2011/01/08

大宅裕さんのプライベートコンサート

昨日は、ピアニスト大宅裕さんのプライベートコンサートに伺った。

【大宅裕プライベートコンサート】
出演:大宅裕(pf.)
日時:2011年1月7日(金曜)20:00開演
会場:北里楽器レンタルスタジオ"フェルマータ"スタジオ001
プログラム:Morton Feldman - Triadic Memories

大宅裕さん、そしてコーディネイターの短いコメントののち、ごく小さな空間のなかで、空調を全て消し、最近はほとんど経験したことのなかった静寂のなかから始まる。

大宅裕さんのピアノソロはこれまでも聴いたことがあって(確かウストヴォリスカヤの「ソナタ」)、聴くたびに特にそのタッチに大宅裕さんの個性を感じている。そのタッチをひと言で表すなら「肉感的」。指で押しているのは鍵盤だが、ハンマーの先端に指がそのままくっついてて(想像するとちょっと不気味だが)指でピアノ線を叩いているような音色がピアノから飛び出すのだ。

曲は全編通して美しいppp。まずは執拗に繰り返されるメロディパターンと和声に意識が集中していた。10分くらい過ぎたところから感覚が研ぎ澄まされてきて、まずは指と鍵盤が触れ合う音が聞こえてきた。次に聞こえてきたのはピアノのメカの音…鍵盤が押されて木製の噛み合わせを伝ってハンマーが動き出す…が耳に入ってきた。さらに、ハンマーが当たってピアノ線が震え出す瞬間の弦の振動、ハンマーが離れてピアノ線が自由になったあとの不規則なうねり、そして減衰の様子がくっきりと浮かび上がってきた。

このような体験は初めてだ。普段ピアノの曲を聴くときに気にすることなど、曲のメロディと和声とリズム、あとはプレイヤーごとの音色くらいだが、ごくごくシンプルな曲想と繰り返し、さらに小さい空間でのライヴであったことが、普段気付かないピアノ演奏の要素を認識するきっかけとなったのだろう。

ずっと聴いていたい感覚に襲われた。頬をピアノの側面にくっつけて、ピアノの音を、振動を、表面の温度を感じ取っているような不思議な体験。じっと静止しているうちに、脳と目と耳だけが身体を離れて会場をフワフワと浮遊してピアノに、鍵盤に、メカに、ハンマーに、ピアノ線にゆっくりと近づいていった。そんななかでも理性を保っていられたのは、大宅さんの演奏のおかげだ。フレーズごとに見事なまでに音色を替え、繰り返しの中にも絶妙な変化をつけ、あくまでも音楽として作品を捉えている。大脳皮質でから湧き出る、これは「音楽」だ。例えば、もしこれをずっと同じパターンで演奏する機械などを使った演奏を聞いたら、普通の精神状態ではいられなくなってしまったかもしれない。

最後の美しいフレーズを繰り返し、最後の一音が宙に消えてなくなった後の長い静寂。ふと気づけば80分超が経過していた。非日常的な体験…長い長い旅を経て現実世界に戻ってきたような。新年早々すごいものを聴いてしまった。

コンサート後は、江古田の飲み屋で大宅さんを囲んで一杯。久々に味わう日本酒が美味しかった。

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大家さんが、モートン・フェルドマン「トライアディック・メモリーズ」について解説した文章を転載しておく。

Yutaka Oya: Triadic memories is one of my earliest experiences of contemporary music; I heard it for the first time in the version by Jean-Luc Fafchamps early in the 90s, and it made a great impression on me. It is music that has great beauty and intensity. It is also a very difficult work that requires great concentration. It comprises a large number of parts in which a few bars are repeated in an unpredictable way, first twice, then three or four times, up to eleven times, and often in the middle of a bar. The pianist has to find the proper balance between the repetition and the minor and especially rhythmic variations. Feldman indicated that the whole work must be played in triple pianissimo and in this way he accentuates the most beautiful sounds of the piano, touching the strings softly rather than attacking them. The pianist controls the quality of the sound, but precisely by abstaining from responding himself he creates the emotion that is inherent in the work. This is what is so fascinating about Feldman: the musician must efface himself completely and is the devoted servant of the music.

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