前回の記事の続き。
送ってもらった記事の中に、1988年の世界サクソフォーンコングレスに関係する記事を、十数ページも入れていただいた。大変興味深い内容で一気に読んでしまったが、ものすごい時代だったんだなあ…と、はるか昔(でもないか)に思いを馳せた。
須川展也氏とジャン=イヴ・フルモー氏の対談:
フランス、日本の各サクソフォーン界の"現状"と、未来に進むべき方向についての対談。何というか、大変堅くてまじめな話で、おかしくて笑ってしまった。現在の須川氏からはちょっと考えられない…というと、いくぶん語弊があるかな。写真の須川氏の若いこと!このころはまだ眼鏡をかけており、ふと思ったのだが一見すると将棋の羽生善治さんに似てなくもない。
クロード・ドゥラングル教授と武藤賢一郎氏の対談:
サクソフォーン・コングレスについての印象と、留学時代(ドゥラングル教授と武藤氏は、パリ音楽院での同期)の思い出、パリ国立高等音楽院教授就任に際しての抱負について。こちらのほうはとてもフランクな話題で、またまた意外な印象。だいたい、インタビューが次のように始まっているくらいで…(訳し方の違いもあるのだろうが)。
武藤賢一郎:やあ、クロード。ひさしぶりだけど、元気そうだね。オディール(ドゥラングル夫人)も、ちっとも変わらないね。それにセシルとレミー(ドゥラングル教授のご子息)も元気かな?
ドゥラングル:うん、元気だよ。二人ともやんちゃで、ホントまいってるけどね。ケンも、ちっとも変わってないじゃないか。
武藤:いやあ、そうでもないよ。キミみたいなガキ面なら、ずっと若くいられるんだけどね(笑)。
ドゥラングル:はじめからこれか。相変わらずだなあ、君って(笑)。
コングレスの話題も面白いが、留学の思い出はもっと面白いなあ。面白いところを抜粋すると、次の部分。
武藤:僕はデファイエ先生に教えていただきたくてフランスに行ったわけだけど、たまたま同級生に、君やジャン=イヴ(フルモー)、リタ(クヌーセル)のような吹ける連中がそろっていたことは、最高にラッキーだったよ。
ドゥラングル:それはお互いさまだよ。あのころ、デファイエ先生は「この学年はパリ音楽院始まって以来、最高のレベルだ」っておっしゃるのが口癖だったなあ。
武藤:うん、われわれのレッスンのときは、いつもニコニコ顔だったね。卒業してから時々学校に顔を出すと、しょっちゅうどなりちらしていたよ。
ドゥラングル:そうそう。僕たちの頃は、学校でいっぱしの顔をしているのは大変だったもの。
へーーー。確かにまあ、武藤賢一郎氏、ドゥラングル教授、フルモー氏が同期というだけで、なんだかおそれおののいてしまうもんなあ。リタ・クヌーセル Rita Knueselという奏者の名前は初めて聴いたが、アメリカの女性奏者なのだそうだ。CDなどは出ていないのだろうか…聴いてみたい。
このあと、パリ国立高等音楽院の教授就任についての簡単な経過が話されている。1988年(1987年?)の4月に公募があって、書類選考でドゥラングル、フルモー、ロンデックスが選ばれ、最終的に口頭試問でドゥラングルが選ばれたのだそうだ。
また、インタビューの中には書かれていないが、ドゥラングル教授は、このときまでBoulogne sur Mer地方音楽院の教授であったとのこと。同音楽院サクソフォン科教授の後任には、1988年卒業のAlain Pereira氏が就任している。Alain Pereira氏は、ドゥラングル・クラスの第一期生で、1988年シーズンに一等賞で卒業したサクソフォン奏者である。
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