2022/10/30

ロンデックスのジャン・リヴィエ評伝

ロンデックスが、ジャン・リヴィエについて論じた短い文章。「Le Saxophone No.32(1988-April)」より。

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1896年7月21日、ヴィルモンブル(セーヌ=サン=ドニ県)に生まれたジャン・リヴィエは、1987年11月5日にラ・ペンヌ=シュル=ユヴォーヌ(ブーシュ=デュ=ローヌ県)で死去した。第一次世界大戦中に毒ガスにさらされたが生き延び、1922年、パリ国立高等音楽院に入学し、ジャン・ガロン(和声)、ジョルジュ・カッサード(フーガと対位法)、モーリス・エマニュエル(音楽史)に師事。また、ピアノをブローに、チェロをポール・バゼレールに師事し、その後この楽器のために「オーケストラとのラプソディ(1927)」を作曲し、室内楽にも興味を持つようになった(4つの弦楽四重奏とトリオ、4本のサクソフォンのための「グラーヴェとプレスト」など)。彼の初期の作品には、鋭いエッジ、明確な音響建築のセンス、簡潔さへの著しい嗜好、しばしば「アール・グラヴュール」と呼ばれるスタイルが見受けられます。

1936年から1940年にかけて、ジャン・リヴィエはピエール・オクターヴ・フェローやアンリ・バローとともに「トリトン・グループ」に参加し、活躍した。1947年、パリ国立高等音楽院で作曲を教え、最初はダリウス・ミヨーと交互に、その後1962年から1966年までは単独で教鞭を執った。

彼の作品目録には、交響曲7曲(1932年から1961年)、ヴィオラ(1935年)、ヴァイオリン(1942年)、ピアノ(1953年)、サクソフォーンとトランペット(1955年)、クラリネット(1958年)、ファゴット(1963年)、金管とティンパニ(1963年)、オーボエ(1966年)などのための協奏曲8曲をはじめ、約100の交響曲、室内楽、合唱曲が含まれている。

1940年以前から、ジャン・リヴィエは、抽象的な言語の探求よりも、むしろ音楽表現を優先するという、当時はまだあまり普及していなかったロマン派の傾向を代表していた。ユーモアのセンスがあれば(『ヴェニチエンヌ』やサクソフォン協奏曲のフィナーレ)、最も説得力のあるシンプルさを実現できるのだ。

品質、厳格さ、心、感性を備えた彼は、実際「伝統的な形式に忠実であり」「想像力豊かで、フランスならではの視覚的な」(これは特に戦間期の作品に顕著)な人物であり、強い意味での自立者でもある。

若い頃、マスタード・ガスにやられたジャン・リヴィエは、生涯を通して健康状態がよくなかった。極限状態、つまり死という永遠の危機について、その精神的な体験を、人に伝えることを可能にする…しかも、音楽によって…そのレベルに成熟するまでは非常に時間がかかった。まず1953年の「レクイエム」で、次に1967年の「クリストゥス・レックス」で、彼は卓越した筆力と最高の表現力で、地上生活を超えた、人間の形而上的運命への信仰を表現している。

ベルナール・ガヴォティとダニエル・レザーによれば、「ジャン・リヴィエはとても親切で、とても控えめで、5分もすれば20年来の友人と接しているのかと思うほど歓迎してくれる」そうだ。音楽家がシステムを持っているのと同じように、彼には先入観がない。世界的な偉人であると同時に、誠実な友人でもある。音楽家としては、まるで建築家のようなスタイルを取った。ありきたりなものとセンセーショナルなものの両方を避けるのが、リヴィエの選んだ道であるように思う。



2022/10/29

Pierre PETIT「Andante & Fileuse」のデファイエ氏の演奏

木下直人さんが最近入手されて、YouTubeにアップロードしてくださった録音。放送用に準備された録音のようだ。

作曲家の名前は初めて知った。ジャン=ミシェル・ダマーズ氏やジャニーヌ・リュエフ氏とほぼ同世代にあたる。1942年にパリ音楽院に入学し、アナリーゼをジョルジュ・ダンドロに、和声をナディア・ブーランジェに、対位法をノエル・ギャロンに、作曲をアンリ・ビュッセルに、それぞれ学んだ。パリ音楽院、パリ理工科学校等で教え、ORTFに入社後は要職を歴任した。

デファイエ氏の音楽性と技巧面を両面から良く伝える演奏内容で、とても心動かされた。こういった演奏が、商用録音としてリリースされていなかったことが惜しいとは思うが、木下さんの探究心に改めて頭が下がる思い。

ニコラ・プロスト氏のデファイエ復刻録音集にも収録されているが、木下さんの復刻のほうがクリアに聴こえる。 


東京藝大ウインドオーケストラの「エルサレム讃歌」

指揮:山本正治、東京藝大ウインドオーケストラのセッション録音。

若手奏者を中心とした、極めて精度の高い演奏。さらに解釈も極めてスタンダードなもので、万人に勧めることができる演奏と言えよう。TKWOの演奏に続く、新世代の標準盤として、併録の他作品の録音とともに(特にC.T.スミス作品は奏者の力量がダイレクトに表出する)筆頭盤として位置づけられるものと感じた。

録音が「おや?」と思えてしまう状態なのは残念。ミキシングなのかマスタリングなのか、妙なカタマリ感があり、どこかで失敗しているような印象。

サクソフォンの布陣は、上野耕平、住谷美帆、田島沙彩、宮越悠貴(以上asax)、戸村愛美(tsax)、田中奏一朗(bsax)(敬称略)。


2022/10/16

広島ウインドオーケストラの「エルサレム讃歌」

指揮:下野竜也氏、広島ウインドオーケストラの演奏。かなり新しいCDで、「エルサレム讃歌」は第55回定期演奏会におけるライヴ録音とのこと。

"なにわ"を聴いてしまうと、ソリスト/各奏者の力量等の差が気になってしまうが、そういったアラ探しのような真似は無意味。この「エルサレム讃歌」の演奏の中核はずばり、最後のコラール変奏だろう。下野氏の独自解釈なのかと思うが、必要以上に劇的なフォルテを強調せず、mf~mpで、そこに至るまでの全てを優しく包み込むような印象。

同じ物語なのに、語り部を変えたことにより、ここまで印象を変えるのかと、心底驚いた。「極めてヒロイックな物語の最後に、読者が知り得なかった主人公の痛みと悲しみの心情を滔々と語ることにより、ここまでの寓話の真意を描き出しているかのよう」…これは全くの架空の話だが、そういった読者の心を捉えて離さないような、見事な結末を提示する。

サクソフォンの布陣は、宮田麻美、前田悠貴(以上asax)、日下部任良(tsax)、石田大輔(bsax)、西川佑太(bssax) (敬称略)。



なにわ《オーケストラル》ウィンズの「エルサレム讃歌」

私的に好きな吹奏楽曲のひとつ、アルフレッド・リード「エルサレム讃歌」について、おすすめいただいたCDをいくつか購入したので、順に紹介していく。

なにわ《オーケストラル》ウィンズ2014のライヴ録音。丸谷明夫氏の指揮の下、関西方面のオーケストラ奏者が一同に会してのスペシャル吹奏楽団。丸谷氏のカラーが極めて良く出ており、音運びや構成などから、淀工の種々の演奏のエコーを感じる。緩徐部での歌い方の、ソリスティックな響きと統制の取れた響きの、極めて絶妙なバランス感覚が聴きもの(ソリストの潜在能力の高さ!)。そして、最終部での劇的なクライマックスと聴衆の興奮。

ライヴ録音ながら、極めて精度の高い演奏は、さすがオーケストラ奏者、といったところか。中間部のソプラノサクソフォン独奏は、雲井雅人氏(の可能性が高い)とのこと。聴いたことのない空気感の演奏。

録音は、主環境(モニタースピーカー)で聴いても、イヤフォンで聴いても、音場がやや遠く、各楽器の分離を聴き取ることが難しく、細かいポリフォニックな響きが重畳されて、ややモノトーンっぽく聴こえてしまうのが残念。

サクソフォンの布陣は、岩田端和子、雲井雅人、佐藤渉、陣内亜紀子、西尾貴浩、林田和之、平田洋子、前田幸弘(敬称略)。

2022/10/12

マルセル・ジョセのこと

名奏者であり教師、マルセル・ジョセについて。初出は日本サクソフォーン協会誌に寄稿した「録音から読み解く現代サクソフォン・トレンドの萌芽と発展」。構成を一部変更している。※敬称略。

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マルセル・ミュールが、1928年にギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団の仲間と共に結成した四重奏団は、その後パリ・サクソフォン四重奏団、マルセル・ミュール・サクソフォン四重奏団と名を変え、1966年までその活動を継続した。ミュールの四重奏団は、メンバーは固定されておらず、数回のメンバーの交代が発生したが、その最終期にバリトン・サクソフォン奏者を務めていたのがマルセル・ジョセ(ジョス)Marcel Josseである。

ジョセは1905年に生まれ、早期よりチェロ奏者としての高い能力を発揮した。16歳のときからアレクサンデル・ザッハレフ・バレエ団管弦楽団のチェロ奏者として籍を置き、後にパリ・オペラ・コミーク管弦楽団へと移籍した。順風満帆に見えたジョセの音楽家としての人生だが、そのころ腕を痛め、チェロ奏者としてのキャリアと、パリ音楽院のチェロ科への入学を断念せざるを得なくなる。ここで方向転換を迫られたジョセは、1925年、サクソフォンに興味を示した。1925年のことである。

ジョセの周りにサクソフォンのための教本は無く、専門の教師もいなかった。そこでジョセは、チェロを学んだ経験を基にして、チェロの教本をサクソフォンに適用しながらこの楽器の演奏を学んだという。すでに確たるバックグラウンドがあるジョセならではのエピソードである。

彼は、パリ音楽院において、サクソフォン、和声、対位法を学び、プロフェッショナルな演奏家として十分な技術を身につけた後、1933年にはサクソフォンの教師となった。その高い音楽性と技術をマルセル・ミュールに認められて、1948年に四重奏団へ参加。バリトン・サクソフォン奏者となり、ミュール四重奏団の解散までその役割を全うした

現代においては、ジョセと言えばどちらかというとサクソフォンの教育者としての顔が有名だ。ギィ・ラクール Guy Lacourがサクソフォンの初学者のために作曲した「50のエチュード」は、ジョセに献呈されている。教育者としての経歴を追うと、ヴェルサイユ音楽院、スコラ・カントルム、エコール・メルンという3つの学校で教鞭をとり、数多くの優秀な奏者を輩出したということである。前述のギィ・ラクールのほか、ベルナール・ボーフルトン Bernard Beaufreton、アンドレ・ブーン André Beun、ジャン・ルデュー Jean Ledieu…1970年代から1980年代にかけてフランスのサクソフォン界隆盛を支えた彼らは、全員がジョセの門下生である。

以下の写真でバリトンを吹いているのが、ジョセ。アルトはアンドレ・ボーシー。

2022/10/10

Steven Jordheim氏のマルタン

1983年9月5日録音の、ジュネーヴ国際コンクール本選か、その入賞者披露演奏会かわからないが、最高位(一位なしの二位)に入賞したスティーヴン・ジョードハイム氏演奏のライヴ録音を聴いた。ジュネーヴ市のアンセルメ・ホールにおける演奏。

イベール「コンチェルティーノ・ダ・カメラ」、マルタン「バラード」。詳細はさっぱりだが、イベールはローザンヌ管弦楽団、マルタンはスイス・ロマンド管弦楽団との説明記載あり。種々の情報が定かではなく、イベールは別機会で、演奏日も間違っているかもしれない。


以下、雲井雅人氏の「小言ばっかり」より、関係部分を抜粋する。
http://www.kumoiq.com/kumoi/arc/dd200408.html

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これ以前に僕がコンクールと名のつくものを受けたのは、1983年のジュネーヴ国際音楽コンクールが最後だ。

僕はその本選で、生まれて初めてオーケストラの前に立ってソロを演奏した。本選には、コンクール参加者84名中、3名が進んだ。

曲目は、フランク・マルタン作曲「アルト・サクソフォーンとオーケストラのためのバラード」、オーケストラはスイス・ロマンド管弦楽団。

僕はオケ前で吹くのはもちろん、それまでオケ中で吹いた経験もほとんどなかった。オケ前初体験が、このように異国の地で外国のオケの前でスイス人の指揮者とだったので、リハーサルでは何が何だか分からぬまま無我夢中で吹くだけだった。

本選では、むやみに楽しく音楽に没頭して演奏できたと思う。しかし好事魔多し。忘れもしない、練習番号[28]の4小節前でフラジオを一発はずしてしまったのだ。

結果、僕は「銀メダル1席」。ノーミスで吹いたアメリカのスティーヴン・ジョードハイムが1位なしの2位となった(ちなみに、その頃のジュネーヴは1位、2位の次が銀メダルとなっていた。銀メダル2席はスイスのコレットという人)。

あとで、そのとき審査員を務めていたヘムケ師匠に「なぜ君が最高位にならなかったか分かっているね」と言われた。厳しいもんだなと思った記憶がある。

一柳慧とサクソフォン

作曲家の一柳慧氏の訃報。サクソフォンへの直接的な関わりは多くはないが、楽器編成を限定しない「プラティヤハラ・イベント」に、サクソフォンが参加した実演に触れたことがある。

調べてみると「Trichotomy」というアルトサクソフォン、ピアノ、打楽器のための作品を、野田燎氏のために作曲している。インターネット上の情報からは全くその作品に関する情報をたどることができない。初演された演奏会についての情報は見つけることができたが、いったいどのような作品なのか、聴いてみたい。

https://www.shodo.co.jp/nankoku/report/vol-16/

そういえば、武満徹「一柳慧のためのブルー・オーロラ」のことを、一柳慧氏の名を冠する作品(ブルー・オーロラSQが取り上げている)として反射的に思い出す。



2022/10/08

フランスは進化し、先行する

20世紀終わりから、21世紀にかけてのグローバリゼーションの流れは、かつて「世界にわずかしか存在しない"スター"を中心に物事が衛星のように回っていく」という状況を不可逆的に変化させてしまった。今の時代は「みんな違ってみんな良い」、様々な好みに合わせて様々なスタイル・方向性を提示する。これはクラシック・サクソフォンに限ったことではない。

提示する側も、受け取る側も、物差しが違うから、それぞれを比べること(結局誰が一番なの?)は無意味である。時折、国際コンクール等、同じ物差しで測る機会は訪れるのだが、そこで提示されるものは同じ物差しであっても、最終選考まで行ってしまうともはや1ミリ、2ミリの違いであり、ではどうやって優劣を付けるかというと、やはりここでも違う尺度が登場している…と感じることは多い(「審査員の好み」という単語で語られたりする)。

とはいえ、どこかには絶対的な進化を遂げ、世界に先駆けて最先端の演奏を繰り広げている奏者がいるはず…7割の聴き手がその演奏を聴いて「これぞ!」と納得すれば、それは現代世界における最先端である、と言って差し支えないのだろう。

…ということを考えたのは、アレクサンドル・スーヤ Alexandre Souillart氏の「Voyage Esquisse」を聴いたため。存在は知っていたのだが、じっくり聴いたことがなく(氏の実力のほどは、実演や、「Ténor, quand tu me tiens!」などで十分分かっているつもりだった)、ふと聴いてみたくなった次第。


これは、伝統的なフレンチスクールのサクソフォニズムが築き上げてきたテクニック、美的センス、エスプリ、珠玉の作品群…を、同じくフランスの、クラシック・サクソフォン界の最先端から照らし出そうと試みたアルバム。

世界で数え切れないほど演奏されている「プロヴァンスの風景」「スカラムーシュ」「性格的小品」等々…現代にあっては、何ということもない作品を取り上げ、伝統を軸にして奇を衒わず、「この曲は、こうやって演奏すれば美しく、楽しく、自然に聴こえるでしょう」と、さらりと提示する。まさに「これぞ世界最先端のサクソフォン」だ!。これを一通り聴いたときに、フランスは今なお進化を続け、世界に先行している、という思いを強くした。

演奏内容を言葉で伝えるのは難しいためぜひ聴いていただきたいところ。個人的には、ミーハ・ロギーナ氏のハチャトゥリアン「ヴァイオリン協奏曲」、ハバネラ四重奏団のクセナキス「XAS」、グラズノフ「四重奏曲」、ヴァンサン・ダヴィッド氏の「プロヴァンスの風景」…といった、黒船来航のようなセンセーショナルな演奏の数々と同列に扱われるべきものだと考える。

2022/10/02

John Sampen plays C.T.Smith "Fantasia"

ジョン・サンペン氏の演奏で、クロード・トマス・スミス「ファンタジア」の録音(映像無し)。なんと1984年、Bowling Green State Universityのバンドとの録音だ。作曲が1983年(初演は、Dale Underwood氏)であるから、その翌年、「新たなレパートリー」としてのお披露目のような機会だったのだろう。

冒頭/再現部はやや独奏とバンドの噛み合わせの悪さが聴かれるが、中間部のドラマティックな演奏はバンドとともに見事なもの。アンコールとして、ルディ・ヴィードーフ「サクソフォビア」も演奏されている。

ところで、サンペン氏、活躍の期間が極めて長いなと思うのは私だけだろうか。1949年生まれとのことだが…最近でもYouTube(便利だ)などで演奏家・教育者としての姿を確認することができる。



2022/10/01

マルセル・ミュール氏のエッセイ"The Saxophone"(1950年)

1950年の"Symphony"誌より、マルセル・ミュール氏のエッセイ。1958年のアメリカツアーに際してプログラム冊子に英訳が掲載されたが、それを日本語訳した。ミュール氏の書いた、こういった長い文章を見るのは初めてだ。

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今日、サクソフォンほど流行している楽器はないだろう。どんな小さな村でも、その土地の守護聖人の祭りの日には、30年前にはまったく無視されていたこの楽器の音で踊るのである。100年以上前から存在していたサクソフォンだが、人気の開花にはジャズの出現を待たねばならなかった。

100年の間に自身の発明が成功に至ることになったが、ダンスミュージックの分野における成功は、気鋭の楽器製作者、アドルフ・サックスも予見していなかったのである。彼はサックスを、オーケストラにおいて木管と金管をつなぐものとして考えていた。そして、前世紀には、サクソフォンをこのように使って、素晴らしい結果を得た作曲家もいた。ビゼーは「アルルの女」で、マスネは「ウェルテル」と「ヘロデ王」で、アンブロワーズ・トマは「ハムレット」で、この楽器に第一級の重要な役割を与えている。その後、ドビュッシーが「ラプソディ」を、フロラン・シュミットが「レジェンド」をこの楽器のために作曲している。

しかし、ほとんどの作曲家はサクソフォンを無視し、サクソフォンが大規模な交響楽団の中に定常的に組み込まれることはなかったと言わざるを得ない。パリ音楽院にサクソフォン・クラスが設けられ、アドルフ・サックス本人に教授職が託されたが、創設後間もなく中断せざるを得なくなった。しかし、軍楽隊や合唱団がこの楽器を採用したため、完全に消滅したわけではなかった。

サクソフォンがスターダムにのし上がるにはジャズの出現が必要だったが、繰り返すが、このことをアドルフ・サックスは望んでいなかったことは明らかである。残念なことに、多くの人はジャズの側面でしかサクソフォンを知らない。クラリネットもトランペットもトロンボーンも、そしてヴァイオリンさえも、ジャズの中でしか聴いたことがないとしたら、どうだろう。シンフォニー・オーケストラに貢献するために考え出された楽器が、"シンフォニスト"に軽蔑され、ジャズの中だけで役に立っていることは、サクソフォンに起こったドラマのようなものだ。

シンフォニー・オーケストラにおける、こんな傾向もある。フランスでは現在、著名な作曲家たちがこぞってサクソフォンを採用しており、アルテュール・オネゲル、ジャック・イベール、ダリウス・ミヨーなどは、楽譜の中で忘れることはない。個人的には、サクソフォンの音色の豊かさと気高さ、表現の可能性、ヴィルトゥオーゾとしての均整のとれた演奏のすべてを高く評価している。私は長い間、サクソフォンのすべての能力を活用しようと努めてきた。私はカルテットを結成し、20年ほど前からフランス全土、そしてヨーロッパの多くの国々で演奏している。

私は"シリアス"なサクソフォンの唯一の擁護者であるかのように装っているわけではない。ヨーロッパにもアメリカにも、この問題に熱心に取り組んでいるアーティストがたくさんいる。すでに多くのカルテットが存在するが、私たちは少数派である。この運動が十分な広がりを見せるには、また、一般大衆がこの"甘ったれた"楽器の高貴さをようやく発見するためには、まだ長い時間が必要であろう。

サクソフォンは、交響楽団の中で、通常オーケストラに使われるすべての管楽器と同じ重要性をもって、第一級の役割を果たすことができる。そのため、他の楽器と同じように細心の注意を払って演奏しなければならない。つまり、音色の質、イントネーション、すべてのニュアンスにおけるアタックの正確さ、一言で言えば、非常に真剣な総合的テクニックを身につけることである。サクソフォン奏者は、名人芸の観点から、他のすべての楽器の奏者と同じように努力しなければならないし、確実に楽になるためには、音階、アルペジオ、エチュードに取り組まなければならない。美しいテクニックを身につけるには、すでに多くの練習曲や習作が存在し、それで十分である。

音の良し悪しについては、もちろん個人の好みの問題であるが、少し助言させてほしい。私の考えでは、美しい音を出すためには、まず喉が完全に自由であること、つまり収縮を防ぐことが不可欠である。「オ」「ア」と発音するように喉を開きながら、楽器の中に空気を送り込むことが必要だ。こうして、音の大きさとすべての音域での使いやすさを同時に手に入れることができる。この状態を実現し、音の下品さを避けるために、十分な硬さでマウスピースを維持し、かつリードに過度な圧力をかけないようにします。

この2つの要素、フリー・スロートとアンブシュアのコントロールは、音色の質を高めるために欠かせないものである。

サクソフォンの特徴ではないが、表現上の要素として、ビブラートというものが残っている。ヴァイオリンやチェロが「まっすぐな」音色であることは考えにくい。フルート、オーボエ、ファゴット、ホルンの表現力豊かな音色には、もう何年も慣れっこになっている。これらの楽器は弦楽器と表現力を競い合い、オーケストラに強烈な情感を添えている。この点ではサクソフォンも同じである。

ビブラートは、音の高さの変化によって得られる起伏と、起伏の速さの2つの要素から構成される。音色に俗っぽさが出ないように、うねりは大げさではなく、はっきりと感じられる程度でなければならない。連続するうねりの速さについては、メトロノームを使って作業し、震えや、遅すぎるうねりから生じるワウワウを避けるテンポを自分に課すことは、優れた練習方法である。

経験と味わいによって、音色に質の高い情感を与えるヴィブラートに到達することができる。

以上、短い文章ではあったが、私のサクソフォンに対する考え方を十分に明らかにすることができたと思う。最後に、多くの若いアマチュアが、この美しい楽器に期待されるあらゆる喜びを実感できるようになることを祈りたい。私は、ジャズ・サクソフォン奏者の演奏する効果にいち早く注目しているが、この素晴らしい楽器がもっと崇高な使命を果たすべき時に、大多数の大衆がこのような名目でしかサクソフォンを知らないことを残念に思っている。