2011/08/08

ロンデックスのロシアツアー(続き)

以前書いた記事の続き。

モスクワでのリサイタルと協奏曲ソリストとしての客演は、非常に好意的に受け止められた。マスコミの批評は、次のようなものである:

フランスのサクソフォン奏者、ジャン=マリー・ロンデックス氏の、モスクワのMaison des Savantsでのリサイタル。リサイタルの演奏曲目は、パウル・ヒンデミット、シャルル・ケックラン、Andre Ameller、ポール・クレストン、アンリ・ソーゲ、Pierre=Philippe Bauzin、ダリウス・ミヨーであった。また、ロンデックス氏はキリル・コンドラシン指揮モスクワ・フィルハーモニー交響楽団と、ドビュッシー「ラプソディ」、イベール「室内小協奏曲」を演奏した。
ジャン=マリー・ロンデックス氏は、非常にオリジナルな奏者であり、まれな才能が感じられ、演奏は魅力に溢れている。なにか特別に注意をひくようなことをやるわけではなく、彼が持つ深い芸術的センスでもって、真摯に音楽に向き合い、作品の特性を描き出すのだ。
ロンデックス氏の演奏は、緩徐楽章では印象的である。実に自然で、論理的で、磨き抜かれたフレージングセンスが光る。彼の歌い回しは、その美しいサウンド、そして表現の多様性によって、他の演奏家とは明らかに区別されるものである。ドビュッシー「ラプソディ」での、感傷的かつ官能的な音色は、今でも脳裏にはっきりと残っている。また、Bauzin作品のアダージョ楽章での、実にエモーショナルな感覚を思い出す。クレストン「ソナタ」の第2楽章でも、全楽章にわたっての透明なリリシズムへの誘惑が感じられ、そしてメロディ・音色の美しさは驚異的であった。
ロンデックス氏は、もちろん急速楽章の演奏も素晴らしかった。特に、彼の芸術性はヒンデミットやクレストン、イベールの終楽章で際立っていた。また、ミヨーの終楽章の演奏は、特筆すべきものであった。
アンコールは、バッハの「無伴奏チェロ組曲」を数曲演奏していたが、彼の芸術性の底しれぬ深さを感じさせた。彼の手に掛かれば、このドイツの昔の作品が生き生きと美しくよみがえる。
今回のプログラムは、彼の演奏家としての個性と、彼の独創性を十分に引き出すものであった。今回の作品のうち幾つかは、ロンデックス氏自身の献呈されている。

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意訳しすぎかな(笑)まあいいだろう。続き(ミハイロフやシャポシュニコワの言葉)は、また今度。

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