サクソフォンは、その円錐管という構造的特徴から、人の肉声に近い音色を奏でることができるという。アルトサックスのヴィブラートを伴う長音は、まるで歌手のカンタービレの様だし、バリトンサックスの低音は、まるで男性の野太い声のようだ…というのは、大方には認識されていることだ。
そのサクソフォンが、声とアンサンブルをするとどうなるのか。しかも、歌謡曲の裏でサックスが鳴り立てるような状況ではなくて、コテコテのクラシック作品でのアンサンブル。クラシック・サクソフォンの世界には、こういった声とのアンサンブル曲がいくつか存在しているのだ。
有名なところでは、ホアキン・ニン「夜警の歌」。もともとピアノと女声のための作品だったというが、後にサクソフォンがオブリガート的なパートとしてあてがわれた。ピアノの上に、女声とアルトサクソフォンが濃密に絡む様子は、実に美しい(ロンデックスが参加した演奏が、絶品)。伊藤康英先生が編曲したシューベルト「冬の旅」も、ピアノ・語り(テノール)・サクソフォンという編成で、新たなクラシック分野の一面を切り開いた、という感がある。演奏は至難であろうが、聴き手からすれば、実に贅沢な響きを聴くことができる。
まあ、こういったクラシカルな作品も良いのだが、個人的に声とサクソフォンのアンサンブルは、響きそのものを楽しむ現代音楽の分野でこそ、さらに素晴らしいアンサンブルを繰り広げると思うのだ。
有名なところでは、ラスカトフの「パ・ドゥ・ドゥ」とか?テナーサクソフォン&ソプラノサクソフォン持ち替え+ソプラノ+チャイムという編成だが、微分音を伴う怪しい響き(それは、冒頭の数秒を聴いただけで判る)は、サクソフォンと声のユニゾンでこそ成し得るものなのでは?と思う。北欧の作曲家、レンクウィストの「穢れを清めたまえ」は、ソプラノとアルトサクソフォンの二重奏。脳天に細い針が突き刺さるような、細いながらも密度の高い音世界が構築されてゆくさまは、圧巻。
野平一郎氏の「舵手の書」もサクソフォンとメゾ・ソプラノ、ピアノのための曲で、以前から聴いてみたいと思っていた作品のひとつ。クロード・ドゥラングル教授のために書かれた曲だが、果たしてこの作品においては声はどのように使われているのだろうか。
声とサクソフォンという編成は、たとえ作品が生まれたとしても、演奏困難なせいかほとんど演奏されずに埋もれてしまう、というのが常であると思うのだが、積極的に良い作品はスタンダードなレパートリーとして定着していけば良いな…という密かな願いがある。…まあ、この声とサクソフォン世界を楽しむ、という意味において、次回のジェローム・ラランさんのリサイタルはとにかく楽しみでしょうがない。
不思議なサクソフォンの世界を覗いてみたい方は、ぜひ行くと良いと思います(私も行きます)。ラランさんの、こういったサクソフォン分野の開拓心の旺盛さには、本当に頭が下がる思いだ。
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・声とサクソフォーン、ピアノ「息の横断」(東京の夏音楽祭2007)
出演:ジェローム・ララン(sax)、メニッシュ純子(mezzo-sop)、杉崎幸恵(pf)
2007/7/20(金)19:00開演
大田区民ホール・アプリコ 小ホール
入場料:前売り2000円、当日2500円
プログラム:野平一郎「舵手の書(日本初演)」、イェスパー・ノーディン「火から生まれる夢(世界初演)」他
問い合わせ:090-8053-7070(ヌオヴォ・ヴィルトゥオーゾ事務局)
http://www.arion-edo.org/tsf/2007/program/concert.jsp?year=2007&lang=ja&concertId=s03
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