オネゲルの著書「Ju suis compositeur」の中に、メシアンの作品をめぐっての、デザンクロが登場する短いインタビューの一節がある。デザンクロと直接関係するわけではなく、メシアンの音楽に関する記述だが、ちょっと面白かったので翻訳してみた。
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(…略)しかし、メシアンの作曲法は非常に緻密である。
私たちは、彼が完全四分音符と補数四分音符の和音で構成された”カスケード"を好んでいることを知っている。また、リズムの複雑さや、エキゾチックなモードと結びついた教会モードの使用に対する彼の好みも理解している。
個人的には、このようなリズムの繊細さに関係するものには懐疑的である。楽譜の上では何の重要性もなく、演奏の上でも気づかれないままであるからだ。
個人的な例を挙げよう。メシアンは、私が肖像画を描いてもらっているときに、「幼子イエスに注ぐ20の眼差し」を演奏しに来てくれた。私はじっと座っていたのだが、当たり前だが即座に反応ができない。そこに同席していたのは、メシアンと同世代の優れた音楽家、アルフレッド・デザンクロだ。私には、ある曲が完璧に澄み切った輝きを放って聴こえた。「なんて澄んでいて、清冽なんだ!」と私は叫んだ。すると、楽譜を見ながら聴いていたデザンクロが、「いや、私はとても複雑で混沌としていると思う」と言い返した。「冗談でしょう!」と私は答えた。と私は答えた。「ほら。自分で見てみろよ」とデサンクロは言った。実は、私が演奏者のリズムの気ままさと思い込んでいたものが、完全に記譜されていることが分かった。価値の半分は、極めて複雑な記譜なのであった。耳は、ある種のルバートで演奏された3拍子のパッセージを知覚していたのに、目で見ると狼狽してしまったのだ。
ーーー私もあなたと同じように、ルバートの記譜は虚構である…と思います。繊細な解釈の持ち主であれば、このパッセージを遅らせたり、早めたりすることができるのに、ルバートの記譜は無駄に手間をかけることになるのです。
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オネゲル近影。
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