アンドレ・クリュイタンスとパリ音楽院管弦楽団のコンビによるラヴェルの管弦楽作品全集(EMI)は、他を寄せ付けない圧倒的名演奏として、現在まで語り継がれている録音である。現在でもCDで入手可能であり(amazonへのリンク)、私もボレロやスペイン狂詩曲が入った盤は所持している。他の録音では聴けない圧倒的に煌びやかな音色、今では名実ともに失われてしまったパリ音楽院管弦楽団の、栄華の極み!その瞬間を捉えた録音だと言える。この演奏の前では、演奏技術的な問題などを気に留める暇もなく、ただただその音に身を委ねるのみである。そんなわけで、CDとして手に入りやすいこともあり、ラヴェル好きだったら一度は聴いておきたい音盤。
本全集は、まずはじめにイギリスのEMIにて「初版盤」がプレス&リリースされ、その後フランスEMI盤や国内盤が発売されていったという経緯があるそうだ。それぞれのプレスによる差異はかなりのものであり、その中でも初版の盤をめぐっては、オークションで時たま信じられないほどの高値がついているようだ(セットで数万円とか)。
今回、木下直人さんは、自身が所有するラヴェル全集の初版盤をトランスファーして送ってくださった(いつもありがとうございます!)。実は、購入されて以来全く針を通していなかったそうなのだが、復刻環境整備の完了に伴い、初めて再生を行ったそうだ。カートリッジを巡る試行錯誤や、装置のオーバーホールについては、多くの苦労話を聴かせてくださったのだが、今回のラヴェル全集の復刻は、まさに念願かなってのものとなったようだ。
そうそう、イギリス盤は、ボックスの表紙がこの青い踊り手(バレエ「ダフニスとクロエ」で使われた衣装)のジャケットなのだよな。バラ売りされたフランス盤は、たしか4人の踊り手がそれぞれ描かれているはずなのだが。このジャケット写真はインターネットから拾ってきたもので、左上に赤い「EMI」の刻印が見られる。送っていただいたジャケット写真の左上には、Columbiaのマークが刻印されていた(輸入盤だから、ということだろうか?)。全4枚で、収録曲は以下の通り。
Ravel Complete Orchestral Works (The Complete Orchestral Works of Maurice Ravel)
André Cluytens
Société des Concerts du Conservatoire
SAX 2476
Daphnis et Chloé - Ballet in one Act by Michel Fokine
SAX 2477
Boléro
Rapsodie espagnole
La valse
SAX 2478
Ma mère l'oye
Valses nobles et sentimentales
SAX 2479
Le tombeau de couperin
Menuet antique
Alborada del gracioso
Une barque sur l'ocean
Pavane pour une infante defunte
今日は一日、こればかり聴いて過ごしていたが、もう最高ですね!たぶん、一週間、二週間に渡ってこの4枚をずっと聴き続けたとしても飽きることはないだろう。この曲がこうだとか、あの曲がこうだとか、詳しく書くことすらはばかられる。ここに再現されているアトモスフェールを、ただただ享受するのみ。ちなみに、ボレロのサクソフォンはジャック・テリーとミシェル・ヌオーではないか、とのこと。確かに、ソプラノの音色はデファイエとはちょっと違うような感じがする。
そもそも、元の盤が近代クラシック音楽における最大の財産の一つなのである。そればかりか、木下さんがトランスファーしてくださったこのCD-Rは、盤がプレスされた当時の再生環境を最高の形で追い求めた結果だ。この4枚のCD-Rは、近代クラシック音楽の価値が凝縮され、21世紀という時代にそれが再現された、大変貴重なものなのである。
私のお知り合いで、興味がある方はメールをください(→kuri_saxo@yahoo.co.jp)。
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…それにしても、木下さんをはじめとする多くの方々から頂戴した数々の録音を引き継いでいけそうな人は誰かいないかな。こういった音楽に興味があって、もちろんそれだけではなく資料としてのアーカイヴの整理とデータ公開を積極的に行い、さらに次の世代に繋いでいってくれる人。そういった人が現れるまでは、このブログの更新を止めることはできない。
あと20年は待たないとダメだろうなあ。特に若い世代であるほど、近代フランス音楽の美意識を理解できるようになる土壌がないもんな。それにしても、自分がデファイエやミュールといったスタイルに取り憑かれたのは、いったいなぜだったのだろうか(取り憑かれたからこそ、このブログがあり、こういったご縁があるのだが…)。つくづく不思議なことだ。
6 件のコメント:
おお、木下さんのプロジェクトもこういう段階まで来たのですね。世にオリジナル盤やオーディオマニアはごまんといますが、木下さんが志していることはそういう所有欲などとは全く無縁なのですが、こういう志って理解されにくいですよね。僕のMoyse関連SPの収集も木下さんと方向性を同じくしているつもりですが、木下さんの方が5倍くらい「しつこい!」(笑)
この時代のソシエテ・オケはすごいです。
なんでこんなに音が輝き微笑むのか?
僕はそれを知るためにもゴーベール、コッポラ、メッサージェの時代の録音を聞き込みたいと思っています。
> Sonoreさん
フランス盤に関しては「整備が完了した」とのことです。とにかく機器の選定には相当のご苦労があったと聞いておりましたので、その一報を受け取ったときは、大変興奮しました。
> 木下さんが志していることはそういう所有欲などとは全く無縁…
確かに…!私なんかは、昨年木下さんと直接お話させていただいて、その志というか目標に感銘を受けました。確かに、普通のコレクターとは、見据えている先のものが違うのだと思います。その志を広めるためにも、やっぱりこうして私からも情報発信していければと思っています。
音が微笑む、というのは素敵な表現ですね(今度どこかで使ってみたい)。ゴーベールやメサージュと言いますと、さらに数十年さかのぼったところのSP時代の指揮者ですよね。Sonoreさんのモイーズ研究室や、木下さんに以前送っていただいたSPの復刻以外では、あまり聴いたことがありませんが、50年代の音の秘密がその世代から受け継がれているのでは…と考えると、わくわくしますね。
音が微笑む、というか響きが微笑むというか。それを一番感じたのは「古風なメヌエット」のトリオ部分です。そこで感じたものをPerlesmuterのピアノ演奏の同じ場所でも感じました。つまり、特殊な音程、特殊な音質などではない実に物理学的とでもいうか、人間の聴覚、感性を数字的に動かす仕組みを彼らはあたりまえのように使っているのかもしれません。音の位置、高さ、大小、対比etc.
メッサージェの録音はまったく参考にしかなりませんが(あまりに古くて)、ゴーベールやコッポラ等の録音はけっこう豊富にあります。ゴーベールも1920年代から1930年代後半までの間に様々残しています。最後期の演奏など、クリュイタンス時代のあのサウンドの萌芽を予感させるものがあると思います。
「古風なメヌエット」、改めて聴いてみました。素敵な響きですね。
音楽って、いろいろな要素から成り立っているものですから、一つ一つの要素をきちんと設定していけば、再現することが可能と言えるのでしょうか。以前、サクソフォンの音色について、良い音といわれている奏者の倍音構造を分析すれば、その音を再現することも可能なのではないか、と思ったこともありました。
ソシエテの響きの仕組みが解明できれば、現代にその音が蘇ることになる…のでしょうか(^^;考えてみると面白いですね。
要素を取り揃えることである程度、範囲限定での再現は可能だと思いますが、その音が放たれる空間が違いますので同じにはならないでしょうね。
よく倍音、倍音と言いますし、僕も昔そんなことばかり言っていたような気がしますが、倍音も音質のある一部の要素にしか過ぎません。人が音色を感じるためにはもっと沢山の要素が必要です。
クリュイタンス&ソシエテとペルルミュテルのピアノ演奏の同じ曲の同じ部分で、僕が同じ印象を受けたといっても、両者が同じ要素を取り揃えたのではなく、同じイメージを求めた結果、それぞれが最良の要素を用意したに過ぎません。もちろん、その中で楽器は違っても共通する要素もあるでしょうけれど、オケに出来てピアノに出来ない要素は沢山ありますから、ピアノに出来る要素に置き換えなければならないはずです。
> Sonoreさん
むむむ、やはりそう簡単ではありませんか…(^^;「音が放たれる空間」という考えも、今まで考えたことはありませんでした。
両者の間に共通するのは、その響きの確固たるイメージ?と、それを引き出す方法を、クリュイタンスもペルルミュテールが心得ていたであろうということですか。私はピアノが弾けないのでピアノのことは良く分かりませんが、オケもピアノも、その響きの秘密はぜひ知りたいところです。一筋縄ではいかないことかもしれませんが…。
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