バーンスタインがニューヨークフィルを振って、ドビュッシー「ラプソディ」を録音した音源がある。サクソフォーン独奏はシーグルト・ラッシャー。個人的に、やはりこの曲はマルティノン×ORTF×ロンデックスの録音あたりがトドメを刺していると思うのだが、こっちのニューヨークフィルの録音も味わいがあって好きだな。
ラッシャーがソリストとして録音したものは今ではほとんど入手ができないのだが、その数少ない貴重な音源のうちの一つ。サクソフォーンの歴史上でのラッシャーの存在を存分に伝えてくれる演奏かな、と思う。オーケストラもかなり上手く弾いているが、若干ソロパートに変更を施しつつ存在感を示すラッシャーのサックスは見事と言うほかない。ラーション「協奏曲」を録音したLPも存在するとの事で、機会があればぜひ聴いてみたいものだ。
その独特の音色は、フレンチ・サクソフォーン界からは見向きもされなかったであろう事が推測できるけれど、ラッシャーの存在はドイツやアメリカにおいてのクラシカル・サックスの礎の一つとなっていることは間違いないのだろう。
2006/08/09
2006/08/07
ロンデックスのCrest盤
かつてCrestから出ていたジャン=マリー・ロンデックスのLPの音源をお貸しいただいた。デザンクロ「PCF」、ロベール「カデンツァ」、ミヨー「スカラムーシュ」他入曲。収録時間から推測するに何曲か欠けているような気がするが、これだけでも十分貴重な音源だな。
ロンデックスの復刻音源と言えば、EMI Franceから発売された「Le saxophone francaise」に含まれるソロや室内楽の録音が大変注目すべき内容だが、アメリカのCrestにソロを録音していたことは良く知らなかった。Googleで検索をかけると、ポール・ブロディ氏との親交があったことが分かるが、そのあたりの繋がりで実現した録音なのだろうか。
しかしまたしてもCrest!古きよき時代のワンマン・マイナーレーベルの一つだが、1980年代に取締役が亡くなったために、今ではほとんどの音源が散逸しているという幻のレーベル。デファイエが演奏したブートリーやガロワ=モンブランのLPだってここで録音されているためか、復刻されないわ中古でもほとんど出てこないわ…。ごくごく稀にCrestのLPとめぐり合うことがあったら、それはけっこうラッキーなのかもしれない。
さて肝心の演奏だが、さすが大御所ソリスト、貫禄十分の演奏だ。テクニック的にかなりハイレベルな曲目が揃っているが、ドビュッシーの「ラプソディ」でも聴けるあの輝かしい音色で悠然と吹ききっていく。カッコイイ!中音域の音色がいかにもロンデックスの個性炸裂という感じで、このあたりの音域で速いパッセージを吹かれると圧倒されてしまう。中でもロベール「カデンツァ」のすさまじい集中力(まるで狂気)は、デザンクロをも抑えてLP全体の中核を担う演奏だと思う。終わった瞬間にスカラムーシュに突入すると、かなりホッとします(笑)。
この粘りのある独特の質感、今となっては時代錯誤もいいところだが、こういうスタイルがサクソフォーン界からほぼ完全に消えうせてしまったのはちょっと寂しいな、なんだか。現代のプレイヤーが同じ曲を録音したら、全く違った感じになるのだろう。
ロンデックスの復刻音源と言えば、EMI Franceから発売された「Le saxophone francaise」に含まれるソロや室内楽の録音が大変注目すべき内容だが、アメリカのCrestにソロを録音していたことは良く知らなかった。Googleで検索をかけると、ポール・ブロディ氏との親交があったことが分かるが、そのあたりの繋がりで実現した録音なのだろうか。
しかしまたしてもCrest!古きよき時代のワンマン・マイナーレーベルの一つだが、1980年代に取締役が亡くなったために、今ではほとんどの音源が散逸しているという幻のレーベル。デファイエが演奏したブートリーやガロワ=モンブランのLPだってここで録音されているためか、復刻されないわ中古でもほとんど出てこないわ…。ごくごく稀にCrestのLPとめぐり合うことがあったら、それはけっこうラッキーなのかもしれない。
さて肝心の演奏だが、さすが大御所ソリスト、貫禄十分の演奏だ。テクニック的にかなりハイレベルな曲目が揃っているが、ドビュッシーの「ラプソディ」でも聴けるあの輝かしい音色で悠然と吹ききっていく。カッコイイ!中音域の音色がいかにもロンデックスの個性炸裂という感じで、このあたりの音域で速いパッセージを吹かれると圧倒されてしまう。中でもロベール「カデンツァ」のすさまじい集中力(まるで狂気)は、デザンクロをも抑えてLP全体の中核を担う演奏だと思う。終わった瞬間にスカラムーシュに突入すると、かなりホッとします(笑)。
この粘りのある独特の質感、今となっては時代錯誤もいいところだが、こういうスタイルがサクソフォーン界からほぼ完全に消えうせてしまったのはちょっと寂しいな、なんだか。現代のプレイヤーが同じ曲を録音したら、全く違った感じになるのだろう。
2006/08/06
各地の吹奏楽コンクール
各地で吹奏楽夏のコンクールの結果が出揃い始めてますなあ。夏の甲子園と重なるまさにこの時期、全国の至るところであの独特の緊張感に包まれた雰囲気が…。今年も実は何度か会場に足を運ぶ機会があったのだけれど、ホールのメインエントランスに向かって歩いていく時に徐々に鼓動が速くなるあの感じをちょっとだけおすそ分けしてもらっている。
…筑波大学吹奏楽団は今年も金を獲得し、東関東大会にコマを進めたそうだ!おめでとう!
他にもいろんなところから朗報が!知り合いの愛知県のコンクールに出た子も、代表権を獲得したそうだ。おおー。あと例のあの団体とか、何だかんだ言って自分のことのように嬉しい(笑)
去年の、引退前最後のコンクールを思い出して、少し懐かしくなった。
…筑波大学吹奏楽団は今年も金を獲得し、東関東大会にコマを進めたそうだ!おめでとう!
他にもいろんなところから朗報が!知り合いの愛知県のコンクールに出た子も、代表権を獲得したそうだ。おおー。あと例のあの団体とか、何だかんだ言って自分のことのように嬉しい(笑)
去年の、引退前最後のコンクールを思い出して、少し懐かしくなった。
ラベル:
音楽雑感
2006/08/05
斬新な和声?
ゴルトベルク変奏曲を結構真剣に50分近く聴いた後に、間髪いれずショルティーノ「異教徒の踊り」を聴き始めたら、和声に耳がついていかなくてびっくり。いつもは綺麗に感じる「異教徒」の冒頭部分が、なんだかまるで不協和音のように聴こえたのだ。いや、こんな経験は初めて。
バッハの基本的な和音の連続で耳が洗われるということだろう。そりゃ確かに50分も古典的な和音バランスにどっぷり浸かっていれば、ちょっとでも4度や7度が出てきたり、意表をつく転回形、そして和声進行が出てくれば耳が驚くのは納得できる。
例えばいくら現在の聴衆がドビュッシーの「牧神」を美しく感じるからといって、それまで和声が生まれてから200年間もの間古典的和声進行に慣れてきた当時の聴衆にとっては、よほど不思議な響きに聴こえたことだろう。「牧神」を初めて耳にした瞬間の彼らの驚き、耳が驚きつつもなぜか美しく感じてしまうギャップ…現代にあっては「牧神」にセンセーショナルな響きを感じるという人はあまりいないが、「当時の聴衆が聴いている音楽」「今の聴衆が聴いている音楽」の性質をそれぞれ考えるとつじつまが合う。
「異教徒の踊り」と言えば…(話は変わるが)アンコンではサックス四重奏曲の定番だけれど、アンコン初演したのは誰だったのかなあ。1974年にはEMIから「異教徒」入りのギャルド四重奏団のLPが出ているから、それを聴いた誰かが楽譜を買って、誰かが全国大会まで行って…、ってところかな。そういえば大学一年のときこれ吹いてバリトンでアンコンに出たなあ、懐かしい。
バッハの基本的な和音の連続で耳が洗われるということだろう。そりゃ確かに50分も古典的な和音バランスにどっぷり浸かっていれば、ちょっとでも4度や7度が出てきたり、意表をつく転回形、そして和声進行が出てくれば耳が驚くのは納得できる。
例えばいくら現在の聴衆がドビュッシーの「牧神」を美しく感じるからといって、それまで和声が生まれてから200年間もの間古典的和声進行に慣れてきた当時の聴衆にとっては、よほど不思議な響きに聴こえたことだろう。「牧神」を初めて耳にした瞬間の彼らの驚き、耳が驚きつつもなぜか美しく感じてしまうギャップ…現代にあっては「牧神」にセンセーショナルな響きを感じるという人はあまりいないが、「当時の聴衆が聴いている音楽」「今の聴衆が聴いている音楽」の性質をそれぞれ考えるとつじつまが合う。
「異教徒の踊り」と言えば…(話は変わるが)アンコンではサックス四重奏曲の定番だけれど、アンコン初演したのは誰だったのかなあ。1974年にはEMIから「異教徒」入りのギャルド四重奏団のLPが出ているから、それを聴いた誰かが楽譜を買って、誰かが全国大会まで行って…、ってところかな。そういえば大学一年のときこれ吹いてバリトンでアンコンに出たなあ、懐かしい。
ラベル:
音楽雑感
2006/08/03
ヘムケ氏の録音
2005年にEnF Recordsから出たフレデリック・ヘムケ氏の「Simple Gifts」を試聴できるサイト(左側のPLAY ALL SONGSから聴けます→http://www.cdbaby.com/cd/enfrecords)を発見。聴いてみた。オルガンとアルトサクソフォンという編成のアルバム…クリスチャン・フォーシャウの「Sanctuary(Quartz)」を思い出したけれど、方向性はかなり違うみたい。
ヘムケ氏の音、実はほとんど聴いたことがなくて、しかし日本の雲井雅人さんとか佐藤渉さんとかはヘムケ氏の弟子だということで気になってはいたのだ。いくつか耳にしたことがあるのは、サミー・ネスティコの「Persuation」をCCBというバンドと一緒に演奏した録音(ここで聴ける→http://ccb.coin.org/sounds.html)とか、サンドロフ「ウィンド・シンセサイザーと弦楽のための協奏曲」の中間部のカデンツァくらい。
1975年にはLPで「The American Saxophone」「Music for Tenor Saxophone」という2つのアルバムをリリースしたとの事なのだが、もちろん今となっては入手するすべもなく指をくわえて待っていたところ(クラシックサックスの世界で音源を入手するのには、実は待つことが重要だったりする)、去年なんと新譜としてリリースされたのがこのアルバム「Simple Gifts」。さらに今年中に「The Americal Saxophonist」というアルバムも出すとの事。まあ、そちらが出たらまとめて買おうかと思っている。
さすが、歴史に名を残すソリストだけある。聴こえてくるのはタイトルどおりの確かに「シンプルな」音楽なのだけれど、こういうシンプルさを聴かせられる演奏家ってやはり稀なのだと思う。テクニックが凄いとか、音色が特徴的だとかは全くない。言ってしまえばただ単に普通のことをやっているだけなのに、心がこもったフレーズがはちきれそうだ。そういえば、隅から隅まで気配りしながらフレーズを形作ってゆく演奏って、雲井さんや佐藤さんの吹き方に似てなくもない。
テクニックに「おおっ」と驚いて感動することはありがちだけれど、シンプルで力強い堅牢な音楽は普遍的なんだろうなと思う。変な話だけれど、こういう演奏だったら他の管楽器の人や、弦楽器、果ては声楽家の人が聴いたって頷くのではないかな。数多のプロにとって、そしてもちろんアマチュアにとっても、こういうところに目指す理想があることが良いのだろう。…そうそう、ガロワ=モンブランの第一楽章を吹いて聴き手を感動させられなければ、いくら指が回ったって意味がないじゃないか(なんだそりゃ笑)!自分はまだまだですがね…。
さて、これはこれで良いとして、やっぱりLPも気になってしまう。ダールやフサの作品が入っているという「The American Saxophone」、それから「Music for Tenor Saxophone」聴いてみたいなあ。中古で売り出されていないか検索をしょっちゅうかけているのだが、どうやらどこにも出ていなさそうなのだ。うむむ、まあ気長に探すか。
ヘムケ氏の音、実はほとんど聴いたことがなくて、しかし日本の雲井雅人さんとか佐藤渉さんとかはヘムケ氏の弟子だということで気になってはいたのだ。いくつか耳にしたことがあるのは、サミー・ネスティコの「Persuation」をCCBというバンドと一緒に演奏した録音(ここで聴ける→http://ccb.coin.org/sounds.html)とか、サンドロフ「ウィンド・シンセサイザーと弦楽のための協奏曲」の中間部のカデンツァくらい。
1975年にはLPで「The American Saxophone」「Music for Tenor Saxophone」という2つのアルバムをリリースしたとの事なのだが、もちろん今となっては入手するすべもなく指をくわえて待っていたところ(クラシックサックスの世界で音源を入手するのには、実は待つことが重要だったりする)、去年なんと新譜としてリリースされたのがこのアルバム「Simple Gifts」。さらに今年中に「The Americal Saxophonist」というアルバムも出すとの事。まあ、そちらが出たらまとめて買おうかと思っている。
さすが、歴史に名を残すソリストだけある。聴こえてくるのはタイトルどおりの確かに「シンプルな」音楽なのだけれど、こういうシンプルさを聴かせられる演奏家ってやはり稀なのだと思う。テクニックが凄いとか、音色が特徴的だとかは全くない。言ってしまえばただ単に普通のことをやっているだけなのに、心がこもったフレーズがはちきれそうだ。そういえば、隅から隅まで気配りしながらフレーズを形作ってゆく演奏って、雲井さんや佐藤さんの吹き方に似てなくもない。
テクニックに「おおっ」と驚いて感動することはありがちだけれど、シンプルで力強い堅牢な音楽は普遍的なんだろうなと思う。変な話だけれど、こういう演奏だったら他の管楽器の人や、弦楽器、果ては声楽家の人が聴いたって頷くのではないかな。数多のプロにとって、そしてもちろんアマチュアにとっても、こういうところに目指す理想があることが良いのだろう。…そうそう、ガロワ=モンブランの第一楽章を吹いて聴き手を感動させられなければ、いくら指が回ったって意味がないじゃないか(なんだそりゃ笑)!自分はまだまだですがね…。
さて、これはこれで良いとして、やっぱりLPも気になってしまう。ダールやフサの作品が入っているという「The American Saxophone」、それから「Music for Tenor Saxophone」聴いてみたいなあ。中古で売り出されていないか検索をしょっちゅうかけているのだが、どうやらどこにも出ていなさそうなのだ。うむむ、まあ気長に探すか。
2006/08/02
演奏家のアイデンティティ
上野の森美術館で、9/23から「生誕100周年記念ダリ回顧展」なるものをやる予定なのだそうだ。ほお上野か、ハバネラ四重奏団聴きに行くついでに行ってみようかな。あのよくわからない不気味なとろ~っとした感じの絵(そればかりではないけれど)、そして画家本人の特徴ある肖像(くるりとしたヒゲ!)、何かの本で目にして以来どちらも一度見たら忘れられない。作品を観たとたんに「ダリだ!」とわかるようなああいうのこそ、芸術家としてのアイデンティティの一つと言うのだろうか。
…そうすると、芸術家たる演奏家は自分の演奏を聴いた人が、「○○氏の演奏だ!」とすぐに分かるような演奏をすることこそが、芸術家としてのアイデンティティの有無につながってくる、とかそういう話になってくるぞ?そう考えると、音楽の世界ってなかなか美術や彫刻に比べて芸術家のアイデンティティというのがまだまだ希薄な世界なのかも。…いやいや、きっと自分の耳が悪いから分からない、ということかもしれない。
…そうすると、芸術家たる演奏家は自分の演奏を聴いた人が、「○○氏の演奏だ!」とすぐに分かるような演奏をすることこそが、芸術家としてのアイデンティティの有無につながってくる、とかそういう話になってくるぞ?そう考えると、音楽の世界ってなかなか美術や彫刻に比べて芸術家のアイデンティティというのがまだまだ希薄な世界なのかも。…いやいや、きっと自分の耳が悪いから分からない、ということかもしれない。
ラベル:
音楽雑感
グールドのゴルトベルク
グレン・グールドが1955年に録音した、バッハの「ゴルトベルク変奏曲」をようやく聴けた。重厚な演奏が主流だった当時のバッハの演奏に革命を起こした快活極まりない演奏、というような話はよく聞くが、実際のところどんなもんなのか。
今まで自分の中にイメージとしてあったのは、1980年代グールドのデジタル録音と2004年の野平一郎氏の録音。それらと比べて聴いてみるとなんと生き生きとした演奏だろうか!50年も前に演奏されたということが信じられない。すっかりゴルトベルクに対する認識を改めさせられてしまった。
不眠症の伯爵のために書かれたというこの作品だが、グールドの録音は先の変奏の展開が読めないエキサイティングなピアノ…これを聴きながら眠れるはずがない!ほとんどの繰り返しを廃し、速めのテンポ設定をすることで生まれる効果が絶大なのだろう。64分音符のフレーズを滑るように弾いていくのは、バッハの手から即興的に曲が生まれたということを思い起こさせる。
聴きものだったのが、いくつかの変奏に形式として与えられたフーガやカノン。わざと各声部をずらしながら弾いているのだろうか、それぞれのパートがこれでもかというほど透けて見えるのだ。例えば野平氏の録音は、どうしてもその美しいピアノの和声バランスに耳が惹かれてしまって、対位法的なイメージからするとちょっと違った聴こえ方に(私は)なるのだが、このグールド1955年の録音はそれとは全く違うアプローチなのだという印象を持った。
ゴルトベルク変奏曲はさすがに全曲通して50分を超える演奏となると聴くのにも気合が必要だが、この録音は40分未満。ゴルトベルク変奏曲、初めて聴くときはこのくらいの長さの録音がいちばんいいかも。ゴルトベルクに慣れてくると繰り返しが聴きたくなることもあるのだが、まあしょうがないか。
そういえば最近知ったのだけれど、ゴルトベルク変奏曲の主題はアリアのメロディではなく、アリアの裏で鳴っている通奏低音なんだと。そ、そうだったのかー!
今まで自分の中にイメージとしてあったのは、1980年代グールドのデジタル録音と2004年の野平一郎氏の録音。それらと比べて聴いてみるとなんと生き生きとした演奏だろうか!50年も前に演奏されたということが信じられない。すっかりゴルトベルクに対する認識を改めさせられてしまった。
不眠症の伯爵のために書かれたというこの作品だが、グールドの録音は先の変奏の展開が読めないエキサイティングなピアノ…これを聴きながら眠れるはずがない!ほとんどの繰り返しを廃し、速めのテンポ設定をすることで生まれる効果が絶大なのだろう。64分音符のフレーズを滑るように弾いていくのは、バッハの手から即興的に曲が生まれたということを思い起こさせる。
聴きものだったのが、いくつかの変奏に形式として与えられたフーガやカノン。わざと各声部をずらしながら弾いているのだろうか、それぞれのパートがこれでもかというほど透けて見えるのだ。例えば野平氏の録音は、どうしてもその美しいピアノの和声バランスに耳が惹かれてしまって、対位法的なイメージからするとちょっと違った聴こえ方に(私は)なるのだが、このグールド1955年の録音はそれとは全く違うアプローチなのだという印象を持った。
ゴルトベルク変奏曲はさすがに全曲通して50分を超える演奏となると聴くのにも気合が必要だが、この録音は40分未満。ゴルトベルク変奏曲、初めて聴くときはこのくらいの長さの録音がいちばんいいかも。ゴルトベルクに慣れてくると繰り返しが聴きたくなることもあるのだが、まあしょうがないか。
そういえば最近知ったのだけれど、ゴルトベルク変奏曲の主題はアリアのメロディではなく、アリアの裏で鳴っている通奏低音なんだと。そ、そうだったのかー!
ラベル:
音楽雑感
登録:
投稿 (Atom)