7/18、インタビューのためにアンリ=ルネ・ポラン氏を訪問した。
かつてデファイエ・サクソフォン四重奏団のアルト奏者として、また、ギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団のバリトン奏者として活躍し、またルーアン音楽院にて教鞭を執り後進の育成にも力を注いだフランスのサクソフォン奏者、アンリ=ルネ・ポラン Henri Rene Pollin氏。まさかこのような機会が巡ってくるとは…本当に夢のような出来事だった。
メトロでサン・ラザール駅へ移動し、通訳をお願いした外山舞さん、小川結子さんと待ち合わせ。サン・ラザール駅から、列車で1時間30分ほどかけてルーアン駅へと向かった。パリからノルマンディーの方面に向かう車窓からは、森や川が多く見える。パリからストラスブールに向かう車窓からは畑ばっかりだったことを思い出したが、なんとも対照的な風景だ。9:00頃にルーアン駅到着。とても涼しい。
ルーアン駅からはメトロで移動。最寄り駅で降りて、徒歩で10分ほどのアパルトマンに向かった。どきどきしながら呼び鈴を押す。ものすごく緊張したのだが、奥様ともどもとても温かく迎えてくださった。また、おふたりとも90歳を超えるご高齢であることを感じさせないタフさがあり、驚いたのだった。
インタビューは、とにかく何か話題を振るとどんどんと喋ってくださるので(しゃべりながらどんどん思い出している感じ)さすがにその場で全部通訳してもらうわけにはいかなかったのだが(後日ディクテーションしていただく予定)、通訳していただいた分だけでも、貴重なお話をたくさん聴けた。例えば、クラリネットからサクソフォンに転向した理由、デファイエ氏との四重奏練習の話、リュエフ・ティスネ・パスカルが入った四重奏の録音の話、ギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団来日の話、家族の話など、いずれもまさにサクソフォンの歴史の一端を担った偉大なサクソフォン奏者としての言葉の数々であり、あまりの情報量の多さに頭がぼーっとしてくるほどであった。
お昼ごはんもご馳走になり、その最中にはシャンパンも開けて…もちろん、ポラン氏、奥様と一緒にそのシャンパンを味わい、またさらにその後もお話は続き、さらに貴重な資料は写真の数々も見せていただき(いくつかは借りて日本に持ち帰ってきた)、充実の時間を過ごした。なんと17:00くらいまでほとんど休憩もなく喋ってくださり、「休憩しますか?」と聞くも、「元気だから大丈夫だよ!」という具合。いやはや、驚かされる。
そのうち資料は整理しようと思うので、とりあえずこの記事では1点だけアップしておく。ロジェ・カルメル「サクソフォン四重奏曲」のアルトパート譜である。赤鉛筆、青鉛筆の部分は、デファイエ氏が重要箇所として印をつけたものなのだそうだ。四重奏に関しては、デファイエ氏がかなり音楽作りを細かくやっていたことも伺った。
ということで、7時間近くに及ぶ邂逅となった。今回のインタビュー依頼をしてくださった荒木浩一氏、同行してくださった外山舞氏、小川結子氏に、改めて感謝申し上げる次第。今回の内容は、日本サクソフォーン協会の協会誌に掲載予定。しっかりした記事を書き上げたい。
インタビュー後は、以前ルーアンの語学学校に通っていた外山舞さんの案内で、ルーアンの時計台や、ノートルダム大聖堂、ジャンヌ・ダルク教会等に案内してもらった。特にノートルダム大聖堂は、その規模はもとよりステンドグラスなど圧巻の極みであり、つい長居してしまった。最後に、外山さんお気に入りだというガレット&クレープ屋さんで簡単に夕食を。名産のアップル・シードルも美味しく、もちろんガレットも絶品、楽しい時間だった。
19:30過ぎの列車でパリへ。列車内では、記憶がはっきりしているうちに手書きのメモ書きをPCで書き起こす作業。2時間ほどかけてパリに到着した。
メトロに乗り換え、昨日と同じホテルへ。荷物を整頓して、夢の様な一日を反芻しながら床についたのだった。
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