・審査員のアントニー・テスニとは、アントワーヌ・ティスネ Antoine Tisnéのことではないかな?と思った。そして、第一次予選に取り上げられたという「難曲」は、1978年に作曲されたティスネの「Espaces Irradiés」のことではないかなあと思ったのだが、阪口氏の言葉によると「無伴奏曲」だということだったので、そもそも編成が違うし、初演は1980年とのことだし。「Espaces Irradiés」はアルト・サクソフォンとピアノのための作品なのだ。もしかしたら、コンクールの審査で聴いたドゥラングル教授の演奏に感銘を受けたティスネが、のちに作品を捧げた、とかなのかなあ。
・一次予選の選択曲は、半数以上がクレストンとボノーだった、とのこと。このあたり、クレストンの有名なエピソードについては、Thunderさんのブログに詳しい。
・二次予選の日本人参加者の描写を、石渡氏のレポートより抜粋する。
…十一番目にやっと武藤氏がデニゾフのソナタとイベールのコンチェルティーノを、見た目には非常に落ち着いて演奏した。途中でチューニングをたっぷりしたりして一見悠々とはしていたが、本人の話では無我夢中だったとのこと。二人おいて下地氏が出場した。ロベールのカダンスを、難所を乗り越えて立派に演奏したのを聴いて「これはいけるぞ!」と心の中で叫んだのだが、次のイベールで事故を起こしてしまった。楽器のせいかどうか解らぬが、右手小指を使用する部分が何かにひっかかったのか、音が出にくくなってしまった。そこで本人はあわててしまったのか、最後まで吹きはしたが私の知る彼の演奏ではなかったように思われた。最後から二番目十九番にやっと宗貞氏が出場して、デニゾフとイベールを演奏した。彼のデニゾフは東京ではなかなか巧くゆかなかったのが、二年間でこれほど巧くなるものかと思われるほどの演奏であった。イベールは少し硬くなってしまったのか、彼本来の演奏よりちぢこまってしまったように思われた。
・本選進出者のうち、ドゥラングル氏、フルモー氏、クヌーセル氏、武藤氏は、パリ音楽院の同門・同期である。フーシェクール氏も、同門の一つ下。皆驚いていたことだろうな(笑)。それだけ、当時のデファイエクラスのレベルが高かったということだろう。
・本選の指揮者は、なんとマルセル・ミュールの息子であるポール・ミュール Pol Mule氏。これは知らなかった…。
・本選の描写を、阪口氏のレポートより抜粋する。
…なお、このオーケストラのメンバーにはチェロとクラリネットに二人の日本人がいた。
最初はアメリカの女性(注:リタ・クヌーセル)、エレガントな美しい音であったが狭いステージにオーケストラと並び、何かやりにくそうでイベールは終わりまでしっくりしていなかったが、このコンクールのための課題曲のコンスタンのコンセルタント(原文のまま)はみごとに演奏した。二番目はフランス人(注:フルモー)でブートリーのディヴェルティメントと指定曲、ノー・ミスでガッチリした演奏であった。三番目は日本の武藤賢一郎君、イベールと指定曲でイベールのに楽章のテンポが気になり、指定曲はまあまあであった。四番目は十九歳の小柄なフランス人、ブートリーと指定曲を非常に情熱的な良い演奏をしたが少しオーバー気味。五番目は金髪のフランス人(注:ドゥラングル)、デュボアのコンチェルトを暗譜ですばらしい演奏をしたが、終りのほうでミス、オーケストラとしばしのあいだ合わず、ハラハラさせたが、私は彼が当然一位と考えた。
・本選の描写を、石渡氏のレポートより抜粋する。
…決勝ではさすが全員打ち合わせたようにタキシードの正装で演奏していた。唯一の女性、アメリカのリタ・クヌーセル嬢の黒いパンタロン姿はとりわけ目立っていた。
五人の演奏曲目は、指定曲のほかはデュボアのコンチェルトが二人、イベールのコンチェルティーノが二人、ブートリーのディヴェルティメントが一人であった(注:あれ?阪口氏のレポートと矛盾があるぞ…)。わが武藤氏は三番目に指定曲とイベールを演奏し非常に好演であった。しかし一番目のリタ・クヌーセルは技術抜群、二番目のフォルモー氏は非常に表現力豊かで大きな音楽的才能を私たちに示してくれた、私と加藤氏の採点では巧くゆくと武藤氏が三位入賞だと二人で喜んでいた。何故なら、最終的に三位になったフーシェクール氏はまずまずの演奏で、また最高位と思われるドゥラングル氏はデュボアの曲を暗譜で演奏したが、三楽章の途中で大きなミスを重ね、オーケストラと合わなくなり危や止まるかとさえ思われた。このようなミスは他の楽器のコンクールでは大失点になるのではないかと思われた。しかし指定曲は非常に良い演奏であった。技術ともども豊かな音楽性を感じさせた。
kuriさん お久しぶりです。
返信削除Jean Paul Fouchecourt さんはDelangle氏のデビュー版のカルテットでアルトを担当していましたが、専門は声楽でサイトウキネンオーケストラとの競演をBSで見た記憶が有ります。名前と、CDの写真と顔が一致したので驚きました。才能がある方って凄いですね。
> donaxさん
返信削除コメントありがとうございます。
そうなんです!パリ音楽院を卒業したのち、どうやら声楽に転向?したようで、そちらのほうですっかり成功してしまったということですね。
音盤は声楽のものがほとんどですが、サクソフォンを吹いたLPも出ているようです。以前eBayで落札し損ねましたが、たしかブートリー「ディヴェルティメント」などが入っていた気がします。