サクソフォン四重奏を聴きにいったはずなのだが、あまりに別次元の響きが続くものだから、途中から何を聴いているのか分からなくなってきてしまった。
【ハバネラ・サクソフォン・カルテット リサイタル】
出演:ハバネラ・サクソフォン四重奏団(クリスチャン・ヴィルトゥ、シルヴァン・マレズュー、ファブリツィオ・マンクーゾ、ジル・トレソス)
日時:2015年10月23日(金曜)19:00開演
会場:青葉区民文化センター フィリアホール
プログラム:
G. テレマン「水上の音楽」より序曲
R.シューマン「弦楽四重奏曲第2番 ヘ長調 Op.41-2」より第1楽章
E.ショーソン「舞曲 op.26」より
C.ドビュッシー「スティリー風タランテラ」「トッカータ」
P.エトヴェシュ「様々な解釈」
B.バルトーク「ブルガリアのリズムによるダンス」
P.グラス「サクソフォン四重奏曲」より第4楽章
A.ピアソラ「ミケランジェロ'70」(アンコール)
J.S.バッハ「?」(アンコール)
私は、演奏会に出かける時には、自分の中に"基準"のようなものを持っていく。あらかじめ、それまで録音や実演で接した経験をベースとして「凡そこのくらいの驚きがあるだろう」という見込みを自分の中に作りこむのだ。実演に接した時、その基準を超えると感動するのだが、ハバネラ・カルテットについては、それが全く通用しないと感じた。これまでにCDを何枚も聴いたし、映像も観たし、9年前とはいえ実演に接したこともある…しかし、そういった私の中の(大きな)期待を易々と飛び越えて、別次元の世界へと連れて行くような、そんな演奏だった。もはや書くことができる言葉は推測をベースにしたものでしかない。
技術的な面は世界最高水準だろう。消え入るような、しかし安定したピアニシモ、フラジオも難なく吹きこなし、音色はただひたすらに美しい。だがしかし、技術で説明しきれない部分だらけだ。
シューマンの辺りから、聴いたことのない響きが連続して、サクソフォン四重奏という編成をベースに演奏を語ることができない。サクソフォンが複数本折り重なっている箇所では、瞬間瞬間に、響きが変化していく。聴いたことのない響きだから、言葉を使って「弦のような」「肉声のような」と表現することもできない。だがしかし、1本に着目して聴いてみると、意外と普通のサクソフォンの音である。その、普通(と思われる)サクソフォンの音が2本、3本、4本と重なっていくに連れて、色彩が無限に拡がっていく。
エトヴェシュの新作のような、一聴すると良く分からない作品でも、なんと見通しの良い演奏であることか!だが、見通しが良いと言っても、「楽譜が見えるような正確な演奏がすごかった」ではなく「音楽を聴きました」という感想に落ち着いてしまうことが不思議だ。正確無比、ということではきっとないのだが、なぜあんなに説得力があるのだろうか。
休憩なし、アンコールまで含めておよそ1時間30分弱の一本勝負。短いMCを挟むのみで、極彩色の響きを、次へ次へと楽々紡ぎだす。きっと何か特別な凄いことをやっているのだろう…と、同じサクソフォン吹き(と言うのも憚られるほどだが)の端くれとしてそのヒントを少しでも得ようとするのだが、無駄骨に終わったのだった。
いやはや、明日(もう今日か)の8重奏コンサートも楽しみだ。
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