サクツェルツェットの演奏会、大学の用事&練習のため行けなくなってしまった。このまま行くと次は雲井カルテットの定期演奏会?5月か6月中に何か演奏会を聴きたいなあ。しかしつくばエクスプレスが完成したといっても、時間距離として東京まで1時間は余裕を持っておかなければいけないわけで、「つくば=陸の孤島」感は相変わらず否めない(笑)。
西村朗氏のサクソフォーン協奏曲「Esse in Anima(魂の内なる存在)」を収録したディスク(Camerata CMCD-28058)を聴いてみた。飯森範親指揮ヴュルテンベルク・フィルの演奏で、サクソフォーンソリストは須川展也氏。大学の図書館に最近入荷したものだが…これを借りていく人なんているのか(苦笑)。
さてさてお目当てのサクソフォーン協奏曲、楽器の特殊奏法を極限までひきだしたソロ・パートで、微分音やフラジオは当たり前、須川さんお得意のポルタメントやスラップまでをこれでもかとばかりに披露する長大なサックスのモノローグに、時折オーケストラのクラスターが鳴り響くという曲想。ソロは圧巻。出版されているようだが、須川さん以外に吹ける奏者は世界に何人いることやら。オーケストレーションとしては打楽器の使い方がかなり工夫されているようで、スピーカーを通して聴こえる煌びやかなサウンドが印象に残る。管は全体にシンプルな音色、難所でのきっちりしたアンサンブルも素晴らしい。
で、本題。
最近考えるのだが、特定の「現代曲」に潜む魅力ってなんだ、と。超絶技巧が~とか、ではなく“自らが特定の現代曲を繰り返し聴くようになる原因”て何なのだろうか。気に入った調性音楽だったら、「このメロディが好きだー」、とか曲の好きな部位をはっきりと意識できるのに。もちろん個人に限った疑問なので自己意識の掘り下げになってしまうが、この西村氏の協奏曲は、なんだかあまり魅力を感じない。
私はそれなりにサックスの現代音楽を良く聴く。もともとはフランスのアカデミズムにのっとった楽曲入りのCDを買っては、この奏者が好きだなあとか楽しんでいたクチなのだが、高校のころ知ったベリオ「セクエンツァIXb」から、突然にサックスに限らず無調性の楽曲に興味を持ち始めるようになった。サックスの特殊奏法などを知るようになって、サックスの現代作品を様々に聴いた。日本人作曲家によるサクソフォーン現代作品が収録された「Japanese Saxophone(BIS CD-890)」は今でも好きだな。好みの曲は次第に増え、好きな曲は飽きずに何度も何度も聴いたものである。
いろいろなサックス現代音楽作品に接してきたが、いつのまにか良く聴く曲とそうでない曲は自分の中で分かれている。うーん、不思議。同じく無調性のサクソフォーン協奏曲である伊藤康英「協奏曲」はものすごく良い曲だと思えるし、実際好きなのになあ。
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