2008/01/17

ダールの「協奏曲」改訂遍歴

インゴルフ・ダール Ingolf Dahlの「サクソフォン協奏曲」と言えば、サクソフォン奏者にとって重要なレパートリーの一つ。良く知られていることではあると思うが、オリジナル・バージョンと現在演奏されているバージョンには、かなりの差がある。ラッシャーの独奏によるオリジナルバージョンを聴いてみると、全体がおよそ30分、独奏パートも数々の難所を擁した、長大な作品であることがわかるだろう。

今回、その改訂遍歴について、ダール「協奏曲」研究の第一人者、サクソフォニストのポール・コーエン氏が著した「The Secret Life of The Original 1949 Saxophone Concerto
of Ingolf Dahl(http://www.classicsax.com/asi/dahl.pdf)」から、一部を訳したので、公開してみます。例によって翻訳・転載許可は取っていないので、まずかったら消します。何か訳のミス等がありましたらお知らせください。

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ダールは、1948年の3月にシガード・ラッシャーから手紙を受け取り、サクソフォーンのために協奏曲を書くことに興味を示した。ラッシャー自身は、ダールの傑作である「金管楽器のための音楽」を通して彼を知り、サクソフォーンのために何か大きなスケールの作品を書いてもらえないかと、ダールへ打診を行ったようである。ダールは、新たなチャレンジへの興味(ダール自身は、それまで大編成のために作品を書いたことがなかった)、また、ラッシャーのヨーロッパとアメリカにおける名声も後押しして、ダールは1948年の6月に承諾の返事をする。作曲は、同年の夏から秋にかけて行われ、1949年1月14日、ミシガン大学ウィリアム・レヴェーリ指揮ウィンドアンサンブルとラッシャーの独奏による初演の計画がたてられた。しかし、ダールの教師としての活動の多忙さや、健康状態の悪化により、たびたび作曲は中断し、初演は見送られることとなる。実際の初演は、1949年5月17日、マーク・ハインズレー指揮イリノイ州立大学ウィンドアンサンブルとラッシャーの共演により行われた。オリジナルバージョンはおおよそ28分、2つの楽章(1. Recitative - Adagio, 2. Rondo)からなる。

このとき、ダールは自作の出来に大変な満足をしていたようで、公の場でもプライヴェートな文通でも、興奮している様子が示されている。シガード・ラッシャーへの献呈の際にも、「この作品に大変な自身を持っている」とのメッセージが添えられている。バンドディレクターへの書簡の中には、こう記されている。

この協奏曲のスタイルは、交響的であり、また大きなスケールをもっています。演奏者と聴衆の双方に大きなスケールの作品を提供する、ということは私の目標でありますが、この協奏曲は内容と演奏時間の点においてそれを満たしています。吹奏楽では、小品が取り上げられることが多いですが、バンドの音楽的成長のためにはこういった長大な作品を演奏することも重要であると考えます。

ダールは、ストラヴィンスキーやカウエルといった作曲家たちから、賞賛を受ける。特にストラヴィンスキーはこの作品を大変気に入ったようで、ダールからラッシャーに宛てた書簡の中で、彼はこう述べている。

素晴らしいことをお話しましょう。ストラヴィンスキーに、スコアを見せ、あなたが演奏したレコードを聴いてもらったのです!これは、私の人生経験の中でももっとも凄い経験の一つでした。レコードを流し終わると、ストラヴィンスキーは何も言わずに立ち上がって私を抱擁し、潤んだ目で私の両頬に(ロシアン・スタイルの)キスをしました。彼はこの協奏曲を、新しいものの中でも最も素晴らしい作品の一つだと思ってくれたのです。賞賛ののち、「ちょっとしたことはあるが、そのことに関しては、あなたはこの先理解するだろうから、言う必要はない(?)」とも言いました。このことをあなたに知らせることが出来て、とても嬉しいです。

ヘンリー・カウェルのことに関しても、同じくダールからラッシャーに宛てた書簡より、読み取ることができる。

私は去年の夏、ヘンリー・カウェルにレコードを聴かせる機会を持ちました。彼は、「大変良く書けた、素晴らしい吹奏楽作品だ。今月にワシントンで開かれるバンドマスターズ・アソシエーション(ABA)で推薦してみよう」と言ってくれました。

ダールは1953年の春に、ロサンゼルスでの演奏に向けて、改訂を開始した。このロサンゼルスでの演奏とは、1954年1月11日に行われたホームカミングコンサートで、ダールの活動休止からの復帰を祝うものだった。独奏者はウィリアム・ウライエイト William Ulyateで、ロサンゼルスでは名を上げたプレイヤーであり、またダールの友人でもあった。この演奏に際し、独奏パートはサクソフォンが本来持つ2オクターヴ半の音域に納まるように書き直されねばならなかった。たくさんのossiaが書かれ、アルティシモ音域を避けるためにソロの輪郭線には多くの変更が加えられた。また、バックの編成をシンフォニック・バンドからウィンド・オーケストラの形態(36名編成用)へと書き換え、1パート1人とした。また、この改訂の際には、バリトン・ホルンの削除と、サクソフォーンセクションの削除も併せて行われた。

楽章の削除は行われなかったが、最終楽章は大幅に書き換えられた。最初の楽章は、アタッカで演奏される二つのパートへと分割され、全26分間の、次のような構成となった。「1. Recitative, 2. Adagio(Passacaglia) - Allegretto - Adagio, 3. Rondo」

さらにダールは、1958年の秋から1959年の春にかけて、非公式な改訂を行った。ここでもまた、演奏会に間に合わせるために急ぐ必要があった。1959年4月に開催される、UCLAのバンドコンサートにこの協奏曲の演奏が予定されていたのだ。この改訂は、カットや削除が主な作業となった。第2楽章のAllegrettoが削除され、またロンドでの緩叙情的な部分が削除された。削除された部分の多くは、ダールが1959年に手がけ始めたCBDNAの委嘱による「バンドのためのセレナーデ」へと転用されたり、1961年の作になる「コンサートバンドのためのシンフォニエッタ」へと転用されたりした。この1958年から1959年にかけての第2版(非公式には第3版と言うべきか)は、こんにち、我々が商用的に入手可能なものである。全体は3つの楽章からなり、最初の2つの楽章「Recitative, Adagio(Passacaglia)」はアタッカで演奏される。最終楽章は「Rondo alla Marcia」で、全体の長さは18分程度となった。

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