パリ音楽院管弦楽団の資料を集めたサイトなんてのがあるのだが、ちょっと検索をかけてみたら、サクソフォンに関する面白い記録がたくさん出てきたので、まとめておこう。主にマルセル・ミュール Marcel Muleとの共演によるプログラムの記録である。
・1937/11/7
1937-1938期第4回定期演奏会
フィリップ・ゴーベール指揮パリ音楽院管弦楽団
ジャック・イベール「室内小協奏曲(世界初演)」
http://hector.ucdavis.edu/SdC/Programs/Pr111.htm
なんと、あのイベール「コンチェルティーノ・ダ・カメラ」のステージ初演記録!ラッシャーが委嘱したにもかかわらず、結局ミュールが初演を行ったといういわくつきのプログラムだ。
SPに録音として残っているのは、この後に製作したものなのだろうか、それとも、録音が初演だったのだろうか。その辺の前後関係は、そのうちきちんとまとめておきたい。
・1939/2/5
1938-1939期第14回定期演奏会
ウジェーヌ・ボザ指揮パリ音楽院管弦楽団
ウジェーヌ・ボザ「サクソフォンのための小協奏曲」
http://hector.ucdavis.edu/SdC/Programs/Pr112.htm
ボザ「コンチェルティーノ」の初演記録。この作品も、SPに録音が残っている。この時期はシャルル・ミュンシュが常任指揮だったが、この作品に関しては作曲者自身が指揮を振ったようだ。
・1941/5/4(1941/2/9)
1940-1941期第27回(第17回)定期演奏会
ロジェ・ボーディン指揮(シャルル・ミュンシュ指揮)パリ音楽院管弦楽団
ジャック・イベール「室内小協奏曲」
http://hector.ucdavis.edu/SdC/Programs/Pr114.htm
カッコ内は、予定されていたプログラム。第17回のプログラムはラヴェル「クープランの墓」に変更され、結局イベールの演奏は第27回に置かれたようだ。
・1943/11/24
Grandes Associations Symphoniquesの主催による作曲賞演奏会
パリ音楽院管弦楽団(指揮者は不明)
ポール・ボノー「サクソフォン協奏曲」
http://hector.ucdavis.edu/sdc/Programs/Pr117.htm
パリ・オーケストラ協会?の作曲コンクールで、ミュールがボノー作品の独奏に抜擢されたときの記録。
・1948/5/20
Musique contemporaineシリーズ
アンドレ・クリュイタンス指揮パリ音楽院管弦楽団
アンリ・トマジ「バラード」
http://hector.ucdavis.edu/SdC/Programs/Pr121.htm
「Musique contemporaine」でのミュールの演奏。このシリーズは、同時代の作曲家たちの作品を紹介するものなのだろう。
・(オマケ)1964年日本演奏旅行メンバー表
アンドレ・クリュイタンス指揮パリ音楽院管弦楽団
サクソフォン:ミシェル・ヌオー Michel Nouaux
http://hector.ucdavis.edu/sdc/Rosters/Ros137.htm
ギャルドでミュールの後任を務めた、ミシェル・ヌオーの名前を確認することができる。このあたりの話は、ThunderさんのWebページに詳しく乗っている。
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ミュンシュとの共演と言えば、引退直前のボストン交響楽団とのアメリカツアー(プログラムはイベールとトマジだったか)を思い出すが、パリ音楽院管弦楽団でも共演し「かけ」ていたのですね。知らなかった。
しかし、一つのオーケストラの記録を見渡すだけで、この共演回数の多さ。およそ10年間のうちに、演奏会の独奏曲で取り上げられたのは5回。サクソフォンを含むオーケストラ作品においてミュールが呼ばれた回数は、もっと多いだろう。さらに考えてみると、フランスのほかのオーケストラも含めて考えれば、その独奏者として・オーケストラ奏者としての招聘回数は相当数に上るのではないか。マルセル・ミュールというプレイヤーが、いかに当代随一の音楽家として認識されていたか…ということが、垣間見える。
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