【塙美里サクソフォンリサイタル vol.1】
出演:塙美里、原博巳(sax)、服部真由子(pf.)
日時:2009年3月22日(日)16:30開演
会場:水戸芸術館コンサートホールATM
プログラム:
A.カタラーニ - 歌劇「ワリー」より
C.ドビュッシー - ラプソディ
C.フランク/塙美里 - ヴァイオリンソナタ
J.ワイルドバーガー - ポートレイト
M.ブルッフ/塙美里 - コル・ニドライ 他
R.シューマン - アダージョとアレグロ
J.B.サンジュレー - デュオ・コンチェルタント
~アンコール~
J.オッフェンバック - 舟歌
G.テレマン - ファンテジーより
かなり前からご案内を頂いていた演奏会で、卒業旅行の最終日と被っていたが、なんとか開演に間に合いそう!ということで予定に組み入れていた。が、まさかの飛行機の30分の遅延が、バスへの乗り継ぎの断絶を招いて…演奏会が終わる直前、アンコールが始まる前にようやく会場に駆け込んだ。そういうわけで本プロがまったく聴けず、残念(T_T)!!インタビューを経た後の、原さんとのデュエットでのアンコール、オッフェンバックの舟歌が、洗練されたシンプルな響きが心地よかった。
というわけで、アンコールは聴けたのだが、良い音色を持つ方だ。洗足学園音楽大学での勉学の後、現在はセルジー・ポントワーズ音楽院で学ばれているとのことだが、その中で自分自身の音を確立してきたのだろう。日本人の演奏という感じでもなく、フランスの音楽というわけでもなく、双方の間を行き来しながら自在に楽器を操っていた。ううん、そうするとやはり、各国の音楽性がでる本プロの演奏がやはり聴きたかったなあ…ドビュッシーやフランクは、いったいどういう演奏をするのだろう。
少し話題は変わるが、今回は塙さんにとってリサイタル、ご自身の地元での開催となったようだ。お客様も、関係者と思われる方が多数。そういうパーソナルな感じも、また良いなあと思えてしまうところが素敵ですね。終演後のロビーでのお客さんの反応をみるに、皆さんが「良かった」と口にしているのを聴いて、なんだかこちらまで嬉しくなってしまった。こんな形でサクソフォンの良さが、伝わっていってほしい。終演後、塙さんと原さんにご挨拶することができた。ロビーでは、塙さんのご両親から挨拶されてびっくりした…演奏会の映像をDVDで送ってくれるとのこと。楽しみ。
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今回の演奏会に、恐縮ながら曲目解説を寄稿いたしました。印刷に最終稿が反映されていなかったようなので、ここに全文を公開いたします。著作権は放棄しているので、自由に使っていただいて構いません。ブルッフについては、参考文献にかなり頼ったのですが、シテーションをド忘れ…(←ひどい)。というわけで、ブルッフに関してだけは扱いに注意してください。
アルフレード・カタラーニ:歌劇「ワリー」より「さようなら、ふるさとの家よ」
生前、ヴェルディ、プッチーニといった大オペラ作家と対等の評価を得ながらも、若くして亡くなった作曲家、アルフレード・カタラーニ(1854 – 1893)。彼が遺した作品はわずかですが、いずれの作品も高い人気を博しています。カタラーニが亡くなる前年に完成させた傑作「ワリー」は、アルプスの美しい情景のなかで語られる若い男女の恋物語です。全編に溢れる豊かな旋律が人気を博し、現在でも上演回数の多いオペラの一つです。
「さようなら、ふるさとの家よ」は、劇中で歌われるアリアの一つ。主人公の女性、ワリーが、父親の決めた相手と無理やり結婚させられそうになり、「それでは私は家を出て行きましょう」と歌う、第一幕のハイライトに置かれた美しいアリアです。
サクソフォンは、その表現の幅広さから「歌う管楽器」とも呼ばれます。ジャズで使われる激しいブロウからオペラのアリアまで、旋律に込められた感情を自在に表現することができるのです。
クロード・ドビュッシー:ラプソディ
ベルギーの楽器職人、アントワーヌ=ジョセフ(アドルフ)・サックス(1814 – 1894)によって、このサクソフォンという楽器が誕生したのが1840年代ですから、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンなどの大作曲家にとっては、サクソフォンはもちろん未知の楽器。クロード・ドビュッシー(1862 – 1918)ほどの著名な作曲家がサクソフォンのためのオリジナル作品を手がけた例は、そう多くはありません。
しかし、その作品「ラプソディ」が作曲された際のエピソードは、サクソフォンの憂鬱として語り草になっているのです。20世紀始め、数々のピアノ曲や、「ペレアスとメリザンド」などの作品により、国際的な地位を確立しつつあったドビュッシーですが、ある日、エリザというアマチュア奏者から、サクソフォンとオーケストラのための作品制作を依頼されます。何気なしにその依頼を承諾し(しかも、相当の大金が支払われた!)筆を執ったドビュッシーでしたが、オーケストラ作品「海」の制作時期ともぶつかって、作曲は遅々として進みませんでした。この時期、友人に宛てた手紙の中で、ドビュッシーは次のような愚痴をこぼしています。
「依頼人から頂いたお金は使ってしまったので、今さら作曲を断ることはできない。さらに悪いことに、私はサクソフォンという楽器についてよく知らないのだ。いったいどんな曲を書いたらいいのだろう。」
サクソフォンという楽器は、最後までドビュッシーの創作意欲を刺激することはありませんでした。そして、ドビュッシーは未完成のピアノスケッチをエリザに送りつけて、この仕事から逃げてしまったのです。
しかし、上記のような経緯を知った上でも、この作品が傑作の一つであることは疑いようがありません。淡い霧の中から浮かび上がるようなピアノのフレーズに続いて、サクソフォンが異国風のフレーズを奏で、やがて導かれるスペイン風のリズムに乗って音楽は徐々に高揚していきます。
セザール・フランク:ソナタ
弦楽器のために書かれた作品をサクソフォンで演奏するというアイデアは、近年盛んに実現されるようになりました。サクソフォンは最低音から最高音までたったの2オクターヴ半しかない楽器ですから、広い音域をもつヴァイオリン作品を演奏することには、かつては困難が伴いました。演奏技術の進歩や楽器の改良により、サクソフォンがヴァイオリンのレパートリーに触れることが可能となった、と言えるでしょう。
ベルギーに生まれ、パリにおいてその活動の幅を広げたセザール・フランク(1822 – 1890)は、フランスにいながらにして伝統的なドイツ音楽に根差した作曲活動を展開しました。自身が教会のオルガン奏者でもあったことから、オルガンやピアノのための作品を数多く残し、それらの作品は今日の演奏会でもたびたび取り上げられます。
そのフランクの手による最高傑作と言われているのが、この「ヴァイオリン・ソナタ」です。フランス音楽界から生まれたヴァイオリンの作品の最高峰とも称されるこの作品は、フランク晩年の1988年ころに生み出され、当代随一のヴァイオリニストと言われたウジェーヌ・イザイに捧げられました。
第一楽章で奏でられるメロディが、めくるめく形を変えながら楽曲のあちらこちらに顔を出す「循環形式」という作曲法が使われています。これにより4つの楽章の間には緩やかなつながりが感じられ、全体を通して何か一つの物語が構成されているような印象を受けます。独奏パートのみならず、ピアノパートが充実していることも、この作品の聴きどころの一つです。
ジャック・ワイルドバーガー:ポートレイト
ジャック・ワイルドバーガー(1922 – 2006)は、スイスのバーゼル生まれの作曲家です。バーゼル音楽院に学んだ後、いくつもの作曲賞を受賞。欧州での評価を確立した後は、ドイツとスイスを股にかけて作曲活動・教育活動に奔走しました。
「ポートレイト」は1982年に作曲され、同じくスイス出身のサクソフォン奏者、イワン・ロトに捧げられました。タイトルの「ポートレイト」とは、この曲がサクソフォンという楽器の機能性を映し出していることから名付けられています。例えば、速いフレーズを自在に駆け回ることや、音の跳躍の安定度、そして重音(同時に複数の音を鳴らす!)などの特徴においては、数ある管楽器を見渡してもサクソフォンの右に出るものはありません。
この作品はピアノ無し、サクソフォン一本で演奏されますが、その「無伴奏サクソフォン」という特殊な編成の一翼を担う重要な作品です。フランスの権威ある研究家、ジャン=マリー・ロンデックスも、サクソフォンのための最重要レパートリーの一つとして、この作品を挙げているほどです。
マックス・ブルッフ:コル・ニドライ
マックス・ブルッフ(1838 – 1920)といえば、ベートーヴェン没後以降のドイツ・ロマン派音楽を支えた一人として名高く、特に弦楽器のために作られた作品が有名です。ブルッフの作品はユダヤ系の民族音楽にヒントを得たものが多く見られますが、この「コル・ニドライ」もまた、そういった特徴をもつ曲のひとつです。
14世紀の中ごろ、スペインやポルトガルには多くのユダヤ人が居留していました。キリスト教に改宗しない人々に対する迫害が広まる中で、多くのユダヤ人は先祖伝来の信仰を捨てなければならなかったと言います。しかし敬虔なユダヤ教徒は、改宗した罪を悔い、ひたすら神に許しを請い、いつかは本来の信仰に帰ることを誓い続けました。このような心底からの懺悔の思いを神の前に朗詠しているうちに、いつしかメロディがつき、「コル・ニドライ(=神の日)」と呼ばれる祈りの歌となったのです。
このエピソード、そして旋律の美しさにインスピレーションを受けたブルッフは、原曲のメロディを用いながら、チェロと管弦楽のためにこの崇高な作品を作曲しました。導入部は暗く厳かな曲調ですが、後半の明るさにはいつか来る自由の日への希望が表現されているかのようです。
ロベルト・シューマン:アダージョとアレグロ
ロマン派を代表するドイツの作曲家ロベルト・シューマン(1810 – 1856)は、ピアノ曲や歌曲の分野において、数多くの作品を残しました。そのどれもが美しいメロディと和声に満ち溢れ、150年以上を経た現代にあっても、演奏家や聴衆の心を捉え続けています。
シューマンの創作の中心がピアノのための独奏曲に置かれていたのは、妻であったクララが優れたピアニストであったからという理由によります。しかし、クララが子供たちの世話に勤しむ中で、シューマンは徐々にピアノ独奏以外の分野にも創作の幅を拡げていくのでした。1849年には管楽器のための作品をいくつか手がけており、その中で作曲されたのが「アダージョとアレグロ」です。
本作品は独奏ホルンのために書かれましたが、一つの特徴として当時開発されたばかりであったヴァルヴ・ホルン(半音階を出すことが可能)を想定していることが挙げられます。新しいもの好きだったシューマンの、その興味の片鱗を垣間見るような気がします。
楽曲は、夢見るように美しい「アダージョ」と、一転して激しい跳躍が随所に聴かれる情熱的な「アレグロ」の、対照的な2つの楽章から構成されています。こんにちではホルン以外に、チェロやヴァイオリン、そしてサクソフォンなどで演奏されることも多く、多くの音楽家たちにとって重要な作品となっています。
ジャン=バプティスト・サンジュレ:デュオ・コンチェルタント より2、3楽章
ジャン=バプティスト・サンジュレ(1812 – 1875)は、19世紀ベルギーのブリュッセル生まれのヴァイオリニスト・作曲家。ドビュッシーよりもさらに早い時期に、サクソフォンのためのオリジナル作品を世に送り出した一人です。
1850年代、フランスのパリ音楽院にはサクソフォンを学ぶための世界で初めてのクラスが開設され、発明者サックス自身がそのクラスの教授として招かれました。このサクソフォン・クラスの卒業試験課題曲の作曲を手がけていたのが、ほかならぬサンジュレだったのです。新参者の楽器のためのオリジナル作品がないことに頭を悩ませたアドルフ・サックスが、同郷の作曲家であるサンジュレに、試験のためのオリジナル作品を委嘱したであろうことは、想像に難くありません。サンジュレはその後もサクソフォンのために30近い作品を提供し、サクソフォンの黎明期における発展を担ったとされています。
「デュオ・コンチェルタント」は1858年の所産。ソプラノ&アルトサクソフォンとピアノのために書かれた、3楽章形式の美しく簡素な作品です。サンジュレと同じく、当時サクソフォンのためにオリジナル楽曲を提供した作曲家の一人、ジャン=ジョルジュ・カストネに捧げられました。本日は、その中から第2楽章と第3楽章を取り上げて演奏します。
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