2012/10/23

吉松隆「サイバーバード協奏曲 Op.59」

久々に予習を兼ねて聴いてみた。

吉松隆「サイバーバード協奏曲」。国産のサクソフォン協奏曲の中では、間違いなく最高傑作の一つとして数えられる作品である。

成立と内容を簡単におさらいしてみよう。「ファジイバード・ソナタ」に続いて須川展也氏から委嘱され、1994年に初演。以降、須川氏の手により、2回のレコーディングと、数多く(正確な回数はわからないが、10回は超えているのでは)のライブ演奏が行われている。サクソフォンを独奏楽器とし、さらにピアノとパーカッションが付随独奏楽器として加えられた、三重協奏曲のスタイルをとる。3つの楽章から成り、それぞれ第1楽章「彩の鳥」、第2楽章「悲の鳥」、第3楽章「風の鳥」という副題が付けられている。

EMIから発売されたフィルハーモニア管との協奏曲集で、初めてこの作品を聴いた。(たぶんこの曲を聴いたほとんどの人がそうであるように)初めて聴いたときはそのあまりのカッコ良さ、美しさに衝撃を受け、何度も聴き返したものだ。

最初の頃はどうしても須川氏を始めとするソリスト陣の派手なパフォーマンス(実際、須川氏は言わずもがなピアノの小柳美奈子氏、パーカッションの山口多嘉子、いずれも日本を代表する演奏家たちである)に耳が引き寄せられてしまう。独奏パートの多くの場所に即興演奏のセクションが設けてあり、ソリスト陣の演奏能力に負う部分が多くを占めているのである。この理由は後述するが、吉松氏はこの曲の制作時に思うように時間が取れなかったということで、どうやらオーケストラパートの密度をかなり小さくしているようにも見受けられる。

演奏ではなく作品に目が向き始めた時、どのようなテーマを感じるかは人それぞれだ。クラシックのみならず、ジャズやロックなど非常に雑多な要素が詰め込まれていることは明らかだ。大きな潮流が消え、消費側の受容能力を超えた小粒なものばかりが氾濫する現代世界の象徴のようにも感じてしまう。しかもそれを、須川展也氏を始めとする卓越した演奏者の能力によって聴き手に向けて一気に開放するといったところに、シニカルな面白さを感じている(吉松氏のニヤリとした顔が思い浮かぶ)。

それとは別に、第2楽章に非常にパーソナルな要素が織り込まれていると、吉松氏自身が語っている。以下、吉松氏の手によるプログラムノートの一部を引用する。

…この曲を書いている時、私の二つ年下の妹が死んだ。ガンだった。その末期から死へ至る一月ほどの間、私は連日徹夜で看病をしながら妹の病室でこの曲のスコアを書き、「今度生まれてくる時は鳥がいい」と言って死んでいった妹の名を第二楽章に刻印した。
つまり「サイバーバード」とは、生命維持装置と人工呼吸器に囲まれて最後まで自由な空を飛翔する鳥を夢見た、そんな妹と私との見果てぬ夢でもある。…


妙に計算ずくに聴こえる第1楽章と、それとは対を成したようにパーソナルな第2楽章、その対比は第3楽章で一本のぶれない線となり、そのまま終幕まで突っ走る。いや、単に突っ走るというよりも、最後の大爆発などを聴いてしまうと、何か超えられない壁を超えようとしているかのよう。それは、混沌の現代世界に生きる我々がまだ到達していない「夢」なのかもしれないし、どんな難病や死をも乗り越えるような究極の生命を象徴しているのかもしれない。

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私の大学の先輩でもある細越一平さんが書いたサイバーバードに関するエッセイもぜひご覧頂きたい。けっこうビビります(いろんな意味で)。

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