2007/02/17

Letters from Glazounov(グラズノフ「四重奏曲」)

アレクサンドル・グラズノフネタでもう一つ。Dorn Publishingから出版されている「Saxophone Journal」という雑誌の一部記事を、オンラインでPDFにて読むことができるのだが、そのなかに「Letters from Glazunov」という面白い記事がある。

なんと、「協奏曲」「サクソフォン四重奏曲」の成立経緯を、グラズノフが友人に宛てた手紙によって紐解くという、注目すべきもの。著者はAndre Sobchenkoというサクソフォン奏者。グラズノフによるこの2つの作品は、サクソフォン界における、唯一のロマン派作品ということで、興味がある方も多いのではなかろうか。

せっかくなので、今回「サクソフォン四重奏曲」に関する部分を特に引用して、訳してみましたのでご覧ください。ちなみに翻訳・転載許可等は取っていないので、もし不都合があったら消します。また、訳の間違いなどありましたら指摘していただけると有難いです。

書簡は、グラズノフが1928年にパリへ移住し、数年経ったころから始まる。1932年3月、時にグラズノフ66歳。

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…グラズノフはピアノに加えて、多くの管楽器に精通していた。幼少の頃よりクラリネットを習い、その後立て続けにトロンボーン、トランペット、チェロ、ヴィオラ、フレンチホルンを吹いた。トランペット、ホルン、トロンボーンのための「Leaf from Album」を作曲した32年後、グラズノフは再び、管楽器作品のための筆を取ったのだった。彼はサクソフォン四重奏曲を書き始めたのだ。

マクシミリアン・シテインベルクへの書簡
1932/3/21
私はいま、サクソフォン四重奏に取り掛かっている。知っていると思うが、サクソフォンという楽器は、とても特徴的な音を持っているんだ。その音は、オーケストラの中にいれば、ほとんど全ての木管楽器を凌駕するほどだ。国家親衛隊音楽団(band of National Guard)には、サクソフォンの素晴らしいソリスト[注]がいる。第1楽章はそろそろ書き終えられるだろう。第2楽章「カンツォーナ」のアイデアも既に固まってきた。

イアン・ウルフマンへの書簡
1932/5/11
親愛なるイアン!
休暇見舞いをありがとう。まずは返事が遅れたことを謝りたい。ちょうどサクソフォン四重奏の作曲が忙しかったのだが、そろそろ書き終えられそうだ。この作品の真新しさに、私はドキドキしている…なんせ私は今までに、弦楽四重奏でしか、形式的に四声を扱ったことはないからね。いったいどんな響きがするんだろう。

シテインベルクへの書簡
1932/6/2
親愛なるマクシミリアン!
あなたの妹が、私の健康を気遣って手紙を送ってくれた。作曲の仕事が忙しく、君への手紙を書くのが後回しになってしまったこと、大変申し訳なく思っている。私の健康状態は、日増しに悪くなっているようだ。右足にできた腫れ物は、まったく治る気配がない。皮膚は裂け、時々痛むんだ。ブーツを履くことすらできず、軽い靴を履いて歩いているよ。じめじめした天気の日には、痛風の痛みがひどい。
そうだ、例のサクソフォン四重奏が完成したんだ(今のところ、2つの楽章のスコア書きを終えて、第3楽章はスケッチが出来上がっている)。第1楽章は、アレグロ変ロ長調、リズムは3/4拍子。少しアメリカ風だ!
第2楽章は、カンツォーナ・ヴァリエ。テーマは和声だけで作られていて、最初の2つの変奏は、厳格な、古典的な手法で変奏を展開してみた。次の変奏は、トリルを伴ったシューマン風(彼の交響的練習曲と似ている)。続いて、ショパン風の変奏と、スケルツォ。第3楽章フィナーレは、かなりおどけたスタイル。ずいぶんと長い作品になってしまったが、長さのせいで、奏者たちをかなり疲れさせるのではないかと心配している。奏者の一人と話してみたが、その点は大丈夫だと言ってくれた。

ウルフマンへの書簡
1932/6/21
苦痛に耐えられなくなってきた。体力が落ちているのが、自分でも分かる。どこへも行けず、服を着ることすらままならないほどだ。こんな状態では、ヴァカンスの時期にパリを離れられるとは到底思えない。そういえば、ずいぶん長いことピアノにも触っていないんだ。体がだめになる前に、私がサクソフォン四重奏のスコアを仕上げられたことは神のおかげかもしれない。しかしこの曲を自分の耳で聴くことは、果たしてできるのだろうか…。

シテインベルクへの書簡
1932/12/9
ついに来週、私のサクソフォン四重奏を聴けることになった。私はいまだに「ブレス」が、どのような問題となるのかがわからない。曲中には休みがとても少ないし、そして私の頭の中では完全に調和した音が響いているんだ。しかし、とある変奏は持続音の上に3声、という作り方をしている。

リムスキー=コルサコフへの書簡
1933/1/9
もし例えば、クラリネット、バセット、バスクラリネットのような「穏やかな」楽器が、サクソフォンの代替として使われてしまうと、スタゾフが言うように「正しい響きがしなくなる」ことと思います。

ニコライエフへの書簡
1933/3/8
ついに、自分の耳で私のサクソフォン四重奏を聴くことができたんだ。分離された各声部は、とても上手く鳴っていた。…音楽的なカラーが、モノトーンになりがちな事(音域に関しては、私は何もできない)、そして同時に最大でも4声しか発音できない事は、私の悩みの種ではあるが。

ウルフマンへの書簡
1933/4/11
サル・パヴォーでのリハーサルの最中、彼らは私のためにサクソフォン四重奏を演奏してくれた。彼らの演奏はとても素晴らしかった。音色は豊かで、独創的だ…。この作品を聴くことができて本当に嬉しい。

シテインベルクへの書簡
1933/12/10
演奏者たちは本当に素晴らしい名手ばかりで、このサクソフォンという楽器がジャズで使われているものと同じだとは、到底思えない。彼らのブレス、体力、そして、軽やかな音、はっきりしたイントネーション…これら全てに、私はとても衝撃を受けたんだ。

[注]この「ソリスト」とは、当時ギャルド・レピュブリケーヌの主席サクソフォン奏者であったマルセル・ミュールのことである。

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この後、ドイツのサクソフォン奏者シーグルト・ラッシャーがグラズノフに「協奏曲」を委嘱、グラズノフは1934年に作品を完成させるが、衰えた健康状態は回復せず、1936年にパリで亡くなった。

「協奏曲」「サクソフォーン四重奏曲」というレパートリーが存在することは、サックスに取り組んでいる者としては、大変幸せなことだと思う。これらに取り組むとき、グラズノフに対して、もっと感謝の念を表すべきではなかろうか。今回訳した部分以外も、興味ある方はぜひお読みいただきたい。

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