しばらく前から楽しみにしていた、ジェローム・ララン Jerome Laran氏によるコンサート。主催はヌオヴォ・ヴィルトゥオーゾで、コンサート自体は、アリオン文化財団の「東京の夏」音楽祭の参加公演なんだそうで。ソプラノ(声楽)にメニッシュ純子氏、ピアノに杉崎幸恵氏を迎え、日本では実現される機会の少ない、声楽+サクソフォンという室内楽形態での作品が数多く演奏された。
アプリコの小ホールをほぼ満員の聴衆が埋めていたが、どういった方々なんだろうか。やはり作曲界の人が多かったのかな?
・イェスパー・ノーディン「†火から生まれる夢&即興演奏(asax, computer)」
・堰合聡「‡狂言(ssax)」
・アンダーシュ・エリアソン「†大地(pf)」
・鈴木治行「‡編み目II(sop, ssax, pf)」
・小櫻秀樹「‡むかしむかしあるところにジェロッキオがいました…(ssax)」
・ジェラール・グリゼイ「†アヌビスとヌット(bssax)」
・フィリップ・ルルー「†青々とした緑に覆われたところ(mezzosop, ssax)」
・鈴木純明「‡赤と青の対句(asax, pf)」
・野平一郎「†舵手の書(mezzosop, asax)」
†:日本初演 ‡:世界初演
今回も、昨年の「サクソフォーン旋風」に引き続き、大変面白いコンサートだった!往年のフレンチスクール的プログラム・演奏も個人的には好きだが、今日のようなコンサートを聴くと、改めてサクソフォンの世界の広さを感じる。まあ、せっかくなのでひとつひとつ感想(レポート?)を書いてみよう。
ノーディン氏、スウェーデンでは活躍中の若手なんだそうだ。本日の作品は、スウェーデン民謡にヒントを得、リアルタイムの楽器音録音・素材とのミキシング・発音によってサウンドを作り上げていく、というプロセスが見て取れた(ノーディン氏はIRCAMに在籍していたこともあるそうで、おそらくMacBook上ではMAX/MSPが動いていたのでしょう)。途中から楽譜を離れて即興パートへ移行し、サックスから繰り出される超絶技巧の数々が多重的にミックスされ、かなり面白い効果を引き出していた。
一曲目を聴き終わった段階で、「いったいラランさんの"限界"なんてものは存在するのだろうか…」とふと思った(笑)。スタンダードなピアノからフォルテ、現代奏法から、フレーズの扱い等々、何から何まで凄いのですよ。アクタスで聴いたときにも感じたが、どんな曲に対しても99%のテンションを維持している、というか。うーむむむむ、うまく表現できない。
堰合氏のソプラノ・サックスのソロ作品は、去年の「サクソフォーン(ソロ)」に似ていたなあ。固定音列(移調すらしない)の中で、テンポとリズムの遊びを繰り返す感じ。ソプラノサックスの、軽々としたイメージとあいまって、可愛らしい作品・演奏だった。エリアソンのピアノ作品は、ちょっと苦手な感じでした…響きはとても美しいのだが、中低音の分厚い和声を起伏なく聴かされると、やや頭痛が…ああぁ。
鈴木治行氏の「編み目II」。ここでついにソプラノのメニッシュ純子さん登場、杉崎さんのピアノ、ラランさんのサクソフォンでの、トリオ演奏だった。基本的にポリフォニックな音運びをする作品で、互いのパートが付かず離れずを繰り返して、響きを作り出していくイメージ。ここで感じたのは、サクソフォーンと比べたときの「声」の表現力の高さ。
時折、声とサクソフォンが似たような(音高や音強の変化が幅広い)フレーズを、ユニゾンで奏でるのだが、ラランさんのサクソフォンだけ取り出してみれば、実に繊細なコントロールを行っているように聴こえるのに、ユニゾンになったとたんにどうしても「声」のほうに耳が傾いてしまうのだった。いくらサクソフォーンが、人の声に近い音、そして表現の幅が広いとはいっても、「声」と比べたら適わないのね…と感じた瞬間。案外、そこまで狙って書かれていたのかな。
休憩後は、小櫻氏の「むかしむかしジェロッキオがいました…」から開始。これは、サクソフォーンの楽器としての演奏に加えて、かなりのパフォーマンス要素を含んだものであり、ややコメントしづらいのだが、ラランさんのキャラクターをよく知っている(と思われる)小櫻氏ならではのもの、だったのかな。例えば、ダンサーを別に配置する等の試みでも聴いて(観て)みたい。途中のラランさんのあの顔が忘れられません…オチも楽しい。
続いて某音大のバスサックスを使用し、グリゼーの「アヌビスとヌト」。グリゼイ作品集にて、ドゥラングル教授の演奏を聴いたことがあるが、こんな曲だったっけ?「アヌビス」では一つの音高に留まりながら、さまざまな音色が飛び出すようなフレーズがあるのだが、バスサックスのようにアンブシュアに余裕があると、変化が極端に感じ取れるものだ。それほど響かなかった会場だったのは、実に惜しい。残響の多い環境でこそ、聴いてみたかった。
フィリップ・ルルー「青々とした緑に覆われたところ」。サクソフォンと声とのデュオ。どんな響きがするんだとハラハラ聴き始めたのだが、意外や意外、先ほど鈴木作品で感じた表現力の不利さは、こちらの曲では感じなかった。あるときはユニゾンで未だ誰も聴いたことのないような音を創り上げ、またあるときはお互いが後ろに回りこみながらと、スリリング。
鈴木氏の作品は、ピアノとサックスのデュオ。相変わらず?楽譜が横に長い。かなり演奏困難な作品だと思われるが、さすがラランさん、もちろん技術的には何の不安も感じさせず、むしろころころと変わるサクソフォンの表情を印象的に聴いた。ピアノとの精密極まりないアンサンブルも、見事。最終部、コーダで響いた音に、ゾクっとした。(他の作品がどうこう、というわけではないが)この作品は普通に再演されてもおかしくない。
で、楽しみにしていた野平一郎「舵手の書」。いやー、すごかったです。会場ではThunderさんにお会いしたのだが、終演後にお話したときに、この点意見がピタリと合った。とりあえず、声のパート、サクソフォンのパートは、いずれも超高難易度であることは間違いなく(ラランさん自身、難しいと仰っていた)、それを見事に切り抜けたこともすばらしかったのだが、それに併せて曲から受けるインスピレーション、曲の持つ構造、パワー、等々という点で、他の作品を凌駕していた。
私は作曲の専門教育を受けたことがあるわけではないのだが、いち聴衆として聴くだけで、この印象の違い。何というか、ある種崇高さに対する畏れのようなものすら感じた。大脳皮質の理性的な部分に留まってしまうのではなくて、自分の脳のもっと深遠なところまで突き刺さってくるような…そこで感じていたものは感動か、あるいは恐怖か。
野平氏が客席にいたのだが、「舵手の書」後に舞台に呼ばれたときの反応を見るに、かなり良い演奏だったようだ。いやあ、この機会に臨席できて良かったなあ。
さてさて、ラランさん、次は何をやってくれるんだろうか。来年頭にはドビュッシーなどの作品のレコーディングも予定されているようで、こちらも楽しみ。
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