンが録音プロセス上、特殊な扱われ方をしていたことは読み取れる。

私はまずいくつかのカデンツァ、つまり様々な楽器によって演奏される一連のメロディックなフレーズを録音しました。(中略)クロード・ロイの歌詞によるメゾソプラノと、2本のサクソフォンのためのメロディを録音したのですが、最終的にサクソフォンだけで録りました。メロディ、サクソフォンだけ、歌詞などを録音し、それらを総合してモンタージュを作りました。

Irma Kolassiという人物が声楽(メゾ・ソプラノ)としてクレジットされているが、他の奏者は分からない。サクソフォンを吹いている2人は誰だろう(もしくは、多重録音なのだろうか?)。別のトラックに、「世界の想像」も含まれており、そこでももちろんサクソフォンが登場するのだが、奏者は共通だろうか。マルセル・ミュール氏だと言い切るのはやや自身が無い。

ろくなコメントができず不本意だが、ぜひ興味を持った方はもっと調べてみていただきたい。

2022/05/21

デファイエ演奏のドビュッシー「ラプソディ」放送用録音

ダニエル・デファイエ氏が参加した、ドビュッシー「ラプソディ」。マリウス・コンスタン指揮フランス国立放送フィルの有名なErato盤ではなく、ウジェーヌ・ビゴ(1935–1950年にラムルー管を、1949–1965年にはORTFの音楽監督を務めた)が指揮したフランス国立放送フィルの放送用録音。1952年頃の録音とのこと。以前も紹介したが、改めて。

https://pastdaily.com/2014/09/14/daniel-deffayet-with-eugene-bigot-and-the-ortf-symphony-play-music-of-debussy-1962-past-daily-weekend-gramophone/

少しサクソフォンがオンマイク気味に聴こえるが、解釈等の面でこちらも説得力ある演奏。Erato盤の録音は、デファイエ氏の録音の中でもピカイチなものであり、そのフレージングなどある種の到達点を見ることができるが、こちらはこちらでインパクトがある。Erato盤とともに、多くの方に聴かれてほしい録音だ。

この写真は、指揮者ビゴの近影。



2022/05/19

ミヨー「Caramel Mou」

 ダリウス・ミヨーがサクソフォンを取り上げた作品といえば「スカラムーシュ」「世界の創造」だが、その他にもいくつか存在する。

最近知ったのが、「Caramel Mou(ソフト・キャラメル)」という、ピアノソロ、もしくは室内楽のための作品。室内楽編成が、ヴォーカル、トランペット、トロンボーン、クラリネット、パーカッションという編成なのだが、ヴォーカルのオプションとして、Bbサクソフォンが指定されているのだ。"Shimmy"と呼ばれる1920年代に流行したジャズダンスの音楽で、なんともキャッチーで耳当たりが良い。底抜けな楽しさ、愉悦感を得られる音楽だ。そもそも、編成もディキシーだし…。

残念ながら、サクソフォンが入っている録音を見つけられなかったが、こういった作品にサクソフォンが(オプションとはいえ)指定されていることが、ちょっと嬉しくもある。

こちらの動画では、ミヨー自身がコメントしたあとに、バンド演奏(ヴォーカル入り)が始まる。

2022/05/15

デファイエ氏の45回転盤の話

ダニエル・デファイエ氏が録音に参加したウーブラドゥ・コレクションのベースとなる、45回転レコード「Pathé 45 G 1052」の話。サクソフォンとピアノのための小品集(共演はFrancoise Gobet)。

この盤、そもそもデファイエ氏が参加していることを分かりづらくしている要素がある。下図はラベルの写真の抜粋だが、演奏者名が"Deffayet"ではなく、"Defayet"となっていることにお気付きだろうか。そもそも激烈にレアな盤ではあるが、この間違いのおかげで、より発見しづらくなってしまっているのだ。

 

収録曲は、以下。全て合わせても10分程度。のちに、「Collection Fernand Oubradous: Les contemporains écrivent pour les instruments à vent」でランパル、アラール、クルシェ、デルモット、ランスロ、ピエルロ(錚々たる面々だ)の演奏とともにまとめてリリースされるた。その際には「Hommage a A.Roussel」が省かれている。

Rene Vuataz - Incantation
Ivan K.Semeno - Giz-Fizz
Yves Lagaziniere - Ronde
Charles Cushing - Hommage a A.Roussel
René Herbin - Danse

2022/05/14

ミュール四重奏団のリュエフ

 これは初出録音ではなく、以前紹介したことのあるものだが、前記事のシュミット「四重奏曲」に乗じて再掲しておく。

https://pastdaily.com/2013/05/20/the-marcel-mule-saxophone-quartet-play-music-of-jeanine-rueff-1958-past-daily-weekend-gramophone/

マルセル・ミュール四重奏団が演奏する、ジャニーヌ・リュエフ「四重奏のためのコンセール」は、私が知る限り、この録音のみだ。それ以前に、商用盤としては、決定盤とされるダニエル・デファイエ四重奏団の録音(CBS Sony)以降、その後あまり現代の団体が興味を示さなかったため、録音が極めて少ない、という事情があるが、まさか献呈先団体の録音があるとは知らなかった。僥倖とはこのことである。

1958年頃の録音ということであるから、その情報が正しければ、Marcel Mule, André Bauchy, George Charron, Marcel Josseというメンバー編成のはず。

演奏の見事さは想像どおりだ。初演団体にして、ほぼ完成された解釈を提示する手腕、言い方を変えると、後続の演奏者は皆、ミュール四重奏団の影響を強く受けていると言える。おなじみのデファイエ四重奏団の演奏すらも!最終曲(ロンド)など、華やかで、天才的な閃き・輝きを随所から感じ取ることができる。

そんな中でも、おやっ?と耳を引くポイントがある。第4曲「パスピエ」のメロディパートのアーティキュレーションが、スラーなのだ。スタッカートで記譜されている出版譜(下記)と、なにか違う楽譜で演奏されているのだろうか。経緯が気になるところだ。

2022/05/11

ミュール四重奏団のシュミット初出録音

おなじみPastdailyに、聴いたことのない録音が上がっていたのでご紹介。マルセル・ミュール四重奏団演奏のフローラン・シュミット「四重奏曲作品102」というと、Decca LX 3135等に収録された録音のことを指す。メンバーは、Marcel Mule, André Bauchy, Georges Gourdet, Marcel Josseという布陣。

それとは異なるもので、1951年頃の放送用スタジオ録音とのことだ(中身を聴いて、Deccaと別録音であることは判定済)。仮に1951年のものとすると、この年、ミュール四重奏団は、Marcel Mule, André Bauchy, George Charron, Marcel Josseというメンバー構成から、上記メンバー構成への変更ご発生した。そのため、どちらによる録音かは分からない。…が、貴重であることは間違いなく、ぜひ聴いてみていただきたい。

https://pastdaily.com/2021/11/21/marcel-mule-saxophone-quartet-play-music-of-florent-schmitt/

Gordon Skaneという人物のコレクションなのだそうだが、こういった放送用に収録されたサクソフォンの貴重な演奏は、商用録音として出回っているもの以外に大量にあるはずで、まだまだいろいろなものが出てくるのでは…と期待してしまう。

マルセル・ミュール氏、ダニエル・デファイエ氏については、体系的に整理する必要性を感じている。木下直人さん他、A様、F様ほか、皆様に頂戴したもの、インターネット上で発見したものなど、録音物/映像を体系的にまとめていく予定。なんとか時間を捻出し、2022年中にいったん整理できればと思っている。

2022/05/08

サクソフォンを含む管弦楽作品:イベール「遍歴の騎士」の名盤

作品内容の素晴らしさと、指揮者xオーケストラの極めてハイ・テンションな仕事ぶり、マルセル・ミュール氏の演奏の円熟度(ただし、後述するが、技術的には1930年代の録音とくらべて全く衰えていない)が、素晴らしい出会いを果たした奇跡的な録音…とは言いすぎだろうか。

ジョルジュ・ツィピーヌ指揮フランス放送国立管弦楽団/合唱団による1955年のモノラル録音。ジャック・イベール作曲の、ドン・キホーテの物語に付加された、スペイン情緒溢れる作品。物語風のバレエ音楽で、合唱も含まれている。中間楽章は「黄金時代」として単独でも演奏される。1933年にイベールが音楽を担当した映画「ドン・キホーテ(J.W.Pabst監督作品)」に登場した音楽との情報もあるが、別物のようにも思える。スパニッシュ・ギターの響き、特徴的なラテン・リズムなど、古い作品であることを感じさせない、とにかく"かっこいい"作品だ。

サクソフォンのフィーチャーっぷりは相当なもので、セクションワークあり、無伴奏カデンツァあり、どういった経緯からサクソフォンがここまで使われるに至ったかは不明。しかし、「コンチェルティーノ・ダ・カメラ」でサクソフォンの用法を知り尽くしたイベールが、その知識を余すところなく発揮し、ミュール氏も最大限にそのスコアに応えている。

1901年生まれのミュール氏、キャリア「後期」、55~54才頃の録音とはいえ、テクニック的な衰えは微塵も感じられず、それどころか1930年代の録音と比べても、ますます冴えわたるばかり。実際、1958年にはシャルル・ミュンシュ指揮ボストン交響楽団とともにアメリカツアーを敢行、イベール「コンチェルティーノ・ダ・カメラ」とトマジ「バラード」を披露し絶賛を浴びているのだから、その演奏レベルは当然といえば当然だろう。ツィピーヌ指揮の国立放送管も然り。驚くほどオン・マイクな思想で録音されているが、キレの良いリズムが命の作品であるから、とても良くマッチしている。

いろいろ書いたが、とにかく、”かっこいい"作品x演奏の上で、サクソフォンがヒロイックに、自在に駆け巡る、夢のような時間を過ごすことができること請け合い。ぜひ聴いてみていただきたい。

2022/05/06

ピエール・ヴェローヌのドキュメンタリー

1993年制作、François Demerliac監督による、作曲家ピエール・ヴェローヌのドキュメンタリー。


サクソフォン作品を多数残したこともあって、24分あたりからはサクソフォン作品の演奏で、Jacques Desloges氏とそのカルテットメンバーが登場。「プレリュードとロンド」を演奏している。

その他、冒頭からサクソフォン、チェレスタ、ハープの「ラプソディ」が流れ、さらに四重奏の「野獣園」「アンダルシアの騎士」などもBGMとして使われている。演奏者のクレジットは、演奏動画のQuatuor Desloges以外は不明だが、やはりDesloges氏の演奏なのだろうか。

テナーはステファヌ・ラポルテ Stephane Laporte氏で、フルモー四重奏団のテナー奏者としてもおなじみだ。30年前なのか…若い。

2022/05/05

「友情に」の録音

どんな録音を聴いても、「レコーディング」「ミキシング」「マスタリング」という各観点に様々な様相が聴こえてきて面白い。今更、私などが語るほどのものでも無いが、残響の有無、マイクとの距離感、各楽器のバランス、など、同じ編成を聴き比べてみても、全く違う。種々の様相は、考え方のヴァリエーションであり、よほど事故が起こっていない限りは、最終的に、その録音を統括するプロデューサー、エンジニア、また、アーティスト本人の思考が反映されたものが生まれる。そのため、演奏そのものと同じか、時に演奏そのものの存在感を超えて、その「録音」としての存在感を決定づける要素となる。

急にこんなことを考えたのは、必要があって、無伴奏サクソフォンのためのカールハインツ・シュトックハウゼン「友情に」の種々の録音を立て続けに聴いたからだ。そもそもは、アーティスト毎の「演奏の聴き比べ」、そしてこの作品独特の、サクソフォン版が「アルトサクソフォンで演奏されているか?ソプラノサクソフォンで演奏されているか?の確認」をしようと思ったのだが、聴き進めていくにつれて「録音」が気になってしまったのだ。

作品そのものが3層のポリフォニックな書き方をされているため、残響を多く捉えた録音が決定盤的に聴こえるのかなと思いきや、そうとも限らず、デッドで、音の輪郭をくっきり残したもののほうが、フォルメルの変化を追いやすいようにも感じる。

ちなみに、シュトックハウゼン氏自身が監修したCD「Stockhausen Nr.78 Saxophone(Stockhausen-Verlag 78)」の録音は、ほぼ残響を捉えていない。演奏はジュリアン・プティ氏。技術的・音楽的に十分すぎるほどにクリアされた上で、この佇まいは、ちょっと言葉にしがたい妙な説得力を持つ。聴き比べていたつもりが、ついついこの録音ばかりを聴いている。

2022/05/01

ミュール氏のアメリカツアー評@TIME紙

以前も少し取り上げたが、マルセル・ミュール氏がシャルル・ミュンシュ指揮ボストン交響楽団とともにアメリカツアーに参加したときの、TIME紙の評の翻訳(個人用メモで、間違いを含む可能性あり)。

https://content.time.com/time/subscriber/article/0,33009,868264,00.html

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1958年2月10日の記事

ベルギーの楽器発明家アドルフ・サックスは、1846年、円錐形の真鍮管にリードを取り付け、特許を取得し、軍楽隊に新しい楽器を提供した。やがて彼のサクソフォンは大西洋を渡り、ジャズの主役となった。しかし、サクソフォンには常に厳格なクラシック・プレイヤーたちがいる。先週、その中でも最も優秀で影響力のある一人、フランスのマルセル・ミュールがボストン交響楽団とアメリカ・デビューを果たし、本格的なアルトサクソフォンがいかに優れた音を出せるかを説得力を持って証明した。

ミュール氏がアメリカ・デビューに選んだ曲は、フランスの現代作曲家、ジャック・イベールの「コンチェルティーノ・ダ・カメラ」とアンリ・トマジの「バラード」であった。澄んだヴィブラートで歌うことも、細かく刻むスタッカートも、息苦しさを感じさせない力強くしっかりとしたふくらみも、どれも素晴らしく、開放的で均整のとれたサウンドに聴き入った。ミュールのキビキビした指の動きによって、サクソフォンの音色は時に弦楽器のような光沢を帯び、フルートの澄んだ抑揚、ファゴットの暖かい質感をも併せ持っているように思えた。ポップス系サクソフォン奏者のワウワウ、ウォブル、擦れた音、賑やかな音はなくなった。

ジャズマンたちは、クラシック・サクソフォン奏者を軽蔑するが、ミュールのことは認めている。デイヴ・ブルーベック・カルテットのアルトサクソフォンの名手ポール・デスモンドは、「彼には純度の高いクオリティがある。彼はサクソフォンを良い音にした、これは他の正統派サックス奏者にはできないことだ」と語る。1923年、元教師のミュールは、フランスで最も優れた軍楽隊であるギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団に所属していた。彼は、リヒャルト・シュトラウスの「家庭交響曲」やビゼーの「アルルの女」など、当時存在した、サクソフォンが含まれている数少ないオーケストラ作品の演奏も研究した。ジャズと短い付き合いをした後、ミュールは本格的なサクソフォン・バンド、すなわち、サクソフォン四重奏団を結成した。

その後、イベール、オネゲル、ダリウス・ミヨーなど数人の作曲家がサクソフォンのために作曲したが、56歳のサクソフォン奏者ミュールは、いまだに、まるで音楽のない国の人間のような気がしている。ロックンロールの演奏家が、サックスにチューインガムを入れて、その音色を鈍らせるといった悪習を耳にすると、胸が痛む。パリ音楽院でサクソフォンの教授をしていても、学生のほとんどはジャズや軍楽隊の道に進んでしまうのだと、とミュールは悲しげに言った。「私には、ひとつの使命があります。人々に、本物のサクソフォンとはどういうものなのかを知ってほしいのです。今こそ、本来の姿を失ったサクソフォンの中に、かつてこの楽器が持っていた高潔さが見出されるべきなのです。」

デザンクロ「レクイエム」のフォワソンによる盗用スキャンダル

2001年のアメリカのとある演奏会で、トリスタン・フォワソンという作曲家が、デザンクロ「レクイエム」を自作だとして盗用、"フォワソンの「レクイエム」アメリカ初演"として演奏されてしまった。この一連のスキャンダルにまつわるワシントン・ポストの記事の翻訳(翻訳はあくまで個人用メモなので、間違いを含む可能性あり…)。

https://www.washingtonpost.com/archive/lifestyle/2001/06/07/a-composers-too-familiar-refrain/bf1c5bbd-b261-42d8-9649-795f6e093c9d/

フレッド・ビンクホルダー:アメリカ初演とされていた"フォワソンの「レクイエム」"を演奏したキャピトル・ヒル合唱団のディレクター

トリスタン・フォワソン:デザンクロの「レクイエム」を盗用した作曲家

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この2週間半の間、ビンクホルダーはフォワソンの話を信じたいと思った。しかし、ビンクホルダーはフォワソンが引き起こした"混乱"の渦中にいる。キャピトル・ヒル合唱団とビンクホルダーには、潜在的に法的な影響があるのだ。一流、かつ、難解な新作合唱曲の、アメリカ初演という偉業だと思われたもの、別の視点で見なければならなくなった。

この公演の評価については、いちど、全て削除しなければならない。また、デザンクロの曲を演奏したのなら、デザンクロの出版社であるデュラン社に演奏料を払わなければならない可能性もある。フォワソンはキャピトル・ヒル合唱団に「自分の曲」を演奏する権利を無償で与えてくれたが、デュランはそう気前よくはしてくれないだろう。

ビンクホルダーは、「コンサートの幸福感に浸っている間に、このような問題に直面することになってしまった」と言う。

また、個人的な問題もあった。ビンクホルダーは、委嘱した"フォワソンの「レクイエム」"の優れた音楽性に気付き、元同僚に称賛を送った。二人はロバート・ショーが大好きで、この曲が1999年に亡くなったアメリカの合唱界の偉大なチャンピオンに捧げられていることにも、ビンクホルダーは感動していた。

そして、このキャピトル・ヒル合唱団は、弁護士や政府関係者などをメンバーに持つ、結成8年目の成長株で、フランス生まれの40代前半の作曲家に、精一杯のもてなしをしたのだ。ディナーパーティーやレセプションが開かれ、フォワソンは合唱団の会長の家に泊めてもらった。演奏が終わると、団員たちはフォワソンにサインをもらうために列を作った。

T.S.エリオットは、伝統の借用について 「未熟な詩人は模倣し、成熟した詩人は盗む」と書いている。音楽の歴史において、この2つの境界線はあいまいであった。西洋音楽は、盗用から始まったと言えるかもしれない。グレゴリオ聖歌に発展した教会聖歌の旋律は、ルネサンス期以降の西洋典礼音楽の基礎となり、よく知られた聖歌の旋律は、作曲家が独自のアイデアを加えるためのベースとして、新しい楽曲に直接組み込まれた。

バロック時代と古典派時代には、特に借用が盛んに行われた。ヘンデルの「オラトリオ」には、他の作曲家のアイデアの借用や転用が多く、その作者像を明らかにするためには、フローチャートが必要なほどである。実際、ヘンデル自身、盗作で非難されたこともある。

しかし、驚異的な速さで音楽が生み出され、作曲家たちが実用主義に走っていた時代には、他人の音楽を自分の音楽に取り入れることは、特に倫理的に問題とはされていなかったのである。音楽は、ある意味で文学よりもジャーナリズムに近いものであった。音楽は迅速に、しばしば緊急な必要性に応じて制作され、深遠な新しい声明を出すことよりも職人技が重要視されていたのである。

19世紀に"天才"という概念が生まれ、芸術の指標として個性やオリジナリティが重要視されるようになると、借用がより問題になるようになった。

現代のクラシック音楽の世界では、借用と盗用の倫理はまだ進化を続けている。フィリップ・グラスは、デヴィッド・ボウイやブライアン・イーノの音楽素材をもとに交響曲を作曲したが、彼はその事実を隠さない。20世紀後半には、過去の音楽的アイデア、時には他人の音楽全体を借用することが、それ自体新しい作曲の形態として賞賛された。

フォワソンの明らかな盗作は、借用、翻案、引用、転写の伝統とは一線を画している。しかし、この盗用事件は、音楽の盗作を発見することがなぜ難しいかを説明するのに役立つ。

要するに、30年前、100年前、あるいは1000年前に書かれたように聞こえる「新しい」音楽は、特に批判的警鐘が鳴らない。現代の作曲家の中には、コンピュータを使って音楽を作っている人もいれば、グレゴリオ聖歌を再利用している人もいる。過去の作品は、もはや古くは聞こえないのだ。

デザンクロのレクイエムは、デュリュフレの音楽を彷彿とさせ、さらにカミーユ・サン=サーンスやフランソワ・プーランクの音楽をも想起させる。だからフォワソンがこの作品を自分のものとして発表したとき、30年以上も前の作品と酷似していることは、盗用の隠蔽、という意味において、特に不利には働かないだろう。実際、デザンクロの「レクイエム」と同じプログラムには、現代イギリスの作曲家ジョン・タヴナーの合唱曲があったが、彼の音楽スタイルは、しばしば東方正教会の聖楽の伝統とほとんど見分けがつかない。

ジャーナリズムや文学の盗作と違って、音楽の盗作はコンピュータ検索で簡単に発見することができない。歴史学の教授が、他の学生やウェブからコピーされた論文を見つけ出そうとする場合、コンピュータ検索に文字列を入力するだけで、疑わしい類似点がヒットする。作曲家の間では、コンピュータの楽譜作成プログラムは広く普及しているが、音楽のデータベースはほとんどない。

音楽界は、アーティストの経歴に書かれた評判と血統に感銘を受けた際には、疑う文化はほとんどない。子供向けオペラの制作のために書かれた、フォワソンの、ウェブ上の経歴には、彼が「ボストン・オーケストラ」のソリストであったと書かれているが、「ボストン・シンフォニー・オーケストラ」に出演した記録はなく、アメリカの音楽団体を紹介するガイドブックには「ボストン・オーケストラ」は載っていない。

「レクイエム」のコンサートの前に行われたワシントン・ポストとの会話で、フォワソンはロバート・ショーに指揮を学ぶためにアメリカにに来たと語った。彼のインターネット上の経歴には、「アトランタにおいて、ロバート・ショーの下でレジデント・インターンをしていた」とある。しかし、ショーのオーケストラであるアトランタ交響楽団と仕事をしたという記録はない。そして、その主張はアトランタ交響楽団ではなくショーのみに言及し、慎重に解析されているが、ショーの側近は、フォワソンがショーに会い、いくつかのリハーサルに参加したことはあったが、彼らはほとんどお互いを知らなかったと語っている。そして、彼は確かにショーに"師事"してはいなかった。

そして、フォワソンが受賞したと言っているローマ大賞がある。ローマ大賞と呼ばれる賞はいくつかあるが、フランスの作曲家にとってローマ大賞といえば、ドビュッシー(1884年)が獲得した伝説的な賞をすぐに思い浮かべるだろう。そのローマ大賞は、音楽史上最も優れた作曲賞のひとつで、1世紀半以上にわたって、フランス芸術アカデミーが、国内で最も学問的才能のある作曲家に授与していたものである。ギュスターヴ・シャルパンティエ、リリ・ブーランジェ、マルセル・デュプレ、ポール・パレーも受賞している。1942年には、アルフレッド・デザンクロも受賞している。

しかし、1968年の学生暴動以来、フランス芸術アカデミーはローマ大賞を授与しておらず、1968年といえば、フォワソンがせいぜい10歳くらいの時である。もし、ローマ大賞を受賞していたとしても、それはこの賞ではない。電話インタビューでは、フォワソンはローマ大賞受賞に関する書類を持っていると言ったが、彼はそれを提出することはなかった。

キャピトル・ヒル長老派教会で「彼のレクイエム」が演奏される数日前の驚くべき主張として、フォワソン、ビンクホルダー、キャピトル・ヒル合唱団の会長ロバート・マンテルは、ディナーパーティーに出席していた。出席者がフォワソンに音楽的な背景を尋ねると、フォワソンは博識であった。彼の母親は、20世紀後半に活躍したフランスの天才音楽家、オリヴィエ・メシアンの側近だったという。メシアンは父親のような存在で、メシアンの妻イヴォンヌ・ロリオにピアノを習ったという。この血統は、アメリカで言えば、レナード・バーンスタイン、アーロン・コープランド、チャールズ・アイブスに師事したようなものであろう。

フォワソンはまた、メシアンの最も難しいピアノ作品をいくつか弾いたことがあり、2台のオンド・マルトノを所有していると言っている。これは驚くべき主張であった。

オンド・マルトノは、前世紀のフランス音楽史を語る上で欠かせない希少な楽器である。電子的に音を合成し、人間の歌声と見分けがつかないような幅広い音色を奏でる。

ニューグローヴ音楽辞典によると、この楽器をマスターした人は世界で70人程度と推定されており、そう多くは存在しない。フランス人音楽家としてのアイデンティティを確立するためには、1本、いや2本所有することが大きな投資となる。

実際、フォワソンは少なくとも1台のオンド・マルトノを所有しており、ビンクホルダーはフォワソンの別の作品(そちらは本当にフォワソン自身の作品らしい)であるカンタータの演奏の中で、その演奏を聴いたことがある。また、アトランタの他の仲間は、彼がピアノでメシアンの一部を演奏しているのを聞いている。デザンクロの音楽を自分のものとして流用することはあっても、彼は何十年もかけて習得した技術を持つ実践的な音楽家であることに変わりはない。彼は音楽教育学にも熱心で、子供たちとの活動も盛んである。

盗作は窃盗の一種であり、盗作をする技術を持った人が行うのが一般的だ。フォワソンはビンクホルダーに自分の作品を自由に提供し、新しい作品を作るための時間的な制約もなかった。このほかの、フォワソンの作曲した曲は、本物だと信じられており、全米で演奏されている。フォワソンがデザンクロのレクイエムにもたらした小さな悪評は、ほとんど忘れ去られた作品に、ふさわしき第二の人生を歩ませることになるかもしれない。しかし、フォワソンの人生にどのような影響を与えるかは不明である。

フィリップ・ケニコット, ワシントン・ポスト, June 7.2001