先日のドゥラングル教授のリサイタル会場で購入した「Japanese Love Songs(BIS CD-1630)」。声楽(メゾ=ソプラノ)とサクソフォン、そしてパーカッションのために書かれた、邦人作品を中心に収録したアルバムである。最近は、かなりこのCDを聴いている時間が多いのだが、とにかく素晴らしい内容のCDで、私なんぞがレビューを書いても良いのだろうか、と思えてしまうほど…。
クロード・ドゥラングル Claude Delangle, saxophone
小林真理, mezzo-soprano
ジャン・ジョフロイ Jean Geoffroy, percussion
夏田昌和 - 良寛による2つの詩
細川俊夫 - 3つの恋歌
伊福部昭 - アイヌの叙事詩に依る対話体牧歌
棚田文則 - サクソフォンとメゾ=ソプラノのためのデュオ
野田燎 - 即興曲I
野平一郎 - 舵手の書~吉岡実の詩による
Hacène Larbi - 松風
Bertrand Dubedout - 始まりの、初めに Ça va commencer, ça commence
島崎藤村 - 君がこころは(朗読)
(それにしても、ベルトラン・デュブドゥの「それを起動させると、開始されます」という邦訳は、いくらなんでもあんまりだろう!!)
というわけなので、CDそれ自体のレビューはまた今度にして、それぞれの作品で題材とされている詩や短歌について著作権の切れているものについて解釈をしていこうと思う。いろんな文献を参考とした、私のオリジナルの解釈なので、間違っている可能性もあります(^^;どなたか文学に詳しい方、教えてください。
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・良寛による2つの詩
あわ雪の中に顕(た)ちたる 三千大千世界(みちあふち) またその中に あわ雪ぞ降る - 良寛
あわ雪が降る景色を、心を無にしてじっと見つめていると、もう一つの大宇宙がうっすら見えてきた。そしてその中でも、やはり雪が降っている。私の意識はいつしか、その無限の構造の中へと吸い込まれていった。
夢の世に かつまどろみて ゆめを又 かたるも夢も それがまにまに - 良寛
その感激も、この世も、まどろみのなかの夢のようなものなのである。
晩年の良寛は、俗世間との関係を絶ち、山奥の庵で過ごす日々を送っていた。そこに、良寛を慕う貞心尼という女性(当時30代)が訪ねてくる。貞心尼は、良寛に会えた感激を「君にかく あひ見ることの 嬉しさも また覚めやらぬ 夢かとぞ思ふ」と、喜びに満ち溢れた歌で表現した。その歌に対する、良寛の返歌である。
「夢の世に Dream World」は「夢の夜に Dream Night」「夢のように Like a Dream」をかけていると考えられる。
・3つの恋歌
暗きより 暗き道にぞ 入りぬべき はるかに照らせ 山の端(は)の月 - 和泉式部
歩けば歩くほどに、暗い暗い中に迷い込んでしまいそうだ。山の端の月よ、どうか行く先を照らしてくれ。
ここでの「暗き道」とは、「煩悩の道」のことをも言っているそうだ。
あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな - 和泉式部
私は間もなく死ぬだろうが、せめてものこの世の最後の思い出に、あなたにもう一度だけ会っておきたい。
物おもへば 沢の蛍も 我が身より あくがれいづる 魂(たま)かとぞみる - 和泉式部
恋に悩めば、沢に飛び回るほたるも、私の身体から抜け出していくたましいではないかと思えてしまう。
・松風
あはれてふ 言の葉ごとに 置く露は 昔を恋ふる 涙なりけり - 詠み人知らず
「あはれ」と言うごとに、その言葉の傍らにに落ちていく涙は、昔の恋を懐かしく思う涙なのだ。
世の中は 夢かうつつか うつつとも 夢とも知らず ありてなければ - 詠み人知らず
この夜は、夢なのだろうか、現実なのだろうか。結局どちらでもなく、あってないようなものなのである。
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それにしても、CDの歌い(詠い)手が日本人であり、題材が日本の詩であり、私自身が日本人であるという、実に稀有な状況でCDを聴くことができる幸せ哉。日本的な間合い、美的感覚(それを言葉で説明するのは難しいけれど)が、アルバムの随所に散りばめられ、詩と音楽が融合した無限世界の中に、スッと引き込まれてしまった。
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