2020/08/27

トゥールの哀歌

未だに、エストニアの四重奏団、タリン・サクソフォン・カルテットが演奏するトゥール「哀歌」を聴くことが出来ていない。「お国モノ」ということで、いつかはきちんと聴いてみたいのだが、マイナーレーベル過ぎて…。

アムステル・カルテットの演奏が比較的入手しやすいが、緩急の対比が極端に付いてこそ、の作品であるところ、「急」が物足りないのだ。「緩」が素晴らしいだけに、なおさら惜しい…。

取り合い

我が家のGoogle Home(スマートスピーカー)のメインの役割は音楽再生。Google Play Musicのサブスクリプションサービスと契約しており、音声で指示すれば大概の曲は再生できる。

息子3歳が最近音声操作が上手くなってしまい、私が自分の好きな曲を聴いていると、「オッケーグーグル、ストップ」「オッケーグーグル、〇〇〇〇をかけて」と、変えられてしまう…のが最近の悩み。

2020/08/25

響くだけ

様々な録音を聴いていると、レコーディングのせいなのか、マスタリングのせいなのかは判らないが、ウワンウワンと響くだけのようなものにぶち当たることがある。

正直、何度も聴き返す気には(いくら演奏が良くても)ならないのだが、疲れているときに通勤電車の中で聴くのは、そのくらいのものがちょうど良いことが分かった(笑)。

まあ、最近は週一ペースでしか出社していないため、そんな機会も殆ど無いのだが。

2020/08/24

原博巳さん逝去より一年

早いもので、本日原博巳氏が亡くなって一年経つ。

訃報に接したその時には、あまりに現実感が無く、信じられない/認めたくない、といった気持ちが先行していたのだが、時を経るにつれて、拒絶と受容のバランスが取れたところに落ち着いてきた。

残念なことに、亡くなったその事実は変えらない。兎角、サクソフォン界は、一年前のこの日、極めて優れた音楽家を一人失った、ということだ。

2020/08/23

弦のトランス作品

あくまで個人的な感覚だが、弦のトランス作品をサクソフォンで演奏する際…作品に依存せずソプラノ〜バリトンの各楽器での演奏を比較したとき、ソプラノで感じられる「痛さ」を、バリトンで感じることが殆ど無い。音域が低いほどに、そのように感じる。

ソプラノでの演奏は、テクニックの妙を感じることはあれど、「ソプラノはソプラノ」という感覚だ。しかしながら、バリトンでの演奏は、一つの形式を形作っている…とでも言いたくなる。

ティエス・メレマ氏の最新版(メンデルスゾーンの「チェロ・ソナタ」のシングルカット)を聴きながら、そんなことを思った。

2020/08/22

シティ・ノワール初演映像

グスターヴォ・ドゥダメル氏がロサンゼルス・フィルハーモニックの芸術監督に就任した際の、記念演奏会のDVDを(久々に)ゆっくり観た。

ジョン・アダムズ「シティ・ノワール」の初演。サクソフォンの素晴らしさは言わずもがな、舞台・客席の双方を包む高揚感と、楽曲の疾走感の相乗効果に、初めて聴いたとき以来の興奮を覚えた。弦の、いくぶんかの「雑味」も重要要素。

いろいろ余裕無く、流し聴きばかりのここ最近だが、どんな曲も、集中してじっくり聴かないとな…。

2020/08/21

アルテQのアルバム

Andreas Schaererとの合作になるArte Quartettのアルバムがなかなか衝撃的だった。特に1曲目の「Großer Bruder von q1」の凝縮されたような濃密なテンション…録音でここまで耳を捉えて放さないのは珍しい。

ArteQ様々なジャンルへの対応力(のようなもの)には、毎度驚かされる。音色がかなり関係していると思うのだが、実際どのような生音なのだろうか。