2022/11/30

織田英子「東回りの風」第1曲:As I walked outの原曲

『この曲は1996年にノワイエ・サクソフォーン・アンサンブルのリサイタルのために書いたものです。一曲目「As I walked out」は、イギリスの古い民謡。2曲目「ザッパイ」は16世紀ルネッサンスの舞曲です。3曲目の「グリーンスリーブス」は18世紀イギリスの民謡。4曲目はフランスの作曲家、ジェルヴェーズの「4声のための舞曲集」より。』

サクソフォン四重奏のための名曲「東回りの風」の作曲家、織田英子氏自身による解説である。第1曲「As I walked out」の原曲が全くわからず、ずっと探していたのだが、Osian Ellisというハープ奏者であり歌い手のアルバム「Songs with Harp」に収録されている同名の作品と同じであることを突き止めた。解説によれば、ウェールズ地方の民謡である、とのこと。原題をウェールズ語で「Pan oeddwn ar ddydd yn cyd-rodio」といい、次のような内容の歌詞である。

==========

As I walked out one day with my friend - the best gambler of us all, I wondered grievously to see him so sad and subdued, pining for the love of a girl.

ある日、仲間内で最高の賭け師の、とある友人と外に出かけた。彼が女を恋い慕い、そして悲しみに沈んでいるのを見て、何かしみじみと感じるものがあった。

==========


Internet Archive等でも聴ける。ご興味ある方はどうぞ。一点不安なのが、リファレンス資料がこの音盤のみ、であること。この情報になにか間違いがあっても、その検証を行うことができない。引き続き、第2曲「Zappy」の原曲を探索する(織田氏ご本人に訊いたのだが、資料を整理し手放したとのことで、回答が得られなかった)。

2022/11/27

木下直人さんより(ソーゲ「牧歌的ソナチネ」)

ジョルジュ・グールデ Georges Gourdet氏は、マルセル・ミュール四重奏団にも参加したサクソフォン奏者。ヨーロッパ各国、アフリカ、アジアで演奏会を開いた他、国立カーン地方音楽院にて後進の指導にあたった。多くの作品がグールデ氏のために作曲されており、例えばよく知られたとことで言えばベルノー「四重奏曲」、シャルパンティエ「ガバンボディ2」はグールデ氏に献呈されている。

木下さんから頂戴したのはアンリ・ソーゲの「牧歌的ソナチネ」の録音(かなり前に入手されたもの、とのこと)。グールデ氏の独奏、そして、ソーゲ自身がピアノを弾いているというのがとにかく大変貴重だ。ロンデックスの商用録音と比較してみると、アプローチの違いが面白く、グールデ氏の演奏の、朴訥とした佇まいがむしろこの作品にはマッチしているようにも聴こえる。

YouTubeにも木下さんがアップしてくださっているので、ぜひお聴きいただきたい。



2022/11/26

木下直人さんより(オネゲルの小組曲)

Le Chant du Mode 519という型番の、珍しい盤の復刻を木下さんから頂戴した。任意編成で演奏される3種の編成のためのアルテュール・オネゲル「小組曲」という作品の録音。第1曲は独奏楽器+ピアノ、第2曲は独奏楽器のデュオ、第3曲は2つの独奏楽器とピアノのトリオ、というもので、本来は、フルートで演奏されることが多いようだ。

この復刻録音では、第1曲がサクソフォンとピアノで演奏されており、サクソフォンはフェルナン・ロンム Fernand Lhomme氏が参加。ギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団黄金期を支えた奏者の一人である。第2曲には、同じくギャルドのマルセル・モイーズ、そして息子のルイ・モイーズの名が連なる。

シンプルなメロディを、神妙に、かつ、美しく奏でるロンム氏のサクソフォンが、染み入る。1936年にミュールの後任としてアルト・サクソフォン主席となり、1962年まで在籍した(ロンム氏は、1961年のギャルド来日公演にも参加している)。クランポンのテスターをしていた、との記録もある。

2022/11/23

第9回コングレスの「協奏曲の夕べ」と録音

第9回ワールド・サクソフォーン・コングレス(日本開催、神奈川県川崎市)におけるメインコンサートは、「協奏曲の夕べ」と題された当時世界最高峰のソリスト陣をフィーチャーした演奏会だった。以下、日本サクソフォーン協会のページから抜粋する。

==========

http://japan-saxophonists.com/about/history.html

 ■□■AN EVENING OF CONCERTI■□■8月12日(金)の夜は場所を横浜の神奈川県立音楽堂に移してコンチェルトの夕べが大野和士氏指揮、東京都交響楽団の協演にて催された。

1.サクソフォーン協奏曲/A・グラズノフ 独奏:ジャン=マリー・ロンデックス
2.サクソフォーン四重奏とオーケストラのための協奏曲/R・カルメル独奏:デファイエ・サクソフォーン四重奏団
3.ウィンドシンセサイザーと弦楽器のための協奏曲/H・サンドロフ独奏:フレデリック・ヘムケ
4.ファンタジア コンチェルタンテ/B・ハイドン独奏:ユージン・ルソー
5.サクソフォーン協奏曲/伊藤 康英 独奏:須川 展也

==========

録音が存在しており(当時カセットテープで販売されたと聞く)デジタル化したものを所持している。録音時点でのレベル調整に失敗しているようで、リリース当初から音割れがひどい状態なのだが、その制約の先から聴こえてくる演奏は、間違いなく当時最高クラスの演奏の数々である。客席の興奮までも伝わってくる、実に貴重なものだ。現代においては流通しておらず、権利関係等がクリアになれば、頒布等もしたいのだが、さて。

下記は、コングレスのプログラム冊子の表紙にプリントされた版画。

2022/11/20

A.P.E.S.について

かつてフランスに存在した(本家から分岐し、セルジュ・ビション氏が立ち上げた)サクソフォン協会A.P.E.S.について。A.Sax.のサイトから抜粋する。

==========

1983年9月、セルジュ・ビションはA.P.E.S.(Association internationale pour l'Essor du Saxophone)を設立した。その後13年間、フランスには2つの協会が同居することになった。

A.P.E.S.は、AsSaFraと同様に年に2回のレビューを発行し、コンクール(エクス・レ・バンとギャップのコンクール、グランジュ・レ・ヴァランスの四重奏コンクール、ベルナルド・ヴァンドレン作曲コンクール)に参加、新しい作品の委託も行っていた。

1990年4月、サクソフォン誕生150周年を記念して、Saxophonies d’Angersが開催された。ワールド・サクソフォン・コングレスに関する書籍が出版され、さまざまな討論会や会議が紹介される。

AsSaFraとA.P.E.S.の和解は、共通のプロジェクトのおかげで形づくられた。

・1994年12月3日、アドルフ・サックスの没後100年を記念した「イル・ド・フランスのサックスの日」が、両協会の共催でCNSMDPで開催された。
・ジャン=ルイ・ショータンとクロード・ピショーが、この日のためにサックスの大編成のための曲を作曲した。
・1997年に発売された2枚組CD「Marcel Mule」の制作。
==========

下記写真は、統合後のA.Sax.のロゴ。

2022/11/19

デファイエ演奏のリヴィエ「コンチェルティーノ」

ダニエル・デファイエ氏が演奏する、リヴィエ「コンチェルティーノ」。デファイエ氏が演奏したリヴィエ作品といえば、四重奏での「グラーヴェとプレスト」、ロジェ・デルモット氏との「サクソフォンとトランペットのためのダブル・コンチェルト」が有名であるが、「コンチェルティーノ」の録音の存在を知ったのは初めて。

瑞々しく流麗な、デファイエ氏の演奏をたっぷりと堪能することができる。最近出版された、Saxianaの復刻盤にも、この曲の演奏は入っていなかった。

https://archive.org/details/cd_french-composers-volume-35_jean-rivier-louis-saguer-yvonne-desportes

元は放送用録音のようだが、商用リリース情報についてはSOTWのフォーラムに下記コメントが載っていた。The French Broadcasting System in North Americaレーベルの、French Music and French Musiciansというシリーズとして出版されていた録音だ。

Nos. 5 and 6 in the “French Music and French Musicians” series includes Daniel Deffayet with the ORTF conducted by Jean Paul Kreder performing Jean Rivier’s “Concertino for Saxophone and Orchestra” as part of Program 5


2022/11/13

木下直人さんより(コンベルの復刻盤)

フランソワ・コンベル演奏、「マールボロによる変奏曲(コンベル)」「ベニスの謝肉祭変奏曲(ドゥメルスマン)」の復刻録音。比較的最近入手されたものを、木下直人さんに送っていただいた。

コンベルについては今更私が語るべくもないが(先日の記事で2つの書籍から情報を引用した)、ギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団で主席アルトサクソフォン奏者・ソリストとして活躍した演奏家である。

コンベル紹介の第一声として、マルセル・ミュールを見出した人物だ、とクローズアップされることが多く、自身の演奏者としての話が話題に上ることはごく僅かだ。演奏がSPとして残されていることは、幸いであった。マルセル・ミュールの言葉「コンベルは疑いようがなく、輝かしい独奏者であり才能のあるヴィルトゥオーゾだ」という言葉を裏付けるような、極めて高い技巧を堪能した。

木下直人さんご自身が、YouTubeにもアップしてくださっている。ただし、CD-Rで聴くほうが実に鮮明だ。



以下、詳細なジャケット写真。




2022/11/12

ビション氏逝去時のBGの声明文

2018年の、セルジュ・ビション氏逝去に際してのBGの声明文(The Syncopated Timesより)を翻訳した。ビション氏が、パリ国立高等音楽院への最多合格者を出した教師である、という事実は初めて知った(感覚的にはそうかなと思っていたが)。

https://syncopatedtimes.com/serge-bichon-83-co-founder-of-bg-franck-bichon/

==========

フランス古典派で最も尊敬されているサクソフォン奏者・教師の一人である、セルジュ・ビションが2018年7月31日に83歳で逝去しました。セルジュ・ビションは、BGを息子のフランク・ビションとともに共同で創設しました。セルジュはBGの音響スペシャリストであると同時に、BGのリガチャー・コンセプトの発案者でもありました。フランスにおけるクラシック・サクソフォンの巨匠、マルセル・ミュールの元生徒であったセルジュは、生前に様々なことを成し遂げました。リヨン国立音楽院で教鞭をとり、パリのサクソフォン教師クロード・ドゥラングル、リヨン音楽院のサクソフォン科教授で、著名な作曲家でもあるジャン・デニス・ミシャなど、多くの重要なアーティストを育てたのも彼の功績です。パリ国立高等音楽院に最多の合格者を出したことも、セルジュの遺産です。また、世界で最も評価の高い管楽器四重奏団ハバネラ・カルテットのメンバー全員を指導し、16本のサクソフォンからなるアンサンブル・デ・サクソフォン・オブ・リヨンを結成しました。また、第1回ヨーロッパサクソフォンコンクール(GAP)の創設者でもあり、3つのサクソフォン教本を著しました。セルジュは音楽を教えることに熱心で、情熱的でした。彼の死は多くの人に惜しまれることでしょう。

2022/11/06

ラッシャーSQの「冬の旅」アドベントカレンダー

ラッシャー・サクソフォン四重奏団が、この冬発表するシューベルト「冬の旅」アドベントカレンダーについて。12月1日から、1日1曲「A NEW VISION ON SCHUBERT'S WINTERREISE」と題された「冬の旅」を発表していくとのこと。Jay Schwartzが再構成し、Bernhard Hirtreiterが歌い、四重奏団のみならずRaschèr Academy Orchestraも参加した、新たな「冬の旅」となるようだ。

https://raschersaxophonequartet.com/winterreise/

プロモーション映像を観たが、面白そうで、ぜひチェックしてみようと思っている。


昨年には、第20曲「道標」を、こちらはKenneth Coon氏の編曲(元ラッシャー・サクソフォン四重奏団のメンバーで、2019年に亡くなった)によるものだが、演奏映像として公開している。


サクソフォンで「冬の旅」というと、雲井雅人氏(w/ 林望、布施雅也、伊藤康英、松本重孝)、栃尾克樹氏(w/ 野平一郎)の、いずれも素晴らしいアプローチ・演奏が思い起こされる。

2022/11/05

Denis Levaillant「Trombone en Coulisses」

1985年制作の同名の短編フィルム向けに作曲されたDenis Levaillant「Trombone en Coulisses」という作品に、ダニエル・ケンジー Daniel Kientzy氏が参加、2021年にDenis Levaillant氏の作品集アルバムの中の一曲としてリリースされていることを知った。

「Denis Levaillant "Pastiches"」というアルバムの第2曲。カウンターテナーと多重録音によるサクソフォン、という取り合わせ。曲想として、教会の中で録音されたような、賛美歌風の調性感のあるトラックも。(わざわざケンジー氏が抜擢されたことには、若干違和感を感じる)。

フィルムの詳細は以下。

https://www.cinergie.be/film/trombone-en-coulisses

2022/11/03

セルジュ・ビション:現代サクソフォンの祖

過去に日本サクソフォーン協会誌へと寄稿した文章から、セルジュ・ビションに関連した箇所を抜粋する。ドゥラングル氏の師匠として有名だが、個人的に考える現代サクソフォン・トレンドの祖である。このことについては、下記の文章の抜粋元である日本サクソフォーン協会誌2017年版に寄稿した「録音から読み解く現代サクソフォン・トレンドの萌芽と発展」で論じている。

==========

セルジュ・ビション Serge Bichon(1935 - 2018)は、リヨン音楽院の教授を務めたフランスのサクソフォン奏者である。名教師として名を馳せ、多くの門下生をパリ国立高等音楽院へと送り込んだ。ビション・クラスの設立後、門下生の多く(1985年時点の実績で30人以上)が、フランス国内外でのみならず世界各地で教育者として活動している。例えば、パリ国立高等音楽院現教授のクロード・ドゥラングル、ピアニストであり現代最高のメシアン弾きとして活躍するロジェ・ムラロ Roger Muraro、ハバネラ四重奏団のシルヴァン・マレズュー Sylvain Malezieux、ファブリツィオ・マンクーゾ Fabrizio Mancuso、現リヨン音楽院教授のジャン=ドニ・ミシャ Jean Denis Michat、指揮者やアレンジャーとしても活躍するギョーム・ブルゴーニュ Guillaume Bourgogneなど、錚々たる面々がビションの下より巣立っている。

ビションは、マルセル・ジョセ、マルセル・ミュール、ダニエル・デファイエらにサクソフォンを師事し、1960年にパリ国立高等音楽院のサクソフォン科を、引き続き1961年に同室外楽科を、それぞれ一等賞を得て卒業している。リヨン音楽院の教授への就任は、パリ国立高等音楽院卒業前の1956年である。

ビションには、ピエール・マックス・デュボワPierre Max Dubois、ルーシー・ロベール Lucie Robert、アントワーヌ・ティスネ Antoine Tisneといった作曲家が、ビションのために作品を献呈している。

リヨン音楽院での教育活動のほか、エクス=レ=バン・サクソフォンコンクール、後述するギャップ国際サクソフォンコンクール、さらにそのアマチュア部門など、様々なコンクールのオーガナイズも手掛けた。また、1986年には、息子のフランク・ビションとともにBG Franceを設立、サクソフォン関連製品の開発にも携わった。

ドゥラングルのインタビュー記事より、ドゥラングルの音色に対する考え方について、師匠であるビション、そのビションの師匠であるジョセのエピソードを交えながら証言した部分を、以下に引用する。

---ビションは、『サクソフォンの音色は丸く、豊かで澄んでいて一定でなければいけない』といっていましたが、私は最近それをもう少し発展した考えを持つようになりました。ビションのそういった考え方は、マルセル・ジョセという先生からの影響が大きいと思います。ジョセはチェリストだったこともあって、音のつくり方など、実に具体的な説明ができる人でした管楽器の人は音色について割合とおおざっぱなイメージで捉えるのに対し、弦楽器の人はより具体的です。ですから、私の音に対する考え方も彼の影響を受けました。柔軟性を持ち、かつ安定したアンブシュアや支えられた息―そういった重要であるテクニックを残しながらも、他の楽器(ピアノ、オーボエなど)との室内楽の経験を通して、私自身が持っていたかつての考え方を広げることができたのです。それは、つまり”ほしい音が出せるようにすること”といえます。よい音は、ひとつではないということです。そして、それは”演奏相手により、必要に応じて音色を変化させること”ともいえます。



フランソワ・コンベル François Combelleのこと

赤松文治「栄光のギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団」より

アルト・サクソフォン主席のコンベルは、1880年7月26日にソーヌ・エ・ロアール県マルシニーで生まれ、1902年にクラリネット奏者としてギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団に入隊後、サクソフォン奏者に転向し、1904年にアルト・サクソフォン主席奏者に抜擢され、演奏会では独奏者としても活躍した。彼は作曲も堪能で、サクソフォン独奏のために「演奏会用独奏曲第1番」「スケッチ」「セヴィリャの理髪師第1番・第2番」「マウルの幻想曲」「イタリア夜曲」「3連音符のマズルカ」「キプロス幻想曲」「マルボロー変奏曲」「バラードと嬉遊曲」、二重奏のために「5つの二重奏曲」を作曲したほか、1920年に同僚のブリヤールとラッフィーのために舟唄「エソンで」を作曲し、更に「現代大教則本」を著したが、同年セルマーがサクソフォンの製造を始めたときテスター顧問となった。そして、1923年にミュールに熱心に入隊を勧めたのち退職し、ボーヴェー音楽学校校長、パリ6区吹奏楽団とバンセンヌ市吹奏楽団指揮者、ドルネ楽器会社顧問などをしていたが、1949年にレジョン・ドヌール5頭勲章を受賞し1953年3月3日に亡くなった。

Harry R. Gee「Saxophone Soloists and Their Music」より

もともとはオーボエ奏者であり、1902年にギャルド・レピュブリケーヌ軍楽隊に入隊、その後サクソフォン奏者となった。1923年、マルセル・ミュールに、楽団のオーディションを受けるよう熱心に勧め、ミュールは8月に21歳で入隊した。ユージン・ルソーによる、ミュールのインタビューを抜粋する。『コンベルは疑いようがなく、輝かしい独奏者であり才能のあるヴィルトゥオーゾで、頻繁に楽団における独奏者として演奏していました。楽団では、幻想曲、変奏曲などを演奏していました。』セルマーが1920年にアドルフ・サックスの工房を買収したとき、コンベルはテスター兼アドバイザーとなった。

コンベルの作品リスト:カッコ内は出版年
1er Solo de Concert
2eme Solo de Concert (1911)
Esquisse
Grande Methode Moderne (1910)
Le Barbier deSeville No.1
Sur L'Esson Barcarole (1920)
Frantaisie Mauresque (1920 to E.Hall)
Serenade Italienne (1920)
Triolette Mazurka (1920)
Rapsodie Cypriote (1932)
Malbrough (1938)
Ballade et Divertissement
Five Duets (1958)

コンベルに献呈された作品:
Maurice Decruck and Fernande Breilh 「Chant Lyrique, op.69」

コンベルが著した「Grande Methode Moderne」の表紙と、中身の抜粋(演奏姿勢指南のページ?)




「ヴェニスの謝肉祭」変奏曲。コンベルの写真も多数見ることができる。