2013/07/08

オネゲル「小組曲」のサクソフォン

木下直人さんから教えていただいた録音。木下さんからSonoreさんに復刻盤が送られ、Sonoreさんが音質を若干整えてYouTubeにアップロードしたもの。

オネゲルといえば、J.M.ロンデックスに献呈した「Concertino da camera」のフルートパート、コーラングレパートを、それぞれソプラノサックス、アルトサックスに置き換え可能としていることが知られる。また「Amphion: Prelude, Fugue and Postlude」他、オーケストラ作品でのサクソフォンの用例が散見されるが、このようなサクソフォンとピアノのための小品があるとは知らなかった。



サクソフォンは、フェルナンド・ロンム Fernand LHOMME氏。ギャルド初来日の時、サクソフォンのトップを担当していた奏者であるが、このような独奏が残っているとは知らなかった。1938年の録音とあり、甘い音色からはマルセル・ミュールとの類似を感じることができる…が、ヴィブラートの掛け方は、全ての音にヴィブラートが掛かっているミュールとは若干趣を異にする。興味深い。1938年という時代にあって、ミュールやラッシャー以外にも素晴らしい演奏者はたくさんいたのだ!ロンム氏といえば、阪口新氏が書いた次の文章を思い出す。ヌオーのことを書いているのだが、ロンム氏の名前がちょっとだけ出てくる。

ヌオーのこと - 阪口 新
 ミシェル・ヌオー氏が始めて日本に来たのは1961年である。この時はルーブル博物館の名画が上野の博物館で公開されるのといっしょに朝日新聞社がフランスからギャルド・レピュブリケーヌ楽団を招聘して日本の大都市で公演、レコードでしか聞いてなかったギャルドのダイナミックな美しい演奏を、生で聴く事が出来て多くの愛好者が感激したものである。この時のサキソフォンのセクションは退役間近いローヌ等3人の年寄りが居り、ヌオーは中堅のトップ奏者テナーには現在デファイア四重奏団のジャック・テリー、バリトンに同じくポーリンと非常に充実したメンバーであった。フランスの管楽器の学生はギャルドに入団出来ることが最大の望みで入団試験の競争率は大変なもの、この時ヌオーと来た若いアルト奏者は此の年25人のサキソフォン受験生の中からたった1人入団したばかりの、此のレコードでもアルトを受持つアンドレ・ブンである。この時から5、6年経ってヤマハが管楽器の製作を始め試作の段階でヌオーが来日、浜松の工場で日本からも数人が加わって色々と試奏したりした。その後1年の間に3回ほど来日、私と工場からホテルまで一緒に過ごした。3年程前、パリ管が来日したプログラムに『展覧会の絵』があったので多分ヌオーが来るだろうと思っていたらやはり彼であった。パリ音楽院にマルセル・ミュール教室が出来たのは1942年、第1回の1等卒業者がダニエル・デファイアとロベール・レテリー(フランス空軍楽団のソロ奏者)、第2回の1943年がヌオーである。彼は6才ごろサキソフォンを親にねだって買ってもらい、正式なレッスンを受けたのは9才。13才の時には賞を取っている。1952年サキソフォンが初めてジュネーブの国際コンクールに取り上げられ、この時8つの賞がパリ音楽院出身のフランス奏者によって独占された。1位ヌオー、2位以下ペリソン、ダビー、テリー、ラクール、など。現在はギャルドの外、ラジオ、テレビのソロイストとして又、マルセル・ミュール引退後のセルマーのクリニシアンをも受け持ち広く活躍している。彼の柔軟な演奏はテクニック一辺倒の傾向にあるフランス楽界にあって得がたい存在。それもこれも彼の人がら、即ち人間味豊かな音色が我々の心をゆさぶる。今年の7月ボルドーでの世界サキソフォンコングレスで彼と再会できるのを楽しみにしている。

1974年発売のLP「サキソフォン四重奏の魅力 -ギャルド・メンバーによる-(東芝EMI/AFA EAA-85052)」ジャケットより転載

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