2013/09/01

アラン・ベルノー「デュオ・ソナタ」について(服部先生)

2013年7月13日、第4回サクソフォン交流会 in 名古屋、服部吉之先生と瀧彬友先生がベルノーを演奏した後の、服部先生に対するインタビューを文字起こしした。公開OKとの許可を得ることができたので、公開。言い回し等、しゃべった言葉をできる限り変えずに書き起こしたつもり。

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これまで16回演奏して、今日が17回目だと思います。1974年で第4回世界サクソフォーンコングレスがボルドーで開かれました。その時大学3年生、21歳で、演奏はしませんでしたが見学しに行きました。コングレスで初演されたのがこの曲の1,2,3楽章、名手ダニエル・デファイエとジャン・ルデューが演奏をしていたのを聴きました。その時、いずれこの曲を演奏することができるのか、と思ってしまうほど難しい曲に感じました。次の年1975年の3月14日に、新橋の近くで聴いた時、その時もう既に東京佼成の仕事をしていたが、吹奏楽関係者は皆来ていました。ソプラノとバリトンを聴いた後に、バリトンってああいう音がするんだよね、と会う人会う人に言われて、針のむしろのような生活を1年くらい送ったわけです。
当時楽譜は出版されていませんでした。それからしばらく経って東京佼成をやめ、1979年に渡仏した時に、ダニエル・デファイエ先生に楽譜を借りたいと言ったところ、彼はすぐ貸してくれたんです。その前にルデュー先生に言った時は、作曲家の許可を得なければいけない、といって貸してくれなかったのだが、今考えれば確かにそうだったかもしれません(笑)。デファイエ先生曰く、何時に返すかと聞かれ、午前10時に借りて午後2時までに持ってこいというわけです。シャンゼリゼ通りにあるFnacというところで慌ててコピーを取りました。
ベルノー、変人でして。住所がセーヌ川なんです。船の上で住んでいて、係留されている船の住所はパリ市セーヌ川なんです。本当に自由人なんでしょう。儲けようという気もなく、ルデュー先生のコンブレ社のコレクションから出版されたときに、何部ぐらい刷ったら良い?とベルノーに訊いたところ、100部もあればいいよ、という具合でした。さすがにもう少し刷ったと思いましたが…さすがに1000部くらい刷らなければ採算が合わないと思いますので。しかしベルノー先生曰く、どうせ売れないから、とのこと、私はそんなことはないでしょう、みんな欲しいだろうと思いました。私も原本を買いましたけれど、私が持っている楽譜は本人の自筆の楽譜なんです。細かく書き込みがしてある譜面を30年間、この曲を気に入って以来使っています。最初にやったのが30のときです。長瀬氏とやりました。それから雲井雅人氏とやって、原博巳氏とやって、ファブリス・モレティとやって、この間、瀧氏が去年のリサイタルのときにやりたいということで、久しぶりに…もうやらないと思っていたのですけれど、50以降演奏活動をやめて教育活動をしようと思っていた矢先に、去年やらされた(笑)という感じです。ダニエル・デファイエ先生たちは全4楽章での演奏を3回しかやっていないんですね。ボルドーでやって東京でやってパリでやって、ボードというところでやった記録しか残っていません。だからたぶん世界でいちばんたくさん演奏しているんです。
いまだに、本当にできる日が来るのかなと思いながらやっています。音を並べるのが精一杯で、何かやろうと思ったとたんに間違ってしまう、という感じでした。今日も何かやろうと思わないように忠実に譜面をそのまま音にしましょうというぐらいのつもりで演奏しました。年取るとだめですね。最初にやったのが30ちょっと前で、今年60の大台に乗ったのですが(会場から拍手)、皆さんのおかげです、この年でできるとは思いませんでした。おかげでそういう場所を作っていただいて。
この話を今年の春に東京で交流会を2年続けてということで、言っていたのですが、幹事のkuriと、フランス行く前でカメラを買いに行ったんだよね。デジカメを、そういうものが疎いものですから、いろいろと細かく訊いて、ご飯を食べようとか言ってうどん屋に入ったんです、食べている間に実は、っていうから、演奏するのは勘弁してよという話になってずっと、言われて、なんかやってくださいというので今回やってみました。本当にもうちょっとさらえば良いかもしれませんけど(笑)。

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