2022/08/13

Three Steps Forward

アメリカ産のサクソフォンと吹奏楽のための協奏曲は、とても数が多い。簡単に思い出す程度でも、ダール「協奏曲」、クレストン「協奏曲」、スミス「ファンタジア」、リード「バラッド」「シチリアーナ・ノットゥルノ」、バーンズ「アリオーソとプレスト」、フサ「協奏曲」、マスランカ「協奏曲」、マッキー「協奏曲」、ティケリ「協奏曲」、ブライアント「協奏曲」、マグヌソン「死者の書」、オルブライト「ヒーター」、ボルコム「協奏曲」、ハイデン「協奏曲」「協奏的幻想曲」、…挙げればキリがないのだが、盛んな大学バンド活動、多くの大学に存在するサクソフォンクラス、といったあたりが、この状況を生み出している。

初演後、広く世界中において演奏されるようになる作品もいくつかあり、古くはクレストン、ダール、フサ、リード、最近ではマスランカ、マッキーの各作品くらいのものであろう。しかし、殆どの作品がそもそもの編成が巨大で、演奏機会を捻出することが難しいことから、よほどのインパクトが無いと初演後にアメリカ国内で流行した後に表舞台から消えていくことも珍しくない。

個人的に考える、アメリカ産のサクソフォンと吹奏楽のための作品の中で、最もインパクトが強く、しかしながら今日、アメリカ国外で(国内ではどうか?)知られていない作品は、ネイサン・タノウエ Nathan Tanouye氏の「Three Steps Forward」である。衝撃的な作品んにも関わらず、演奏の実現に高い困難が伴い、ほとんど演奏機会に恵まれない。

3楽章からなるこの作品は、もともとネバダ州立大学ラスベガス校(UNLV)の委嘱により制作された。なんと、サクソフォンを含むジャズ・カルテットと吹奏楽のための、クアトロ・コンチェルトなのである。サクソフォンパートは、極めて高難易度な内容であり、即興パートを多分に含む。初演者が豪華で、なんとサクソフォンにエリック・マリエンサル(チック・コリア・エレクトリック・バンドを始めとするフュージョン分野における世界的奏者だ)を迎え、ラッセル・フェランテ、ジミー・ハスリップ、ウィル・ケネディといった一流のスタジオミュージシャンを加えた強烈な布陣であった。

30分の作品だが、「クラシックとジャズの融合」というありきたりなワードを新たな形で見事に体現した作品。編成の難しさと、初演のインパクトの大きさはあるものの、ぜひもっと世界的に知られて良い作品だと思っている。

Thomas G.Leslie指揮UNLVバンドの録音。初演者とほぼ同じ布陣である(ベースはジミー・ハスリップに代わり、ダイヴ・カーペンターが担当)。ジャケットの何ともいえない雰囲気は、アメリカならではか。

2022/08/10

クレンペラーのブランデンブルク(ミュール参加)

1950年のプラド音楽祭からさかのぼること4年、1946年7月2-8日の録音で、オットー・クレンペラー指揮プロ・ムジカ・オーケストラの「ブランデンブルク協奏曲第2番」の録音に、マルセル・ミュール氏が参加している。

プロ・ムジカ・オーケストラは、ラムルー管弦楽団からピックアップされた奏者が参加しているオーケストラ。この録音には、Paolo Longinottiというスイスのトランペット奏者が担当する予定だったところ、参加できなくなり、ミュール氏が呼ばれたとのこと(詳しい経緯はクレンペラーの評伝「"Verzeiht, ich kann nicht hohe Worte machen": Briefe von Otto Klemperer 1906–1973」に書かれているそうだが、同資料は未入手)。ちなみに、クレンペラーの「ブランデンブルク協奏曲」録音といえば、1960年のフィルハーモニア管弦楽団とのタッグによるものが有名だが、そちらでは原曲どおりにトランペットがフィーチャーされている。

プラド音楽祭のカザルス指揮の録音と比較してアンサンブル的な完成度は高く(セッション録音であるから当たり前か)、何度も聴くことを考えるとこちらのほうが好み。もちろん、カザルス指揮の、丁々発止という言葉を地で行くような活き活きした音楽と、ソリスト陣の妙味も大変な魅力があるが…。

クレンペラーの指揮姿の写真。

2022/08/07

1950年に開かれたプラド音楽祭について

マルセル・ミュール氏がソプラノサクソフォンで参加した、プラド音楽祭のバッハ「ブランデンブルク協奏曲」の録音は有名だ。1950年にプラドで開かれたこの音楽祭では、高名なチェリストであるパブロ・カザルスを芸術監督とした種々の演奏会が開かれ、その多くが録音として後世に残されている。

そもそも、音楽祭の開催経緯等について良く理解していなかったなと思い、少し調べてみたところ、「Festival Pablo Casals」という、現代の音楽祭のページにプラド音楽祭のことが書かれていたので、訳してみた。

事の発端は、1939年、カザルスがスペイン内戦のため、フランスへ亡命し、スペインとの国境に近いプラドに居を構えることから始まる。その後、欧州での大戦集結(1945年5月ドイツ降伏)直後である1945年、6月から演奏活動を再開したが、各国政府がスペインのフランコ政権を容認したことに抗議、同年11月から演奏活動を停止していた。

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アレクサンダー・シュナイダーのプロジェクトは、バッハの没後200年記念にカザルスを説得して音楽祭を開催する、というものであった。この時ばかりは、ヨーロッパとアメリカの偉大な演奏家たちが、旅費とギャラ無し、という条件を受け入れたのだ。そして、その利益は、多くのスペイン人亡命者が治療を受けていた、ペルピニャンの病院に還元された。カザルスは、様々な批判的な意見を理解しつつも、この提案を拒否することはできないと理解していたようだ。音楽祭の開催、オーケストラ結成、リハーサルはリスクを伴う仕事であり、カザルスはその危うさを十分承知していた。当時、プラドという小さな町には、まともなホテルは30室しかなく、ペルピニャンとの交通も不便であった。資金集め、移動と音楽家の受け入れ、宣伝、さらに3週間で12回のコンサートを開催できる場所を見つけなければならなかった。アレクサンダー・シュナイダーは、この音楽祭の資金調達のためにアメリカで委員会を設立し、現地では、カザルスの周りに多くのボランティアが集まりつつあった。この過程で、カザルスはようやく疲弊から脱し、新しい活力生命を手に入れることができた。

73歳のカザルスは、誰よりも自分の力を出し切っていた。50日間の準備期間中、カザルスは父性、熱意、静寂の入り交じった表情でリハーサルを指揮し、「バッハは世間で言われているような堅苦しい機械人間ではありません。バッハは、民俗学から不断に学んでいる繊細な人間なのです。私たちは彼のような感性で演奏しなければならない」と述べている。

1950年6月2日午後9時半、音楽祭の初日、プラド教会には扉が閉まりきらないほどの聴衆が詰めかけた。司教であるMonseigneur Pinsonが歓迎の辞を述べ、続いて、パブロ・カザルスが入場。一礼し、バッハの無伴奏チェロのための組曲第1番ト長調でコンサートの幕を開けた。

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音楽祭のポスター。チェロを弾く天使の絵が強烈な印象を残す。


私が同録音の復刻盤として入手したPearl盤のジャケットにも、同じ絵があしらわれている。

Wo das Licht die Saite kreuzt - Poem nach Debussy

Ries&Erler版(Detlef Bensmann編曲) の「Wo das Licht die Saite kreuzt - Poem nach Debussy」は、ドビュッシー「ラプソディ」の亜種?として把握しておくべき作品である。ドビュッシー「ラプソディ」を発展的にアレンジした、という内容で、ヴァイオリン、サクソフォン、ピアノ、もしくはサクソフォン(S/A持ち替え)、ピアノの編成で演奏される。

実際に聴いてみると、ドビュッシー「ラプソディ」の、コラージュ的作品という装いだが、特殊奏法を効果的に使いながら、万華鏡のような雰囲気を創り出し、なかなか面白い作品に仕上がっている。原曲と比べる、というよりは、新たな作品として浸かってみたほうがいろいろな発見ができることだろう。

日本では、2012年に佐藤淳一氏のレクチャーコンサートで演奏され(演奏は伊藤あさぎ氏)て以降、実演は聴いたことがない。

2022/08/06

ガロンの和声学クラスの写真

BnFの所蔵資料に、ガロンの和声学クラス(1929~1930年)の集合写真を見つけた。デザンクロが写っているらしい(が、…どれだろうか)。

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2022/08/03

トルヴェール・クヮルテットのデビュー当時紹介文

日本サクソフォーン協会報:サクソフォニスト No.8(1988年4月発刊)より、デビューリサイタル直前のトルヴェール・クヮルテットの紹介文を抜粋。磯田健一郎氏の軽妙な語り口(カタカナ語は80年代ならではか)が楽しい。

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 『トルヴェール』という語のイメージをみなさんはどのように感じられるでしょうか?おそらくそのどれとも程遠いように見える(失礼!!)四人の若手奏者によって結成されたのが、このカルテットなのです。

 『スガワチック・サウンド』でつとに有名な須川展也氏が、ある日「うーん、カルテットやりたいよー」とダダをこね、彦坂眞一郎、新井靖志、田中靖人といった荒武者を、奥サンをクドいた時よりも熱心にクドき、あるいはオドし、あるいはソデの下を渡して結成したという秘話があります。その結成日は定かではありませんが、初めて四人が顔を合わせて音をだしたのは、私が依頼したスタジオワークでありました。(ギャラ払ったっけ?)

 この時録音したのが、私の『アンプロンプチュ』という曲でありまして、コレがマズかったのではないかと、大変心配しておるのであります。来年一月に文化会館小ホールで、このカルテットのリサイタルが開かれる予定ですが、おそらくその時この幻の名曲が聴かれることでしょう。(爆笑!!)

 冗談と我田引水はさておき、彼ら四人は「邪道も正道もカンケーない。必要なのは何を表現し、どう楽しむか、だ」という問題意識を持った、先が楽しみなプレイヤー達だと思います。フランス現代の四重奏曲の正面から挑戦しつつ、他ジャンルへの乱入もこだわりなく行い、おざなりの演奏をすることなく、積極的に自ら楽しみ、表現していく。あたりまえのことのようですが、これを本当に理解し実践している人はほとんどいません。この意味でも、このカルテットの誕生に立ち会い、身近にその演奏を聴けるのは、全く幸せだ、と思っております。

 とにかく若い四人ですから、火花が飛んだり、プッツンと爆走したりといろいろあると思いますが、それらを通過した時どんな音を出してくれるか?油断のならない連中なのです。

(磯田健一郎・作家・評論家)

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これはだいぶ新しい写真…。



第19回WSC日本開催辞退の報

第19回世界サクソフォン・コングレス(日本・倉敷市開催)について、"日本での開催を辞退する"とのアナウンスが公式ウェブサイト上で発表された。

第19回サクソフォーンコングレスHP (japan-sax-congress.com)

以下、開催委員会のコメント全文。


世界サクソフォン・コングレス開催のオブザーバーであるInternational Saxophone Committeeの反応・コメント等については特に記載が無い。しかしながら、日本国内の委員会の方向性が辞退方向で一致しているのであれば、決定がひっくり返ることは考えられず、第19回日本開催は無くなったと言い切って差し支えないだろう。

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追記:Internal Saxophone Committeeのウェブサイト上でも正式に発表された。アンケートもあるので、興味ある方は回答してみてはいかがだろうか。