4年ほど前に書いた記事より。
以下は、とある合唱曲集の冒頭に置かれた文章である。作曲家である小林秀雄が「最近の」合唱作品に対して思うことを、つづったもの。
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…私は、歌詞や内容のすべてが聴衆に完全に伝わる、明るい音楽を創作の中心に据えます。そして、粗雑で軽薄な音楽を廃します。
ところでわが国では、歌詞の内容やそれを歌う表現目的などが全く伝わってこず、ただひたすらコンクールやコンサートなどで大見得が切れるような、いうならば〈難しさのための難しさ〉を目的とした曲が量産され、また、なぜか暗い、深刻ぶった作品を〈明るく軽快でダイナミックな作品などよりも〉高く評価したがる、陰湿な精神主義がいまだに存在します。そうかと思うと「技巧よりも心」などといい、技術の拙劣さを心や情緒の話にすりかえてしまいます。
「明るい、わかりやすい音楽を、正格(※)な技術で演奏する。内容や心は、それに乗って滲みでてくる」。
これが音楽です。…(後略)
1984年7月 小林秀雄
※正格:規則の正しいこと。また規則にあてはまっていること。
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何という素晴らしい言葉であろうか。もっともシンプルでありここまで重要なことだけあって、逆にこうも断言できることが凄い。こんな言葉が活字になって出てくることなど、なかなかないとは思うのだが…。我々は、この言葉の前には無力であり、ただひれ伏すのみである。
アマチュア合唱界への言葉として留めておくのがもったいない。プロアマ問わず、"音楽"に携わるすべての作曲家と演奏家が、心に刻むべき言葉ではないだろうか。この当たり前のことを解って音楽に携わっている人が、いったい何人いるのだろうか。
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