というわけで、ノナカ・サクソフォン・フレンズの最新号がPDFで出ております。こういったクオリティの雑誌を、(たとえ一ヶ月遅れとは言え)無料でダウンロード可能にしてくれている、野中貿易に感謝。
http://www.nonaka.com/nsf/magazine.html
今回の主な内容は、「福本信太郎氏インタビュー」「原博巳&ジェローム・ララン&大石将紀ジョイントコンサートレポート」「ギャップのセミナーレポート(伊藤あさぎ氏寄稿)」「フランスツアーレポート(原博巳氏寄稿)」「グラント・スチュワート氏インタビュー」といったところ。原博巳氏や伊藤あさぎ氏による、フランスの現在のサクソフォン界周辺のレポートは、私にとって大変興味あるところであり、読むのがとても楽しかった。
そんななか、目が釘付けになったのが、原博巳氏のツアーのうち、国際大学都市日本館でのジョイントコンサートプログラムの一節(17ページ右下)。「……シュトックハウゼン:誘拐……」。な、なんだってー!こ、これは聴きたかった。演奏を行ったのは、白井奈緒美さんだったようだ…パリのほうでは、意外とメジャーなレパートリーであるのだろうか。
2007/12/08
2007/12/07
久々に吹奏楽
いつだかの課題曲「レイディアントマーチ」と、グレインジャー「ガムサッカーズ・マーチ(早分かりの一曲!)」の練習に参加(誘っていただいて、ありがとうございました)。久々の吹奏楽なので吹き方を忘れていて焦った。おまけに出すべき音色が分からず、迷った挙句ヴァンドレンのT-20を持ち出して吹いてみた!
「レイディアントマーチ」のほうは、正直さらっていても合奏していても良く分からん曲なのだが(とりあえず、なんちゃって多調っぽい)、「ガムサッカーズ・マーチ」を吹けるのがこの上のない幸せである。民謡を題材にしたライトな外見を持ちつつも、内部構造はかなり複雑。幾本にも織り重なるポリフォニーは、瞬間々々に色合いを変えながら進行。時々に出現する半音進行のキメは、いかにも見知ったグレインジャー節そのもので、思わずニコリ。
そんな曲でテナーサックスに与えられた役割と言えば、内声部やや低音寄り、といった趣。だが、それだけに終始せずリズム刻みとオブリガートとベース音とメロディとが次々に出現する楽譜は、吹いていて実に楽しいのだ。普通の吹奏楽曲だったら、テナーサックスのパートはこうはいかないだろうな。
というわけで、「レイディアントマーチ」「ガムサッカー」に始まった、久々の吹奏楽の季節。サクソフォンのみのアンサンブルでは味わえない楽しさを、存分に満喫しようと思う。他には何があったかな…「第一組曲」「絵のない絵本」とか。
サクソフォンフェスティバルのほうは、練習場所が使えなかったりで合わせの時間を確保できずなかなか大変だが、来週の朝練習で一気に突き詰めよう。
「レイディアントマーチ」のほうは、正直さらっていても合奏していても良く分からん曲なのだが(とりあえず、なんちゃって多調っぽい)、「ガムサッカーズ・マーチ」を吹けるのがこの上のない幸せである。民謡を題材にしたライトな外見を持ちつつも、内部構造はかなり複雑。幾本にも織り重なるポリフォニーは、瞬間々々に色合いを変えながら進行。時々に出現する半音進行のキメは、いかにも見知ったグレインジャー節そのもので、思わずニコリ。
そんな曲でテナーサックスに与えられた役割と言えば、内声部やや低音寄り、といった趣。だが、それだけに終始せずリズム刻みとオブリガートとベース音とメロディとが次々に出現する楽譜は、吹いていて実に楽しいのだ。普通の吹奏楽曲だったら、テナーサックスのパートはこうはいかないだろうな。
というわけで、「レイディアントマーチ」「ガムサッカー」に始まった、久々の吹奏楽の季節。サクソフォンのみのアンサンブルでは味わえない楽しさを、存分に満喫しようと思う。他には何があったかな…「第一組曲」「絵のない絵本」とか。
サクソフォンフェスティバルのほうは、練習場所が使えなかったりで合わせの時間を確保できずなかなか大変だが、来週の朝練習で一気に突き詰めよう。
ラベル:
演奏
2007/12/05
映画音楽に…
2007/12/04
ライヴエレクトロニクス作品の意義(サックスの視点から)
今年、2007年のサクソフォーンフェスティバルのプログラムに、「サクソフォンとライヴエレクトロニクスのコラボレーション」なるシリーズが用意されているのは周知の通り。プログラムはこんな感じ。おなじみの曲ばかりだ(唯一、酒井氏の作品だけはまったく聴いたことがないのだが)。
・Jacob ter Veldhuis「The Garden of Love(林田和之)」
・酒井健治「Beetween the wave and memories - side A(大石将紀)」
・Christian Lauba「Stan(栃尾克樹)」
・Pierre Jodlowski「Mixtion(井上麻子)」
・Jacob ter Veldhuis「Pitch Black(アルディSQ)」
私にとっては嗜好が強く働く分野であるから、今から聴くのが楽しみである(予定が入らないことを祈る)。ちなみに私たちも、一日目に、このコンセプトに沿った四重奏作品を一曲演奏させていただく予定。どうなることやら(さらうのが間に合わないーーーっ)。
さて、本日はこれらサクソフォンとライヴエレクトロニクスを組み合わせた作品の意義について、私の考えを述べたい。テーマは「(伝統という文脈に沿った上での)拡張」。ちなみに、ここで論じる"ライヴエレクトロニクス"という言葉はテープと合奏するもの、マイク→エフェクタを伴うもの、シンセサイザー音を使用するもの、発音のタイミングをコントロールしていくものなど、広義のものを指すこととする。
"楽器"はなぜ発明されたのか?それは、ヒト単体では出すことのできない音を獲得するためである。ヒト単体で出すことのできる音は、声、あとは手を打ち合わせることで発生される音程度のものか。脳の進化はそれだけには飽き足らず、さらに多彩な音を求めた。我々の祖先は、たとえば動物の骨を打ち合わせることによって打撃音を繰り出し(打楽器)、植物性や動物性の管に息を通すことによって空気の共鳴音を響かせ(管楽器)はじめたのである。
さらに、楽器同士を組み合わせて演奏することにより、さまざまな演奏形態が生まれた。伴奏を伴う独奏曲、室内楽、協奏曲、弦楽合奏、オーケストラ、吹奏楽といったものである。これら演奏形態は、新しい響きを求める過程で生まれたもの。必然性から、各要素(小編成)がシナジーを生み出していったとも言える。編成の拡張である。
このいわゆる"クラシック音楽"の本流とはやや外れた場所で、20世紀半ばに電子音楽が産声を上げることとなる(ここで言う"電子音楽"はフランスのミュージック・コンクレートと、ドイツの電子音楽奏法を意味する広義の語)。電子音楽は、生の楽器では出しえない、新たな響きを求めて出現したとされる。響きの拡張である、と言えよう。
当初は内にこもりながら醸成されていったが、いつしかアコースティック楽器との共演を行うようになった…手元に資料がないのだが、アコースティックの楽器とライヴエレクトロニクスが初めて共演を行ったのはどの作品であるということになるのだろうか。この中には、単純にテープと合奏していくだけのもの、楽器の音をマイクで拾いながらエフェクトをかけていくもの、それらを組み合わせたもの、などがある。IRCAMで開発されたMAX/MSPシステムは、作曲家個人レベルでのアコースティック楽器と電子音楽の共演を可能にし、広く受け入れられた。
ではここで、電子音楽がアコースティック楽器と共演することを、クラシック音楽の本流へと組み込んで捉えてみたい。つまり、古くから編成を肥大化させながら、新しい響きを求めるという方向へ進んできたクラシック音楽を奏でる編成の、現在における最終地点を、オーケストラではなく、ライヴエレクトロニクスと定義するのだ。
すると、なんとライヴエレクトロニクスは、以下のような点をはじめ、オーケストラを完全に凌駕するのである。
・響きの多彩さ(モーグを使えば、世の中に存在するあらゆる音を出すことができる)
・発音タイミングの正確さ(人間とは比べ物にならない)
・音程の正確さ(そりゃそうだ)
・リーズナブルさ(ライヴエレクトロニクスのほうが、多くの面で経済的)
以上、サクソフォンとライヴエレクトロニクスが共演する、ということはすなわち、サクソフォンが宇宙最強のオーケストラと共演することに他ならない、という結論へと至るのであった。これまでオーケストラと奏でられていた数々のサクソフォーン協奏曲は、全てがライヴ・エレクトロニクスへと取って代わられるべきだ、ということになる。
…と、そこまではさすがに言いすぎだが、とにかくサクソフォンとライヴエレクトロニクスの共演は、協奏曲という形式を拡張したものに他ならない、というのが私の中での今のところの結論。しかも、決して突拍子もないところから出現したのではなく、オーケストラでは足りない部分を改善するために、必然的に生まれたきたものである、というのも大事なポイント。
それでは、ジョドロフスキの「Mixtion」を例に挙げてオーケストラとの優位性を具体的に考察しながら、本記事を終えることとしよう。
・響きの多彩さに関して:聴いて解るとおりである。オーケストラとの協奏曲ではなしえない音の洪水。「Mixtion」のPatcherがMSPを通じて発する音を、可能な限り高音質で鳴らすことにより、聴覚可能範囲めいっぱいに拡張された音波とサクソフォンのミックスされたサウンドを聴衆は体感することができる。1ページのみを見てみても、最初のpppppからの重低音のクレシェンドしかり、ヘリコプターの音しかりである。
・発音タイミングに関して:従来であれば独奏者→指揮者→オーケストラという流れの中で、タイムラグが発生することは避けられなかったが、「Mixtion」では、独奏者が足元のペダルを操作することにより、次のステージ(練習番号)へ移行するという仕組みを採用した。これによって、生身の人間を数段挟むことによる一連のオーバヘッドを削減することとが可能となった。
・音程の正確さに関して:通常の協奏曲であれば、オーケストラという大きな編成上、完璧な音程追求は不可能であった。共演する音を、あらかじめコンピュータ上で作成しておくことは、バックのサウンドに関しては、微小なレベルでの音程調節を可能にする。純粋に、アコースティックな独奏楽器のみの音程が問われることは、理想的な状況であると言える。演奏前のチューニングも、バックに関しては必要なし。
・経済面:「Mixtion」に関して言えば、用意する機材はMAX/MSPソフトウェア、Mac or WindowsPC、ミキサー、スピーカーである。オーケストラとの共演に比べて、再利用性が高く、再演を繰り返すほどにコストの削減へと繋がることがわかる。
・Jacob ter Veldhuis「The Garden of Love(林田和之)」
・酒井健治「Beetween the wave and memories - side A(大石将紀)」
・Christian Lauba「Stan(栃尾克樹)」
・Pierre Jodlowski「Mixtion(井上麻子)」
・Jacob ter Veldhuis「Pitch Black(アルディSQ)」
私にとっては嗜好が強く働く分野であるから、今から聴くのが楽しみである(予定が入らないことを祈る)。ちなみに私たちも、一日目に、このコンセプトに沿った四重奏作品を一曲演奏させていただく予定。どうなることやら(さらうのが間に合わないーーーっ)。
さて、本日はこれらサクソフォンとライヴエレクトロニクスを組み合わせた作品の意義について、私の考えを述べたい。テーマは「(伝統という文脈に沿った上での)拡張」。ちなみに、ここで論じる"ライヴエレクトロニクス"という言葉はテープと合奏するもの、マイク→エフェクタを伴うもの、シンセサイザー音を使用するもの、発音のタイミングをコントロールしていくものなど、広義のものを指すこととする。
"楽器"はなぜ発明されたのか?それは、ヒト単体では出すことのできない音を獲得するためである。ヒト単体で出すことのできる音は、声、あとは手を打ち合わせることで発生される音程度のものか。脳の進化はそれだけには飽き足らず、さらに多彩な音を求めた。我々の祖先は、たとえば動物の骨を打ち合わせることによって打撃音を繰り出し(打楽器)、植物性や動物性の管に息を通すことによって空気の共鳴音を響かせ(管楽器)はじめたのである。
さらに、楽器同士を組み合わせて演奏することにより、さまざまな演奏形態が生まれた。伴奏を伴う独奏曲、室内楽、協奏曲、弦楽合奏、オーケストラ、吹奏楽といったものである。これら演奏形態は、新しい響きを求める過程で生まれたもの。必然性から、各要素(小編成)がシナジーを生み出していったとも言える。編成の拡張である。
このいわゆる"クラシック音楽"の本流とはやや外れた場所で、20世紀半ばに電子音楽が産声を上げることとなる(ここで言う"電子音楽"はフランスのミュージック・コンクレートと、ドイツの電子音楽奏法を意味する広義の語)。電子音楽は、生の楽器では出しえない、新たな響きを求めて出現したとされる。響きの拡張である、と言えよう。
当初は内にこもりながら醸成されていったが、いつしかアコースティック楽器との共演を行うようになった…手元に資料がないのだが、アコースティックの楽器とライヴエレクトロニクスが初めて共演を行ったのはどの作品であるということになるのだろうか。この中には、単純にテープと合奏していくだけのもの、楽器の音をマイクで拾いながらエフェクトをかけていくもの、それらを組み合わせたもの、などがある。IRCAMで開発されたMAX/MSPシステムは、作曲家個人レベルでのアコースティック楽器と電子音楽の共演を可能にし、広く受け入れられた。
ではここで、電子音楽がアコースティック楽器と共演することを、クラシック音楽の本流へと組み込んで捉えてみたい。つまり、古くから編成を肥大化させながら、新しい響きを求めるという方向へ進んできたクラシック音楽を奏でる編成の、現在における最終地点を、オーケストラではなく、ライヴエレクトロニクスと定義するのだ。
すると、なんとライヴエレクトロニクスは、以下のような点をはじめ、オーケストラを完全に凌駕するのである。
・響きの多彩さ(モーグを使えば、世の中に存在するあらゆる音を出すことができる)
・発音タイミングの正確さ(人間とは比べ物にならない)
・音程の正確さ(そりゃそうだ)
・リーズナブルさ(ライヴエレクトロニクスのほうが、多くの面で経済的)
以上、サクソフォンとライヴエレクトロニクスが共演する、ということはすなわち、サクソフォンが宇宙最強のオーケストラと共演することに他ならない、という結論へと至るのであった。これまでオーケストラと奏でられていた数々のサクソフォーン協奏曲は、全てがライヴ・エレクトロニクスへと取って代わられるべきだ、ということになる。
…と、そこまではさすがに言いすぎだが、とにかくサクソフォンとライヴエレクトロニクスの共演は、協奏曲という形式を拡張したものに他ならない、というのが私の中での今のところの結論。しかも、決して突拍子もないところから出現したのではなく、オーケストラでは足りない部分を改善するために、必然的に生まれたきたものである、というのも大事なポイント。
それでは、ジョドロフスキの「Mixtion」を例に挙げてオーケストラとの優位性を具体的に考察しながら、本記事を終えることとしよう。
・響きの多彩さに関して:聴いて解るとおりである。オーケストラとの協奏曲ではなしえない音の洪水。「Mixtion」のPatcherがMSPを通じて発する音を、可能な限り高音質で鳴らすことにより、聴覚可能範囲めいっぱいに拡張された音波とサクソフォンのミックスされたサウンドを聴衆は体感することができる。1ページのみを見てみても、最初のpppppからの重低音のクレシェンドしかり、ヘリコプターの音しかりである。
・発音タイミングに関して:従来であれば独奏者→指揮者→オーケストラという流れの中で、タイムラグが発生することは避けられなかったが、「Mixtion」では、独奏者が足元のペダルを操作することにより、次のステージ(練習番号)へ移行するという仕組みを採用した。これによって、生身の人間を数段挟むことによる一連のオーバヘッドを削減することとが可能となった。
・音程の正確さに関して:通常の協奏曲であれば、オーケストラという大きな編成上、完璧な音程追求は不可能であった。共演する音を、あらかじめコンピュータ上で作成しておくことは、バックのサウンドに関しては、微小なレベルでの音程調節を可能にする。純粋に、アコースティックな独奏楽器のみの音程が問われることは、理想的な状況であると言える。演奏前のチューニングも、バックに関しては必要なし。
・経済面:「Mixtion」に関して言えば、用意する機材はMAX/MSPソフトウェア、Mac or WindowsPC、ミキサー、スピーカーである。オーケストラとの共演に比べて、再利用性が高く、再演を繰り返すほどにコストの削減へと繋がることがわかる。
Richard Ducros plays Lauba's Etudes on YouTube
リチャード・ドゥクロス Richard Ducrosの演奏動画…ではなく、写真に演奏音源を載せただけのもの。そもそもは、クリスチャン・ローバ Christian Laubaの練習曲第11番、バリトンサクソフォンとテープのための「Stan」を探していたのだが、他にもローバの作品の演奏がいくつか見つかったので、一緒に載せておく。どれも上手いなあ。
・当初の目的だった「Stan」~バリトンサクソフォンとテープのための作品。前半のフワフワした夢幻的な響きも良いが、後半はアコースティックパートがなんだかものすごいことになる。本年のフェスティバルで、栃尾克樹氏が演奏する予定とのこと。
・「Tadj」~ソプラノサクソフォンソロのための(「9つのエチュード」所収作品)。この作品からは、一本の楽器でどこまで和声的表現に迫ることができるのか、というややパラドックス的な思想を感じる。ソプラノサクソフォンでの、あるベクトルに関しての到達点を聴くことができます。凄すぎ。
・「Jungle」~アルトサクソフォンソロのための(「9つのエチュード」所収作品)。ほら、あれです。レガート、循環呼吸、スラップタンギングと重音のための練習曲(!)。
・「Hard」~テナーサクソフォンソロのための。アルノ・ボーンカンプ氏に献呈されたもので、個人的にはテナーサックス最強の無伴奏作品だと思っている。…おお、これはなかなかの名演だ、と喜ぶのもつかの間、なんと途中で切れてしまっている。
・「Balafon」~アルトサクソフォンソロのための循環呼吸のためのエチュード。それでもこの中では一番おとなしい曲&演奏かも…。
・当初の目的だった「Stan」~バリトンサクソフォンとテープのための作品。前半のフワフワした夢幻的な響きも良いが、後半はアコースティックパートがなんだかものすごいことになる。本年のフェスティバルで、栃尾克樹氏が演奏する予定とのこと。
・「Tadj」~ソプラノサクソフォンソロのための(「9つのエチュード」所収作品)。この作品からは、一本の楽器でどこまで和声的表現に迫ることができるのか、というややパラドックス的な思想を感じる。ソプラノサクソフォンでの、あるベクトルに関しての到達点を聴くことができます。凄すぎ。
・「Jungle」~アルトサクソフォンソロのための(「9つのエチュード」所収作品)。ほら、あれです。レガート、循環呼吸、スラップタンギングと重音のための練習曲(!)。
・「Hard」~テナーサクソフォンソロのための。アルノ・ボーンカンプ氏に献呈されたもので、個人的にはテナーサックス最強の無伴奏作品だと思っている。…おお、これはなかなかの名演だ、と喜ぶのもつかの間、なんと途中で切れてしまっている。
・「Balafon」~アルトサクソフォンソロのための循環呼吸のためのエチュード。それでもこの中では一番おとなしい曲&演奏かも…。
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メディア
2007/12/02
ヘムケ氏の録音紹介(ペッテションの交響曲)
まず、フレデリック・ヘムケ Frederick Hemke氏ソロの3枚のLP「Contest Music for Saxophone(Lapider Records)」「The American Saxophone(Brewster Records)」「Music for Tenor Saxophone(Brewster Records)」に関しては、kuri_saxoのトップページ→[クラシック・サクソフォンのレコード]に記述を追加したので、よろしければご覧ください。なぜか解らないけれど、HTMLを書くのって、ブログに記事を作るのよりずっと疲れる。たいしたタグは書いていないのだが。
CDに関してはこちらで書いておこう。アラン・ペッテション Allan Petterssonの交響曲第7番と交響曲第16番が入ったCD「ALLAN PETTERSSON - SYMPHONY No.7 & No.16(Swedish Society SCD 1002)」。ヘムケ氏とオーケストラの共演と言えば、シカゴ響との共演によるアルルや展覧会の絵といったところが有名だろうが(→レコーディングのリスト)、個人的にはオーケストラとの共演モノで最強ではないかと思っているのが、本CDである。
ヘムケ氏が参加しているのは「交響曲第16番」のほうなのだが、まずは作品の成立経緯についておさらいしておこう。みておこう。1979年、ヘムケ氏はペッテションに向けてサクソフォン作品委嘱の手紙を書くが、ペッテションは数ヶ月の後になんと20分に及ぶ単一楽章の交響曲を一曲、ヘムケ氏に送り返してしまったのだ。そうして完成した作品は、なんとオーケストラを従えてサクソフォンが延々と高難易度のソロを取り続けるというものなのであった。
作曲者は作品完成の1年後に死去。初演は1984年にユーリ・アロノヴィッチ指揮ストックホルム・フィルとサクソフォン独奏フレデリック・ヘムケ氏というコンビにて行われたが、さらにその初演クレジットのまま、同年のうちにレコーディングが行われた。オリジナル版のほか、ジョン=エドワルド・ケリー John Edward Kelly氏の手によって補筆がなされた版の録音も存在する。
さてその「交響曲第16番」ある時にはオーケストラと共に、またある時にはオーケストラに対抗しながら、孤高に吼え続けるサクソフォンは、実に強烈な印象を残すものである。20分にわたって超絶技巧を繰り返しながら、オーケストラの音の波に決して屈せず、(中間部ではいったん落ち着くけれど)勢いが戻った後半の最後までテンションを保持するのだ。真剣に聴くと、ちょっと恐ろしいくらい。ペッテションは、作曲当時かなり重い病を患っていたというが、じっと耳を傾けていると彼の悲痛な叫びが湧き上がってくるようである。
かなりハードな内容であるが(無調というわけではない)、ヘムケ氏のあまりにも見事な演奏…いや、"演奏"というよりまるで"戦闘"だが…を聴いてみたい方は、ぜひどうぞ。
CDに関してはこちらで書いておこう。アラン・ペッテション Allan Petterssonの交響曲第7番と交響曲第16番が入ったCD「ALLAN PETTERSSON - SYMPHONY No.7 & No.16(Swedish Society SCD 1002)」。ヘムケ氏とオーケストラの共演と言えば、シカゴ響との共演によるアルルや展覧会の絵といったところが有名だろうが(→レコーディングのリスト)、個人的にはオーケストラとの共演モノで最強ではないかと思っているのが、本CDである。ヘムケ氏が参加しているのは「交響曲第16番」のほうなのだが、まずは作品の成立経緯についておさらいしておこう。みておこう。1979年、ヘムケ氏はペッテションに向けてサクソフォン作品委嘱の手紙を書くが、ペッテションは数ヶ月の後になんと20分に及ぶ単一楽章の交響曲を一曲、ヘムケ氏に送り返してしまったのだ。そうして完成した作品は、なんとオーケストラを従えてサクソフォンが延々と高難易度のソロを取り続けるというものなのであった。
作曲者は作品完成の1年後に死去。初演は1984年にユーリ・アロノヴィッチ指揮ストックホルム・フィルとサクソフォン独奏フレデリック・ヘムケ氏というコンビにて行われたが、さらにその初演クレジットのまま、同年のうちにレコーディングが行われた。オリジナル版のほか、ジョン=エドワルド・ケリー John Edward Kelly氏の手によって補筆がなされた版の録音も存在する。
さてその「交響曲第16番」ある時にはオーケストラと共に、またある時にはオーケストラに対抗しながら、孤高に吼え続けるサクソフォンは、実に強烈な印象を残すものである。20分にわたって超絶技巧を繰り返しながら、オーケストラの音の波に決して屈せず、(中間部ではいったん落ち着くけれど)勢いが戻った後半の最後までテンションを保持するのだ。真剣に聴くと、ちょっと恐ろしいくらい。ペッテションは、作曲当時かなり重い病を患っていたというが、じっと耳を傾けていると彼の悲痛な叫びが湧き上がってくるようである。
かなりハードな内容であるが(無調というわけではない)、ヘムケ氏のあまりにも見事な演奏…いや、"演奏"というよりまるで"戦闘"だが…を聴いてみたい方は、ぜひどうぞ。
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2007/12/01
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