以下に載せる資料は、ジャン=ピエール・バラグリオリ Jean-Pierre Baraglioli演奏によるフェルナンド・デクリュック作品集のライナーノートを翻訳したものです。初稿執筆はヘレーネ・デクリュック、英語への翻訳はミシェル・フルジエが行い、フルジエによる英語版の原稿を、私が日本語訳したものとなります。転載許可は取っていないので、まずかったら消します。
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フェルナンド・デクリュック(デュクルック/デュクリュック) Fernande Decruckは、1896年12月25日、フランスのGaillacに生まれた。8歳の時からトゥールーズの音楽院でピアノを学び、1918年にはパリ・コンセルヴァトワールに入学、ザヴィエ・ルルー、ジャン・ガロン、ポール・ヴィダール、ジョルジュ・カッサード、セザール・アベル・エスティールに師事した。和声学、フーガ、ピアノ伴奏の三科目で一等賞を、対位法で二等賞を獲得して卒業し、同時に和声学クラスのアシスタントに、ジャン・ガロンによって任命された。1922年には、ウジェーヌ・ジゴーの下でオルガンの勉強を開始、ジゴーの後任のマルセル・デュプレには、オルガンのほかに即興も学んだ。
デュプレの勧めもあり、デクリュックはオルガン奏者としてアメリカ演奏旅行を行う。1929年4月5日、ニューヨークのジョン・ワナメーカー講堂で開かれたツアーの初日に、3つの楽章からなるオルガンソロのための交響曲を即興で披露(即興の主題には、アメリカの作曲家の作ったメロディを引用した)。続く各地の公演においても、同じコンセプトによる即興演奏を行った。そして、その後数年にわたって、デクリュックはオルガンの演奏と作曲を行いながら、数年にわたってニューヨークに住むこととなる。
1933年には、フランスへ帰国。次第に多くの聴衆に、彼女の音楽が認知されるようになった。その時期、サクソフォンの作品はギャルド・レピュブリケーヌの奏者によって、オーボエ、クラリネット、バソンのトリオは、トリオ・ダンシェ・ドゥ・パリによってそれぞれ演奏されている。1935年、「ピアノ・ソナタ」がジャンヌ=マリー・ダレーによって国内演奏会で披露され、1937年にはトゥールーズ音楽院の和声学上級クラス講師となった。1937年から1941年にかけては、トゥールーズ音楽院の演奏会でいくつかの作品が披露された。例えば、1937年に作曲された「叙情的歌曲」のオーケストラ・バージョンが、エイメ・カンク指揮マルセル・ミュール独奏という組み合わせで1938年に同演奏会で初演されている。そして、1942年の終わりに、作曲に専念するためにパリでのオルガンの演奏活動を休止することとなる。
1943年から1947年にかけては、デクリュックのオーケストラ作品が国内のオーケストラによって相次いで初演される。「Symphonie Rimbaldienne(1941)」「Poeme Chretiens(1943)」「Hymne a Apollon(1944)」などの作品が、ウジェーヌ・ビゴー、ポール・パレー、ジャン・フルネらの指揮の下、ラムルー管、コロンヌ管、パドゥループ管によって演奏されたのである。1946年3月、ポール・パレー指揮コロンヌ管弦楽団、ポール・ジャメの独奏によって、「ハープ協奏曲(1944)」が初演。1947年、クラリネット奏者のルイ・カフザックが「クラリネット協奏曲(1946)」を初演。同年、ハープシコードとオーケストラのための協奏的組曲「Les Trianos(1946)」がマルセル・ドゥ・ラクールによって初演される。1947年、デクリュックはアメリカに数ヶ月間滞在し、数多くのオルガンのための作品を手がけた。1948年、「コーラングレとオルガンのための3つの小品」が、アメリカのオルガニスト、エドワード・パワー・ビッグスによって演奏され、CBSラジオで放送された。その後フランスへ帰国し、同時にフォンテーニュブローのエコール・ミュニンシパルの、和声学と音楽史の講師職に就任した。
しかしその後デクリュックは、作曲に支障をきたすほどの病に侵されることとなる。大曲を手がけることができなくなり、もっぱら過去の作品の改訂と室内楽の小品の作曲に専念し始めた。1952年、癲癇の発作?が彼女を襲い、その後もたびたび発作に悩まされながら健康状態は悪化し、1954年8月6日、死去。フェルナンド・デクリュックは、その生涯においておよそ200曲を作曲した。そして、その作品のほとんどは1920年から1940年の間に作曲されたものである。彼女の数多い作品のうち、初めてポピュラリティを獲得したのは室内楽作品の、ピアノやオルガンのための独奏曲であった。その後、彼女は次第にオーケストラのために筆をとりはじめたのだ(初期のオーケストラ作品は、オルガンのための協奏曲とチェロのための協奏曲)。
アメリカでの最初の滞在の時期、彼女が30代の頃であるが、初めてサクソフォンのために作品を書き始めた。彼女の夫、モーリス・デクリュック Maurice Decruckは、アルトゥーロ・トスカニーニ指揮ニューヨーク・フィルハーモニックの専属サクソフォニストだったのだ。アメリカ滞在中は、彼女はエコール・フランセーズの名手…フランソワ・コンベルやマルセル・ミュールといったサクソフォン奏者たちとは、連絡を取っていなかったのである。事実、コンベルに献呈されたサクソフォンとピアノのための「叙情的歌曲作品69」は、1932年にフランスへと帰国した際に作曲したものであった。デクリュックは、ギャルド・レピュブルケーヌ吹奏楽団の演奏家に対して作品を提供した、初めての作曲家であるということになる。1933年から1939年の間、サクソフォンの扱いに長けることとなり、サクソフォンのために作られたものは40作品以上に及び、室内楽や四重奏曲だけでなく、オーケストラ作品も多い。「ソナタ嬰ハ調」は、初めはオーケストラとサクソフォンのために書かれたし、さらに彼女は「サクソフォーン協奏曲(現在は手稿が失われている)」も作曲しているほどである。いくつかのサクソフォン作品は、マルセル・ミュール、フランソワ・コンベル、カミーユ・ソヴァージュ、ルディ・ヴィードーフ(ウィードフト)、ギャルド・レピュブリケーヌ四重奏団のために書かれた。
彼女の30代の終わりから40代にかけては、多くの協奏曲と共に交響作品や歌曲を作曲。歌曲のうちいくつかの作品は、チャールズ・パンツェラ、ヘレーネ・ブヴィエ、ノエミー・ペルジア等の著名な歌い手に捧げられている。また、ソナタ、ソナチネ、トリオ、カルテットなどの室内楽作品は、ポール・ベーゼラーユ、アンドレ・アセラン、ジャンヌ=マリー・ダレー、トリオ・ダンシュ・ドゥ・パリなどに献呈されている。さらに、鍵盤楽器のためにも、ピアノやオルガンのためのソナタ、グランドオルガンのためのソナタなどを遺している。また、フェルナンド・デクリュックは、卓越したピアニスト、オルガニストでもあり、自作の演奏も積極的に行った。「ピアノのための9つの叙情的小品」「ピアノのためのソナチネ」「オルガン協奏曲」等は、彼女自身がパリにおいて初演した作品である。
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で、そのデクリュックのサクソフォン作品集である。それが、「Fernande DECRUCK - Musique pour Saxophone alto & Piano(dapheneo A510)」。サックスを吹くのはジャン=ピエール・バラグリオリ Jean-Pierre Baraglioli氏。彼は、ギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団の主席アルトサクソフォン奏者、インターナショナル・サクソフォン四重奏団のソプラノ奏者、コロンヌ管弦楽団のソリストといった顔を持つ、フランスの中堅どころのプレイヤー。ギャルド吹奏楽団やインターナショナル四重奏団の関係でたびたび来日しており、セルマー関連の筋ではおなじみの奏者か。ピアノは、リヨン音楽院に学んだフローレスタン・ブーティン Florestan Boutin氏。収録曲目は、以下の通り(もちろん、全ての作品がデクリュックの筆によるもの)。
・8つのフランス風小品 8 pieces francaises
・叙情的歌曲 Chant lyrique
・叙情的歌曲第3番 3eme Chant lyrique
・叙情的歌曲第5番 5eme Chant lyrique
・Stars under the Moon
・Sax-Volubile
・Selmera-Sax
・Complainte de Dinah
・The Red Sax
・Jazz Toccata
・Spleen
・The Golden Sax
そもそも、このCDを買った理由というのが、「叙情的歌曲第5番」が収録されていたから、である。昨年末のフェスティバルで雲井雅人氏による演奏を聴いた折に、演奏のみならず作品の美しさにも感動し、「ソナタ以外にもこんな美しい曲を書いていたんだ!」と思っていたところ、渋谷のアクタスでこのCDを見つけ、気が付いたらレジに向かってダッシュしていたのだ。ほとんど衝動買いだったのですよ。
本ディスクには有名な「ソナタ嬰ハ調」は収録されておらず、今までレコーディングがなされていなかった小品ばかりが取り上げられており、デクリュックの作風を知る上で、重要な資料となっている。このうち、「8つのフランス風小品」はマルセル・ミュールに、「叙情的歌曲」はフランソワ・コンベルに、「Stars under the Moon」と「Spleen」はカミーユ・ソヴァージュに、「The Golden Sax」はルディ・ヴィードーフに、それぞれ捧げられたものだそうだ。また、「Selmera-Sax」は、名前のとおり?セルマー社から出版されているとのこと(…ちなみにこの作品集には収録されていない有名な「ソナタ嬰ハ調」は、ドゥラングル氏、フルモー氏などフランス派による録音も存在するが、何と言っても原博巳さん&伊藤富美恵さんのコンビによるもの「PCF(Cafua CACG-0067)」が一押し!)。
さて、ソヴァージュに捧げられた2曲、「Stars under the Moon」と「Spleen」を聴いてみよう。まるでポップスのバラードのような、実に甘いメロディがスピーカーから流れてくる。技術的に際立って難しい部分はあまりなく、とにかく最小限の音でもって、私達にサックスを聴く喜びを与えてくれるものばかりだ。「叙情的歌曲」なども改めて聴いてみると、ミュールに捧げられたフランス産の小品に劣らない音楽的内容とアピール度を持ったものばかりで、今まで忘れられていたのが信じられないくらいである。サックス聴き始めの方たちにも、けっこうオススメできるかも。デクリュック作品だけ集めたコンサート、なんてのも聴いてみたいなあ(さすがに集客ができないかしらん)。
バラグリオリ氏の演奏は、甘い音色と薄めのヴィブラートといったところが印象に残る。これらの小品に、この音色はなかなかマッチしているのではないかな、と思った。ヴィブラートは、もっとバリバリかけたら曲によっては面白い演奏になるだろうなー。ニュアンスの変化は少なくフラットな音楽作りだが、作品集という意味ではプラスかな。あ、あと録音状態が面白いですね。原博巳さんもご自身のブログで書いておられたが、ほとんど響きがない場所(もしくは、マイクから響きを取り込んでいない)での録音で、日本製のCDに聴き慣れている向きには、なかなか新鮮。ちなみに入手先だが…まだアクタスに数枚のこっているはず。アマゾンとかでは、扱っていたっけ、どうだっけ。
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