NewYork Timesの「Music Notes」というコーナーに、アメリカのサクソフォン奏者、ハーヴェイ・ピッテル氏の記事を見つけた。1979年12月2日、とのこと。1970年代~1980年代の、アメリカにおけるサクソフォンの捉え方を垣間見ることができる、興味深い内容である。
https://www.nytimes.com/1979/12/02/archives/music-notes-the-saxophone-from-suburbia.html
==========
1840年代にアドルフ・サックスがサクソフォンを発明したとき、サックスは、この楽器がクラシック音楽のための楽器の中で地位を確立すると想定していた。しかし、現在ではジャズの分野で最もよく知られている。そしてサクソフォンを本来の地位に戻そうとする一人がハーヴェイ・ピッテルである。彼は水曜日の夜にアリス・タリー・ホールでリサイタルを行う。
「この国、そして世界には何百人ものクラシック・サクソフォン奏者がいますが、そのほとんどは大学や音楽院に勤めています。私は、サクソフォンをコンサートのための楽器にしようとしている数少ない奏者の中の一人だと思っています。サクソフォンは、ときに木管楽器のように柔らかく、ときに金管楽器のように大胆に鳴らすこともできますから、今回のプログラムはその幅の広さを示すようなものにしました。」
ピッテルは、ロワレのバロック時代の「ソナタ」、インゴルフ・ダールのアルト・サクソフォンとピアノのための「協奏曲」、ラフマニノフの「ヴォカリーズ」、世界初演のミルトン・バビットの「イメージ:アメリカのボードビルにおけるサクソフォン」、イベールのアルト・サクソフォーンと11楽器のための「コンチェルティーノ・ダ・カメラ」などをプログラムに盛り込んでいる。ピアニストのサミュエル・リップマン、チェンバロ奏者のライオネル・パーティー、チェリストのエリック・バートレット、そして指揮者のイェンス・ナイガードと彼が率いるジュピター交響楽団のメンバーがプログラムに参加する予定だ。
「バビットの新作は、私の演奏を念頭に置きながら作曲されたもので、アルト、ソプラノ、ソプラニーノのサクソフォーンを使います。バビットはサクソフォンを良く吹いていたそうで、ハッピーな作品です。私は20年代のルディ・ウィードフトの作品など、彼が知っている曲をいくつか演奏してみせたのですが、彼はそれらも含めて自分流にしてしまいました。テープとサクソフォン奏者のための、ヴィルトゥオーゾ・ピースです。」
36歳のこのサクソフォン奏者は、すでにこの楽器のために多くのパイオニア的な活動をこなしてきた。コンサート・アーティスト・ギルドの主催で、過去に2回、ここでリサイタルを開き、クリスタル・レーベルから少なくとも3枚のレコードをリリースし、シカゴ、オンタリオ、ボルドー、ロンドンで開催されたワールド・サクソフォン・コングレスにも参加している。5年間にわたり、アフィリエイト・アーティストとして、ミズーリ州ヤズーシティ、アリゾナ州プレスコット、シアトルなど様々な場所で知られている奏者だ。
「私にとって、すばらしいキャリアです」と、彼は続ける。「私は、刑務所、小さな町のライオンズクラブ、学校、定期演奏会などで演奏してきました。こういったときには、聴き手に向けて、くだけたトークなどもしました。各地でたくさんの素晴らしい人との出会いに恵まれたのです。」
ピッテルは、モンタナ州グレートフォールズで生まれ、ロサンゼルスで育ちました。クラリネット奏者として音楽キャリアをスタートし、20歳の時にはダンス・オーケストラのマネジメントと講師をしてた。「フランスの偉大なサクソフォン奏者、マルセル・ミュールの録音を聴いて、彼のような演奏ができるようになりたいと思うようになった。ジュリアード音楽院でジョセフ・アラール、パリでダニエル・デファイエ、ボルドーでジャンマリー・ロンデックスに師事した。これらの先生方は多大な貢献をされましたが、私が行ったのは、それぞれの先生方から何かを受け取り、私自身の音を組み立てることです。それはおそらく、フランスの流派よりも大きく、充実していて、より柔軟で変化しやすいものだと思います。」
1年前から、ピッテルはニューヨーカーになった。西海岸から移ってきたのは、室内アンサンブルで演奏する機会が多いからだ。つい最近も、ボストン交響楽団から、ディビッド・デル・トレディチの「ファイナル・アリス」のサクソフォン・パートを24時間以内に引き受けてほしいという依頼があった。幸いなことに、この曲は彼が他のオーケストラで演奏したことのある、よく知っている曲であった。来年4月にはボストン交響楽団と、ポール・チハラの「サクソフォーンとオーケストラのための協奏曲」を世界初演する予定である。