2022/05/01

デザンクロ「レクイエム」のフォワソンによる盗用スキャンダル

2001年のアメリカのとある演奏会で、トリスタン・フォワソンという作曲家が、デザンクロ「レクイエム」を自作だとして盗用、"フォワソンの「レクイエム」アメリカ初演"として演奏されてしまった。この一連のスキャンダルにまつわるワシントン・ポストの記事の翻訳(翻訳はあくまで個人用メモなので、間違いを含む可能性あり…)。

https://www.washingtonpost.com/archive/lifestyle/2001/06/07/a-composers-too-familiar-refrain/bf1c5bbd-b261-42d8-9649-795f6e093c9d/

フレッド・ビンクホルダー:アメリカ初演とされていた"フォワソンの「レクイエム」"を演奏したキャピトル・ヒル合唱団のディレクター

トリスタン・フォワソン:デザンクロの「レクイエム」を盗用した作曲家

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この2週間半の間、ビンクホルダーはフォワソンの話を信じたいと思った。しかし、ビンクホルダーはフォワソンが引き起こした"混乱"の渦中にいる。キャピトル・ヒル合唱団とビンクホルダーには、潜在的に法的な影響があるのだ。一流、かつ、難解な新作合唱曲の、アメリカ初演という偉業だと思われたもの、別の視点で見なければならなくなった。

この公演の評価については、いちど、全て削除しなければならない。また、デザンクロの曲を演奏したのなら、デザンクロの出版社であるデュラン社に演奏料を払わなければならない可能性もある。フォワソンはキャピトル・ヒル合唱団に「自分の曲」を演奏する権利を無償で与えてくれたが、デュランはそう気前よくはしてくれないだろう。

ビンクホルダーは、「コンサートの幸福感に浸っている間に、このような問題に直面することになってしまった」と言う。

また、個人的な問題もあった。ビンクホルダーは、委嘱した"フォワソンの「レクイエム」"の優れた音楽性に気付き、元同僚に称賛を送った。二人はロバート・ショーが大好きで、この曲が1999年に亡くなったアメリカの合唱界の偉大なチャンピオンに捧げられていることにも、ビンクホルダーは感動していた。

そして、このキャピトル・ヒル合唱団は、弁護士や政府関係者などをメンバーに持つ、結成8年目の成長株で、フランス生まれの40代前半の作曲家に、精一杯のもてなしをしたのだ。ディナーパーティーやレセプションが開かれ、フォワソンは合唱団の会長の家に泊めてもらった。演奏が終わると、団員たちはフォワソンにサインをもらうために列を作った。

T.S.エリオットは、伝統の借用について 「未熟な詩人は模倣し、成熟した詩人は盗む」と書いている。音楽の歴史において、この2つの境界線はあいまいであった。西洋音楽は、盗用から始まったと言えるかもしれない。グレゴリオ聖歌に発展した教会聖歌の旋律は、ルネサンス期以降の西洋典礼音楽の基礎となり、よく知られた聖歌の旋律は、作曲家が独自のアイデアを加えるためのベースとして、新しい楽曲に直接組み込まれた。

バロック時代と古典派時代には、特に借用が盛んに行われた。ヘンデルの「オラトリオ」には、他の作曲家のアイデアの借用や転用が多く、その作者像を明らかにするためには、フローチャートが必要なほどである。実際、ヘンデル自身、盗作で非難されたこともある。

しかし、驚異的な速さで音楽が生み出され、作曲家たちが実用主義に走っていた時代には、他人の音楽を自分の音楽に取り入れることは、特に倫理的に問題とはされていなかったのである。音楽は、ある意味で文学よりもジャーナリズムに近いものであった。音楽は迅速に、しばしば緊急な必要性に応じて制作され、深遠な新しい声明を出すことよりも職人技が重要視されていたのである。

19世紀に"天才"という概念が生まれ、芸術の指標として個性やオリジナリティが重要視されるようになると、借用がより問題になるようになった。

現代のクラシック音楽の世界では、借用と盗用の倫理はまだ進化を続けている。フィリップ・グラスは、デヴィッド・ボウイやブライアン・イーノの音楽素材をもとに交響曲を作曲したが、彼はその事実を隠さない。20世紀後半には、過去の音楽的アイデア、時には他人の音楽全体を借用することが、それ自体新しい作曲の形態として賞賛された。

フォワソンの明らかな盗作は、借用、翻案、引用、転写の伝統とは一線を画している。しかし、この盗用事件は、音楽の盗作を発見することがなぜ難しいかを説明するのに役立つ。

要するに、30年前、100年前、あるいは1000年前に書かれたように聞こえる「新しい」音楽は、特に批判的警鐘が鳴らない。現代の作曲家の中には、コンピュータを使って音楽を作っている人もいれば、グレゴリオ聖歌を再利用している人もいる。過去の作品は、もはや古くは聞こえないのだ。

デザンクロのレクイエムは、デュリュフレの音楽を彷彿とさせ、さらにカミーユ・サン=サーンスやフランソワ・プーランクの音楽をも想起させる。だからフォワソンがこの作品を自分のものとして発表したとき、30年以上も前の作品と酷似していることは、盗用の隠蔽、という意味において、特に不利には働かないだろう。実際、デザンクロの「レクイエム」と同じプログラムには、現代イギリスの作曲家ジョン・タヴナーの合唱曲があったが、彼の音楽スタイルは、しばしば東方正教会の聖楽の伝統とほとんど見分けがつかない。

ジャーナリズムや文学の盗作と違って、音楽の盗作はコンピュータ検索で簡単に発見することができない。歴史学の教授が、他の学生やウェブからコピーされた論文を見つけ出そうとする場合、コンピュータ検索に文字列を入力するだけで、疑わしい類似点がヒットする。作曲家の間では、コンピュータの楽譜作成プログラムは広く普及しているが、音楽のデータベースはほとんどない。

音楽界は、アーティストの経歴に書かれた評判と血統に感銘を受けた際には、疑う文化はほとんどない。子供向けオペラの制作のために書かれた、フォワソンの、ウェブ上の経歴には、彼が「ボストン・オーケストラ」のソリストであったと書かれているが、「ボストン・シンフォニー・オーケストラ」に出演した記録はなく、アメリカの音楽団体を紹介するガイドブックには「ボストン・オーケストラ」は載っていない。

「レクイエム」のコンサートの前に行われたワシントン・ポストとの会話で、フォワソンはロバート・ショーに指揮を学ぶためにアメリカにに来たと語った。彼のインターネット上の経歴には、「アトランタにおいて、ロバート・ショーの下でレジデント・インターンをしていた」とある。しかし、ショーのオーケストラであるアトランタ交響楽団と仕事をしたという記録はない。そして、その主張はアトランタ交響楽団ではなくショーのみに言及し、慎重に解析されているが、ショーの側近は、フォワソンがショーに会い、いくつかのリハーサルに参加したことはあったが、彼らはほとんどお互いを知らなかったと語っている。そして、彼は確かにショーに"師事"してはいなかった。

そして、フォワソンが受賞したと言っているローマ大賞がある。ローマ大賞と呼ばれる賞はいくつかあるが、フランスの作曲家にとってローマ大賞といえば、ドビュッシー(1884年)が獲得した伝説的な賞をすぐに思い浮かべるだろう。そのローマ大賞は、音楽史上最も優れた作曲賞のひとつで、1世紀半以上にわたって、フランス芸術アカデミーが、国内で最も学問的才能のある作曲家に授与していたものである。ギュスターヴ・シャルパンティエ、リリ・ブーランジェ、マルセル・デュプレ、ポール・パレーも受賞している。1942年には、アルフレッド・デザンクロも受賞している。

しかし、1968年の学生暴動以来、フランス芸術アカデミーはローマ大賞を授与しておらず、1968年といえば、フォワソンがせいぜい10歳くらいの時である。もし、ローマ大賞を受賞していたとしても、それはこの賞ではない。電話インタビューでは、フォワソンはローマ大賞受賞に関する書類を持っていると言ったが、彼はそれを提出することはなかった。

キャピトル・ヒル長老派教会で「彼のレクイエム」が演奏される数日前の驚くべき主張として、フォワソン、ビンクホルダー、キャピトル・ヒル合唱団の会長ロバート・マンテルは、ディナーパーティーに出席していた。出席者がフォワソンに音楽的な背景を尋ねると、フォワソンは博識であった。彼の母親は、20世紀後半に活躍したフランスの天才音楽家、オリヴィエ・メシアンの側近だったという。メシアンは父親のような存在で、メシアンの妻イヴォンヌ・ロリオにピアノを習ったという。この血統は、アメリカで言えば、レナード・バーンスタイン、アーロン・コープランド、チャールズ・アイブスに師事したようなものであろう。

フォワソンはまた、メシアンの最も難しいピアノ作品をいくつか弾いたことがあり、2台のオンド・マルトノを所有していると言っている。これは驚くべき主張であった。

オンド・マルトノは、前世紀のフランス音楽史を語る上で欠かせない希少な楽器である。電子的に音を合成し、人間の歌声と見分けがつかないような幅広い音色を奏でる。

ニューグローヴ音楽辞典によると、この楽器をマスターした人は世界で70人程度と推定されており、そう多くは存在しない。フランス人音楽家としてのアイデンティティを確立するためには、1本、いや2本所有することが大きな投資となる。

実際、フォワソンは少なくとも1台のオンド・マルトノを所有しており、ビンクホルダーはフォワソンの別の作品(そちらは本当にフォワソン自身の作品らしい)であるカンタータの演奏の中で、その演奏を聴いたことがある。また、アトランタの他の仲間は、彼がピアノでメシアンの一部を演奏しているのを聞いている。デザンクロの音楽を自分のものとして流用することはあっても、彼は何十年もかけて習得した技術を持つ実践的な音楽家であることに変わりはない。彼は音楽教育学にも熱心で、子供たちとの活動も盛んである。

盗作は窃盗の一種であり、盗作をする技術を持った人が行うのが一般的だ。フォワソンはビンクホルダーに自分の作品を自由に提供し、新しい作品を作るための時間的な制約もなかった。このほかの、フォワソンの作曲した曲は、本物だと信じられており、全米で演奏されている。フォワソンがデザンクロのレクイエムにもたらした小さな悪評は、ほとんど忘れ去られた作品に、ふさわしき第二の人生を歩ませることになるかもしれない。しかし、フォワソンの人生にどのような影響を与えるかは不明である。

フィリップ・ケニコット, ワシントン・ポスト, June 7.2001

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