2012/05/02

話題が醸成される場所

昨年から今年にかけての、日本のクラシック・サクソフォン界におけるFacebookの拡がりっぷりは、驚くべきものである。私自身は2010年頃からFacebookを本格的に利用し始めたが、そもそもは天久保オールスターズバンド絡みで使い始めたのであって、クラシック・サクソフォン界でTwitter全盛だった当時の状況から考えると、ここまでFacebookが使われるようになる状況は想像できなかった。ほぼ即時のタイムライン更新、写真共有、そしてそれを読んだ/見た、"友達"からのコメントやイイネ!は、ありきたりだが「縮小する世界」というキーワードを実感させるのに十分すぎるのだ。

単なる日常のアップデートにとどまらず、それなりに価値ある情報すら、時折アナウンスされるのだからたまったものではない。Googleで検索することができない場所に、貴重な情報がゴロゴロと転がっているのだ。そのうち、調べ物にGoogleを使うことが、徐々に意味を成さなくなるかもしれない。少しずつではあるが、Facebookを利用しているとその傾向を感じる。

最初はパソコン通信だった(らしい)。そのころは、ある会議室を観測対象としておけば事足りた(ようだ)。Windows95の登場による、インターネットの普及。ウェブページによる情報発信、掲示板の盛り上がり、そして登録型の検索エンジンからロボットサーチ型の検索エンジンへの移行(このあたりからは、私もリアルタイムで触れている)。ネットワーク上の情報が増え、容易に目的の情報を探し出すのは難しくなった。しかし、Googleの登場によって、その問題は解決されている。ウェブページがブログにその座を明け渡したときも、変わらなかった。そして現れたSNS…これは衝撃的だったなあ。インターネット上にクローズドなサブネットワークが生まれるなんて、ARPAの開発者は想像していただろうか。mixiは数年にわたって濃密な情報の居場所のより所となったが、その後現れたTwitterへと多くのユーザーは流出した。Twitterのリアルタイム性も、衝撃的であった。まるで常にチャットに繋いでいるような場で、様々な話題が醸成されていた。そして、再び舞台はSNS(Facebook)へ…。

ブログに載せる話題を、どうやって探していけばよいのか迷っているのだ。数年前までは、「何かキッカケを見つける→Googleで検索」という流れで十分だったのになあ。検索できない場所にある話題がこれだけ多く、その流れを見直さなければならないなと最近考え始めているのだ。もちろん、学生の時に比べて調べ物をできる時間が少ない、というのはあるけれど(^^;

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