バーバー「弦楽四重奏曲」、グラズノフ「四重奏曲」、ショスタコーヴィチ「弦楽四重奏曲第七番」が入った、ディアステマ・サクソフォーン四重奏団 Quatuor DiastemaのCD「d'Ouest en Est(AMES AM 3004)」が到着。選曲・演奏ともに大変素晴らしいが、とりあえずCD全体の紹介は後日に回すとして、バーバー「弦楽四重奏曲」を題材に与太話。
バーバー「弦楽四重奏曲作品11」は急-緩-急の3つの楽章からなる作品だが、この作品の第2楽章こそ、あの有名な「弦楽のためのアダージョ」のオリジナルなのだ。「弦楽のためのアダージョ」といえば、20世紀に命を吹き込まれた音楽作品の中で、もっとも美しく、繊細な音楽作品の一つであるとも言われている。そのメロディの美しさから、映画「プラトーン」、ドラマ版「のだめカンタービレ」等の、もっとも感動的な場面に使われるなどしており、きっと今までに耳にされたことのある方も多いのではないだろうか。
ところが。「弦楽のためのアダージョ」は前述のように、サウンドトラックとして大変な人気を得ているにもかかわらず、本家作品のそのほかの楽章はまるでマイナー作品の中のマイナー作品とも言われてしまうような扱いだ。
さて、今回の入手にあたり、サクソフォーン四重奏のバージョンではあるが、初めて「アダージョ」を含む「弦楽四重奏曲」全楽章を通して耳にすることとなった。
第1楽章は約7分。冒頭のモチーフが繰り返し引用されながら、変容を繰り返していく。モチーフの展開はなかなか技巧的で、しかし響きは彼の中~後期作品に見られるほどのアイデンティティを確立していない気がするなあ、などと思いながら、ダラダラと聴く。「アダージョ」で聴いたことのある和音なども聴こえてきて、「やっぱり同じ曲なのねー」と、妙に納得。
…そして、第2楽章に突入。冒頭のソプラノサクソフォンの伸ばし、そして下三声の和音が響いた瞬間、それまで「ながら聴き」をしていた私の手が、ふと止まった。
聴こえてきたのは、今まで聴いたことのない音だった。
「アダージョ」は、弦楽合奏版・サックス四重奏版、どちらにも頻繁に触れており、かといって特に好きな曲、というわけでもない。「美しいなー」と思うことはあっても、心の底から震えることはなかった、のだが…。
テーマの長音、そして3つの上昇音の繰り返しが、脳を掴んで離さない。旋律が、和音が、耳のずっと奥深くに染み入るような感じだ。今まで「アダージョ」単体で聴いたときには、決して聴こえなかったオーラが、そこには感じられた。ついつい、第2楽章が終わるまで放心状態で聴き入り、第3楽章のあっけらかんとした舞曲が始まって、ようやく我に返った。
今のは一体なんだったのだろうと、慌てて第2楽章を始めから再生。しかし、さっきの感覚を感じることはできなかった。ためしに、第1楽章から続けて再生してみると…そう、体全体にメロディが浸透してゆく感じが蘇ったのだ。
詳しく分析したわけではないが、どうやらこの「弦楽四重奏曲」、楽章間に大変有機的な繋がりがあるようだ。それは、音形の借用であったり、和声であったり、第1楽章の終わらせ方(第2楽章の始まり方)であったり…。「アダージョ」聴いたことのある人は、ぜひ全楽章を通して聴いて見ることをオススメいたします。
というわけで、取り出して聴く機会の多い曲を、最初からきちんと連続で聴いてみると、こうまで曲の印象が変わるものなのか、という我が身に起こった体験のお話でした。例えば、ある気に入った曲があったときに、偏って特定の楽章ばかり聴いてちゃダメなのですね。何か曲をさらうときも、きちんと全楽章をさらいきらないと、曲の本質というのは見えてこないのですね。と、オチはずいぶんありきたりなところについてしまったが、身をもって実感できたのは幸いだった。
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