文に起こしてみると、ますます不思議になるもので…。アバトの演奏の、言葉では表しがたい魅力について、じっくり考えてみたくなった。
テクニック的には、ミュール、ラッシャー、デファイエ、ロンデックス、といったプレイヤーと比較してしまえば、なんてことはない。微妙にリズムが転んでいる部分もあるし、技術的に上のクレストンの演奏は、いくらでもあるだろう。音色が特別すばらしいかといわれると、確かに美しい音色であることは間違いないのだが、たとえばルソー、フルモーやマーフィといった、スーパーニュートラル&絶妙なレガート奏法を持つ奏者だということでもない。アナリーゼ的にも、別段変なことをやっているわけではなく、至極まっとうな演奏である。
演奏についてのひとつひとつの要素が、絶妙な比率でブレンドされたときに、人の心に共鳴するポイント、というものがあるのだろうか。なんでもない演奏が、妙に感動を呼び起こすことはあるけれど、そういうことなのだろうか。たぶん、狙ってできるものではなくて、突き詰めたり、楽しんだり、爆発したり、そういった過程で偶然に出てくるものなのかもしれない。
まったく関係ないけれど、アバトはクラリネット(オーケストラ・プレイヤーだったそうだ)と持ち替えってのも、ちょっと気になるポイントではあるな。演奏に対する考え方は、サクソフォンの専門家のそれとは違うのだろう。
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