2022/07/17

マルセル・ミュールと第一次世界大戦

ユージン・ルソー著「Marcel Mule: Sa vie et le saxophone」より、第一次世界大戦にまつわるミュールのインタビューを翻訳した。

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R:第一次世界大戦が始まったとき、あなたはちょうど13歳で、ルーヴィエの上級小学校で学んでいましたね。その時のことを何か覚えていますでしょうか。そしてそれが、あなたやあなたの家族にどのような影響を与えたかを教えてください。

M: はい、そうですね。控えめに言っても、とても大変な時期でした。私はルーヴィエでエコール・スペリユール Ecole Supérieureに通っていました。エコール・ノルマル・ディスティチュール Ecole Normale d'Instituteurs(師範学校)への入学準備のためで、エコール・スペリユールには3年間在籍していました。その間、父は軍隊に召集され、18ヵ月間ヴェルダンに駐屯していました。幸いなことに、これは悪名高く血生臭い"ヴェルダンの戦い"の前のことでした。父は、戦争に不可欠な製品を製造する冶金工場に雇用されていたのですが、18ヵ月で戻ることができました。私がルーヴィエで学校に通うために、ある程度の出費が必要だったのですが、父にはほとんど収入がありませんでした。この3年間は、家族にとって大変な時期でした。

R:戦争中の音楽生活について、何か思い出すことはありますか?

M:そうですね、ひとつには放送がまだ確立されていなかったということがあります。今のようなラジオ局もなく、また、レコード産業もありませんでした。だから、演奏家というのは、その時代、世界の主要都市で演奏することで聴衆に認知され、徐々に名声を得ていくようなものでした。そのため、コンサートホールに加えて、生の音楽を聴くことができる劇場がありました。私の記憶では、第一次世界大戦中もパリの芸術生活は支障なく営まれていた。しかし、そのおかげで、他の方法では仕事を得ることができないような演奏家にもチャンスが与えられたのです。しかし、地方では、戦争があろうとなかろうと、芸術的にはまったく話にならない。私はパリから来たのですが、賑やかなパリの芸術的生活とは対照的でした。

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文中に出てくるルーヴィエは、パリの北西100kmに位置する小都市。ルーアンよりパリ寄りである。

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