練習室に放置されていた、合唱曲集の冒頭に置かれたことば。作曲家である小林秀雄が、「最近の」合唱作品に対して思うことを、つづった文章である。
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…私は、歌詞や内容のすべてが聴衆に完全に伝わる、明るい音楽を創作の中心に据えます。そして、粗雑で軽薄な音楽を廃します。
ところでわが国では、歌詞の内容やそれを歌う表現目的などが全く伝わってこず、ただひたすらコンクールやコンサートなどで大見得が切れるような、いうならば〈難しさのための難しさ〉を目的とした曲が量産され、また、なぜか暗い、深刻ぶった作品を〈明るく軽快でダイナミックな作品などよりも〉高く評価したがる、陰湿な精神主義がいまだに存在します。そうかと思うと「技巧よりも心」などといい、技術の拙劣さを心や情緒の話にすりかえてしまいます。
「明るい、わかりやすい音楽を、正格(※)な技術で演奏する。内容や心は、それに乗って滲みでてくる」。
これが音楽です。…
1984年7月 小林秀雄
※正格:規則の正しいこと。また規則にあてはまっていること。
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何という素晴らしい言葉であろうか。もっともシンプルでありここまで重要なことだけあって、逆にこうも断言できることが凄い。こんな言葉が活字になって出てくることなど、なかなかないとは思うのだが…。我々は、この言葉の前には無力であり、ただひれ伏すのみである。
アマチュア合唱界への言葉として留めておくのがもったいない。プロアマ問わず、"音楽"に携わるすべての作曲家と演奏家が、心に刻むべき言葉ではないだろうか。この当たり前のことを解って音楽に携わっている人が、いったい何人いるのだろうか。
4 件のコメント:
素晴らしいことばですね。
もう20年以上前のことばですが、スイソウガクなんぞやってる我々には今も思いっきり当てはまりますな。
ごくごく当たり前のことなのですが、この、ごく当たり前で単純なことが、単純なだけに人に伝えられず苦労します。基礎力を身につけないとどうしようもないってことを。
> もっちぃさん
そうですね、20年前ということも驚異的です。
ちなみに、私が一番この言葉を伝えたいのは、コンクールで意味の解らない自由曲を作る作曲家に対して、だったりします(笑)。あと、それを良しとする吹奏楽界にも…。
去年の吹奏楽コンクールを聴いたときにも、感じたことです。
http://kurisaxo.blogspot.com/2007/08/blog-post_05.html
なんとなく、サックス界にも当てはまってしまいそうですね。。
> Pさん
いやー、当てはまってしまいますねえ(苦笑)。きちんと考えている方、考えていない方に、二分されてしまうと思います。
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