2022/10/12

マルセル・ジョセのこと

名奏者であり教師、マルセル・ジョセについて。初出は日本サクソフォーン協会誌に寄稿した「録音から読み解く現代サクソフォン・トレンドの萌芽と発展」。構成を一部変更している。※敬称略。

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マルセル・ミュールが、1928年にギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団の仲間と共に結成した四重奏団は、その後パリ・サクソフォン四重奏団、マルセル・ミュール・サクソフォン四重奏団と名を変え、1966年までその活動を継続した。ミュールの四重奏団は、メンバーは固定されておらず、数回のメンバーの交代が発生したが、その最終期にバリトン・サクソフォン奏者を務めていたのがマルセル・ジョセ(ジョス)Marcel Josseである。

ジョセは1905年に生まれ、早期よりチェロ奏者としての高い能力を発揮した。16歳のときからアレクサンデル・ザッハレフ・バレエ団管弦楽団のチェロ奏者として籍を置き、後にパリ・オペラ・コミーク管弦楽団へと移籍した。順風満帆に見えたジョセの音楽家としての人生だが、そのころ腕を痛め、チェロ奏者としてのキャリアと、パリ音楽院のチェロ科への入学を断念せざるを得なくなる。ここで方向転換を迫られたジョセは、1925年、サクソフォンに興味を示した。1925年のことである。

ジョセの周りにサクソフォンのための教本は無く、専門の教師もいなかった。そこでジョセは、チェロを学んだ経験を基にして、チェロの教本をサクソフォンに適用しながらこの楽器の演奏を学んだという。すでに確たるバックグラウンドがあるジョセならではのエピソードである。

彼は、パリ音楽院において、サクソフォン、和声、対位法を学び、プロフェッショナルな演奏家として十分な技術を身につけた後、1933年にはサクソフォンの教師となった。その高い音楽性と技術をマルセル・ミュールに認められて、1948年に四重奏団へ参加。バリトン・サクソフォン奏者となり、ミュール四重奏団の解散までその役割を全うした

現代においては、ジョセと言えばどちらかというとサクソフォンの教育者としての顔が有名だ。ギィ・ラクール Guy Lacourがサクソフォンの初学者のために作曲した「50のエチュード」は、ジョセに献呈されている。教育者としての経歴を追うと、ヴェルサイユ音楽院、スコラ・カントルム、エコール・メルンという3つの学校で教鞭をとり、数多くの優秀な奏者を輩出したということである。前述のギィ・ラクールのほか、ベルナール・ボーフルトン Bernard Beaufreton、アンドレ・ブーン André Beun、ジャン・ルデュー Jean Ledieu…1970年代から1980年代にかけてフランスのサクソフォン界隆盛を支えた彼らは、全員がジョセの門下生である。

以下の写真でバリトンを吹いているのが、ジョセ。アルトはアンドレ・ボーシー。

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