2022/04/24

フェルリングのエチュード(サクソフォン版)成立の頃

マルセル・ミュール氏は1942年にクロード・ダルヴァンクールの要請から、パリ音楽院のサクソフォン科教授となったが、その頃はまさに第2次世界対戦真っ只中、ドイツがフランスを占領していた頃である。フランスのアーティスト達は、占領下において自身の身を守るために、ドイツ語を学び、積極的にコミュニケーションを取るようになっていたが、パリ解放後は逆にそれが仇となり、群集心理から"特別粛清委員会"なるものが組織され、占領下のドイツ軍寄りの行動・言動がやり玉にあげられて、裁判にかけられることになったそうだ。

残念ながら、その裁判記録は大部分が欠落し、果たしてミュール氏自身がその場に引き出されたかどうかも定かでない。しかし、この一連の動きから(デファイエの証言によれば)ミュール氏は4年間、演奏自粛せざるを得なくなったそうだ。

この間、自宅に閉じこもっている際に完成させたのが、「フェルリング:サクソフォンのための48の練習曲 + ミュール:各種調性の新しい12の練習曲 増補改訂版」である。ミュール氏自身のコメントとして、「長い間、家に閉じこもっていたからこそ、このプロジェクトを完成させることができ、長年の夢を実現させることができたのです」との言葉も残されている。有名なエチュードだが、このような成立経緯があるとは知らなかった。

参考文献:Pour une histoire du saxophone et des saxophonistes Livre3 (J.M.Londeix)

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