2006/12/28

ハワード・サンドロフ「Eulogy」

これは、サクソフォーン・フェスティバル会場の、大ホールロビーで無料配布されていたもの。日本サクソフォーン協会が1991年に発行した楽譜で、ホワード・サンドロフ Howard Sandroff氏の「Eulogy」という無伴奏アルトサクソフォン作品の楽譜。

何気なく手にとって持ち帰ってきたのだが、良く見るとタイトルの下には「to the memory of Yuichi Ohmuro(大室勇一の思い出に)」というサブタイトルが…なんで大室氏の名前が…?そしてさらに、委嘱者の但し書きには「commissioned by Frederick Hemke」とある。ヘムケ氏が委嘱…?。

作曲者のサンドロフの名前を見て突発的に思い出したのは、1988年8月12日の第9回世界サクソフォーン・コングレスの最終日のコンサート。”協奏曲の夕べ”と題されたガラ・コンサートでフレデリック・ヘムケ Frederick Hemke氏が吹いた「ウィンドシンセサイザー協奏曲」。当時コングレスが日本で開かれるのは初めてのことで、日本サクソフォーン協会が舵をとって実現に向けた努力を進めていた。

”協奏曲の夕べ”に限らず、各国奏者へのコングレス出演の打診は、主に大室氏が率先して行っていたとされる。大室勇一氏が、サクソフォーン協会の事務役としてコングレスの委員長を務めた、等の記録はこちらのページ(→http://homepage2.nifty.com/jsajsa/jsa20th.htm)から参照できるが、大室氏はコングレスの開催を待たずして亡くなっていたようなのだ…。

師弟としても親交が深かったであろうヘムケ氏と大室氏。最終日のメイン・コンサートを企画しながら、自身はその成功を見届けることなく逝った大室氏への、ヘムケ氏の思いの強さは想像に難くないだろう。ヘムケ氏がサンドロフ氏に「ウィンドシンセサイザー協奏曲」に含まれるサクソフォーン・カデンツァの拡張を依頼し、その音楽が一つの独立した作品として実を結んだのは、コングレスの一年後、1989年のことだった。タイトルは「Eulogy(弔辞)」である。

コングレスの”協奏曲の夕べ”のライヴ録音と比較しながら楽譜を追っていくと、確かにアコースティック楽器で演奏されるカデンツァの部分に数箇所の拡張が見られるのが分かる。重音、フラジオ等を挟みながら吼える孤高のサクソフォンが、集中力の高い音世界を作り出していく様は圧巻だ。

一つの作品の裏に、こんないろいろなエピソードがあるとは。様々な経緯を知ることで、作品の聴き方も変わってきた。

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