2025/04/19

フルモー四重奏団のLP

Discogsで見つけてフランスから購入したLP。

ジャン=イヴ・フルモー サクソフォン四重奏団の1984年出版のLPで、まだテナーサクソフォンをGuy Demarle氏が担当していた頃の録音。

アラン・ベルノーの「四重奏曲」、「ラグタイム組曲」、クルト・ヴァイル「三文オペラ」、という、なかなか面白みのあるラインナップ。

「三文オペラ」はさすがの堂に入った演奏で、フルモー四重奏団のキャラクターにとてもマッチしており、大変良い演奏だと感じた。私が好きな、勢い最優先!というJohn Harle Saxophone Quartetの録音と方向性こそ違うものの、これも大変気に入った。

ベルノー「四重奏曲」も気合いが凄まじく、これは一聴の価値があるものだ。やはり最後はアルモQに戻りたくなるのだが、1980年代というタイミングでの録音は、当時の空気感を感じられるようで、貴重なものだ。

版元のD.G.M. Productionという謎のレーベルは、他にEnsemble De Saxophones De Parisなどの録音を出版しているが、実態はよくわからなかった。




2025/04/06

Frederick Hemke plays "Discourse II"

フレデリック・ヘムケ氏が、アメリカの作曲家Anthony Donato「Discourse II」という作品を演奏したライヴ録音を見つけた。ピアノはMilton Granger氏で、有名なLP「The American Saxophone」や「The Music for Tenor Saxophone」でもヘムケ氏との共演歴がある。

https://archive.org/details/cd_music-of-anthony-donato-vol-5_anthony-donato/disc1/

Anthony Donato氏、という名は知らなかったが、どうやらノースウェスタン大学で要職に就いていたことが以下の経歴からは読み取ることができる。ヘムケ氏との関係性も、その中で生まれたのだろう。

==========

アンソニー・ドナートは、1909年3月8日にネブラスカ州プラハ生まれ。イーストマン音楽学校で音楽学士(1931年)、音楽修士(1937年)、音楽博士(1947年)の学位を取得した。1931年から1937年まで、ドラーク大学でヴァイオリン科のヘッドを務め、オーケストラも指揮した。また、1937年から1939年までアイオワ州立教員養成大学、1939年から1946年までテキサス大学でヴァイオリン科のヘッドを務め、テキサス大学では作曲も教えた。1947年、ドナートは音楽の准教授としてノースウェスタン大学に着任。1950年、理論と作曲の教授に就任。1976年、名誉教授となった。

1947年から1958年、および1961年には、大学室内管弦楽団の指揮者も務めた。ドナートはフルブライト研究員で、1951年から1952年にかけてイギリスのバーミンガム大学で現代アメリカの音楽作曲について講義するなどした。また、ハンティントン・ハートフォード財団研究員でもあり、1961年の夏には音楽作曲の研究を進めた。

ドナートの演奏キャリアとしては、1927年から1931年にかけてロチェスター・フィルハーモニー管弦楽団、1929年から1931年にかけてホフシュタイン四重奏団のメンバーとしての活動が有名。また、1929年から1937年にかけては、多くのラジオ局で生演奏を行ったが、四重奏団の指揮と演奏も行った。ドナートは、ソリストとして、また米国各地で演奏する様々な室内楽団体のメンバーとして数多く出演した。作曲家としての活動も目覚ましく、オーケストラ、バンド、合唱、オペラ、様々な室内楽の組み合わせ、ピアノ、オルガン、独唱、ピアノを含む様々な楽器のための作品を作曲した。

ドナートと伴奏者のキャロリン・スコットは、1931年12月30日に結婚した。 1990年10月29日、ドナートはフロリダ州ブレーデントンの自宅近くの介護施設で亡くなった。

==========

以下の写真は、当時のプログラム。この作品よりもむしろ、同時に演奏されたデザンクロやフサの作品などが気になるが、それらの録音は見つけられなかった。

2025/03/31

ルイ・アンドリーセン「De Stijl」

ルイ・アンドリーセンは、1939年生まれのオランダの作曲家。60年代にルチアーノ・ベリオに師事、ヨーロッパのモダニズムに触れたのち、70年代にはアメリカのミニマリズムに傾倒した。1973年から母校のオランダ・ハーグ王立音楽院で作曲を教えている。サクソフォンを多用した作品を多く書いており、四重奏の「Facing Death」や、「Hoketus」などが有名。

最近知った作品で、「De Stijl」という、5本のサクソフォンを含む作品が非常に面白い。ダンス・ミュージック風のリズムの動き、そして女声合唱との対比された響きが鮮烈である。


ロサンゼルス・フィルハーモニックのサイトにあった曲目解説を訳したもの(一部機械翻訳使用)を置いておく。若干高尚な文書で読みづらいが、「De Stijl(デ・ステイル)」についての前提知識:1917年にオランダで生まれた芸術運動のことで、絵画、建築、デザインなど多岐にわたる分野で展開され、シンプルな幾何学的構成と抽象的なデザインを追求したもの…という内容を知っておくと、比較的読み解けると思う。

https://www.laphil.com/musicdb/pieces/1515/de-stijl

==========

「デ・ステイル」は、4部構成の音楽劇「デ・マテリア」の第3部として1985年に作曲された。(全作品は1989年にロバート・ウィルソンの演出でアムステルダムで初演された。USCソーントン・コンテンポラリー・ミュージック・アンサンブルは、2001年にグリーン・アンブレラのプログラムで「デ・ステイル」を西海岸で初演している)。新形態主義としても知られる「デ・ステイル」(様式)は、第一次世界大戦と第二次世界大戦の間に花開いたオランダの芸術運動であり、この運動に特化した雑誌のタイトルでもある。原色や白黒のモノクローム、直線や長方形の平面や領域、対称性の回避、比率や位置の関係によって強調されるバランスとリズムなどが「様式」の重要な要素であった。アンドリーセンは1985年7月に次のようなメモを書いている:

「デ・ステイル」は、1927年のピエト・モンドリアンの「赤、黄、青によるコンポジション」の音楽的イメージであるが、そのもっぱらコンセプチュアルなものである。4人のソプラノとトランペット、5人のサクソフォン、トロンボーンとギター、ピアノ・ソロ、そして低音楽器。低音楽器は24小節のディスコ風の主題を演奏するが、これは構造的にモンドリアンがこよなく愛したブギウギに関連している。ピアノ・ソロはモンドリアン自身が弾き、ダンサーがエスコートする。何しろモンドリアンは70歳になってもダンスのレッスンを受けていたのだ。彼は直立し、頭を斜め上に向けて「様式化された」ステップを踏む。作品の中には、モンドリアンの時代だけでなく、ダンス音楽への言及が多く見られる。スタイルはカールズラグの音楽家に合わせたものだが、作曲の「軽い」方法に陥ろうとはしていない。モンドリアンはアメリカのジャズバンドの先進性を認めていたが(彼はこれをフランス語の「シャスバンド」で表現していた)、ネリー・ファン・デスブルグに宛てたネオ・プラスティシズムについての手紙(1921年7月17日)でも、「ダンス音楽はまだシリアスな音楽としてカウントされることはないと思う」と書いている。この作品で歌われているのは、シェーンメールの『視覚数学の原理』(Beginselen der Beeldende Wiskunde)の断片である。一次性の絶対性についてのこの章は、モンドリアンの抽象絵画への展開に決定的な影響を与えたと私は考えている。いずれにせよ、シェーンメールの考え方と文章は、モンドリアンの『デ・ステイル』誌への寄稿に直接影響を与えた。


2025/03/30

第1回アドルフ・サックス国際コンクール(ディナン)のライブ盤

第1回アドルフ・サックス国際コンクールのライブ盤を入手。それなりに有名なCDだと思うのだが、Rene Gaillyレーベルの倒産以来手に入れづらくなってしまい、何年にもわたって入手できていなかった。 ケースも盤も状態は非常に良く、購入されたものの聴かれていなかったか、デッドストックだったか。

コンクール当時まだ20代だった、ヴェルサイユ音楽院教授のヴァンサン・ダヴィッド氏(第1位入賞)、ハバネラサクソフォン四重奏団テナー奏者のファブリツィオ・マンクーゾ氏(第2位入賞)らの、同コンクールでのライヴ演奏が聴ける、という、興味深い盤だ。

H.プッスール「Caprice de Saxicare」(第3位:Raf Minten)
A.グラズノフ「サクソフォン協奏曲」(第2位:Fabrizio Mancuso)
P.M.デュボワ「サクソフォン協奏曲」(第1位:Vincent David)
H.プッスール「Caprice de Saxicare」(第1位:Vincent David)

やはりというべきか、第1位のヴァンサン・ダヴィッド氏の演奏はかなり良いもので、デュボワもなかなかに説得力ある演奏であるし、プッスール作品の演奏でのキレもある。コンクールならではの若干の空回りや、表現の積極性がやや薄い、といった部分はあるが、これは録音のせいもあるかもしれない。マンクーゾ氏のグラズノフの演奏は、数あるグラズノフの録音と比べてしまうと緩徐部分にそこまで魅力を感じないし、ミンテン氏のプッスールの演奏も、やはりダヴィッド氏の演奏と比べてしまうと…というところ。

演奏そのもの以上に、資料的価値が高い録音であり、のちに発売された「Adolphe Sax International Competition」には含まれていないものも、ここでは聴くことができる。やや好事家向けかもしれない。

ライナーノートに書かれている、アドルフ・サックス国際サクソフォン・コンクールの成り立ちに関する部分を抜粋・翻訳してみた:

このコンクールは、ベルギー国王アルベール2世の後援のもと、国際アドルフ・サックス・イヤー実行委員会が、国際ジュネス・ミュジカル連盟 Federation of Jeunesses Musicales および1994年9月にサクソフォンに特化したTrompコンクール(オランダ)と共同で開催する。このコンクールは、1994年11月6日時点で31歳以下のサクソフォーン上級者を対象とし、国籍は問わない。コンクールの科学的・音楽的な企画は、フランソワ・ダニール(François Daneels)が主宰し、ベルギーの音楽院のサクソフォーン教授全員を含む委員会によって組織された。予選、セミファイナル、ファイナルの3ラウンド制。サクソフォーンであればどの楽器でも出場できるが、規定曲はアルトのみ。予選とセミファイナルはピアノ伴奏、ファイナルはジョルジュ・オクトール指揮ワロン室内管弦楽団の伴奏で行われる。

ライナーノーツから、写真で一部抜粋してみた。審査員のリストには、武藤賢一郎氏の名前が。各演奏者の写真は…若い!




2025/03/20

ブランフォード・マルサリス演奏のグラズノフ

ジャズサクソフォン奏者として有名な、ブランフォード・マルサリス氏が演奏するアレクサンドル・グラズノフ「サクソフォン協奏曲」の録音。私自身は昔インターネットラジオ配信された録音を持っていたが、Internet Archiveに置かれているのを見つけた。アンドレイ・ボレイコ指揮ニューヨーク・フィルハーモニックとの共演である。2010年もしくは2011年の演奏会の模様。

https://archive.org/details/cd_schuller-berry-glazunov-menotti-compositio_gunther-schuller-wallace-berry-alexander-g

フレージングの作り方が、普段大多数耳にする演奏とだいぶ違う。カデンツァはさすがのマルサリス氏の独壇場、といったところだが、「Creation」のイベールで魅せた縦横無尽なカデンツァと比較すると、かなり抑制された印象を受ける。音はかなりクラシックに寄せてあるが、どのようなセッティングなのか、少し気になるところ。

ちなみに、ニューヨークフィルにおいて本作品を共演したことがあるのは、ブランフォード・マルサリス氏と、シガード・ラッシャー氏、の2名のみである。

写真は、2011年演奏会のプログラム冊子の一部。



2025/03/18

立花ハジメ「H」に…

音楽家、グラフィックデザイナーとして、1980年代から活躍する立花ハジメ氏のファーストアルバム「H」について。昨年末あたりの、お知り合いMさんのFacebook投稿を見て、備忘録的に書いておく。

冒頭のトラック「IF」は、デザンクロ「四重奏曲」第1楽章の、第2主題。最終トラック「MEMORIAL」は、グラズノフ「四重奏曲」第2楽章"カンツォーナ・ヴァリエ"の主題である。

ある程度サクソフォン四重奏に取り組まなければ、これらの主題を取り上げることは無いであろうから、どういった経緯でこれらの作品を引用したのか、非常に気になっている。



2025/03/17

John Harle plays Johnstone

Internet Archiveを探索していたところ、ジョン・ハール氏の演奏を見つけた。イギリスのMaurice Johnstoneという作曲家の「バラッド」という曲である。

込み入ったクラシック作品、というよりは、どちらかというとライト・ミュージック的な装いがあり、演奏時間も10分を切る程度。ハールの真価を聴く、というようなものではないが、鼻歌のように軽やかなサクソフォンは、曲の雰囲気に非常にマッチしている。バックのアルスター管弦楽団の演奏も、鮮やかで非常に良い。

https://archive.org/details/cd_english-composers_julius-harrison-ruth-gipps-maurice-johnsto

Maurice Johnstoneの簡単な経歴は次の通り:1919年10月から1922年4月まで王立マンチェスター音楽大学(後に王立北部音楽院)で学ぶ。1921年夏にマンチェスター・シティ・ニュース紙に音楽批評を寄稿。1922年5月から1923年3月まで、ジョンストンはロンドンのキングス・カレッジで作曲と指揮を学んだ。1935年からBBCの音楽部門に勤務し、最初はロンドンで、その後1938年から1953年まではマンチェスターでBBC北地域音楽部長を務めた。1953年、新設された音楽部門の音楽番組責任者としてロンドンに出向、その後ハーペンデンに戻った。1959年にBBCを退職し、1976年4月に亡くなるまでハーペンデンに住み続けた。

写真は、Maurice Johnstoneの近影。