2008/07/01

アドルフ・サックスの生徒たち

今日の飲み会が21:00からだと思って出かけたら、実は21:30からだった。むー。ちょっと時間ができたので、ブログを更新。

アドルフ・サックスの生徒たち…生徒たち、というよりは課題曲かな。SaxAmEを見ていたら、アドルフ・サックスが教鞭をとっていた時代の資料があったのだ。課題曲と、プリミエ・プリを獲った卒業生の一覧。リンク先を見れば判るので、転載はしません。

http://www.saxame.org/topics/history/conservatoryparis.html

1857年、パリ・コンセルヴァトワールにはサクソフォン・クラスが開設され、サクソフォンのアドルフ・サックス Antoine Joseph (Adolphe) Saxが教授に就任した。アドルフは、優れた楽器職人であっただけでなく、プロフェッショナルなクラリネット奏者としての経歴を有しており、演奏指導においても高いスキルを持っていたことが伺える。

サクソフォン・クラスが開設されたは良いものの、いざ卒業試験の季節が巡ってきたときに問題が生じる。当時、サクソフォンのためのオリジナル作品が皆無だったのだ。頭を悩ませたアドルフは、同郷の作曲家に作品を委嘱することとなった。1858年に最初の卒業生であるRaymond DAINを送り出したのち、コンセルヴァトワールの財政難によりサクソフォン・クラスが閉鎖される1870年までの間、数々の作品が生まれたのである。

ここで作曲されたのが、ほかならぬサンジュレ、ドゥメルスマン、サヴァリ、ジュナンらの作品。特に、アドルフと同郷のヴァイオリニストであったサンジュレは、実に多くの試験用作品のために筆を執っている。例えば、「Solo de concert(試験用独奏曲)」という名前の作品だけでも、なんと9つもあるのだ!(笑)

面白いのは、アルトだけでない、ソプラノ、テナー、バリトンといった楽器が同列に扱われていること。この辺り、マルセル・ミュールとアドルフの、楽器に対する考えがの違い浮き彫りになるようで面白い。アドルフは、まさに木管楽器と金管楽器の中間色としてサクソフォンを発明した。そして、各音程の楽器に対して生徒を育て、オーケストラや吹奏楽のなかで専属奏者となるようにしたのではないだろうか。「アルトを吹けば、どの楽器にも対応できる」として、音楽学校での指導をアルト・サクソフォンに絞ったのは、ほかならぬミュールなのである。ミュールは、サクソフォンを独奏楽器として捉えていたのだ。

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