2008/03/06

ドイツサクソフォン界の黎明期

以前、mckenさんのブログのとある記事に自分がコメントした内容を、こちらでもまとめておこうと思う。

ドイツにおける、オーケストラ作品へのサクソフォンの使用例は、1902年から1903年にかけて作曲されたリヒャルト・シュトラウスの「家庭交響曲」がほぼ最初期にあたる。「なぜ、シュトラウスが4本ものサクソフォンをオーケストラに導入したのか」というのは、なかなか知られていないことなのだが、この謎を解く鍵は、20世紀初頭に活躍したドイツのサクソフォーン奏者、グスタフ・ブムケ Gustav Bumcke(1876 - 1963)の存在が大きい。

グスタフ・ブムケは、音楽的キャリアの最初期にはトランペットと、作曲を習っていたそうだ(作曲は、マックス・ブルッフに師事していたらしい)。ブムケは1900年から1903年にかけて、劇場の音楽監督を務める機会が増え、それに伴ってサクソフォンへの興味が増していったと言われている。事実、1902年にはサクソフォンを含む室内楽曲を作曲しているほどだ。

同年(1902年)、アドルフ・サックスの息子に師事するために、パリへ遊学。8本のサクソフォンを持ち帰ったと言われている。このタイミングこそ、リヒャルト・シュトラウスの「家庭交響曲」の作曲時期と重なるのだ。シュトラウスの書いた「13の管楽器のための組曲」を初演するなど、シュトラウスとブムケの間には少なからず親交があったとされており、シュトラウスが、このドイツに輸入されたサクソフォンに興味を示して、サクソフォンを使い始めた、という説は、ほぼ間違いがないのではないだろうか。

ちなみにブムケはその後もドイツサクソフォン界の発展に尽力する。1926年にはドイツ語で書かれた初めてのサクソフォーンのエチュードを執筆。1931年に、サクソフォーンオーケストラ(1snino, 2sop, 7alt, 3ten, 1bar, 1bass)を組織し、続いて1932年にはベルリンサクソフォン四重奏団を結成した。第2次世界大戦勃発による財政難により、収集したサクソフォンを売却せざるを得なくなるなど、かなり苦労もされたそうだ。

ところで、ブムケがパリから持ち帰ったサックスの「8本」という本数が、大変気になっている。ここから先は想像の域なのだが、もしかして、C-Fの組み合わせを4本、Bb-Ebの組み合わせを4本、だったのではないかな。だからこそ、シュトラウスの「家庭交響曲」のスコアには「C soprano, F alto, F baritone, C bass」が指定されているのではないのだろうか。うーーん、本当のところは、どうなのか。

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