音楽を楽しむには、前提知識があるとより深く楽しめるんだなあ、という、経験に基づいた話。
宮川彬良氏の公式ページで読めるエッセイがおもしろい、という話は、いぜんブログのどこかで書いたことがある。大阪国体の顛末とか、芸大作曲科の入試とか、おもしろいエピソードそして示唆に富む文章の宝庫であり、見つけたときは、寝食を忘れて、一気に読んでしまった。
そのエッセイの中で特に印象に残っているものがあって、その一つが「ソナタはワタシ・ワタシはソナタ」と題されたエッセイだ。下のリンクからたどることができる。
http://akira-miyagawa.com/modules/news/article.php?storyid=42
これを読んだとき、いわゆる「ソナタ」と呼ばれる音楽形式について、目の前がすうっと明るくなっていくような思いがしたのである。CDや楽曲の解説に「この楽章はソナタ形式」などと書かれても、それまでは何のことやらさっぱりだったのが、上のエッセイを読むことで氷解したのだ。ソナタ形式について知るためには、別に宮川彬良氏のエッセイでなくても良かったのかもしれないが、なぜか妙に印象に残っているのは、宮川氏の文章のセンスだろうか。
そして、このエッセイの真の効用は、それからあとに顕在化してきた。このエッセイで得た知識をもとに、ほぼすべての楽曲には主題があることを意識してさまざまな音楽を聴き出すと、音楽を聴くことがとたんに面白くなったのだ。折しも、気合いを入れて取り組んでいたデザンクロ「サクソフォン四重奏曲」の第一楽章(明らかなソナタ形式)、跳躍と半音階風味の動きを伴う第一主題と、牧歌的な第二主題、それぞれの展開手法の素晴らしさ。そして、楽曲も後半になった部分での再現部、等々…主題を追っていくことで、その場その場の響きを楽しむのとは違う、曲に対する新たな楽しみを見つけることができたのだ。
それは特に、長い曲を聴くときに特に有効である。いつだったか、筑波研究学園都市吹奏楽団で聴いた、たしかバーンズの「交響曲第三番」だったかな、あれの最終楽章って、普通に聴くと長いだけで、ちょっとアレなのだが、第一主題、第二主題、そして展開部と再現部が明確に区切られており、聴きながらそれを追うだけで楽しかった記憶がある。
そんなわけで、音楽を聴くときは、その音楽に対するきちんとした知識があると、楽しいよ、という話でした。作曲家、楽曲に対する知識のみならず、音楽の形式に関するベーシックな部分をきちんと押さえることで、まったく楽しみ方が変わってくるのだ。
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