2008/10/10

Interview with the Legendary Marcel Mule(その1)

「History of Saxophone Vibrato」という、パリ国立高等音楽院の現サクソフォン科教授である、クロード・ドゥラングル氏が、マルセル・ミュール氏にインタビューした記事を発見した。オーストラリアの、クラリネット&サクソフォン協会が発行した記事であるようだ。現教授が、前々教授にインタビューする、という構図が、なかなか面白い。以下のページの、click hereというリンクから辿ることができる。

Interview with the Legendary Marcel Mule - on the History of Vibrato

主にヴィブラートの話を中心に、マルセル・ミュールのキャリアについて辿るもの。英語。サクソフォンにおいて、ヴィブラートを初めてクラシックで使用したところの描写が面白かったので、簡単に訳してみた。

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私は1923年にギャルド・レピュブリケーヌに入団し、フランソワ・コンベルの席を引き継いで主席奏者になりました。コンベルは私にギャルドの入団を勧めてくれた奏者です。
(…中略…)
そのころ私は、オペラ・コミークでも演奏をしていました。オペラでサクソフォンを使うものと言えば、その頃はマスネの「ウェルテル」くらいしかありませんでしたから、演奏していた、と言ってもひと月に一度くらいでしょうか。オペラ・コミーク以外にも、コロンヌ管、パドゥループ管、ソシエテなどでも演奏をしていました。その頃パリのオーケストラは、私のことを「ジャズ奏者ではない、クラシックのサクソフォン奏者」という風に捉えていたようです。それは、ヴィブラートをかけずに演奏していたから、ということが一番大きいでしょう。
1928年、オペラ・コミークでの新作の演奏機会に呼ばれました。そのバレエは、私のことをジャズバンドのキャリアを知っていたピアニストによって書かれたもので、編成にサクソフォンが含まれていました。その中の一曲は「Fox Trots」と名付けられ、ブルースの大変expressiveなメロディがサクソフォンに割り当てられています。瞬時に私は「これはジャズのフレーズだ」と悟りましたが、そのフレーズの吹き方について作曲者と話せなかったのです。そこで、リハーサルにおいてはウェルテルでいつも吹いているがごとく、私はノン・ヴィブラートでそのフレーズを吹きました。すると彼が私に言うのです。「私はvery expressiveと書いたはずだ。それは、ヴィブラートをかけて欲しい、ということだ」。
私はこう反論しました。「しかし、今まではヴィブラートなどかけたことがありません。ここはジャズオーケストラではなく、シンフォニーオーケストラなのですから」
彼はこう言います。「そんなことは問題ではない、君がジャズバンドで吹いていたように吹けばいいんだ」
そこで私は観念し、「わかりました…。しかしどうなってもわかりませんよ」と返しました。私は、オーケストラメンバーからの反感を買うことを恐れていたのです。
私はそのフレーズをゆっくりと、ヴィブラートをかけて吹きました。すると、彼はもちろんのこと、周りの音楽家たちから賞賛の声があがりました。ある者は、「新しいサクソフォン奏者が現れた!」と声を上げたほどです。反感を買うどころか、音楽的に成功を収めたのです。私の後ろに座っていたギャルドの奏者が、「ギャルドでもそうやって吹いたらいいよ」とアドバイスしてくれましたが、さすがに音楽のスタイルが違うため、それは難しいと答えました。
しかし、この成功によって私はヴィブラートを研究するきっかけを与えられ、機会をみつけては徐々に使用するようになりました。そのうち、ほとんどすべての演奏でヴィブラートを使うようになりました。(…以下略)

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あと、ミュールがシガード・ラッシャーについて回想している部分も!これについては、また時間を見つけて訳してみます。

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